5話 目を逸らす理由
「人の子よ。私の姿はお前たち人間の目には酷く恐ろしく映るのだろう。怖がらせてしまってすまなかった」
「いえ……! 私の方こそ、お話も聞かずに失礼なことをしてしまって……本当にごめんなさい! 今度またいらしたときは、ちゃんとお茶をお出ししますね」
鈴は臆することなく妖の大きな一つ目を真っ直ぐに見つめ、形の良い唇を綻ばせて微笑んだ。
普通なら決して交わることのない、自分たち妖の姿。誰もが恐れて目を背けるその異形を少女の澄んだ瞳は曇りなく、ただありのままに映し出している。
「ふふ、人の子とは初めて言葉を交わしましたが、愛らしいものですな。それではまた。浅葱様、人の子、ありがとうございました」
妖は目尻を下げ、滑るような足取りで夜の闇の奥へと去っていった。静かになった庭で浅葱は去りゆく妖の背中を見送ると、心配そうに鈴の顔を覗き込む。
「ごめんね、鈴。妖が突然やってきて驚いただろう。怖くはなかったかい?」
「驚きはしましたけど慣れていますから、大丈夫です」
浅葱はどこか引っかかるように眉を顰めた。
「妖の涙を拭ってやっていた時も、急に顔を逸らしていただろう? 怖いから目を背けたのかと思っていたけれど……違った?」
浅葱の問いに鈴は一瞬だけ言葉を詰まらせた。ぎゅっと自身の手を握りしめ、ぽつり、ぽつりと重い口を開く。
「目を背けたのは……ただの癖なんです。私は物心ついた頃から、他の人には見えない妖たちを見ることができたので……最近までずっと、見ないふりをして生きてきたんです」
月明かりに照らされた鈴の横顔が影を落として寂しげな色に染まる。
「……どうして見ないふりをしていたのか、聞いてもいい?」
浅葱は鈴の心にそっと寄り添うように、声音を一段と和らげて問いかける。そんな彼の優しさに、後ろめたさを覚えつつも鈴はゆっくりと言葉を紡いだ。
「……周りの人達を、怖がらせてしまうんです。私が『そこに誰かいる』って妖の話をすると、両親は気味悪がって私が呪われてるって酷く嘆いていました。妹の静も泣いて怯え出すようになってしまって……」
周りの誰にも見えない、自分にだけ見えている異形の姿。誰も信じない、誰も耳を傾けない、ただ周りの不安を煽るだけ。
幼いながらに言葉にできない恐怖と孤独を感じたことを今でも覚えている。だから目を背けて『見ないふり』を貫いた。
「私だけが別の世界に取り残されたみたいで、寂しかったんです……」
鈴はそこまで一気に吐き出すと、ふっと自嘲気味に口元を綻ばせた。
「ちゃんと声も届いているのに、姿だって見えているのに、自分の都合だけで目を背けるなんて……今思うと妖の皆さんにもすごく失礼なことをしていましたよね」
絞り出すように落とされた鈴の言葉を、浅葱は穏やかな眼差しで受け止めていた。そしてまるで安心させるかのように真っ直ぐに彼女の黒い瞳を見つめる。
「君は優しい子だね……。鈴、君の目は呪いなんかじゃない。君がこの世に愛されている証拠だ。それに目を背けていたのは、君のいた環境がそうさせただけ。鈴が後ろめたく思う必要なんてないんだよ」
浅葱はそっと、鈴の小さな手を包み込むように握った。その手はどこかほんのりと温かい。
「だからこの場所にいる間は、自分を偽って寂しい思いをしないでほしい。そのままの鈴で、俺やここに生きる者たちと心を交わして、その特別な目で美しい景色を見ればいい」
優しく微笑みかける彼の言葉が鼓膜を揺らした瞬間、無意識に止めていた息が口元から浅く零れ落ちた。固まっていた喉の奥がふっと緩み、胸の奥に溜まっていた重たい塊が吐息と一緒に外へと押し出されていく。
否定され呪いだとも言われたこの目を、彼は「愛されている証拠」なのだと言ってくれた。それがたまらなく、嬉しかった。
だが今更、素直に目を向けることができるだろうか。そんな不安が頭をよぎる。
(けれど、ここにいる間は嘘をつかなくていい……)
それだけで心が軽くなり、歩み寄りたいと思った。鈴の胸に宿った小さな燈を心地よく感じながら、繋がれた彼の手を僅かに握り返した。
「私もここで、色んなものを見てみたいです……!」
決意を込めて顔を上げた鈴の様子に、浅葱はふわりと優しい微笑みをその端正な顔に浮かべた。すると彼は何かを思いついたように、悪戯に微笑むとわざとらしく大袈裟なため息をついてみせる。
「あ〜〜でも、今夜みたいに客人を縛り上げるのだけは勘弁してね?」
「なっ……! もうしませんよ!」
先ほどまでの感傷的な空気を吹き飛ばすような浅葱の冗談に、鈴は気恥ずかしさで声を荒げる。
「本当に? さっきの妖、涙を流して本気で怯えていたよ。鈴、結構度胸があるからさぁ〜」
楽しそうに目を細め揶揄うように笑う浅葱の顔は、月の光を浴びてひどく眩しかった。鈴はその美しさに耐えかねて、カッと熱くなった顔をふいと横へ背ける。火照る頬を落ち着かせ一つ深呼吸をすると、はぐらかすように話を逸らした。
「それより! ここには、よく妖のお客様が来られるのですか?」
「うん。ここは現世と常世の狭間だから、困りごとを抱えた妖が時々訪ねてくるよ」
「現世と常世の狭間?」
「君たち人間の世界と妖の世界の狭間。だから君も、この場所へ辿り着けたんだよ」
(もしかして、あの時の……)
生贄としてこの山へ入り、小雨の降る薄暗い獣道を進んでいた時のこと。狐の嫁入りの光に包まれながら、鬱蒼とした獣道を通り抜けた瞬間に、世界の色ががらりと変わった。
あの不思議な石畳の道に出た時、きっと現世の境界線を越えてこの常世の入り口へと迷い込んでいたのだろう。
「不思議な場所ですね……」
「そうだね。でも俺にとってはここが一番落ち着くんだ。さあ、今度こそもう遅いから部屋に戻って温かくして寝るんだよ」
「はい。浅葱様もおやすみなさい」
今度こそおやすみの挨拶を交わし、鈴は浅葱に見送られながら、自分の部屋へと戻って行った。
ここは人と妖の世の狭間。不思議と不安はなく、むしろ穏やかな安心感に包まれながら鈴はゆっくりと瞼を閉じたのだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
次回、浅葱の意外な【弱点】が発覚します!
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