第8話 攻略不能キャラ
教会で見た銀髪の少女が、頭から離れなかった。
白い服。
淡い銀色の髪。
少し遅れる聖歌。
真面目そうな顔。
情報が少ない。
少なすぎる。
だが、俺の中の攻略不能サブキャラ一覧が、かなり大きめの音を立てていた。
たぶん、あれはノエル・アシュベルだ。
白燭教会に育てられた神学生見習い。
原作では王立高等学院に入ってから出会う、生きている女性サブキャラの一人。
攻略対象ではない。
なのに、やたら印象に残る。
信仰に真面目で、言葉を雑に扱わない。
教会側の人間なのに、教義そのものには誠実。
掲示板では、よく言われていた。
「ノエルルートどこ?」
ない。
少なくともゲームにはなかった。
だからこそ、気になる。
あの子が本当にノエルなら、俺は原作よりずっと早く出会ってしまったことになる。
ただし、今の俺には致命的な問題がある。
五歳児である。
五歳児がいきなり、教会の廊下で見かけた銀髪の少女について、家族構成、所属、将来の学院進学予定を尋ねたら不自然すぎる。
不自然どころではない。
普通に怖い。
なので、情報収集は慎重にやる必要があった。
またこのパターンか。
このゲーム、聞きたいことを聞くまでの手順が多すぎる。
◆
次の定期観察までのあいだ、俺は母にそれとなく聞いてみることにした。
それとなく。
子どもらしく。
無邪気に。
これが難しい。
俺の中身は、未発見グランドルートを探して何十周もした考察厨である。
質問がどうしても重くなる。
―あの銀髪の少女は、教会所属の孤児ですか。将来的に神学生になる予定はありますか?
駄目だ。
五歳児ではない。
面接官だ。
なので、俺はかなり削った。
「おうた、いた」
母は裁縫の手を止めて、こちらを見る。
「教会で?」
「うん。こども」
「ああ、聖歌隊の子どもたちね」
「せいかたい」
「ええ。白燭教会では、子どもたちが聖歌を覚えるの。灯の前で歌うのよ」
なるほど。
聖歌隊。
イベント名としては普通。
だが、教会ルートの伏線置き場としてはかなり怪しい。
俺はさらに踏み込む。
「しろい、かみ」
「白い髪の子?」
「うん。ちいさい」
母は少し考えた。
「教会には、孤児院から来ている子もいるわ。お名前までは分からないけれど」
孤児院。
来た。
ノエル・アシュベルは、たしか孤児院出身だった。
設定資料集の人物欄に、そう書いてあったはずだ。
だが、まだ確定ではない。
俺はもう少し聞こうとして、やめた。
母が俺を見ている。
優しい目だ。
でも、その奥に少しだけ不安がある。
この子は、どうして教会の子どもに興味を持ったのか。
そう思われている気がした。
危ない。
好奇心旺盛な子どもとしては許される。
しかし、教会に強い関心を持つ黒痣の子どもは、かなり危ない。
俺はすぐに軌道修正した。
「おうた、きれい」
母はほっとしたように笑った。
「そうね。今度、エリアスにも歌ってあげるわ」
セーフ。
情報は少し取れた。
代償として、子守歌が一曲増えた。
悪くない。
たぶん。
◆
父に聞くのは、もっと難しかった。
父レオンは、教会の話になると表情が硬くなる。
元から硬い顔だが、さらに硬くなる。
石像に防御魔術をかけたみたいな顔になる。
ある夜、父の書斎で『王国初等地理』を見せてもらっていた時、俺は地図から顔を上げた。
「ちちうえ」
「何だ」
「きょうかいの、こども」
父の視線が止まった。
やっぱり止まるよな。
「何か言われたのか」
「ううん。うたってた」
「そうか」
父はそこで一度、手元の書類を閉じた。
「エリアス。教会の子どもたちに不用意に近づくな」
来た。
父の警戒モードである。
「なんで」
「お前は、目立たぬ方がいい」
「ぼく、めだつ?」
父は答えなかった。
答えないのが答えだった。
左手。
黒痣。
定期観察。
王都教会。
この家にとって、教会は必要な相手であり、怖い相手でもある。
父は続けた。
「教会は善き場所だ。だが、何でも話してよい場所ではない」
おお。
父、かなり本質を突いている。
教会の真相を知らないくせに、危険な空気だけはちゃんと感じ取っている。
有能。
いや、面倒くさい方向に有能。
俺は子どもらしく頷いた。
「わかった」
分かっていないふりをして、分かっている。
こういうの、だいぶ得意になってきた。
嬉しくはない。
◆
次の定期観察の日が来た。
俺は灰色の手袋をつけ、母に髪を整えられ、父に何度も「左手を出すな」と言われてから馬車に乗った。
もう慣れた流れである。
慣れたくはなかった。
白燭教会は、相変わらず白かった。
石の壁も、燭台も、法衣も、祈りの言葉も白い。
白いものが多すぎる場所は、逆に怖い。
汚れが目立つからだ。
マティアス司祭は、いつものように穏やかだった。
俺の体調を聞き、左手の手袋を確認し、簡単な祈祷をした。
黒痣は少し熱くなった。
だが、前よりは小さい。
俺は呼吸を整えた。
大きく吸う。
吐く。
泣かない。
泣くのは便利だ。
だが、いつまでも泣いて検査を止めるわけにはいかない。
五歳になった俺は、少しだけ学んでいる。
泣き声は赤ん坊用の緊急回避コマンド。
成長すると使いにくくなる。
今後は呼吸で耐える必要がある。
黒痣の熱は、ゆっくり引いた。
マティアスは何かに気づいただろうか。
分からない。
彼はただ、記録板に何かを書き込んだ。
やめてほしい。
人の人生を勝手にログ化するな。
◆
検査のあと、父と母がマティアスと話している間、俺は廊下の端に立っていた。
逃げない。
走らない。
左手を見せない。
五歳児にしては、かなり高度な待機である。
その時、聖歌が聞こえた。
細い声がいくつも重なっている。
前に聞いたのと同じだ。
俺は廊下の奥を見た。
白い服を着た子どもたちが、燭台の前で歌っている。
その中に、あの銀髪の少女がいた。
いた。
やっぱりいた。
少女は小さな聖歌集を両手で持っていた。
他の子どもより、ほんの少し遅れて口を動かしている。
声は細い。
でも、まっすぐだった。
俺は思わず見てしまった。
少女がこちらに気づく。
目が合った。
まずい。
見すぎたか。
俺が迷っていると、少女は一瞬だけ驚いて、それから小さく頭を下げた。
俺も反射で頭を下げた。
五歳児同士の礼。
たぶん、かなりぎこちない。
それだけだった。
イベントは発生しない。
選択肢も出ない。
好感度上昇の音もしない。
だが、なぜか心臓が少し速くなった。
ゲームで王立高等学院に入ってから出会うはずの人物かもしれない。
それとも、ただの教会の子かもしれない。
分からない。
ただ、ひとつだけ分かる。
ゲームでイベントが始まる前から、人はそこにいる。
俺が知らなかっただけで、生きている。
この事実、地味に重い。
そして、少しだけ面白い。
◆
帰り際、廊下で小さな音がした。
ぱさり。
少女の聖歌集が床に落ちていた。
他の子どもたちは列を作って移動している。
少女だけが、少し慌てて戻ろうとしていた。
俺は近かった。
拾える。
ただし、拾うには左手ではなく右手を使う必要がある。
左手は見せない。
これは絶対だ。
俺は少しぎこちなくしゃがみ、右手で聖歌集を拾った。
五歳児のしゃがみ動作、わりと危険である。
転ばなかった自分を褒めたい。
少女が近づいてくる。
「あ、ありがとう……ございます」
声が小さい。
でも、発音は丁寧だった。
「どうぞ」
俺は聖歌集を差し出した。
もちろん右手で。
少女は受け取り、もう一度頭を下げた。
その時、奥から女性の声がした。
「ノエル、列に戻りなさい」
心の中で、何かが鳴った。
ノエル。
やっぱり。
ノエル・アシュベル。
攻略不能サブキャラ。
白燭教会の神学生見習い。
信仰と教義で、いつか俺の前に立つ少女。
ただし、今はただの小さな女の子だった。
少し大きめの白い服。
抱え直した聖歌集。
緊張で赤くなった頬。
設定資料集の人物ページより、ずっと小さい。
ゲーム画面の立ち絵より、ずっと頼りない。
でも、ちゃんと生きている。
ノエルは列に戻る前に、もう一度だけ俺を見た。
俺は何も言えなかった。
言ったところで、何を言うんだ。
はじめまして、将来あなたとは教義の矛盾について激論する予定です。
怖すぎる。
俺は黙って頭を下げた。
ノエルも、小さく頭を下げた。
それだけ。
それだけだった。
だが、ゲームにはなかった出会いだった。
◆
馬車に乗る直前、父が俺の肩に手を置いた。
「教会の子と話したのか」
見られていた。
やはり父、油断ならない。
「ほん、ひろっただけ」
「そうか」
父はそれ以上聞かなかった。
ただし、安心した顔ではなかった。
この家の大人たちは、基本的に安心しない。
母も、父も、マティアスも。
もちろん俺も安心していない。
安心している人間が一人もいない定期観察。
馬車が動き出す。
窓の外で、白燭教会の尖塔が少しずつ遠ざかっていく。
俺は手袋をした左手を膝の上に置き、右手で軽く押さえた。
ノエルとは、原作より早く出会った。
ただ、それだけだ。
好感度が上がったわけでもない。
ルートが開いたわけでもない。
聖歌集を拾っただけ。
でも、それだけで十分だった。
ゲームにない行動をすれば、ゲームにない出会いが起きる。
なら、きっと他にもある。
まだ見ていない人。
まだ行っていない場所。
まだ選べなかった選択。
原作のイベントが始まる前から、この世界はちゃんと動いている。
なら俺も、イベント開始まで待つ必要はない。
まずは、子どもとして怪しまれない範囲で。
少しずつ。
地味に。
世界を救う準備、やっぱり絵面が弱い。
でも、悪くない。




