番外編 祝言の夜(1)
祝言の後、一緒に夜を過ごす浅葱と鈴の話。
結局、祝言の宴は夜遅くまで賑やかに続いた。
晴れて浅葱と夫婦になれたこと。そして沢山の妖たちに温かく受け入れられ、心からの祝福を受けられた喜びに鈴は浮き足だっていた。
「お風呂お先でした。鈴〜、次どうぞ」
湯上がり特有の甘い香りとほのかな湯気を纏わせて、脱衣所から浅葱が顔を出した。濡れた白金の髪を手ぬぐいで軽く拭いながら、いつものポヤポヤとした笑みを浮かべている。
「はーい」
素直に応じ、すれ違いざまにお風呂場へ向かおうとした、その瞬間。腕をぐっと強い力で引かれ、視界が大きく傾く。
引き寄せられた先は浅葱の広い胸の中。驚いて息を呑む鈴の耳元へ、浅葱の唇がそっと近づけられる。
「……鈴、今夜は俺の部屋で一緒に寝ようね」
耳朶をくすぐる低く甘い吐息。跳ね上がる心臓を押さえるように顔を上げると、いつもの穏やかな笑みは消え去っていた。こちらを見下ろす瞳には、妖しく熱を帯びた光が宿っている。普段の穏やかな姿との違いに鈴は思わず呼吸を忘れて見惚れてしまった。
「ゆっくり、温まっておいで」
ぽんと軽やかに頭を撫でると、浅葱はそのまま自分の部屋へと歩み去ってしまう。残された鈴は脱衣所の前でただ呆然と立ち尽くすのだった。
◇
温かな湯船に身を沈めながら、鈴はひとり頭を抱えて悶えていた。
(忘れてたけど、今夜は夫婦になって初めての夜……!)
妖たちからの祝福にすっかり胸がいっぱいで気を取られていたが……無事に祝言を終えたということは、今夜が二人の「初夜」なのだ。
『……鈴、今夜は俺の部屋で一緒に寝ようね』
耳元に残る浅葱の声を思い出し頬が赤く染まる。これまでも同じ部屋で添い寝をしたことくらいならある。けれど夫婦という特別な関係になった今では、その言葉の持つ意味が全く違っていた。
口付けひとつ取っても赤くなって照れてしまうような段階なのに、その先の事なんて本当にできるのだろうか。
(でも……浅葱様に触れられるのは好き……)
頬を撫でられたり、腕の中に抱きしめられると不思議と安心する。素直に嬉しいとさえ思う。それでも、胸を占める緊張と不安が全て消えるわけではない。
ぐるぐると渦を巻く思考に囚われ――結局、何の答えも導き出すことはできなかった。
◇
静まり返った廊下に自分の激しい鼓動だけが響く中、鈴は浅葱の部屋の前で立ち尽くしていた。固く結ばれてしまった胸の奥の結び目を解きほぐすように深く息を吐き出し、意を決して声をかける。
「浅葱様……!」
「どうぞ〜」
障子越しに返ってきたのは、拍子抜けするほどいつも通りの呑気な声だった。
そっと障子を開けると、浅葱は布団の近くに置かれた小さな机に向かい、本を読んでいる最中だったようだ。鈴の姿を認めると、彼はぱたんと静かに本を閉じる。
部屋の中央には一組の布団が綺麗に敷かれ、室内を照らしているのは行灯から漏れ出る一筋の柔らかな灯りのみ。これまで何度も足を踏み入れたはずの見慣れた部屋なのに、まるで知らない場所へ迷い込んでしまったかのように胸の鼓動が激しく波打っていた。
「鈴、どうしたの?」
入口で固まったまま動かない鈴を不思議に思ったのか、浅葱が首を傾げる。
「えっと、それは……その……」
浅葱に見つめられ、鈴は咄嗟に視線を泳がせた。すると彼は体の向きをこちらへ変え、敷かれた布団の上を手で優しく叩く。そして手招きするように「おいで」と手を差し伸べてきたのだ。
鈴はおずおずと足を進めたものの、布団からは少し離れた畳の上にちょこんと正座をした。
「……ねぇ、なんでそんな離れたところに座るの?」
不満げに眉をひそめる浅葱に、鈴は平然を装うように背筋をぴんと伸ばす。しかし緊張のあまり、浅葱の顔を直視することはできずにいた。
「そ……そんなことないですよ」
「そんなことあるよ。ほら、こっちに来て」
静かな呟きが耳に届いた直後、強い力で腕を引かれた。声を上げる間もなく、鈴の身体は浅葱の膝と膝の間にすっぽりと収まる体勢で後ろから抱きすくめられていた。
背中に感じる浅葱の胸の厚み。薄い着物越しに伝わってくる熱い体温。意識しすぎているせいなのか、鈴の心臓の音がいつも以上にうるさく鼓膜を揺らす。
「鈴〜」
浅葱は鈴の肩の上に自身の顎をちょこんと乗せ、甘えるように全身の体重を預けてくる。どんな表情をしているのかは見えないが、耳元に届く声の甘さから浅葱の顔が間近にあることが嫌でも意識させられた。
「……なんですか?」
「どうしてこっち向いてくれないの?」
「なんとなく、です」
背後から、ひしひしと不満げな気配が伝わってくる。
「ねぇ〜鈴、こっち向いてよ。鈴の顔が見たいな?」
「ま、まだ駄目です……!」
急激に高まる恥ずかしさに耐えかね頑なに拒む言葉を返すと、背後で浅葱が「ふ〜ん」と短く呟いた。すると首筋にフッと浅葱の熱い息がかかり、背中を抱く腕の力が一段と強まる。
直後、視界が激しく旋回し鈴は柔らかい布団の上に押し倒されていた。




