6話 予兆
月が雲に隠れた夜。
新界高校から少し離れた場所にある使われなくなった廃工場。
薄暗い建物の中に山口はいた。
床には仲間たちが転がっている。
誰一人として動かない。
山口は壁に背を預け、荒い呼吸を繰り返していた。
身体が小刻みに震えている。
目の前に立つ男から視線を逸らせない。
まるで最後の審判を受ける瞬間のように。
口元から流れた血が制服を滲ませる。
「俺さ」
優大は静かな声で言った。
「許可なく銃火器を使うなって条件で渡したよな」
手にした拳銃の銃口が山口の額へ向けられている。
「ち、違くて……」
歯が噛み合わない。
「あ、あの……与志野のやつに殺されかけて……それでしょうがなく……」
「そんなこと聞いてねえよ」
優大の声から温度が消えた。
「あんまりやり過ぎんなってこっちも言われてんだわ」
ザッッ。
一歩、近づく。
「お前、どこまで俺に尻拭いさせんの?」
「あ……ごめ――」
パンッ!!
乾いた音が工場の中に響いた。
山口の言葉が途切れた。
その身体が力を失う。
優大は拳銃を下ろした。
「おいサメ」
暗闇へ向かって声をかける。
「処理しといて」
「オーケー」
暗闇から女子生徒が姿を現した。
サメと呼ばれたその女子生徒は床に倒れた山口たちへ目を向ける。
その隣からもう一人の男も姿を現した。
次の瞬間だった。
――バクッッ。
何かが一瞬、暗闇の中で動いた。
そしてそこにあったはずの山口たちが消えた。
「それにしても亜里野翔馬はともかく……」
口元に薄い笑みが浮かぶ。
「本当に与志野音色の方も覚醒するとはな~、"先生"の言った通りだった」
優大はその場に腰を下ろした。
サメの隣にいた男が一歩前へ出る。
「与志野音色も勧誘しますか?」
「さわはいいよ」
優大は手を振った。
「あいつに任せるから」
少し考えてから続ける。
「とりま“先生”に上手く火消しするよう伝えといて」
「御意」
二人の姿が暗闇へ溶けていく。
工場には優大だけが残った。
しばらくして。
優大はポケットから一枚の写真を取り出した。
そこには二人の少年が写っている。
亜里野翔馬。
与志野音色。
優大は写真を眺めながら楽しそうに嗤った。
「さて……」
写真を指先で軽く叩く。
「こいつらは使えるかな……?」
———
翌朝、新界高校。
いつもと変わらない朝のはずだった。
しかし、教室には妙な緊張が漂っていた。
生徒たちは互いに顔を見合わせ、小声で話している。
やがて担任の大井史が教室へ入ってきた。
「席につけ」
ざわめきが止まる。
大井は教壇に立つと教室を見渡した。
「知っている者もいるかもしれないが昨日の放課後、旧校舎で何やら騒ぎがあった」
何人かの生徒が顔を上げる。
「詳しいことはまだ確認中だが旧校舎の四階の教室で爆発の様な事が起きたらしい、学校としても現在調査を進めている」
大井は一度言葉を切った。
「では昨日の件に関して何か知っている者は本日中に先生に報告するように、以上だ。
関係ない生徒は授業に集中しろ。」
それだけ言うと大井は教室を出ていった。
扉が閉まる。
途端に教室が騒がしくなった。
「さっきの話、マジ?」
「なあ、お前昨日部活で学校残ってたよな?何か知ってんの?」
「知らねえよ、旧校舎結構離れてるし」
「でもさ、窓割れて外に大量のガラス落ちてたって話だぞ」
「マジで?危ねえな」
「何があったんだろ」
噂はあっという間に広がっていく。
誰も真相を知らない。
誰も昨日あの場所で何が起きたのか知らない。
教室中に広がるざわめきの中でエルサと田野は一度だけ目を合わせた。
互いに何も言わない。
けれどそれだけで十分だった。
昨日のことを二人とも思い出していた。
エルサは田野の席へ行くと周囲を気にするように視線を巡らせ、それから声を落とした。
「田野、これってさ……」
田野が僅かに顔を向ける。
「もしかして俺ら……まだ昨日あそこに居た事バレてねえのかな?」
「そうみたいだな」
田野は前を向いたまま答えた。
「バレてたらとっくに呼び出されてるだろ」
「……だよな」
エルサは小さく息を吐いた。
だが安心した様子はない。
「でもこんなの時間の問題だろ……」
視線が空いている二つの席へ向く。
翔馬の席。
そして与志野の席。
どちらも朝から一度も使われていない。
エルサの眉間に皺が寄った。
「……翔馬も与志野もまだ来てねえし」
声がさらに小さくなる。
「山口も来てねえ」
「……」
田野は答えなかった。
エルサは机の下で拳を握った。
「大丈夫かなあいつら……連絡しても返信ねえし……」
昨日の光景が再び脳裏をよぎる。
あれから二人がどうなったのか。
まだ何も分からない。
田野がようやく口を開いた。
「……放課後まで待とう」
「放課後?」
「途中であいつらが来たら直接聞けばいい」
エルサは頷いた。
「……そうだな」
二人は再び前を向いた。
教室ではまだ昨日の噂が飛び交っている。
誰も知らない。
昨日、旧校舎で何が起きたのか。
そして。
空席になっている二つの席の持ち主が今どこにいるのかも。
———
「なあ……そろそろ昼休みになるぞ」
翔馬がスマートフォンから顔を上げた。
「んー……そうだな」
向かいに座る与志野も画面から目を離す。
二人がいるのは学校から少し離れた場所にあるハンバーガーショップだった。
店内には最近流行っている曲が小さな音量で流れている。
周囲では主婦や子連れが何組か談笑していた。
「……思わず学校休んじゃったけど怪しまれてねえかな」
「大丈夫だろ、欠席連絡した時先生も何も言ってこなかったぞ」
「逆に怖えだろそれ」
「何でだよ」
「いや、普通昨日あんなことあったら何か聞いてこねえか?」
「まあ……確かにな」
二人の間に少しだけ沈黙が落ちる。
翔馬はストローを弄りながら昨日のことを思い出していた。
床に走った亀裂。
空中に浮いた身体。
四階からの落下。
そして――与志野。
「それよりさ……」
与志野が呟いた。
「ん?」
翔馬が顔を上げる。
与志野は自分の手を見つめていた。
しばらくするとその指先から淡い青色の靄が滲み出した。
煙のようだった。
けれど煙とは少し違う。
意思を持っているように指の周りをゆっくりと漂っている。
「……これ」
与志野が手を動かす。
青い靄もそれに合わせて揺れた。
「このモヤっていうか……こう……青いオーラみたいなやつ」
翔馬は身を乗り出した。
「やっぱ出せるんだな」
「ああ」
与志野は靄を眺めながら言った。
「マジで俺ら以外には見えてないっぽい」
「あぁ、俺にしか見えてねえ」
翔馬は周囲を確認した。
誰もこちらに注目していない。
「マジで何なんだそれ」
「こっちが知りてえよ」
与志野は苦笑した。
「でも何か自分の意思で出せるっぽいんだ」
「へえ……」
翔馬は青い靄を指差した。
「超能力か?」
「青い煙を出せる能力とかしょぼすぎんだろ、しかも周りに見えてねえんだから意味ないじゃん」
「いや、昨日お前が何したか覚えてるか?」
翔馬の言葉に与志野の表情が少し曇った。
「……それは、まあ」
「十分ヤバいだろ」
「でもこのオーラ自体には何の意味があるんだよ」
「知らねえよ」
与志野は青い靄を眺めた。
それはしばらく指先を漂ったあと文字通り煙のように消えた。
二人は顔を見合わせる。
「……」
「……マジで何なんだそれ」
「だからこっちが知りてえって」
翔馬はハンバーガーを一口かじった。
「まあ今のところは――」
与志野もポテトを一本取る。
「昨日のことも周りには秘密にしといた方がいいな」
「だな」
二人は何となく頷いた。
自分たちの身体に何が起きたのか。
まだ何一つ分かっていなかった。




