4話 覚醒
「……何してんだよ」
翔馬の声は低かった。
山口は財布を持ったまま、翔馬を見る。
「何って……こいつと話してただけだけど」
「話してただけ?」
翔馬の視線が与志野へ向く。
壁際に立たされた与志野。
乱れた制服。
床に散らばった荷物。
そして山口の手にある財布。
それを見た瞬間だった。
翔馬は山口へ一直線に走り出した。
「ふざけんな!」
ドゴッッ!!
怒りに任せた拳が勢いよく山口の頬に入る。
山口の身体がよろめき、教卓ごと大きな音を立てて倒れた。
「翔馬!」
エルサの声が響く。
だが、もう遅かった。
「てめえ……!」
山口の仲間が瞬時に翔馬に飛びかかった。
一人を振り払う。
しかし、もう一人が背後から掴んだ。
「離せ!」
翔馬が肘を振る。
男の腕が緩んだ隙に振り返り、もう一度拳を繰り出した。
だが、相手にするには数が多すぎた。
翔馬はあっという間に地面に押さえつけられ、山口たちに一方的に殴られる。
「翔馬!」
エルサが駆け寄った。
「やめろ!」
その瞬間、山口の仲間がエルサを突き飛ばした。
「邪魔すんな!」
身体が机にぶつかり倒れる。
それでも立ち上がろうとした。
「やめ……」
拳がエルサの頬を捉えた。
ドゴッ!!
身体がぐらりと傾く。
「エルサ!」
翔馬が叫んだ。
しかし、その声も届かなかった。
エルサは床に倒れ、そのまま動かなくなった。
教室が静かになった。
山口が翔馬から離れ、エルサを見下ろす。
「……気絶した?」
「マジかよ」
仲間の一人が笑った。
「やりすぎじゃね?」
「別にいいだろ、こんなのでダウンするこいつが弱すぎんだよ」
山口は翔馬を見下ろす。
床に膝をつき、息を荒くしている。
「こいつらも結構いいな」
「何が?」
「金だよ」
山口はニヤリと笑った。
「明日からこいつらからも巻き上げるか」
「翔馬から?」
「ああ、こいつ結構持ってそうじゃん」
山口が倒れ込むエルサに近づく。
「それにこいつからも」
その言葉を聞いた瞬間。
与志野の中で何かが切れた。
「……やめろ」
小さな声だった。
「ん?」
山口が振り返る。
「もう……やめろ」
与志野の拳が震えている。
「何だよ」
山口の仲間が笑う。
「友達来たからって強気になっちゃった?」
与志野は答えなかった。
床に倒れているエルサを見る。
その隣には翔馬がいる。
二人が自分のせいで傷つけられている。
そう思った瞬間。
胸の奥で何かが弾けた。
――熱い。
身体の奥から今まで感じたことのない熱が込み上げてくる。
「……何だ?」
山口が一歩下がった。
与志野の周囲の空気が揺れていた。
「おい……」
床に落ちていた紙が風もないのに舞い上がる。
与志野はゆっくりと顔を上げた。
その目には、いつもの怯えた色がなかった。
「何だよ、まだ文句あんの?」
山口の隣にいた仲間が与志野へ近づいた。
「こいつ、まだ反抗する気みたいだぞ」
「ちょっと黙らせとけよ、エルサみたいにさ」
仲間が手を伸ばす。
与志野の肩に触れようとした、その瞬間だった。
――何かが弾けた。
ドンッッ!!!
仲間の身体が突然宙に浮いた。
次の瞬間、数メートル先まで吹き飛ばされる。
背中から壁に叩きつけられ、床へ落ちた。
「がっ……!!」
音が消えた。
「……は?」
仲間は壁際で呻いている。
「お前……何した?」
山口が少し怯えた表情で言った。
「……知らない」
与志野自身にも本当に分からなかった。
ただ、胸の奥だけが異様に熱い。
山口は一歩下がった。
「ふざけんなよ……」
それでも、もう一人の仲間が与志野の背後へ回った。
「てめえ……何したかって聞いてんだろうが!」
自分に言い聞かせるような声だった。
そしてもう一度、与志野へ手を伸ばす。
その指先が触れるより先に――
仲間の身体が再び吹き飛んだ。
今度は山口にもはっきり見えた。
「……っ!」
仲間が床を転がる。
山口の顔から血の気が引いた。
与志野は何もしていない。
ただ、そこに立っているだけだった。
床に倒れた翔馬が、ゆっくり顔を上げる。
「……与志野?」
その声に与志野は反応しなかった。
自分の身体から何かが溢れている。
目には見えない。
けれど、確かに感じる。
空気が震えている。
窓が小さく鳴る。
机の上の紙がひとりでに舞い上がった。
「なんなんだよ……これ」
山口が呟く。
さっきまで笑っていた男の顔には、もう余裕がなかった。
「や、やべえ……」
その様子を見ていた山口の仲間たちはこっそりドアを開け、廊下へ逃げていった。
与志野は倒れている翔馬とエルサを見る。
そして山口へ視線を戻した。
床に倒れている二人の仲間を見て、山口は舌打ちする。
先ほどまで一緒になって笑っていた残りの仲間たちは、もうどこかに逃げている。
誰も与志野に近づこうとはしなかった。
山口は仲間たちが出て行った廊下を睨みつけ、それから視線を横へ移した。
教室の端。
田野が立っていた。
騒ぎが始まってから、ずっとそこにいる。
何も言わず、何もせず、ただ目の前で起きていることを見ていた。
(あいつなら……)
「おい!」
山口が叫んだ。
「何とかしろ!」
田野は動かなかった。
返事すらない。
「……チッ」
山口はもう一度舌打ちした。
「聞こえてんだろ!」
それでも田野は何も言わない。
その無反応がかえって山口を苛立たせた。
「……もういい」
山口は少し焦りながら自分の鞄へ手を伸ばした。
ファスナーを開ける。
中から取り出したものを見て、翔馬の目が見開かれた。
「……え?」
拳銃だった。
それを見た瞬間、教室の空気が変わった。
「おい……山口……それ……」
翔馬の声が震える。
「優大先輩から貸してもらったんだ……偽物じゃねえぞ!」
山口の怒鳴り声で意識を取り戻したエルサは床に倒れたまま、わずかに顔を上げた。
「……ん……ん、あ……え?」
見ると山口の仲間たちが倒れ、山口と与志野が向かい合っている。
山口は銃口を与志野へ向けた。
「離れろ、テメェ!」
声が裏返っていた。
さっきまでの余裕は、もうどこにもない。
「近づくな!」
与志野は止まらなかった。
一歩。
また一歩。
「来るなって言ってんだろ!」
山口の腕が震えている。
それでも与志野は歩き続けた。
「与志野!ダメだ!」
翔馬が叫ぶ。
「止まれ!」
与志野にはその声が聞こえていないようだった。
ただ山口だけを見ている。
「来るな……!」
山口が引き金に指をかける。
パンッッ!!
乾いた音が教室に響いた。
一瞬の出来事だった。
山口の目には確かに与志野へ向かって飛んでいくものが見えた。
だが――
与志野の右手が動いた。
人差し指と親指で、それを摘まんだ。
止まった。
銃弾が。
翔馬は息をすることさえ忘れた。
与志野は自分の指先を見た。
無表情で銃弾を見つめながらボソッと呟く。
「遅っ……」
そこにあるものが何なのか、理解しているようには見えなかった。
ただ、静かにそれを床へ落とした。
カラッ。
金属音。
その音が山口に今起きている事を分からせる様に鳴り響く。
山口の顔から、完全に血の気が引いた。
「……何だよ、それ」
与志野は答えない。
さらに一歩、近づく。
「来るな……」
山口が後ずさる。
「来るなよ……!」
与志野は山口の目の前まで来た。
そして、右手の人差し指をゆっくり伸ばした。
「……え?」
次の瞬間。
ドゴッッ!!!
指先が山口の胸を突いた。
ただ、それだけだった。
にもかかわらず、山口の身体は弾かれたように宙へ浮いた。
「ぐっ――!」
そのまま数メートル後方へ吹き飛び壁へ激突する。
教室中に鈍い音が響いた。
山口の身体が床へ落ちる。
誰も声を出さなかった。
翔馬は呆然としたまま、与志野を見ていた。
エルサも、田野も。
与志野は自分の人差し指を見つめていた。
まるで――
そこで何が起きたのか、自分自身が一番分かっていないようだった。




