24話 不甲斐なさ
「っくしゅ……」
小さなくしゃみがひとつ、誰もいない廊下に寂しく響く。なんだか朝から頭が重く、視界がふわふわと揺れていた。
(少し熱っぽいかな……。でもこれぐらいで休むわけにはいかないし……)
生贄としてこの地に来てからも、身体が動く限り働かなければという思いが身体に染み付いている。それに浅葱に迷惑をかけるわけにもいかない。
鈴は重い頭を振って、いつものように家事をこなそうと足を踏み出した――その瞬間。
「っと、危ない……っ!」
ぐらりと視界が大きく傾き膝から崩れ落ちそうになった身体を、長い腕がしっかりと抱き留めた。
「鈴!? うわ! すごく熱い……まさか風邪!?」
頭上から聞こえるのは焦ったような浅葱の声。動揺した様子で、鈴の額に自分の手を当てて熱を測ってくる。
「浅葱様……これくらい大丈夫ですよ……!」
「駄目。体調が悪いなら休まなきゃ」
浅葱のいつになく強い口調に押され、鈴は抱きかかえられるようにして自室へと運ばれるとゆっくりと布団の上に寝かされた。
(不甲斐ないな……)
布団の温もりに包まれながら、鈴の胸の奥に複雑な想いが広がっていく。役に立たなければ、必要とされなくなってしまうのではないか。そんな過去の恐怖が、熱のせいで湧き上がってくる。
「迷惑をかけてしまって、ごめんなさい……」
小さな声で謝る鈴の顔を浅葱はどこか呆れたような、けれど溢れんばかりの愛情を込めた目で見つめた。
「迷惑なんかじゃないよ。だから遠慮せずに、俺を頼って? その方が俺も嬉しいから」
彼の大きな手が、鈴の黒髪を優しく撫でる。その温もりと穏やかな声に目頭がじんと熱くなった。鈴は込み上げる涙を隠すように、布団を頭まですっぽりと被り直す。
「なら、お言葉に甘えて少し眠ります。……ありがとうございます、浅葱様……」
「うん。おやすみ、鈴。ゆっくり眠ってね」
浅葱の穏やかな返事を耳の奥で聞きながら、鈴は布団の中で固く目を閉じたのだった。
◇
ガシャンと、甲高い金属音が響き渡り鈴は驚いて目を覚ました。
障子越しに見える光はすっかり橙色に染まっている。もう夕方か、と重い体をゆっくり起こす。風邪の引き始め特有のぼんやりとした足取りで音がした台所の方へと向かうと、そこからは何やら賑やかな話し声と物音が聞こえてきた。
「熱っ! 火加減ってこれぐらいで良いのかな……?」
「おい浅葱! この葉っぱ本当に入れて大丈夫なのかよ!?」
「浅葱様のお言葉を疑うのか、山吹!」
そっと台所を覗き込むと、浅葱と山吹と銀朱の三人が台所でワチャワチャと大騒ぎをしながら何かを作っている様子だった。
「あの、大丈夫ですか……? 夕飯の支度なら私が……」
恐る恐る声をかけると、火加減を調整していた浅葱がハッとこちらを振り返った。
「鈴!? まだ寝てなきゃ駄目だよ! 熱も下がってないだろう?」
「眠ったら少し楽になったので、大丈夫ですよ?」
「駄目。まだ安静にしてて。今おかゆを作ってるから、鈴は部屋で大人しく待っていること。銀朱、付き添ってあげて!」
「わかりました、浅葱様! ……ほら、行くぞ小娘」
台所の様子が気になりつつも冷ややかな視線を投げる銀朱に促されるまま、鈴は自室へと引き返した。
(浅葱様って料理できるのかな……? でもさっきの慌てた様子からして慣れてないよね。大丈夫かな……)
不安を胸に抱えたまま布団の上へ座ると、銀朱は近くの畳の上へ腰を下ろした。そして不満げな眼差しをこちらへ向けてくる。
「すみません。せっかく来ていただいたのに、なんのお構いも出来ず……」
居た堪れず頭を下げた鈴に、銀朱は「はぁ?」とあからさまに顔を歪めた。
「お前に迎えられる為に、ここへ来たのではない。僕たちはお前の看病の為に、浅葱様から呼ばれたのだ」
「え……?」
「浅葱様はお前の風邪を治そうと人間の看病の仕方をあちこちの妖へ聞いて回り、山菜を集め、慣れない料理までされているのだぞ」
「そうだったんですね……」
(私のために、そんなに頑張ってくれていたなんて……)
「ふん……お前はそうやって浅葱様の善意を受け流してばかり。求婚のこともそうだ。あの方の想いを蔑ろにするな」
「蔑ろにしているわけでは……!」
「だがお前はあの方の想いに、目を逸らしてばかりだろう」
銀朱の言葉で胸の奥が痛み、自覚があるからこそ言い返すことができなかった。
浅葱から向けられる愛情はいつも真っ直ぐで、与えられるたびに、温もりと罪悪感で心が渦巻いてしまう。彼の気持ちに応えられないかもしれないのに、この温かな想いを受け取ってしまっていいのかと。
「……私は浅葱様の事を、お慕いしています。でも私が浅葱様に向けている感情が彼と同じものなのか、まだ自信がなくて……。浅葱様はありのままの私で良いと、初めて言ってくれた大切な方だからこそ、傷つけたくない。最後まで、浅葱様のことを考えたいんです」
そのままでいいと言ってくれた神様がいる。だからこそ彼の隣では迷わず素直に笑うことができた。それだけで、身体が軽くなった。
「だけど……同時に心が痛むんです。私には村に残して来てしまった病弱な双子の妹がいます。私の身体が頑丈に生まれたのは、妹から健康な身体を奪ってしまったから……。あの子の幸せを奪った私が幸せになって良いのかわからなくて、いつも考えがまとまらない」
浅葱の側を心地よく思うたび、足が重くなる。浅葱の想いに向き合おうとしても、村で苦しんでいる静の姿が脳裏に浮かぶ。何も言われていないのに、お前だけが幸せになるのかと、責められたように胸が痛む。
「……お前が奪おうとして妹の健康な身体を奪ったのか? お前が妹の不幸を願ったのか?」
鈴の懺悔に耳を傾けていた銀朱は、珍しく真っ直ぐに鈴へ視線を向け、そんなことを問いかけた。




