19話 ラスボス
廃工場を裏口から抜けた二人はそのまま林の中へと逃げ込んだ。
木々の間を縫うように進む。遠くからはまだサイレンの音が聞こえていた。
「痛っ……」
翔馬が顔をしかめ、足を引きずる。
「もうちょっと我慢しろよ。あと十分くらい歩けば住宅街に着く、そこでタクシーでも拾おうぜ」
「お前、金持ってんのか?」
「……」
与志野の足が止まった。
「……俺に払わせんのかよ……」
「俺は別にこのまま歩いて帰ってもいいぜ?」
「お前に人の心は無いのか?」
翔馬が恨めしそうに睨むと与志野は肩をすくめた。
「てかこんな血ダラダラ出してる奴タクシー乗せてくれるかな?」
「いや……呼ぶ車を間違ってるって言われるだろうな」
「じゃあやっぱ救急車呼ぶか?」
「そしたら逃げた意味ねえだろ!てかそれでサメとさわと同じ病院に搬送されたらヤバいぞ」
静かな林の中に二人の言い争う声が響いた。
つい数分前まで命を懸けて戦っていたとは思えないやり取りだった。
それでも二人とも笑ってはいなかった。
疲労も、痛みも、失ったものの重さも、何ひとつ消えてはいない。
ただ今はこうしてくだらない話をしながら歩けることが少しだけありがたかった。
――ブシュッッ。
突然、下から何かが噴き出すような音がした。
翔馬と与志野はほぼ同時に足元へ視線を落とした。
そこには地面を濡らす血溜まりができていた。
翔馬の片足から相変わらず血が絶え間なく流れ出している。
「この血の量……結構やばいんじゃねえか?」
与志野は血溜まりを見つめ、顔をしかめた。
「そうだな……急いだ方が……」
翔馬の言葉が途切れた。
同時に足も止まる。
「おい、止まるなよ」
「与志野……」
「何突っ立ってんだよ。痛いのは分かるけど、進まなきゃ……」
「違う、与志野……この……この血溜まりは……!」
「え?」
翔馬の顔からみるみる血の気が引いていく。
足元を指さし、震える声で叫んだ。
「与志野!!これは……お前の血だ!!」
「え……?」
――ボタッ、ボタッ。
与志野の足元に血の雫が落ちた。
彼はゆっくりと視線を下げる。
右脇腹が真っ赤に染まっていた。
「……は?」
与志野の顔が一瞬で青ざめた。
「な……!?ぐっ!?」
「どこ行くつもりだ?お前ら」
背後から聞こえてきた声。
聞き覚えのあるその声に翔馬の背筋を冷たいものが駆け抜けた。
まさか。
そんなはずはない。
だが、振り返る前から分かっていた。
「まだラスボス戦が残ってるぜ」
翔馬と与志野はゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは――。
「優大っ!!」
「サメから倒したって連絡があったから来てみたらよぉ〜……こりゃたまげたぜ、おい」
優大は二人を見比べると面白そうに口角を吊り上げた。
「おまけにさわのやつは黒焦げで救急車に乗せられてるしなー、あれ……お前らがやったのか?」
「……!」
翔馬の身体が強張った。
目の前にいる男はサメやさわとは明らかに違う。
これまで自分たちを追い詰めてきた連中の頂点に立つ男。田野を傷つけ、仲間たちを脅し、逆らう者を容赦なく排除してきた張本人。
(無理だ……)
翔馬は奥歯を噛み締めた。
(この負傷で優大となんて……!勝てる訳ない!)
足は傷つき、血は止まらない。隣の与志野も右脇腹から出血している。
まともに戦える状態ではなかった。
「なあ、何か答えろよ。無視なんて寂しいじゃねえか」
優大はわざとらしく肩をすくめた。
そして次の瞬間――。
ガチャッ!
「シカトこくならよぉ……」
再び拳銃を構え、銃口を二人へと向ける。
「身体に聞いてみるか!?クソ野郎共!!」
「ッッ!!Double Step!!!」
――ドンッッ!!!
衝撃が走り、地面が割れる。
銃声が林の中に響き渡った。
銃弾が翔馬の頬をかすめ、背後へと抜けていった。
地面を踏み込む轟音が銃声をかき消す。
翔馬は与志野の身体を抱え込み、片足に力を集中させた。
だが――。
ズキッ……!
「ぐっ!!」
激痛が足を駆け上がる。
翔馬の顔が苦痛に歪んだ。踏み込んだ足からさらに血が滴り落ちる。
(ダメだ……!この足じゃ遠くまでは行けねえ!)
加速できる距離には限界がある。
無理に能力を使えば足が完全に動かなくなるかもしれない。
(この夜の闇と林に紛れるしかねえ……!)
翔馬は歯を食いしばり、与志野を抱えたまま木々の間へと飛び込んだ。
背後にはまだ優大がいる。
逃げ切れる保証などどこにもなかった。
「ハァ、ハァ、ハァ……!」
二人の荒い呼吸が夜の林に響き渡る。
「しょ、翔馬……ぐっ……大丈夫だ。もう自分で歩ける……」
「与志野……傷は?」
「お前に比べれば、幾分マシだよ……」
(嘘だ)
翔馬は与志野の様子を横目で見た。
右脇腹を押さえる手の隙間から大量の血が流れ出している。顔は青ざめ、額からは汗が止まらない。
どう見てもマシと言える状態ではなかった。
(ヤバいぞ、こんな状態で……どうすればいい?どうするのが正解だ?)
翔馬の頭の中で焦りばかりが膨らんでいく。
「とりあえず……何とかして逃げ切ってこの傷を……治療してもらわないと……」
「分かってる……って言っても歩いて行ける距離に病院はねえし……」
――パンッッ!!!
乾いた銃声が夜の林を切り裂いた。
翔馬の言葉が途切れる。
次の瞬間、その身体が衝撃で宙に浮いた。
鮮血が月明かりに照らされ、隣にいた与志野へと降りかかる。
「ゔっ……!」
与志野は目の前で起きたことを理解できず、息を呑んだ。
そして――。
「翔馬ァァァァァ!!!」
絶叫が林の中に響き渡った。




