2話 生贄の少女とお人好しな神様
「私は、村から捧げられた生贄です。死ぬ覚悟はできているので存分に私を食べてください!」
鈴がそうきっぱりと告げると神様はあからさまに肩を落とし、がっくりと項垂れた。
「うわ、また生贄が来ちゃったのか……俺本当にそういうの必要なくて。人間の肉とか、全然いらないし食べないんだよね……」
「え!? 神様が選んで村に要求したんじゃないんですか?」
「まさか! 選ぶわけないよ」
神様は心底呆れ果てたようにため息をついた。
これまでの数々の天災を神の怒りと決めつけ、生贄の儀式を勝手に執り行ってきたのは全て村人たちの独りよがりな妄信だったのだ。
「君、ちょっと逃げてくれない? この道を手順にそって真っ直ぐ行けば裏山に出られるからさ。そこから故郷の村や遠い街へでも行きなよ」
神様は困り果てた顔で、早く帰ってくれと言わんばかりに手を振った。けれど鈴は首を横に振る。
「それはできません。私が逃げたら、次は私の代わりに双子の妹がここに連れてこられてしまいます。それだけは絶対に嫌なんです」
鈴の強い眼差しに、神様は面を少しずらして困惑の表情を浮かべた。
「……それなら手紙でも書こうか。人間の字を書くのは久しぶりだなぁ。少し待っていて」
神様は屋敷の奥へと戻ると、しばらくして一枚の紙を持って戻ってきた。そこには流麗な文字で、生贄など不要である旨が神様自身の血の印と共に記されていた。
「これを見せれば、君の村の人間たちも納得するだろう? なんたって俺の直筆だし」
「ありがとうございます……!」
神様直筆の手紙があれば、生贄の因習を完全に終わらせることができる。妹と一緒にまた穏やかな日々を過ごせるのだ。鈴は神様に礼を言い、門の前で見送られながら言われた通りに石畳の道を下り始めた。
しかし――どれほど歩いても裏山へ続く道など現れず、それどころかまた神様の屋敷の近くへと戻ってきてしまうのだ。
「えっ……?」
戸惑いながら何度も道を進んだ。けれど結果は同じ。鈴は途方に暮れてまた、門を叩くしかなった。
「はーい、ってあれ? 生贄の子、どうしたの?」
「神様……どれだけ歩いても裏山に続く道に辿り着けなくて、なぜか同じ場所に戻って来てしまうんです……」
「え〜……もしかして君、何か術をかけられてない?」
「術、ですか……?」
「身体に文字を刻まれたり、髪とか爪とか身体の一部を取られたりしなかった?」
鈴はハッとして、自分の短い髪の毛先に手をやった。
「それなら、ここに来る前に村の神主に髪を切られました」
長かった黒髪を肩までバッサリと切り落とされたのだ。神主はそれを「神へ奉納する」と言っていたはずだ。
「うわぁ、やっぱり……。人間って本当に勝手だなぁ……」
神様は眉を八の字に曲げ鈴へと歩み寄る。
「少し触れるね」と言うと、彼は鈴の手を取ったり髪に指先を滑らせて調べるように眺め始めた。
いつの間にか邪魔になったのか、あの妙な布の面は外され、彼の端整な素顔が露わになっている。その真剣な青緑の瞳が間近で鈴を見つめていた。
「ん〜術がかなりややこしくて……。解くにはもう少し時間がかかるかも」
「神様でも、すぐに解けない術なんですか?」
「解けなくもないけど……人間は粗暴な術をかけるからさ。無理やり解こうとすると、君の心が壊れちゃうんだ」
神様は鈴を雨の当たらない広い縁側へと連れていって座らせた。
「ちょっとここで待っていて。できるだけ早く方法を探すから」
そう言い残し、神様は敷地の奥にある古い蔵へと走っていった。一人残された鈴はひんやりとした雨の匂いを感じながら、軒先から滴る雨だれをじっと見つめる。
しばらくして軽い足音を響かせて神様が戻ってきた。その手には古びた書物が抱えられている。
「お待たせ。解術の方法、見つかったよ」
「本当ですか!?」
立ち上がる鈴に神様は少し言いづらそうに視線を彷徨わせた。
「ただ……必要な材料がこの山に咲く『妖桜』の蜜なんだ。その桜が咲くのは雪解けの春。それまでの間、君はこの山から外に出ることができない」
「春って、え……一年後ですか?」
「うん……。その間、君をどうしよう……ここに、いや……人間と一緒に暮らすなんて……でも山に放り出して死んじゃったら後味悪いしな……」
神様は本気で嫌そうな顔をして、頭を抱えて独り言を呟いた。
面倒そうにしながらも、巻き込まれた自分を助けようとしてくれた優しい神様。けど嫌がられているのに、これ以上迷惑をかけて居座るわけにもいかない。鈴はすっと背筋を伸ばし、神様に向かって深々と頭を下げた。
「……気にしないでください。棲家はどこか別の場所を探します。雨風をしのげる小さな洞窟くらいあるでしょうし、こう見えて私は川魚の手掴みが大得意なんです! 一年くらい一人で生きていけます。ご迷惑をおかけして、本当にすみませんでした」
踵を返し雨の中へ飛び出そうとした鈴の背中に、神様は慌てて「……待って!」と声をかけた。
振り返ると彼はなんとも言えない渋い顔をしながら言葉を紡いだ。
「……この辺りは野生の獣も出るし妖もいるんだよ。人間が一人で暮らせるような場所じゃない。……一年だけなら、ここに置いてあげる」
「いいんですか……?」
鈴が目を見開かせて顔を上げると、神様はバツが悪そうにそっぽを向いた。
「ただ俺は誰かと暮らしたことがないから、君に不憫な思いをさせてしまうかもしれないけど……それでも良い?」
「はい……! ありがとうございます! 神様」
「俺のことは、浅葱と呼んで。君はなんて呼べば良いの?」
「私は、鈴と申します!」
「短い間だけどよろしくね、鈴」
こうして生贄の少女とお人好しな神様の、一年間にわたる奇妙な同棲生活が幕を開けた。




