40話 鈴の願い
けれど浅葱が返したのは、あまりにも冷ややかな吐息だった。
「何か、勘違いしているのかな……?」
「勘違い……? 私を気に入ったから、身体を丈夫にしてくれたんでしょう?」
「まさか。君を治したのは施しを与えたわけじゃない。病弱な君が鈴の枷になっていたからだよ。俺が欲しいのは鈴だけだから、君はいらない」
明確な拒絶に静が言葉を失う中、浅葱は顔を鈴へと向けた。
「それで――鈴に、傷を与えた奴はどれ? 鈴、教えて」
布の面で表情は見えない。しかし彼の全身から溢れ出す冷徹な雰囲気は、狂おしいほどの怒りを孕んでいることがわかった。鈴は何も答えずただ唇を噛み締める。誰かを差し出すことなんてできなかった。
「そう……教えてくれないなら、村の全員を殺すよ」
その言葉に村人たちは恐怖で顔を見合わせ、互いを押し合う。やがて一人の男が前へと突き出されるように背中を押された。
「お、おい……!」
恐怖に顔を引きつらせる男を見て、浅葱は満足そうに目を細めた。
「うん、賢明な判断だね」
「くそっ……!」
その瞬間、男は近くに落ちていた錆びた鎌を拾い上げ、浅葱に向かって振り翳そうとする。
「浅葱様……!」
鈴が声を上げたのが早いか、男の手にしていた鎌の矛先がギギギっと苦い音を鳴らす。そして誰も触れていないはずなのに、瞬く間に鎌の矛先が曲がり始めたのだ。見えない力に男は小さな悲鳴を上げ、鎌を遠ざけるように地面へ落としてしまった。
浅葱は呆然と佇む男の首元へ、指先をゆっくりと翳す。抱えられたままの鈴は、胸騒ぎに背筋を凍らせ浅葱の着物を強く握りしめて必死に声を上げた。
「や、やめてください……っ! 浅葱様!」
鈴の叫びに、浅葱の手がピタリと動きを止めた。
「……どうして? コイツは俺の大切な鈴を傷つけたんだよ?」
浅葱は不思議そうに首を傾げる。語りかける声は甘く、けれど深く荒んでいた。
「鈴、俺はね……今自分でも驚くほど腹が立っているんだ。君を傷つけた奴に、君を無下にする奴らに。本当はこの村の全員を殺してしまいたいんだよ? でも鈴はそんなこと望まないだろうから、一人の命で我慢してあげるんだよ?」
彼の言葉の節々から、溢れ出た怒りが伝わってくる。きっとこれは人の道理に外れた、彼なりの妥協なのだろう。
「私は……誰かの命を奪うことなんて望んでいません。勝手に期待を押し付けた私も、悪いんです」
「鈴は悪くない、悪いのは村の連中だよ。君を捨てた村人や、恩知らずな妹を生かしてなんの価値があるの?」
「人は間違う生き物なんです。私も含めて、愚かで、弱くて、でも……だからこそ命は尊いんです。間違ったからって奪うのでなく、過ちを正す道を遺してあげるのが『神様』でしょう? どうか、お願いです。浅葱様」
自分の愚かさを責めつつも、譲れない意志を込めた真剣な眼差しを浅葱に向ける。彼はしばらく黙っていたが、やがて呆れたように大きなため息を吐いた。
「……はぁ、仕方ないなぁ〜も〜!」
浅葱が完全に手を下ろすと、圧迫感から解放された男は糸が切れたように膝から崩れ落ちた。安堵の息を漏らす村人たちを見下ろした後、浅葱は不満げに鈴を見上げる。
「でもお咎めなしなんて嫌だな〜。間違いを正す為の罰も必要だよ」
甘えるように擦り寄ってくる浅葱に、鈴は自分の胸の中にあった最後の決意を言葉にした。
「……一つ、お願いがあります」
「なに、なんでも叶えてあげるよ」
「生贄なんて風習を……この村から無くして欲しいんです」
もう誰も理不尽な理由で、自由を奪われなくていいように。身勝手な願いを神様が押し付けられないように。自分や静のような悲劇を二度と繰り返さないために。生贄なんて誰も幸せにしない間違った風習は、消えて無くなるべきだった。
「…………わかった。鈴が俺よりも優しくて良かったね」
浅葱は冷ややかな声で周囲の人間へ言い放つと、鈴を抱いたままふわりと身体を浮かせた。
「わ……っ!」
木々よりも高く、夜空へ向かって上昇していく。浮遊感に怯えた鈴がしっかりとしがみつくと、浅葱は眼下に広がる村へ向けて片手を翳した。すると静寂を切り裂くように、しとしとと静かな雨が降り始める。浅葱の妖力と同じ、どこか冷たく澄んだ雨だ。
「生贄の風習も記憶も全て、雨と一緒に消し去ろう」
雨に洗われていく村を鈴は静かに見下ろした。幼い頃に引き取られて以来、今までずっと暮らしてきた村――自然と目から熱い涙が零れ落ち、雨の中に溶けていく。
「……誰も私の帰りなんか、待っていませんでした。独りよがりで馬鹿みたいですよね」
悲しみを隠すように自嘲気味な笑みを浮かべると浅葱はそっと自分の布面を外し、青緑色の綺麗な瞳に鈴だけを映す。
「あの村のために鈴が心を痛める必要なんかないよ。それに、これからはずっと俺が鈴のそばにいる。俺は鈴の帰りを待ち切れなくて、迎えに行っちゃうくらい鈴が大切だよ」
耳元で響く温かな言葉。自分の帰りを心から待ち望み、迎えに来てくれる人がいる。ただそれだけのことが、溢れるほどの安心感を与えてくれた。
鈴は浅葱の肩へ顔を埋め、声を震わせた。
「浅葱様……迎えに来てくれて、ありがとうございます」
浅葱は愛おしそうに優しく鈴を抱きしめ、柔らかく微笑んだ。
「鈴は俺の大切なお嫁さんだもん。どこへだって迎えにいくよ。さぁ、帰ろう、俺と鈴の家に」
「はい……!」
冷たい雨が降り注ぐ夜空の中、鈴を包み込む腕はどこまでも温かかった。




