10話 喧嘩と仲直り
新緑が眩しいある日。
鈴は狸のポチに誘われ、近くの小川のほとりまで足を延ばし木の実を取りに行っていた。両手で収まるくらいの木の実を抱え上機嫌で浅葱の屋敷へと戻ってきた時のことである。
「あ、戻ったんだね。楽しかった?」
のんびりとした声を上げたのは、縁側に腰掛けながら杯を傾けている浅葱だった。その姿自体は珍しいものではなかったが、問題はその傍らである。浅葱の足元には、すっかり空になった一升瓶がごろごろと転がっていた。それも一本や二本ではない。
その有様に、鈴は思わず目を疑った。
「浅葱様! お昼からこんなに呑まれたのですか!? いくらなんでも呑みすぎです、身体に悪いですよ!」
慌てて駆け寄り転がる酒瓶の数を数えようとする鈴に、浅葱はどこ吹く風といった様子でパチリと瞬きをした。酒に強い神様である彼は、顔色一つ変えておらず足取りや口調も平然としている。
「妖なんだから、これくらい平気だよ」
「平気じゃありません! 妖だって限度というものがあります! もうそのくらいにしておいてください……」
鈴は浅葱の手から酒の残った徳利を半ば強引に奪い取った。すると酒を取り上げられた浅葱の綺麗な眉が、少し不満げに寄り唇を尖らせる。
「もう、大げさだなぁ……。人間の君には理解できないんだから、俺のことはほっといてよ。せっかくの気分が台無し……」
その冷ややかな言葉に、鈴の胸の奥でぷつりと何かが切れた。突き放すような言葉で怒りが頂点に達した鈴は、ぎゅっと徳利を抱え直すと浅葱を睨みつける。
「……ならお好きにしてください! 倒れても知りませんからね!!」
「人間に心配されるほど柔じゃないよ」
ふんと鼻を鳴らして背を向ける鈴。浅葱もどこか固い表情のままそっぽを向いてしまった。
(心配したのに! そりゃあ、妖と人間では体のつくりが違うかもしれないけど……あんな風に言わなくたっていいでしょう!?)
怒りを口元に溜め込み、足早に廊下を進む。台所に徳利を置くと荒い息を吐きながら手のひらを握りしめた。今はこの苛立ちをどこかにぶつけてしまいたい。
鈴は目に止まった包丁を握り、手頃な野菜をひたすら切っていく。切られた野菜が器いっぱいになったところで、段々と頭が冷えてきた。
(……ちょっと言い過ぎちゃったかな。浅葱様にとってみれば、いつもの日課だったかもしれないのに。勝手にお節介を焼いて、怒鳴ったりして……)
神様に向かって「倒れても知りませんから!」と言い放ってしまった自分の無礼さに落ち込んでしまう。ましてや浅葱は鈴を山へ捨て置くことなく、ここへ置いてくれた屋敷の主人だ。
謝ろうかな、とこっそり縁側を覗きに行くと酒瓶は綺麗に片付けられており浅葱の姿もない。居間にも彼の部屋にもいない。どこかへ出掛けているようだった。
(……仕方ない。せめて今晩は、お酒をたくさん飲んだ身体に良い夕飯にしよう!)
気を取り直し、二日酔いや胃腸に優しいとされる、おからを入れた温かいお味噌汁を作り始めることにした。
◇
トントンと包丁で具材を刻む音が静かな台所に響く。汁物を煮込み、一通りの夕飯の準備が整った頃だった。
「鈴…………」
台所の入り口から、消え入りそうな力ない声が聞こえた。振り返ると、浅葱が遠慮がちに扉の奥から顔を出している。
「……浅葱様?」
「今……少しいい?」
「はい、大丈夫ですが……」
すると鈴の近くまで歩み寄った彼は、先ほどの不機嫌そうな様子はどこへやら、視線を落とし切なげに眉を下げている。
「その……さっきは心配してくれてたのに、人間だからと突き放すようなこと言ってごめん……」
浅葱はそう言うと背中に隠していた小さな竹籠を差し出した。そこには鈴が先ほどポチと摘んできたものより、ずっと立派な木の実が山盛りに入っている。鈴の好きなものを覚えていて、わざわざ採ってきてくれたのだろう。
(もしかしてお昼に出かけていたのは、これを取りに行っていたから……)
浅葱はそのまま頭を下げると、恐る恐る鈴の様子を伺っている。その素直な謝罪や自分を思って行動してくれた浅葱の優しさに、鈴の胸のつかえは一気に吹き飛んでしまった。
「私の方こそ、お節介を焼いて怒鳴ってしまってすみませんでした……」
鈴もペコリと頭を下げて謝ると浅葱はほっとしたように顔を上げた。鈴は浅葱の瞳を真っ直ぐに見つめ直しここぞとばかりに言葉を続ける。
「でもお昼からあんなにお酒を呑むのは、やっぱり心配です」
「うん……次からは少し控えるよ。お昼から呑むのもやめる」
浅葱は本当に反省した様子で弱々しく頷いた。神様ともあろうお方が、しおしおと肩を落としている姿はどこか愛らしい。思わずくすりと笑ってしまい、目の前の白金の髪へ手を伸ばすし、よしよしと撫でてあげる。
「ありがとうございます、浅葱様」
「……うん」
頭を撫でられ浅葱は少しだけ照れくさそうに目を細めた。お互いに視線を合わせると、自然と笑みがこぼれ落ちる。先ほどまでのギクシャクした空気が、すっかり温かなものに変わっていった。
「――さ! ご飯の準備ができたので、食べましょうか」
「うん……! 味噌汁すごく良い香りだね」
「二日酔いや身体に良いらしいので、おから入りにしてみたんです」
胸を張って答えると、浅葱は驚いたようにパチクリと青緑色の目を丸くした。
「俺のために作ってくれたの……? ふふっ嬉しいな……ありがとう、鈴」
柔らかく目を細めた浅葱は、お返しと言うように鈴の頭を優しく撫でてくれた。
「ねぇ夕食の後には、この木の実を一緒に食べようよ」
浅葱は弾んだ声でそう言いながら、鈴の隣へと歩み寄りちょこんと肩を寄せてきた。ほんのりと伝わってくる彼の体温が心地よい。
「そうですね。甘くて美味しそうですし、そうしましょう! 楽しみです」
神様と人間。異なる部分も多いけど、お互いがお互いを思いやり気遣う温かな気持ちが、爽やかな風とともに台所を満たしていた。
鈴と浅葱は顔を見合わせて、再び嬉しそうに微笑み合ったのだった。




