4話 祓い神
ある夜のこと。
浅葱に「おやすみなさい」と告げて自室へと戻る途中、廊下を歩いていた鈴はふと違和感を覚えて足を止めた。
目をやったガラス窓の向こう、月明かりに照らされた広い庭に何やら不審な影が佇んでいるのが見えたのだ。暗闇の中、それは背を丸め何かを懐に抱え込むようにして不気味に蠢いている。
(……まさか泥棒?)
鈴は物音を立てずに手頃な麻縄を引っ掴み、勝手口から静かに庭へと滑り出た。そして不審な影へ背後から気配を消して一気に近づくと、影がこちらに気づき振り返る。
長い黒髪の隙間から見えたのは、顔の真ん中に鎮座する大きな一つの目。明らかに人間とは異なる形をしている。
しかし――鈴はまったく怯まなかった。
「泥棒!」
鋭い気合いと共に、鈴はすばしっこい身のこなしで一つ目の妖に躍りかかった。驚いて声を上げる間も与えず、畑仕事で鍛え上げた頑丈な体力を活かし、あっという間に妖の体を縄でぐるぐる巻きにして地面へ組み伏せてしまった。
「鈴、どうしたの!?」
ただならぬ騒ぎを察知した浅葱が、長い白金の髪をなびかせ慌てて縁側から庭へと飛び出してきた。その視線の先には縄できつく縛り上げられ、地面に転がされて大粒の涙を零している一つ目の妖と、その上に堂々とまたがって胸を張る鈴の姿がある。
「浅葱様、泥棒です! 庭でこそこそ怪しい動きをしていました!」
「違いますぅぅぅ……! 泥棒なんかじゃありません、誤解ですぅぅぅ!」
妖は涙を流しながら、必死に首を横に振って哀れな声を上げる。浅葱は呆然と目を丸くしたが、困ったように眉を下げて呆れながら溜息を吐いた。
「鈴……ひとまず縄を解いてあげなさい。その妖は泥棒じゃないよ。大事な客人なんだ……」
「えっ!? お客様!?」
鈴は驚きながら慌てて妖の上から退き、すぐに縄をほどいた。すると一つ目の妖は鈴へ怯えたような眼差しを向け、浅葱の足元へとすり寄る。
「ああぁ浅葱様、お救いいただきありがとうございますぅ……。乱暴な人の子に殺されるかと思いました……」
未だに大粒の涙を流す妖の姿に、鈴の良心が痛んだ。泥棒と誤解し、手荒に事をしてしまった。申し訳なさから、鈴は着物の袖から手拭いを取り出し、妖の大きな一つ目に添えて優しく涙を拭う。
「妖さん、ごめんなさい。勝手に泥棒だと決めつけて、酷いことをしてしまって……。どこか痛むところはありませんか?」
鈴の温かい手のひらに、妖はビクリと身体を強張らせて驚愕に一つ目を見開いた。妖を見上げる目の前の少女の瞳には、一切の偏見も恐怖も混ざっていない。
「……人の子のくせに、お前は真っ直ぐ私を見るのだな」
静まり返った沈黙の後に妖の口から紡がれた言葉は、人間を蔑むようなものではなく物珍しさとどこか温かい感慨が含まれていた。
その言葉で我に返った鈴は自分が妖の目をじっと凝視していたことに気づき、思わず視線を逸らしてしまう。
するとそれまで二人のやり取りを静かに見守っていた浅葱が、鈴を背中に隠すように自然な動作で二人の間に身体を滑り込ませた。
「それで、今夜はどうしたの?」
浅葱が優しく問いかけると、妖は懐から一本の古びた筆を取り出した。
「実は、この筆なのですが……。悪しき物に取り憑かれてしまったようで、忌々しい気を放ち使うこともできなくなってしまいました……。どうか、浅葱様のお力で祓っていただけないでしょうか」
その筆の毛先からは、ねっとりとした黒い瘴気のような煙が立ち込めている。浅葱は「なるほどね」と頷くと、その端正な顔立ちを少しだけ引き締め、筆に向かってそっと白く美しい手を翳した。
浅葱の手のひらから、淡い光がぽつぽつと溢れ出す。その光が筆を優しく包み込んだ次の瞬間、纏わりついていた黒い瘴気が霧散するように一瞬で綺麗に消え去ったのだ。
「あぁ……! 浅葱様、ありがとうございます! やはり貴方様のお力は素晴らしい!」
妖は大事そうに筆を胸に抱え歓喜の声を上げた。初めて目にした神の力に、鈴も思わず感嘆の息を漏らす。
「浅葱様はこんなことまでできるのですね! そういえば、村の人たちも神様のことを『祓い神』と呼んで恐れ敬っていました」
「あはは、俺は祓い神とはちょっと違うんだけど……たまにこうやって訪ねてくる妖たちの悪い物を祓ってやるんだよ」
浅葱は困ったように微笑んだが、すぐにいつものほんわかとした雰囲気へと戻っていった。
一つ目の妖は助けてもらったお礼にと、懐から不思議な輝きを放つ少し大きな鳥の羽を取り出し鈴に向かって差し出した。
「こちらはお礼の品です」
「鳥の羽……ですか?」
受け取ったそれは一見すると黒く見えるが光の加減によって黄色く変化する羽だった。浅葱が横からその羽を覗き込み、感心したように目を細める。
「それは『道標の羽』だよ。行き先に迷ったとき、息を吹きかけて手放すと目的地の方角へ向かって舞いながら道案内をしてくれるんだ」
「そんな不思議なものがあるんですね……」
月明かりの下できらきらと輝く羽を鈴は壊れ物を扱うように両手で包み込み、物珍しそうに目を輝かせて興味深く見つめた。
「俺はただ瘴気を祓っただけだけど、こんなに珍しい品を貰っても良かったの?」
浅葱が尋ねると、妖は愛おしそうに手元の筆を撫でる。
「はい、私にとってこの筆は一生の友。それを救っていただいたのですから、これでも足りないくらいです。それに……人の子を驚かせてしまった、お詫びでもありますので」
すると妖は浅葱の隣に並ぶ鈴の方へと、改めて向き直った。




