8話 お揃いの花冠
それから数日後のこと。
鈴と浅葱は山の主への挨拶と浅葱が教えてくれた花畑を見に行くため、緑深い山の中を歩いていた。
初夏の山は生命の息吹に満ち溢れている。頭上を覆う青葉の隙間からは木漏れ日が落ち、煌めく金の粉のように地面を彩っていた。しかしそんな美しい情景を楽しむ余裕は、今の鈴にはなかった。
(……おかしい。私、体力には自信がある方なのに)
村にいた頃は毎日の畑仕事や重い水汲みも平気でこなしていた。それなのに先ほどから続く急な坂道に鈴の足取りはすっかり重くなっている。
ふと前を行く浅葱に目をやると、彼は一見細身な身体つきをしているというのに息一つ乱していない。それどころかまるで平地を散歩でもしているかのように、ケロリとした顔で軽やかに進んでいく。
やはり妖と人間とでは、根本的な体力が違うのだろうか。けれど自分の弱音で歩みを止めたくはなかった。鈴はきゅっと唇を結び、必死にその後を追う。
「鈴、大丈夫? 疲れてない?」
異変に気がついた浅葱がふり返り、心配そうにその明るい青緑色の瞳を鈴に向けた。
「はい……大丈夫です。まだまだ歩けます!」
鈴は強がって精いっぱいの笑顔を作ってみせが、僅かに声が震えてしまっていた。浅葱は足を止めしばらく何かを考え込むように鈴を見つめていたが、やがて小さく呟いた。
「――うん、やっぱり無理してる。人間の身体は脆いんだから、そんなに強がらなくていいのに」
「えっ……あの、浅葱様!?」
次の瞬間、視界がふわりと浮き上がった。
驚いて目を見開いた時には、鈴の身体は浅葱の両腕の中にすっぽりと収まっている。いわゆる横抱きで抱えられてしまったのだ。
「――な、何をして……っ! 恥ずかしいので下ろしてください!」
間近に浅葱の端正な顔と優しく細められた青緑の瞳があり、鈴がジタバタと彼の腕の中で暴れた。だが浅葱は見た目からは想像もつかないほどの力でしっかりと鈴を抱きかかえたまま山道を歩き出す。
「だーめ。下ろしたらまた無理をするだろう? 俺では頼りないかもしれないけど、疲れているのならそう言っていいんだよ」
おっとりとした、けれど包み込むような温かい声。その言葉に込められた優しさに触れ、鈴は不甲斐なさを覚えつつも大人しくその胸に身を委ねることにした。
「ありがとうございます……けど辛くなったらすぐに下ろしてくださいね!」
「ふふっ、はいはい、わかったよ」
◇
それからしばらくして浅葱が「着いたよ」と声をかけると、鈴をゆっくりと地面へ下ろす。地面に足をついた鈴は、目の前に広がる光景に思わず息をのんだ。
「わぁ……!」
そこは視界の開けたなだらかな斜面。その一面を埋め尽くしているのは、雪のように白い可憐な花々。風に揺れる白銀の床は、まるで夢の世界のようだった。
鈴が美しい光景に見惚れていると、隣に立つ浅葱が目尻を緩める。
「どう? 気に入った?」
「はい、とても……! こんなに綺麗な場所があったなんて……連れてきてくださって本当にありがとうございます!」
疲れも吹き飛び、鈴は心からの喜びを表すように満面の笑みを浅葱に向けた。すると浅葱はどこか満足げな様子で、自分の白金の頭を少し下げて鈴の前に差し出してきた。
「ん、撫でて」
「えっ?」
唐突な要求に鈴は思わず目を丸くする。前にも梅酒作りの時に同じようなことがあったけれど、まさか浅葱の方からおねだりをされるとは思わなかった。鈴は可笑しそうにクスリと笑うと彼の頭に手を伸ばした。
「ありがとうございました、浅葱様」
絹のように柔らかい白金の髪を、よしよしと優しく撫でてあげると、浅葱は心地よさそうに目を細めて喉を鳴らした。
「しばらくここで休んでいこう。ほら鈴もおいで」
浅葱が芝生の上に座ると促すように鈴の腕を引く。鈴が彼の隣に腰を下ろすと、初夏の爽やかな風が頬を撫でた。火照った肌に心地よく、花の香りに包まれながら穏やかな時間が流れていく。
ふと鈴は手元にあった白い花を見つめ、あることを思いつき器用に花の茎を編み込み始める。
「なにしてるの?」
隣から浅葱が不思議そうに鈴の手元を覗き込んできた。綺麗な青緑色の瞳が興味津々に揺れている。
「花冠です。村にいた頃、よく妹に作ってあげていたんですよ」
説明しながら指先を動かせば、あっという間に綺麗な花冠が完成した。鈴はそれを両手で持ち上げると隣にいる浅葱の頭の上へ、そっと被せてみる。
「ふふ、凄く似合っています。まるで本物の神様みたいですよ」
さらりと流れる白金の髪に、純白の花々が驚くほどよく映えている。うっとりと呟いた鈴に、浅葱は茶目っ気たっぷりに声を弾ませる。
「本物の神様なんだけど~?」
「あははっ、そうでしたね」
冗談めかしたやり取りにお互い顔を見合わせて笑ってしまう。
「ね、俺もそれ作りたい。教えて?」
浅葱が目を輝かせるので、鈴は隣で編み方を一つずつ丁寧に教えた。浅葱は手先が器用なため、すぐにコツを掴み小ぶりで綺麗な花冠をすぐに完成させた。
「できた! ――はい、鈴」
浅葱は優しく微笑みながら、出来上がった花冠を鈴の頭に被せる。
「うん、とっても可愛いよ」
少しの迷いも照れもなく真っ直ぐな言葉が紡がれる。あまりにも不意打ちの称賛に、鈴は目を見開いて頬を赤く染め上げる。
(他意はないんだろうけど、無邪気というか純粋というか……心臓に悪い!)
「あ、ありがとうございます……」
恥ずかしさに俯きながらも心の底から湧き上がる嬉しさに、鈴ははにかむような笑みを浮かべた。そのぎこちない笑顔を見た瞬間、浅葱は一瞬だけ大きく目を見開かせる。けれどすぐに、その瞳を優しく細めるのだ。
そして彼は吸い寄せられるように手を伸ばすと、鈴の熱い頬をしなやかな指先でそっと撫でる。
「ははっ、なんだか……鈴が喜んでいるところを、もっと見ていたくなるね。どうしてかな……?」
甘く鼓膜を震わせる声。慈しみに満ちたその眼差しに見つめられ、鈴は言葉を失い高鳴る胸を押さえることしかできなかった。
その時、二人の間に大きな突風が吹き抜けた。一面の白い花々が激しく揺れ、静かだった山の空気が、にわかに重苦しいものへと一変する。
「――おやおや」
そう頭上から聞こえた声は、美しい女性の声だった。




