20話 妖の妻になるということ
場所を客間に移し、茶を淹れて座卓を囲んだものの空気は一向に落ち着かなかった。
「――へぇ、人間のくせに中々言うじゃねぇか、コイツ」
昨夜の一連の流れを聞かされた山吹は、可笑しそうにお茶を煽りながら優艶に微笑んだ。山吹はさほど驚くこともなく受け入れているが、銀朱は未だに受け入れられないといった様子で畳の上で頭を抱えていた。
「ありえない、ありえないですよ……! こんな生意気な小娘が浅葱様の妻に……!?」
「ですから、まだ妻になると決まったわけでは……!」
「はぁああ!? 浅葱様の何が不満なんだ、この欲深い人間め!!」
「もう、どうしろっていうんですか!?」
理不尽な言い分に鈴は思わず声を荒らげた。この赤目の少年は鈴が浅葱の妻になろうがなるまいが、どちらにせよ文句を言ってくるのだろう。
「浅葱様、本気なのですか……? 貴方様のような高貴なお方が、こんなちんちくりんで生意気で不敬な人間の小娘を妻にするなんて。もっと浅葱様に相応しい妖が山ほどおりますよ!」
酷い言いようだったが、言われている内容自体は鈴も納得することではあった。神様の妻に相応しい存在なら、他にいくらでもいるはずだ。妖力を持ち、美しく、高貴な妖など常世に行けばごまんといるに違いない。
けれど浅葱は首を横に振って鈴の肩にそっと手を置いた。
「俺の妻になる人を酷く言わないで。それに他の妖や人間じゃなくて、鈴だから俺の心は動かされたんだよ」
浅葱はどこまでも愛おしそうな眼差しで、隣に座る鈴を見つめた。
「鈴、大好き。愛しているよ」
「っ……!」
真っ直ぐに注がれる熱い言葉に、鈴は恥ずかしさのあまりキュッと唇を結んで視線を明後日の方向へ逸らした。そんな二人の甘いやり取りを目の当たりにし、銀朱は畳に頭を埋める勢いで絶句する。
「なんてことだ……っ!!」
「あ〜惚れ込んでんのは良いけどよ。あんま好きだの愛してるだの言い過ぎねぇ方がいい。軽く聞こえるらしいぜ」
「え? そうなの!?」
山吹の助言に浅葱は驚いたように鈴を見やった。気持ちの重さはわからないけれど、何度も好きだと言われると心臓が持たないので控えてもらえるならありがたい。
「そうですね! 軽く聞こえるかもしれません!」
「……なら少し控えるよ」
作戦成功である。これでしばらくは心の平和が保たれるだろう。すると浅葱は思い出したように、山吹と銀朱へ視線を向けた。
「実は、二人に聞きたいことがあって……」
先程の落ち込みを少し引きずったまま、真面目な顔つきで浅葱は言葉を続ける。
「人間が妖の妻になるとどうなるか知ってる? 俺としては絶対に鈴を妻に迎え入れたいけど、鈴に不憫な思いをさせるのは嫌だから、前もって知っておきたくて……」
それを聞いた山吹は、「はぁ!?」と呆れたように声を荒らげた。
「お前、知らずに求婚したのかよ!」
「だって、気持ちが抑えきれなくて」
開き直る浅葱に、山吹は大きな溜息を吐いて肩をすくめた。
「ったく……。妖と人間が夫婦になった事例は、俺が知ってる限り二組だ。婚姻の儀の時に、妖の血を分け与えて、人間を『半妖』に変えるんだよ」
「半妖……?」
鈴は目を丸くした。自分が妖になる姿など想像もつかない。ひとつ目になったり、角が生えたりするのだろうか。不安そうにする鈴の思考を読んだのか、山吹が補足するように口を開いた。
「つっても、変わるのは不老になることくらいだ。老いなくなって、妖と同じ時を生きることになる。ただ元が人間だからな、生きても数百年だ。それと妖のように妖力を使えるわけじゃねぇし、姿も人間からは見えちまう」
「妖達に迫害されたり、痛い思いをすることはある?」
心配そうに尋ねる浅葱に、山吹は鼻で笑った。
「そんな話は聞いたことねぇな。そもそも高位の妖の妻に手を出そうなんて命知らずな奴はそうそういねぇよ」
浅葱は「そう」と心底安堵したように息を吐いた。しかし山吹は真剣な眼差しを鈴へと向ける。
「だがな鈴、人間にとって『人と違う時間を生きる』ってのは大きな問題だろ。一度妖になれば二度と人間には戻れねぇ。コイツの妻になるんなら、よく考えることだな」
(生きる時間が変わる……)
不老になり、これから何百年という長い月日を生き永らえる存在になる。それはいずれ妹である静の死を見送らねばならないということでもある。胸が締め付けられるような、寂しさが込み上げてきた。
「けど、妖になっても妖力自体は宿らないのか……」
浅葱がぽつりと、どこか悩ましげに呟いた。
「何か問題でもあるんですか?」
「……妖力が宿るなら、俺の言霊を防ぐ術を施せるんだよ」
「そんなことができるんですか!?」
「うん。山吹と銀朱にはその術を受けてもらっているから、俺の言霊は効かないんだ。鈴にも施したかったんだけど、強い術だから妖力で守らないと心が壊れてしまうかもしれない……」
言霊の恐怖に怯えていた浅葱の姿が鈴の脳裏をよぎる。もし自分にも彼の言葉を防ぐ術が施せたら、浅葱は少しでも安心できるのかな。
「私、試してみたいです!」
「え……?」
「その術をかけたら、浅葱様がもっと安心していられますよね? それなら試してみたいです!」
身を乗り出す鈴に浅葱は困惑したように目を見開いたが、すぐに首を横に振った。
「駄目だよ。鈴に、大好きな子にそんな危険なことさせたくない」
「本人が構わねぇって言ってんだし、試してみりゃいい。術を施しながら魂を守る術を、お前が新しく編み出せば済む話だろ」
豪快に笑う山吹の助言と真っ直ぐに自分を見つめてくる鈴の強い眼差しに、浅葱はついに押し負けたように溜息をついた。
「……分かったよ。けど、どのみち材料に妖桜の蜜が必要だから、人間から掛けられた術を解く時に試してみるね。けど、少しでも危ないと思ったらすぐに止めるから」
「はい! わかりました!」
鈴の元気な返事に浅葱は少し呆れつつも、彼の青緑色の瞳には温かな愛おしさで満ちている。
「そうだ。良かったら山吹様と銀朱様も夕飯を食べていってください! いただいた鯛は、二人では食べきれない量なので」
気を取り直した鈴が、夕食の仕度をしようと立ち上がる。
「そうだね。鈴の料理は本当に美味しいから、ぜひ食べていって」
「お、いいな! 旨い酒のつまみになるぜ!」
「僕が魚を捌くのを手伝ってやろう。…………お前が変な物を入れないか見張っているからな」
「入れませんよ……」




