7話 視認
翌朝。
翔馬と与志野は並んで新界高校へ向かっていた。
あの後どうなったのか。
山口は。
エルサと田野は。
そして今、学校では何が起きているのか。
二人ともそれを気にしながら自転車を漕いでいた。
やがて見慣れた校門が見えてきた。
翔馬が門をくぐる。
その瞬間だった。
二人の足が同時に止まった。
「……翔馬」
与志野が小さく呟く。
「見えるか?」
「……ああ」
校門。
校舎。
校庭。
目を凝らすと至る所にそれは存在している。
昨日、与志野の身体を覆っていたものと同じ色。
ただしそこにあるのはモヤそのものではない。
空気に染みついたような、薄い残滓だった。
風が吹いても消えない。
陽の光が当たってもそこだけ僅かに青く見える。
翔馬は辺りを見回した。
「これって……与志野が出せる青いモヤか?」
翔馬の頭に一つの考えが浮かぶ。
(これは……一昨日の与志野のモヤが残ってんのか?だとしたらどうしてそこら中に?)
それとも――
翔馬は校舎を見上げた。
――別の誰かが……これを残した?
「……行こう、遅刻する」
与志野がボソッと言った。
「ああ」
二人は何も分からないまま校舎へ入った。
教室の前まで来る。
翔馬が扉を開けた。
その瞬間。
「翔馬、与志野!」
声が飛んできた。
エルサだった。
こちらに気づくなり、椅子を蹴るように立ち上がって走ってくる。
二人の前まで来るとエルサは勢いよく足を止めた。
「無事だったか!」
その顔には一昨日の緊張がはっきりと残っていた。
翔馬と与志野は顔を見合わせる。
「……ああ」
翔馬が答える。
「なんとか」
エルサは二人を交互に見た。
「なんとかって……四階から落ちたんだぞ!そのあと窓から見たらどっちも居ねえし、何処行ってたんだ?」
「それは……」
翔馬は言葉に詰まった。
昨日のことをどう説明すればいいのか分からない。
「エルサ声でかいよ、周りに聞こえる」
話を遮るように後ろから田野が歩いてきた。
「田野……」
エルサが振り返る。
田野は二人の姿を一度見回した。
「怪我は無かったのか?」
「ああ……奇跡的にな」
翔馬が答える。
田野はそれ以上何も言わなかった。
代わりに視線だけを教室の奥へ向ける。
そして、顎でそちらを指した。
そこにはいくつかの空席があった。
一昨日まで山口たちが座っていた場所だった。
「山口たちはそうでもないらしい」
「……」
翔馬は言葉を失った。
与志野も空席を見つめている。
田野は二人の反応を確認すると声を落とした。
「とりあえず後で話そう」
周囲を一度見渡す。
「ここで話すのは色々まずい」
「……ああ」
田野はそれだけ言うと自分の席へ戻っていった。
残された三人の間に短い沈黙が流れる。
エルサが小さく息を吐いた。
「まあ……田野の言う通りだな、行こうぜ」
翔馬も頷く。
「最初の授業って何だっけ」
「科学」
翔馬たちは自分の席へ向かった。
その時、教室の窓から差し込んだ朝の光の中に――
ほんの一瞬だけ青い靄が揺れた。
———
授業は何事もなかったかのように進んでいった。
教師が黒板に文字を書き、生徒たちはノートを取る。
今までと変わらない学校。
それなのに翔馬にはその一つひとつが妙に遠く感じられた。
そして放課後。
教室に残った翔馬と与志野は机を挟んで向かい合っていた。
「……どうする?」
「何が?」
「一昨日のことだよ、エルサと田野にどこまで話すか」
翔馬は声を落とした。
「四階から落ちて無傷だったことだけでも普通じゃ説明つかないだろ」
「まあな」
与志野は窓の外を見た。
「でも俺たちが見たものまで話したら……もっと説明できなくなる」
「青いモヤのことか?」
「それもある」
そこで教室の扉が開いた。
「待たせたな」
エルサと田野が入ってきた。
「じゃあ、一昨日のこと――」
「……明日にしない?」
与志野が突然言った。
「え?」
エルサが目を丸くする。
翔馬も驚いて与志野を見た。
「なんで?」
「何か頭痛くてさ、早く帰って寝たいんだ」
与志野はそれだけ言った。
翔馬には少し不自然に聞こえた。
だが、与志野はそれ以上何も言わない。
「まあいいけど……大丈夫か?」
「あぁ、寝れば治るさ」
エルサは釈然としない顔をしながらも頷いた。
「じゃあ、明日な」
四人はそれぞれ帰る準備を始めた。
やがて、エルサが教室を出ていく。
田野もその後に続いた。
翔馬が鞄を肩にかけた。
「じゃあ俺らも――」
「翔馬」
与志野が呼び止めた。
「……何だよ」
「ちょっと付き合ってくれ」
———
学校から少し離れた場所。
一昨日の件で生徒立ち入り禁止になっている旧校舎の前に二人は立っていた。
「……マジで行くのか?」
入口には黄色と黒のテープが張られている。
「行く」
「先生に見つかったらどうすんだよ」
「その時はその時」
「雑すぎるだろ……」
翔馬はため息をつく。
それでも結局ついてきた。
二人はテープをくぐり、薄暗い旧校舎へ入った。
(先生が巡回してるとかは……流石にないか)
一抹の不安がよぎりながら階段を上る。
三階。
四階。
そして――
「あ……」
翔馬が足を止めた。
あの日の教室だった。
窓ガラスは割れたまま。
机と椅子は散乱している。
床の中央には大きく抉れたような跡が残っていた。
翔馬の脳裏にあの日の光景が蘇る。
床に走った亀裂。
浮いた身体。
割れる窓。
そして空を落ちていく感覚。
「……何でここに来たんだ?」
翔馬が尋ねた。
与志野は答えなかった。
その時。
――コツ。
階段から足音が聞こえた。
二人が振り返る。
――コツ、コツ。
誰かが上がってくる。
「誰だ?もしかして先生……」
「大丈夫だ」
やがて階段の影から姿を現した。
「田野……?」
翔馬が目を見開く。
「さっき帰ったんじゃ……」
田野は二人を見ると少し困ったような顔をした。
「……エルサだけ省いて何の話がしたいんだ?与志野」
「え?」
翔馬が与志野を見る。
与志野は何も言わず、田野を見ていた。
教室を出た直後、与志野は田野にこの場所へ来るようメッセージを送っていたのだ。
「実はさ」
与志野が口を開いた。
「さっき四人で集まった時……いや」
一度言葉を切る。
「その前からちょっと実験してたんだ」
「……実験?」
翔馬が眉をひそめる。
与志野は右手を持ち上げた。
人差し指を立てる。
「これ」
指先から青い霧がゆっくりと滲み出した。
翔馬は何度見ても慣れない。
(青いモヤ……てか田野は見えないんじゃ……?)
「授業中とかに何回か出してみたんだ」
与志野は霧を眺めながら続けた。
「俺たち以外に気づく奴がいるのかなって」
「……そんなことしてたのか」
翔馬が呆れたように言う。
「翔馬は席の位置的に気づいてなかったけど」
与志野は青い霧を消した。
「で、さっき四人で揃った時も出してみた」
「それで?」
与志野は田野を見る。
「……そしたらさ」
人差し指を田野へ向ける。
「お前、一瞬目で追ってたよな」
「……何のこと?」
田野は平然と答えた。
「それだけじゃない」
与志野の声が低くなる。
「授業中に出した時もチラチラ見てただろ」
「……」
「お前、これ見えてるな」
田野は黙った。
その沈黙が答えだった。
翔馬が田野を凝視する。
「……田野?」
与志野は一歩近づいた。
「答えろよ、田野」
青い霧が再び指先から滲み出す。
「この青いモヤ……」
田野の表情から感情が消えた。
「お前、どこまで知ってる?」




