42話 ふたりの祝言
ここで浅葱を甘やかしてしまっては、収まりがつかなくなってしまう。鈴は心を鬼にして言い聞かせた。
「今は駄目です……我慢してくださいね」
「わかった……」
鈴にそう言われてしまっては逆らえないようで、浅葱はしゅんと引き下がった。鈴が胸を撫で下ろしたのも束の間、撫子が鈴の肩を優しく後ろへ引き寄せるなり庭の方に向かって声を上げた。
「山吹! 山吹ーー! この男をさっさと追い出してくれ!」
「あ〜? キーキーうるせぇな……お! 鈴、似合ってんな。綺麗だぜ。ほら浅葱、行くぞ」
愉快に顔を出した山吹が浅葱の首根っこを掴むようにして強引に連れ出そうとする。
「はぁ、わかったよ……鈴、また後でね」
未練を残したように何度も振り返りながら、浅葱は山吹に連行されていったのだった。
◇
やがて、式の刻が訪れた。
浅葱と鈴は屋敷の門から並び立ち、妖桜の木を目指して歩みを進める。歩く距離こそ短いが、道の両脇にはいつの間にか集まった数多の妖たちが控えていた。二人が通り過ぎるたびに、歓声とともに色とりどりの花びらを散らしている。
辿り着いた妖桜の木の下は、まるで別世界のような幻想的な光景に包まれていた。
妖桜本来の青い花びらは既に散っていたが、代わりに他の桜と同じ満開の桜色の花びらを枝いっぱいに咲かせている。周囲の桜の木々も誇らしげに咲き誇り、風が吹くたびに花吹雪となって舞い踊っていた。
(綺麗……)
感動に浸っていると、控えていた妖が恭しく白い綺麗な盃を浅葱に手渡した。浅葱は迷いのない手つきで、己の指先を軽く切る。そこから一滴の血が零れ、盃へと落ちていく。
「鈴も失礼するよ」
「はい」
名前を呼ばれ鈴が素直に手を差し出すと、浅葱は鈴の指先も同様に小さく傷つけた。痛みは全くなく、小さな傷から、浅葱の血と重なるように鈴の血も盃へ零れ落ちる。
すると不思議なことに二人の血が混ざり合った盃の底から、透き通った酒が湧き上がってきた。鈴が目を丸くして見つめていると、浅葱がいつになく真剣で、どこか切なさを秘めた眼差しを鈴に向けた。
「これを呑めば鈴は俺の妻となり……人間ではなくなる。命の巡りも俺と同じ刻を歩むことになる。……けど俺はもう鈴を手放したくない。だからどうか、受け入れてほしい」
その言葉の重みを、鈴はしっかりと胸で受け止めた。人間を辞める恐怖など最初から無かった。大好きな彼と同じ時を歩み、この先もずっと隣にいられることの方が何倍も愛おしい。
「はい。浅葱様と一緒にいられるなら、喜んで受け入れます」
鈴の力強い答えを聞き、浅葱の緊張していた表情がほどけ淡く美しい笑みを浮かべた。
浅葱は盃に口をつけ半分ほど酒を飲み干すと、そっと鈴へ手渡す。鈴は深く一度息を吐き出すと、意を決して残りの酒を全て飲み干した。こくり、と喉を鳴らして飲み込むと身体の芯から冷たい、けれどこか心地よい気配が全身へとしみ渡っていく感覚があった。
使い果たされた盃は控えていた妖に回収され、鈴はどこか呆然と自分の手を見つめた。
(これで……わたしも妖になれたのかな……?)
「鈴」
愛おしさに満ちた声で名前を呼ばれ顔を上げると、浅葱が慈しむような深い眼差しで鈴を見つめていた。
「俺は鈴だけ妻として迎え、一生愛し続けるよ。この先、何があろうとも絶対に鈴を手放したりなんかしない。俺の大切な愛おしい鈴」
「私も、浅葱様を愛しています。この先もずっと……貴方だけを愛し続けます」
そして浅葱の手が鈴の頬に添えられ、桜吹雪が激しく舞い散る中、二人は吸い寄せられるように誓いの口付けを交わした。
やがてそっと唇が離れると、鈴の小指の付け根に、まるで細い紐を結びつけたかのような薄い痕が浮かび上がってきた。古傷のように白く注意深く見なければ気づかないほどの小さな印。浅葱の手を見れば、彼の小指にも全く同じ白く綺麗な痕が刻まれていた。
「これはね、妖の長い生涯で一度しか付けられない契りの痕なんだよ。普段は目立たないけど……身体が熱った時は、赤く浮かび上がるんだ」
「へぇ……不思議な痕ですね」
感心しながら自分の小指を見つめていると、浅葱は淡く微笑み鈴の手をそっと掬い上げた。指を絡めるようにして手を取ると、その小指の痕へ愛おしそうに唇を押し当てる。
「なっ……!?」
驚きで鈴が甲高い声をあげると、浅葱は悪戯が成功した子供のように満足そうに微笑んだ。見せられた鈴の小指の痕は、彼の唇が触れた熱によってぽっと可愛らしく赤く染まっていた。
「ほら、赤くなった」
「不意打ちはずるいですよ……!」
赤くなった顔を隠すように抗議すると、浅葱はくすくすと楽しそうに喉を鳴らす。
「それなら宣言すればいいの? ……鈴、もう一度君に口付けをしてもいい?」
誓いの口付けはさっき終わったばかりだというのに、浅葱はまたそんなお願いをしてきた。しかも周りでは大勢の妖たちがニヤニヤと楽しそうにこちらを見守っている。
「ねぇ、鈴……いいよね?」
浅葱は甘い声でじわじわと顔を近づけ、逃げ場を塞ぐように詰め寄ってくる。鈴が諦めて小さく頷くと浅葱は弾けたような笑顔を見せ、触れ合うだけの優しい口付けを落とした。ゆっくり唇を離すと、浅葱の顔には満面の笑みが広がっている。
「わっ!」
「俺の妻! 俺の鈴! 大好き、愛してるよ!」
浅葱は嬉々とした声をあげると、鈴の身体を軽々と抱き上げた。
桜の花びらが祝福するように降り注ぐ中、温かな妖たちに見守られながら二人は幸福に満ちた祝言をあげたのだった。




