25話 不器用な看病
「違います……!」
鈴が咄嗟に声を上げると、彼は呆れた溜息を吐き出した。
「それならお前になんの非がある。人間の意思や選択で操れるようなものではないだろう。馬鹿め」
吐き捨てられた銀朱の言葉に、鈴は思わず目を丸くする。
「人間は不平等だと喚くが世の中はそんなものだ。そこから惨めに争って自分の幸せを掴むかはそいつ次第だろ。本人以外が干渉することではないのだから、お前も妹のことを気に病む必要はないし、そんなことを考えるなんて時間の無駄だ」
「……銀朱様が、珍しくお優しい」
「はん!? お前に優しくなどしていない。僕は浅葱様の幸せを親身に願っているだけだ! お前は余計なことなど考えず、浅葱様のことだけを考えてさしあげろ!!」
銀朱は真面目な話から一転、甲高い声を上げる。頭に響く声だったが、彼の言葉は鈴の背中を力強く押してくれた。
(静を言い訳にして浅葱様のことを考えないなんて、二人に対して不誠実だったな……)
「銀朱様……ありがとうございます」
まだ迷いが完全に消えたわけではない。けれど目の前で親身に想ってくれる人がいるのだから自身の柵に縛られず、きちんと浅葱のことだけを考えようと決意を固めた。
その時、廊下から賑やかな足音と共に浅葱と山吹の声が聞こえてきた。障子を開けた浅葱の手には、湯気を立てる土鍋が握られている。
「鈴、お待たせ! おかゆ出来たけど食べられそう?」
「はい、いただきたいです……!」
「よかった。今よそってあげるね」
土鍋の蓋が開けられると、山菜と香ばしい香りが広がった。よく見ると少し底が焦げているけれど、浅葱は焦げていない部分をそっと器に装ってくれる。
そのまま器を鈴に手渡すのだと思っていたら、浅葱は匙でおかゆを掬うと、火傷しないように息を吹きかけ冷ましてくれる。至れり尽くせりだな、とありがたく眺めていると、なんの躊躇もなく匙を鈴の口元まで運んできたのだ。
「鈴、口開けて」
「え……?」
山吹と銀朱が見守る前で、食べさせてもらうのは流石に恥ずかしい。けれど浅葱の瞳はいたって真面目で、心の底から鈴を心配しているのが伝わってきた。
鈴は気恥ずかしさを覚えながらも、遠慮がちに口を開け浅葱が一生懸命に作ってくれたおかゆを口に含んだ。
「……どうかな? 鈴みたいに上手じゃないけど……もし口に合わなかったら残してもいいからね!」
不安そうに覗き込んでくる浅葱に、鈴は噛み締めるように味わいながら咀嚼し飲み込んだ。
「……温かくて、とっても美味しいです」
少し芳ばしい不器用な味が、じんわりと心の奥を温めてくれる。誰かの手料理を食べるなんて、いつぶりだろうか。こんなにも安らぐものなんだ……。
鈴が幸せを噛み締めながら微笑むと、浅葱は緊張の糸を解くように肩の力を緩め笑顔を弾けさせた。
「よかった……! ご飯を食べたら薬も飲もうね。少し苦いかもしれないけど、効果は抜群だから」
「何から何まで本当にありがとうございます、浅葱様」
「ううん。俺も早く鈴の元気な姿が見たいから」
真っ直ぐな想いには浅葱の優しさが詰まっている。鈴は浅葱の想いを受け止めるように「もっと食べたいです」と彼へ強請り、よそわれたおかゆを綺麗に食べ終えた。
鈴が苦い顔で薬をなんとか飲み干した頃には、すっかり外も暗くなっている。
山吹と銀朱は「じゃあな、養生しろよ」「浅葱様を困らせたら許さないからな、小娘……」と言い残し、夜の闇の中へ帰っていった。
「ほら、鈴はもう眠って」
浅葱の穏やかな声が、静かな部屋にふわりと落ちてきた。鈴は促されるままに体を横にすると、浅葱は「もっと冷やした方がいいかな……?」と首を傾げながら、手拭いをカチコチに凍らせてみたりと、一人で試行錯誤を繰り返している。
彼にとって風邪を引くことなんて滅多にないだろうし、人間の看病という行為は何もかもが未知の領域のはずだ。不器用で一生懸命なその姿に、鈴の胸の奥がじんわりと温かくなる。
額に乗せられた冷たくて心地の良い手拭いや、山菜のおかゆを食べたことで、体に眠気が広がっていく。次第に重たくなる瞼に抗えなくなってきた鈴は、ふと傍らに座る浅葱を見上げた。
「浅葱様……」
「ん? どうしたの、鈴」
鈴が小さく呼びかけると、浅葱はすぐに顔を覗き込ませた。鈴は布団から少しだけ手を伸ばし、恥ずかしさを押し殺して、ある我儘を口にする。
「……私が眠るまで……手を握っていただけませんか?」
「うん……! もちろんいいよ!」
鈴の手は浅葱の大きな手によって優しく包み込まれる。ほんのりと温かいその手に、鈴の胸の中にあった不安や迷いはどこかへ溶けてしまいそうだった。
(やっぱり……安心する……)
肌から伝わる温もりに守られるようにして、鈴はゆっくりと深い夢の中へと落ちて行った。
◇
緩やかに目を覚ますと部屋の中は夜明け前の、深く澄んだ薄青色に包まれていた。
重かった頭痛や熱っぽさは、綺麗に消え去っている。身軽になり安堵したのも束の間、すぐ横から柔らかな声が聞こえてきた。
「おはよう、鈴。よく眠れた?」
「……っ!?」
間近から放たれた声に驚き、鈴は弾かれたように体を起き上がらせた。そんな鈴を追うように、浅葱は畳の上へ寝かせていた身体をのんびりと起き上がらせる。
「おはようございます……あの、なんで隣にいるんですか……?」
同じ布団の中ではないものの、鈴のすぐ側に浅葱がいる。しかもつい先ほど尋ねて来た風ではなく、長い時間そばで寄り添ってくれたような様子だった。
鈴が震えた声で問いかけると、浅葱は穏やかに微笑みながら、今も固く繋がれたままの手を持ち上げる。
「鈴が手を繋いでいてほしいって、お願いしてくれたからだよ」
「まさか、私が眠った後もずっとここに居てくれたんですか……?」
「うん」
眠るまで手を握っていてほしいとは頼んだが、てっきり眠りについた後は、自分の部屋に戻るものだと思っていた。まさかずっと側に居てくれたなんて……申し訳なさと嬉しさが入り混じる。
「退屈だったでしょう?」
「ずっと鈴を眺めていたから、あっという間だったよ? それに……鈴から頼ってもらえて、嬉しかった」
そう言って微笑む浅葱の顔はあまりにも嬉しそうで鈴はもう、何も言い返せなくなってしまう。
「ありがとうございます……看病も、側に居てくれたことも」
「鈴が望むならいつでも一緒にいるよ。身体の調子はどう?」
「もう平気です」と鈴が口を開く前に、浅葱は片手をそっと鈴の後頭部に回して引き寄せる。そしてそのまま鈴の額に自分の額をこつんと重ね合わせたのだ。
「っ……!」
「うん、熱は下がったみたいだね……本当によかったぁ」
額を離して安心したように肩を撫でる浅葱に、鈴の心臓が大きく跳ね上がった。顔が一気に熱くなり鈴は慌てて顔を背けると、浅葱は鈴の反応に驚く様子もなく素直に距離を取ってくれた。
「病み上がりなんだし、無理をしては駄目だよ。もう少し寝る?」
「いえ……もうたくさん眠ったので大丈夫です。冷たい水で顔を洗いたいな……」
立ち上がろうとすると、浅葱の手がそっと鈴の腰に添えられた。
「一人で歩けますよ……?」
「それでも、心配だから側にいさせて」
断らせないような、柔らかな響きを含んだ声に押し切られるまま井戸へ向かい、冷たい水を手ですくった。冷水で顔を洗うと、残っていた微かな睡魔も綺麗に吹き飛んでいく。
ふと見上げれば、東の空の薄青が少しずつ黄金へと溶け出し新しい一日が始まろうとしていた。
顔を拭って屋敷の居間へと入ると、ふと机の上に置かれた小さな花瓶が目に留まる。
「綺麗な花ですね、あの花は?」
「あれはポチさんが摘んできてくれた花だよ。鈴のお見舞いにって」
浅葱は鈴を座布団の上へと優しく座らせながら、飾られた花へ視線を送った。
「鈴が眠っている間に、一つ目の妖と面の妖からも梨や魚を貰ったよ」
(いつの間に……!)
「今度、ちゃんとお礼を言いに行かなくちゃ……」
「ふふっ、そうだね、一緒にお礼を言いに行こう。それにしても鈴は本当に、みんなから愛されてるよね〜〜……ちょっと妬けちゃうな」
浅葱は冗談めかした口調で笑うと、飾られた花びらにそっと指先で触れた。そしてふり返った彼の瞳に、ふっと深みのある色が宿る。
「――まぁ、鈴を誰にも渡す気はないけどね」
「え……」
声になる前の吐息が零れた瞬間、浅葱の顔が間近に迫り鈴の頬に薄い唇がそっと触れた。チュッと小さな音を残して離れた浅葱は、まるで悪戯が成功した子供のように口角を上げる。
「梨、剥いてくるから、鈴はここで待っててね」
ぽかんと固まる鈴の頭を優しく撫でると、浅葱は軽い足取りで台所の方へと去っていった。
取り残された鈴は、真っ赤になった顔のまま力なく机の上に頭を伏せる。顔だけでなく耳まで火照り、自分の鼓動の音が部屋中に響いているのではないかと錯覚する。
(また、熱が出ちゃいそう……)
どこからともなく込み上げてくる熱さに悩ませながらも、鈴は昇ってきた朝日を横目で見上げるのだった。




