17話 神様の本当の力
静かな山奥の屋敷に賑やかな足音が二つ重なったのは、陽がまだ高い昼下がりのことだった。
ふらりと訪ねてきたのは妖狐の妖である山吹と、座敷童子の銀朱。どうやら常世の住人が悪しきものに取り憑かれてしまい、浅葱に祓ってほしいと頼みに来たのだった。
「分かった。すぐに行くよ」
浅葱は二人の話を聞くとすぐに立ち上がったが、隣で一緒に話を聞いていた鈴へと視線を向け困ったように眉を寄せる。
「でも、この時期は妖の来客も多いから鈴を一人にしておくのは心配だな……。銀朱、一緒にいてあげて」
「「え……!?」」
唐突に指名された銀朱と鈴の声が見事に重なった。銀朱は目を丸くし心底嫌そうに顔を歪め、鈴もまた自分を敵視している銀朱と二人きりにされることに思わず顔を引き攣らせた。
「私は一人でも平気ですよ!」
「ん〜、でもいつもより長く屋敷を空けてしまうし……。銀朱、お願いできる?」
「……浅葱様がそうおっしゃるのなら」
敬愛する浅葱の頼みを突っぱねるわけにもいかず、銀朱は不満を滲ませながらもしぶしぶ頷いた。
「ありがとう、銀朱。鈴、夕飯までには戻れると思うから。力仕事や高いところの物を取るときは、無理せず銀朱を頼るんだよ」
二人の不満など意に介さないまま、浅葱は慈しむように鈴の黒髪を優しく撫でた。その穏やかな眼差しに、鈴も反発することが出来ず「わかりました……」と受け入れるしかなかった。
「おい。さっさと行くぞ、浅葱」
「わかってるよ。鈴、行ってくるね」
「はい! いってらっしゃい」
山吹が浅葱の背中を叩き、二人は風のように屋敷を後にしたのだった。彼等を見送り、取り残された屋敷には銀朱と鈴の気まずい沈黙が流れる。すると銀朱は腕を組み、畳に座ったまま鋭い眼光で鈴を睨み始めた。
(……気にせず家事を済ませちゃお)
鈴は気まずさを誤魔化すように立ち上がり、箒を手にして屋敷の掃除を始めることにした。とりあえず銀朱の存在を頭から追い出し、いつも通りに家事へ没頭しようと試みる。
しかし、赤目の少年はそれを許してはくれなかった。
「おい、埃が残っているぞ小娘。そんな大雑把な掃除で清めたつもりか?」
鈴が黙って廊下を掃いていると、後ろから銀朱の小言が飛んでくる。さらには台所に移動して夕飯の下準備を始めようとすると、銀朱は鼻で笑うように言葉を続ける。
「ふん、そんな質素な葉っぱや芋ばかり煮てどうする。浅葱様は高位の神様だぞ。もっと活力のある物をお出ししろ。熊でも仕留めて来い」
「熊……!?」
(さっきから銀朱様、小うるさい姑みたい! なんなの!)
内心で怒りの言葉を怒涛のように叫びながら、鈴はぐっと奥歯を噛み締めた。腹が立つけど浅葱の友人である以上、喧嘩を売るわけにもいかない。鈴が必死に耐えていると、嬉々として嫌味を並べていた銀朱の声音が少し冷ややかに低くなった。
「嫌ならば出ていけ。お前のような者が、浅葱様と共に暮らすべきではないのだから」
きっと銀朱は人間を嫌っている。嫌いな人間が尊敬する神の側にいるのが嫌なのだと思っていたが、それだけにしては過剰に鈴を浅葱から遠ざけようとしている気がする。
鈴は手を止めゆっくりと銀朱の方を振り向くと、彼は心底不快だと言わんばかりの瞳で鈴を見つめている。
「……どうして、そんなに私を追い出したがるんですか?」
疑問を口にすると銀朱は嘲笑うように眉をひそめた。
「浅葱様のためだ。あの方はもう……人間と関わるべきではないのだ」
「浅葱様が……人間と?」
その言葉に鈴は思わず目を見開いた。人間を遠ざけている浅葱が、繋がりを持とうとした人がいる……。
(いや、順番が逆かな……。神として祀られるくらいだから昔は人間とも多少関わりを持っていたのかもしれない。けれど、なにかきっかけがあって人間を避けるようになったのかも……)
「……浅葱様の言葉は絶対だ。声に出して願えば、どんな奇跡も呪いも現実になる。言霊と呼ばれるその力で、残酷な悲劇を生むこともできるのだ」
それから銀朱は人間と浅葱の繋がり、そして浅葱の力についてゆっくりと語り始める。
遡ること数百年前――。
浅葱がまだ移り変わる人間の村を、見守っていた頃のこと。この山に妖が見える奇妙な男が迷い込んだ。
道に迷った人間へ浅葱は気まぐれに声をかけられたのだが、その人間はそれから何度も浅葱に会いに来るようになった。浅葱は「人間の友人ができた」と、幼子のように喜んだ。
けれどある日。その人間が山の中で凶暴な獣に襲われ、血まみれになって倒れていた。浅葱が駆けつけた時には、もう虫の息。
浅葱は友を失いたくない一心で「死なないで」と強く願ってしまった。
言霊の力はあまりにも強大で、止まりかけていた心臓を無理やり動かした。理すら覆しその人間の命は繋ぎ止められた。けれど助かったのは「命」だけだった。
心も身体も壊れ、人間は動くことも喋ることもできない、ただ息をするだけの人形に成り果てた。それでも命だけを引き伸ばされ、男は死ぬことすら許されなかった。
その人間の目から、一筋の涙が溢れた。人間は心の中で「殺してくれ、死なせてくれ」と泣き叫んで浅葱を恐怖の眼差しで見つめている。
浅葱は涙を流しながら、自らの手でその友の命を絶った。自分の犯した愚かな過ちを、贖うように――
「……今も浅葱様は、その過去を深く悔やんでおられる。言霊の力を使うことを恐れ、他者と深く関わることを避けるようになった」
銀朱の瞳に、深い影が落ちる。
「だからお前のような弱い人間が側にいては困るんだ。また同じ悲劇が繰り返されるかもしれない。お前も本当に浅葱様を慕うのなら……今すぐこの家から出ていけ」
銀朱の強い言葉が、鈴の胸に突き刺さる。優しい浅葱の心に刻まれた、あまりにも深い傷跡。いつも穏やかに笑っているあの人の傷は、いつか癒される日が来るのだろうか。言葉を失い佇んでいたその時――
「…………何をしているんだ、銀朱」
氷のように冷たい声が屋敷に響いた。ハッとして振り向くと、そこには用事を終えた浅葱と山吹が屋敷に帰ってきていた。
浅葱の顔からはいつものポヤポヤとした温厚さが完全に消え失せ、青緑色の瞳が凄まじい圧迫感を放っている。
「あ、浅葱様……」
銀朱が青ざめる間もなく浅葱は銀朱の肩を強く掴んでいた。
「なぜ、あの話をした……口止めをしていたはずだ」
「僕は浅葱様に二度と苦しんでほしくありません……っ! 人間を側におけば、貴方様は悲劇を思い出し胸を痛めてしまうでしょう……。だから人間を追い出すべきなんです……!」
「それはお前が決める事ではないだろう」
「浅葱様、やめてください!」
我を忘れて取り乱す浅葱の姿に鈴は思わず声を上げ、彼の袖を必死で引っ張った。
「銀朱様は浅葱様のために言ったてくれたんです。その心を貴方も否定するべきではないでしょう? だから、その手を離してください……!」
浅葱に傷ついてほしくないと願う銀朱の想いは本物だ。浅葱の意図に反していても、その想いを無下にしてはいけない。
鈴の悲痛な声に、浅葱の身体が怯えるように大きく跳ねた。浅葱は我に返ったように目を見開き、ゆっくりと鈴へと視線を移す。しかし鈴と視線が交わった瞬間、浅葱の顔が悲痛に歪んだ。
「っ……」
まるで見てはいけないものを見てしまったかのように、浅葱は咄嗟に顔を逸らすと銀朱の肩からそっと手を離した。
「…………銀朱、鈴の側にいてくれてありがとう。でも……今日はもう、帰って」
掠れた声で小さく告げる浅葱に、銀朱は言葉を詰まらせる。
「浅葱様……僕は……」
「ほら、行くぞ銀朱。邪魔したな」
重苦しい雰囲気を察した山吹が、銀朱の首ねっこを掴んで強引に引っ張った。銀朱は悔しそうに唇を噛み締めながらも、消え入るような声で呟く。
「……また明日、伺います」
二人の足音が遠ざかり再び屋敷に静寂が訪れた。浅葱は背中を向けたまま立ち尽くしている。その背影はあまりにも小さく、今にも消えてしまいそうなほど儚く見えた。
「浅葱様……」
鈴が恐る恐るその背中に声をかけると、浅葱は振り返ることなく絞り出すような声を落とす。
「ごめん……ごめんね、今は一人にして…………」
それだけ言い残すと、浅葱は力なく自分の部屋へと去ってしまった。
開け放たれた窓から吹く風が、寂しく鈴の頬を撫でていく。鈴はただ一人、残された廊下で去っていった浅葱の面影を見つめることしかできなかった。




