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第八話 カブト山観音 見参!!

 

「さあ来ました! 本日の結びの一番!」

 

実況アナウンサーの張った声が、国技館へ響き渡る。

観客席から大きな歓声が上がった。

結び。

しかも相手は横綱 山嵐唯我独尊。

館内の熱気は、すでに最高潮だった。

実況席のアナウンサーも興奮を隠しきれていない。

モニターへ目を向けたまま、大きく息を吸い込む。

 

「東からはメカ大関、カブト山ぁぁぁっ!! ……え!? え!?」

 

声が裏返った。

実況席がざわつく。

観客席からも、どよめきが広がった。

 

「……なんだ?」

「え?」

「カブト山……?」

 

東の花道。

そこを歩いてくる鋼鉄の巨体に、誰もが目を奪われていた。

 

メカ大関 カブト山。

間違いない。

黒鉄の装甲。

胸部で脈打つ赤い炉心。

首元から漏れる白い蒸気。

その姿は、いつもと同じだった。

 

だが――何かがおかしい。


カブト山は両手を胸の前で合わせながら、ゆっくりと花道を進んでいた。

歩幅も小さい。

重々しいはずの足取りが、妙に穏やかだった。

 

 シュポ……シュポ……。

 

首元から漏れる蒸気まで静かに見える。

いつものように荒々しく噴き上がらない。

まるで湯気だった。


さらに異様だったのは、その顔だ。

赤い眼光は細く落ち着き、口元はわずかに緩んでいる。

怒りでも威圧でもない。

どこか柔らかい。

笑っているようにすら見える。

アルカイックスマイルだ。

 

観客席のざわめきが大きくなる。

 

「どうしたんだ……?」

「別人みたいだぞ」

「いや、逆に怖ぇよ……」

 

実況アナウンサーも困惑したまま言葉を探していた。

 

「カ、カブト山……その……今日は、ずいぶん雰囲気が違いますね……?」

 

隣の解説役も、腕を組んだまま首をひねる。

 

「……冷静に......なろうとしてるんでしょうかね」

 

声に戸惑いがこもる。

だが、その視線は花道の先から離れない。


鋼鉄の大関は、何も言わず歩き続ける。

静かに。

穏やかに。

そう、まるで観音像みたいに。

 

観客席がざわつく。

親方衆も顔を見合わせていた。ミント山親方は胃を押さえている。

実況席では、アナウンサーが言葉を探すみたいに何度も口を開きかけていた。

解説役も腕を組んだまま、困ったように首をひねっている。

いつものカブト山ではない。

誰の目にも、それだけははっきりわかる。


だが――。

その空気の中で、たった一人だけ。

露骨につまらなそうな顔をしている男がいた。

横綱、山嵐唯我独尊。

 

「……フン」

 

鼻を鳴らす。

山嵐は観客のざわめきにも、実況席の戸惑いにも興味を示さない。

ゆっくりと土俵中央へ歩を進める。

一歩。

また一歩。

白い化粧まわしが揺れるたび、巨大な肉体の圧が場内へ滲み出していく。

その姿には、普段通りの凶暴な迫力があった。

いや――むしろ、静かな分だけ余計に怖さが際立つ。

山嵐は土俵中央で足を止める。

そして、真正面からカブト山を見た。

視線がぶつかる。

だが。

カブト山は何の反応も示さない。

蒸気を荒々しく噴き上げることもなく、肩をいからせることもない。

両手を胸の前で合わせたまま、静かに立っている。

その顔には、薄い微笑みさえ浮かんでいた。

 

 シュポ、シュポ

 

山嵐の眉が、わずかに動く。

  

「……なんだそりゃ」

 

小さく漏れた声。

それは呆れだったのか。

それとも――失望だったのか。


山嵐は、ふと片腕を持ち上げた。

そして天井を指さす。

観客の視線が、つられるように上へ向いた。

 

国技館の天井。

そこには不自然な修理跡が残っている。

周囲より新しい木材。

わずかに違う色。

継ぎ接ぎみたいな補修の痕。

 

誰もが知っていた。

先場所。

メカ大関の上半身が勢いよく飛んでいき、ぶち抜いた場所だ。

山嵐はその修理跡を指したまま、ゆっくりと口角を吊り上げる。

 

「おい」

 

その声に、場内が静まった。

 

「地球は青かったかよ」

 

そして――

 

「ヒャーハッハッハッハ!!」


横綱が腹の底から笑う。

豪快な笑い声が国技館に響き渡った。

観客席からも、つられて吹き出す声が漏れる。

あまりにも有名になった珍事だ。

笑うなという方が難しい。

山嵐は肩を揺らしながら笑い続ける。

まるで子供が気に入った悪戯を何度も蒸し返すように。

 

「イーヒッヒッヒ、どうなんだよ」

 

目尻に浮かんだ涙を指で拭う。

 

「宇宙人に大事な小ネジでも取られたか?」


ドッ、と館内に爆笑の渦が巻き起こる。

 

だが。

カブト山は動かなかった。

両手を胸の前で合わせたまま。

静かに立っている。

柔和な顔。

穏やかな眼差し。

まるで観音像そのものだった。

しかし。

 

 ピクリ。

 

眉が、わずかに動く。

それだけ。

 

カブト山が塩を撒くためにくるっと振り返った。

その瞬間。


「ヒィーッ」


観客席のどこかから小さな悲鳴が上がった。

それをきっかけに、ざわっ、と場内の空気が広がっていく。

 

「お、おい……」「顔……」「今……」

 

ざわり、と観客席が揺れる。

実況席のアナウンサーも思わず言葉を失った。

振り返った時には、すでにその顔は別人だった。


先ほどまで浮かべていた穏やかな微笑みは跡形もない。

眉間には深い皺。

ぎらつく赤い眼光。

噛み締められた口元。

鋼鉄の頬装甲が軋み、関節部からは蒸気が吹き漏れている。


 ピィィィィーーー!!


怒っている。

誰の目にも明らかだった。観音のようだった顔は消え失せていた。

そこにいるのは怒りを押し殺している者の顔だ。

今にも爆発しそうな感情を、無理やり胸の奥へ押し込めている。

そんな顔だった。

それでもカブト山は何も言わない。

ただ無言のまま塩箱へ歩み寄る。

ギギっと鋼鉄の関節が低く軋む。


――おどりゃあ、あのクソガキ。


胸の奥で煮えたぎる怒りを押さえ込みながら、カブト山は塩箱へ手を伸ばす。

むんずと塩を掴む。

そして――振りかぶった。

 

 ズダンッ!!

 

国技館に散弾銃を打ったような凄まじい音が響く。

撒いたというより、叩きつけた。

土俵の砂が弾け飛び、白い塩がに四方へ飛び散る。

最前列の観客が思わず身を引いた。


 プシュゥゥゥ……。


関節部から蒸気が吹き上がる。

カブト山は鬼のような形相で山嵐を睨みつけていた。

赤い眼光が燃えている。


それを見て。

山嵐は満足そうに口の端を歪める。

 

「そうこなくっちゃな」

 

小さく呟く。

横綱は静かに塩を掴んだ。

ただ自然に腕を上げる。


 スパンッ。


乾いた音。

それは一本の刀が空を斬ったような音だった。

白い塩が一本の線となって舞う。


怒りを叩きつけるカブト山。

静かに斬り捨てる山嵐。


対照的な二人の姿に、場内の空気がさらに張り詰めていく。


カブト山の顔がますます赤くなっていく。

胸部炉心の光は明らかに強くなり、頬装甲の隙間から赤い光が漏れていた。

 

 プシュゥゥゥ!プシュゥゥゥ!

 

関節部から蒸気が噴き上がる。

肩、肘、背部排熱口から。

怒りに呼応するように白煙が吹き出し続ける。

 

「お、どうやらいつものメカ大関が帰ってきたようです」

  

場内から拍手と歓声が起こる。

なぜか安心したような空気さえ漂っていた。

 

「気合は十分!!」

「四度目の正直か!!」

「過去三回の雪辱を――」

  

両力士が土俵中央へ歩み寄る。

鋼鉄と肉体。

怪物と怪物。

 

アナウンサーが絶叫した。

 

「晴らせるんでしょーかぁぁぁぁぁっ!!」

 

歓声が爆発する。

国技館が揺れた。

 

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