31話 初日の出
年の始まり。まだ日の登らない薄暗い早朝は、空気がよく澄んでいた。
薄暗い屋敷で、鈴は浅葱の部屋の障子を無遠慮に開いた。そして敷布団の脇に膝をつき、静かに眠っている浅葱の肩を大きく揺する。
「浅葱様、浅葱様、起きてください」
白金の髪を乱した浅葱は何度も声を掛けられ、薄っすらと青緑色の瞳を覗かせる。彼の瞳は鈴を捉えてはいるものの、まだ夢から抜け出せていないような、とろんとした眼差しをしていた。
「ん〜〜鈴、どうしたの……? もしかして寂しくなっちゃた? ふふっ……俺と一緒に寝る?」
浅葱は柔らかく微笑むと、甘えるように鈴の細い腰へ手を伸ばしそのまま抱き寄せようとしてきた。
「違います。初日の出を見に行きましょう!」
けれど被せるように放たれた鈴の言葉に、浅葱の腕がピタリと動きを止める。そしてしばらく固まった後、ようやく目が覚めてきたのか、意味がわからないというように眉間に皺を寄せた。
「……ひ、日の出〜?」
「はい! 新年最初の朝日を見に行きましょう!」
「……」
浅葱はあからさまに不満げに目を細め、布団を頭まで被り直す。
「ちょっと! なに二度寝しようとしてるんですか!」
「だってまだ空も薄暗いし、寒いんだもん……!」
「着込んで行けばいいでしょう! ほら、行きますよ!」
「せっかく寝かけてたのに〜〜……!」
布団から出たがらない浅葱を半ば強引に引っ張り起こし、お湯を足しておいた水で顔を洗わせる。そして何重にも羽織を羽織らせ、二人は澄んだ冬の空気を感じながら見晴らしの良い山頂を目指した。
僅かに霜が降りた山道を歩き進め、屋敷からほど近い山頂へ辿り着いた頃には東の空が少しずつ白み始めていた。まだ日が出ていない空に鈴はほっと胸を撫で下ろす。
「日の出なんて毎日登るのに、人間の風習は変わってるね」
寒そうに身を縮こまらせた浅葱は、不思議そうに首をかしげる。妖として長い時を生きる彼にとって、一年の始まりなんて何の価値もないのかもしれない。
「一年の始まりを告げる最初の日の出は、めでたいモノとされているんですよ。だからこそ、浅葱様と一緒に見たいと思ったんです」
鈴から真っ直ぐな瞳でそう告げられた浅葱の表情が、一瞬で柔らかく緩む。
「……仕方ないなぁ〜」
すっかり絆された浅葱は、口元を綻ばせると自分が着ていた厚手の羽織の前を広げた。そして後ろから包み込むようにして、鈴の小さな体をすっぽりと抱きしめる。
「浅葱様……!?」
「ん〜?」
突然の温もりに驚き肩を揺らすが、浅葱は知らん顔をしたまま抱きしめる腕に力を込める。
「俺を寒空に連れ出したのは鈴なんだから、ちゃんと俺を温めてね」
背中から伝わってくる浅葱の体温と、耳元で囁かれる悪戯っぽい声に心臓が小さく跳ね上がった。けれど浅葱は気にせず、甘えるように鈴の頭に頬を擦り寄せる。そんな彼の姿は犬のように可愛らしく、鈴は浅葱の温もりを受け入れることにした。
「でもこれだと、私の方が温められていますね」
「そう? 鈴は温かいから、俺はこれでも満足だけど……それなら屋敷へ戻ったら俺と一緒に二度寝をしようよ」
「お正月なのに!?」
「正月だからさ。一緒にのんびり過ごそう?」
語尾をふにゃりと崩して、後ろから顔を覗き込む浅葱。どこか確信犯めいた瞳で見上げられ、鈴は呆れつつも絆されて首を縦に振ってしまった。
「もう、仕方ないですね」
「やった」
そんな些細なことで笑顔を浮かべ喜んでくれる浅葱に、鈴もつられて目尻が緩む。
やがて遠くの山並みの端から、一筋の光が漏れ出した。空が青色と金色のグラデーションへと変わり、世界が眩い光に包まれていく。
「昇って来ました! 綺麗ですね……」
「うん。眩しくて、すごく綺麗だね」
後ろから浅葱の優しい声が響く。思えば誰かとこうして初日の出を見上げるのは、今回が初めてかもしれない。両親が生きていた頃も、あの村に引き取られた頃も、一緒に見たいだなんて我儘を言えずいつも一人で眺めていた。
だからこそ、浅葱とこの光景を一緒に見たいと思ったのかもしれない。鈴が我儘を吐いても浅葱は受け止めてくれると、無意識に信じていたから。そして実際に今こうして、鈴の我儘に付き合って同じ空を見上げてくれる。
それがたまらなく、嬉しかった。
「浅葱様、一緒に来てくださってありがとうございます」
鈴が彼の腕の中で少し身体を捻って振り返れば、浅葱はそんな鈴に優しく微笑みかける。
「俺の方こそ連れ出してくれて、ありがとう」
そう言って浅葱は、朝日に照らされた鈴へと視線を落とした。彼女の長いまつ毛が光を浴びて黄金色に透け、黒い瞳が光を反射して宝石のようにキラキラと輝いている。
胸の奥から溢れ出す愛おしさに耐えきれず、浅葱は覗き込むように顔を下ろし鈴の柔らかい頬へ優しく唇を寄せたのだ。
「……っ!?」
頬に触れた柔らかな感触に、鈴の思考が真っ白に染まる。目を見開いて浅葱を見上げると、彼は首を少し傾けながらどこか悪戯っぽく微笑んでいた。
「綺麗だったから、つい。嫌だった?」
綺麗というなら、浅葱の方がずっと綺麗だ。朝日に照らされた彼の白金の髪は光を吸い込んで神々しく輝いており、まるで光そのものが形を成したかのようだった。
「い、嫌ではないですが……」
真っ赤になった顔を隠すように俯きながら、鈴は蚊の鳴くような声で答えるのが精一杯だった。その返答がよほど嬉しかったのか、浅葱の顔がパッと華やいだ。
「ふふっ、よかった」
浅葱は嬉しそうにそう呟くと、再び鈴の頬にちゅっと口付けを落とした。そして混乱する鈴を余所に、愛おしげに彼女の体をぎゅっと強く抱きしめる。
「たまには早起きをするのも良いものだね」
「……そうですね」
寄り添い合う二人を今年最初の太陽が優しく照らし、一つになった仲睦まじい影を地面に映し出す。




