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32話 ふたりきりの新春のはずが…


 台所に立つ鈴は酢飯の甘酸っぱい香りを感じながら、巻き寿司を包丁で切り分けていた。昨夜のうちに仕込んでおいた椎茸や鮮やかな玉子焼きが、綺麗に円を描いて断面に現れる。

 

(綺麗に巻けて良かった……)


 そんな風に小さく安堵した瞬間だった。近づいてきた温かな気配が、不意に後ろから鈴の体をすっぽりと包み込んだ。

 

「鈴、なに作ってるの〜?」


 耳元で響いたのは、のんびりとした甘い声。浅葱の体温が背中越しに伝わってくる。

 

「巻き寿司ですよ。味見してみますか?」

「する〜食べさせて」


 浅葱はすっかり甘えモードで鈴の肩に顎を乗せたまま、ねだるように口を「あーん」と開けた。


 鈴はくすりと笑みを溢し、浅葱の腕の中に収まったまま身体を少し後ろに捻った。そして巻き寿司の端切れをちょんとつまむと彼の口元へと運ぶ。ぱくりと口に含んだ浅葱はもぐもぐと頬を動かしたのち、満足そうに目尻を下げる。

 

「ん、美味しい。やっぱり鈴は料理上手だね」

「ふふ、良かったです。あと少しで完成しますから、居間で待っていてくださいね」

 

「……もう少し鈴と一緒にいたいな」


 そう囁くと浅葱はぎゅっと抱きしめる腕に力を込めた。可愛らしい仕草だが一度こうなったら、なかなか離れてくれない。

 

「仕方ないですね……危ないので、包丁を持つ時は離れてくださいよ?」

「うん、わかった」


 満足げに頷いた浅葱を後ろにくっつけたまま、鈴は作業を再開しようとした。その時、玄関の方から賑やかな足音と話し声が聞こえてくる。

 

「お客様ですかね?」

「だねぇ〜……」


 離れようとしない浅葱を後ろに引っ付けたまま、鈴が玄関へと向かうと引き戸を開けて入って来たのは、見知った顔ぶれの面々だ。


「せっかく雑煮を食いに来たってのによ……撫子と被るとか最悪だぜ」

 

 頭の後ろで腕を組み、心底嫌そうに眉をひそめているのは山吹。その隣では銀朱が整った顔立ちを引きつらせている。

 

「なぜこのおばさんもいるのですか? 聞いてませんよ……!」

 

「山吹、銀朱……アンタたちは相変わらず生意気だね。お前たちを肴にして喰ってやってもいいんだよ?」


 妖艶な笑みを浮かべた撫子は、片手に大きな酒瓶を抱えていた。そして山吹と銀朱の手にも、餅や立派な魚、鮮やかな野菜が抱えられている。


 どうやら三人揃って新年の挨拶に来てくれたらしい。

 

「みなさん、あけましておめでとうございます!」

「うわ……賑やか〜。あけましておめでとうございます」

 

 鈴の明るい挨拶につられるように、後ろの浅葱もポヤポヤとした声で頭を下げる。

 

「おめでとう。急に押しかけて悪かったね」

「よお! 雑煮と肴作ってくれ」

「浅葱様、あけましておめでとうございます! 小娘はさっさと浅葱様から離れろ」


 未だ鈴の腰に手を回して密着している浅葱を見て、銀朱が般若のような顔で怒鳴り散らす。山吹も相変わらずの様子に呆れたように眉をひそめた。

 

「つーかそれ、歩き辛くねぇのかよ」

「俺たち一心同体だから、全然問題ないよ」

「もう慣れました」


 寒がりな浅葱は事あるごとにこうして身を寄せてくるため、鈴にとってもはや日常茶飯事。ケロッと言い切る二人に対し、山吹は肩を落として苦笑いを浮かべるのだった。



◇



 一行を客間へ案内し、おせちや先ほどの巻き寿司を並べると新年の賑やかな宴が始まった。


 一通り料理を出し終えた鈴は浅葱を説得して一旦身体を離すと、温かい雑煮と追加の肴を作るために台所へと戻っていた。


 出汁のいい香りが立ち込める台所で包丁を動かしていると、背後から浅葱とは違う足音が近づいてくる。振り返ると、山吹が腕を組んで壁に寄りかかりながらこちらを見下ろしていた。

 

「騒がしくしちまって悪いな」

「いえ、賑やかでとっても楽しいですよ!」


 鈴が微笑むと山吹は顎を擦りながら「しかしまぁ……」と感慨深そうに呟いた。

 

「こんな小娘に、アイツが惚れちまうとはな」

「あはは、物好きですよね……」


 ふいに投げかけられた言葉に、鈴は思わず包丁を止め自嘲気味に苦笑いを浮かべる。


「なんだ嬉しくねぇのか? アイツはあれでも高位の神だぜ」


 鈴の内心を察してか、山吹が眉を顰める。


 浅葱は神様として力を持ち容姿も美しく、どこまでも優しい。そんな彼に比べて、自分はただの人間で何の取り柄もない。浅葱の注いでくれる愛を疑っているわけではないけれど、己の平凡さを思うとどこか心が追いつかない時があるのだ。


「浅葱様が私を大切にしてくださっている気持ちはちゃんと伝わっていますし、嬉しいのですが……私なんかで本当にいいのかなって思ってしまう時があって。他にもっと、相応しい方がいるんじゃないかと」


 鈴の素直すぎる吐露に、山吹は少し視線を逸らすと意地悪く口端を上げた。

 

「まぁアイツが常世に行けば、すぐ女が群がってきて引っ張りだこだしな〜〜アイツは綺麗でお強い神様だからよ」

「……やっぱり、そうですよね」


 分かっていたことではあったが、はっきりと言葉にされるとやはり胸がチクリと痛む。鈴がしんみりと首を傾げると、山吹は心底呆れたように大きな息を吐いた。


「あのなぁ〜〜お前がどれだけのことをしたのか、もっと自覚しろよ。弱い人間のくせにアイツの力を恐れず受け入れて、下ばっか見てたアイツに顔を上げさせてやったのは誰だ? 他の誰でもない、お前だろ」


 鈴の頭をガシガシと撫でる山吹の手は、乱暴だが驚くほどに温かかった。

 

「二度と自分を蔑むんじゃねぇぞ。浅葱がお前を選んだんだ。ドンっと構えてろ」

「……はいっ!」


 不器用だが温かい励ましの言葉には、彼の深い優しさや浅葱への想いが伝わってきて、鈴は素直な返事が零した。顔を上げた鈴へ山吹は満足げに微笑むと、最後にポンポンと頭を軽く叩いて鈴の手元を覗き込む。


「雑煮と肴はまだか? 腹減った」

「あと少しでできますから、もう少し待っていてくださいね」


 手際よく食器に盛り付け、出来上がった温かい雑煮と出来立ての料理を客間へと運ぶ。


 客間は一層賑わっており、いつの間にか狸のポチさんや近所の山の妖たちまで上がり込んでおり、撫子とお酒を酌み交わしている。


 そして足元には――


「うわ! 銀朱様!? 大丈夫ですか!」

 

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