8話 豹変
田野は黙りこくり、与志野の質問には答えようとしない。
その沈黙が答えだった。
翔馬が田野を凝視する。
「……田野?」
与志野は一歩近づいた。
「答えろよ、田野」
青い霧が再び指先から滲み出す。
「この青いモヤ……」
田野の表情から感情が消えた。
「お前、どこまで知ってる?」
数秒の沈黙。
「……ああ、見えてるよ」
沈黙の後、田野はあっさりと言った。
「正解、正解」
その瞬間だった。
田野の身体から青い霧が立ち昇った。
足元から。
腕から。
肩から。
まるで身体そのものが蒸気機関のように青い煙を吐き出しているようだった。
「……!」
翔馬と与志野は同時に一歩後ずさった。
翔馬は目の前の光景を理解できずにいた。
(全身から青いモヤが……!)
与志野の指先から出ていたものとは明らかに規模が違う。
「お前……!」
与志野の声が漏れる。
田野は自分の身体を覆う霧を見下ろした。
「これ?」
指先を軽く動かす。
霧がそれに合わせて揺れた。
「何から話そうか……」
田野は少し考えるように天井を見上げた。
「これは蒼の気って呼ばれてる」
「蒼の……気?」
翔馬が聞き返す。
「ああ」
田野は頷いた。
「俺たちのエネルギーっていうか……燃料みたいなもんだ」
「燃料……?」
与志野が眉を寄せる。
「何の?」
田野は二人を見た。
「この前使ってただろ」
「……え?」
「山口たちをぶちのめす時に」
翔馬の表情が固まった。
与志野も何かを思い出したように目を見開く。
「……あ」
あの時、身体の奥から込み上げてきたあの感覚。
熱、力、そして指一本で人間を吹き飛ばした異常な現象。
田野は二人を見つめた。
「一昨日の件で目覚めたんだよ、お前らの中に眠ってた才能が」
翔馬は田野の言葉を聞いたまま固まっていた。
「……お前ら?」
その言葉が引っかかった。
「お前らって……俺も?」
翔馬は自分を指差した。
「俺は見えるだけなんだけど」
田野は首を傾げる。
「……本気で言ってる?」
「え?」
「お前も使ってただろ」
「俺が?」
「与志野を止めた時」
翔馬の表情が変わった。
「……え?」
脳裏に一昨日の光景が蘇る。
怒りに任せて山口へ向かっていた与志野。
振り上げられた腕。
止めなければならないと思った。
だから背後から突っ込んだ。
――そして、吹き飛ばされた。
「多分覚醒状態だった与志野に接触したからだろうな」
「……」
翔馬は自分の手を見る。
あの時与志野に触れた瞬間。
確かに感じた。
身体の奥から何かが流れ出ていくような感覚。
熱かった。
異様なほど。
「……あれ」
声が掠れた。
「俺が……?」
田野は黙って翔馬を見ている。
「……マジかよ」
翔馬の顔から血の気が引いた。
田野はそんな翔馬を見ながら静かに言った。
「お前ももう覚醒してるよ」
その言葉が静かな旧校舎の教室に落ちた。
翔馬と与志野はしばらく何も言えなかった。
「……なあ」
田野が口を開いた。
「俺たちの仲間にならないか?」
「仲間?」
「ああ」
田野は頷いた。
「俺やお前ら以外にも祝福を覚醒させた奴らが何人かいる」
翔馬の目が僅かに開く。
「……祝福?」
「この力の事だよ、皆んなそう呼んでるんだ。
神からの授かり物……みたいな感じでな」
「……俺たち以外にもいるのか?」
「いる」
田野は淡々と答えた。
「今はまだ制御出来ないだろうけど俺らと訓練すればその力はコントロールできるようになる」
翔馬は与志野を見る。
与志野も同じような顔をしていた。
――俺たちだけじゃなかったのか。
それなら。
田野について行けばこの力についてももっと知ることができるかもしれない。
「……入ってみるか?」
翔馬が小さく言った。
与志野も頷きかけた。
その時だった。
翔馬が何気なく質問した。
「そのグループって何人くらい居るんだ?リーダーとかは?」
「俺含めて四人だよ、グループをまとめてるのは二年の優大先輩だ」
「……優大?」
聞き覚えのある名前に翔馬の表情が変わった。
与志野もすぐに田野を見る。
「……あいつが?」
「ああ」
田野は二人の反応にすぐ気づいた。
「おいおい……先輩のこと誤解してないか?」
「誤解?」
翔馬が眉をひそめる。
「山口たちと繋がってたんだぞ、拳銃まで持たせてた」
「それは……」
田野は一瞬黙った。
「そういえば与志野が暴走した時、山口お前に助け求めてたな」
――おい!何とかしろ!
――聞こえてんだろ!
「……」
「あの時は焦ってて疑問に思わなかったけど……あれって元々山口たちと繋がりがあったって事だよな。」
翔馬の声は低かった。
「優大が山口たちと繋がってたことも、拳銃を渡してたこともお前は知っててあの時黙りこくってたのか?」
「……」
「それなのに与志野が覚醒した時、お前は何もしなかった」
田野の表情が僅かに曇る。
「俺たちが吹き飛ばされた時もそうだ。
あの場にいたのに、ただ見てた」
翔馬は一歩、田野へ近づいた。
「それだけじゃないな」
今度は与志野が口を開いた。
「お前、自分もこの蒼の気ってやつを使えるって言い出さなかったよな」
「……」
与志野の目が細くなる。
「俺たちが気づくまで黙ってた」
田野は何も言わなかった。
それが翔馬たちには答えに見えた。
「悪いけど田野、お前は信用できない」
翔馬は田野から視線を逸らさなかった。
「俺たちは仲間にはなれない、自分たちでこの力を調べて見るよ」
「……そうか」
田野が呟いた。
その声に感情はなかった。
「田野?」
「いや……」
田野はゆっくりと息を吐いた。
「何となく……こうなるんじゃないかと思ってた」
そう言って、足元に置いていた鞄へ手を伸ばす。
ファスナーが開く。
翔馬の表情が変わった。
「お前ら……結構賢いからな」
鞄の中から黒いものを取り出す。
拳銃。
それを見た瞬間、翔馬と与志野の身体が強張った。
「安心しろ、消音拳銃だから誰かが来る心配もない」
「なっ……!」
田野は銃を握ったまま、静かに二人を見た。
「優大さんからの命令なんだ」
「……命令?」
田野の指が銃を握り直す。
「仲間にならないなら――」
一拍。
「殺せってね」
旧校舎の教室に重たい沈黙が落ちる。
田野は二人の表情を見て僅かに息を吐いた。
翔馬は無意識に与志野の前へ出る。
「お前……本気なのか?」
「本気だよ」
田野は答えた。
それからほんの少しだけ悲しそうに笑った。
「俺だってこんなことしたくない、お前ら結構いい奴だったからな」
銃口がゆっくりと二人へ向けられる。
「……!」
同時に与志野の指先に淡い青い霧が滲み始めた。
田野はそれを見て小さく呟いた。
「……やっぱりそうなるよな」
その顔から先ほどまでの迷いが消えた。
――プシュッ。
乾いた、短い音。
銃口から弾丸が吐き出された。
影が翔馬を通り抜け、与志野の身体が僅かに揺れる。
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
遅れて、身体の奥を何かが突き抜けたような感覚が走る。
(熱っ――)
そう思った直後だった。
激痛が全身を駆け抜ける。
「ぐあぁっっ!!」
腹部から血を流し、与志野がその場に膝をついた。
「与志野!!」
翔馬の顔から血の気が引いた。
次の瞬間には、田野へ向かって踏み込んでいた。
「てめぇ!!」
拳を振り抜く。
だが――
田野の拳銃が翔馬の目の前に突き出された。
翔馬の拳がピタリと止まる。
「田野……!」
「考えて行動しろよ、肝心な所で頭悪いな」
田野の声は静かだった。
翔馬は歯を食いしばる。
「ぐっ……うぅ……!」
与志野は苦しそうに床へ手をついている。
腹から流れ落ちた血が生々しい。
「与志野……!」
「これが最後だ」
田野は銃口を翔馬へ向けたまま言った。
「俺たちに従え」
沈黙。
田野の目から迷いが消えていた。
「返事は――」
銃口が僅かに上がる。
「はいか、YESだ」
翔馬は田野を睨みつけた。
そして床にうずくまる与志野を見る。
その指先には――
再び青い霧が集まり始めていた。




