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第六話 奥の手3

館内が揺れていた。

国技館を埋め尽くした観客たちの歓声が、幾重にも反響し、巨大な渦となって土俵へ降り注いでいる。

実況席から見下ろす景色は、まるで祭りだった。

 

「さあ来ました! 本日の結びの一番! 東からはメカ大関、カブト山ぁぁぁっ!!」


実況アナウンサーの絶叫に、場内の熱がさらに跳ね上がる。

ざわざわ、どよめき、そして期待を押し殺しきれない笑い声の混じったざらついた歓声。

そのすべてが、土俵の中央へと収束していく。


東の花道。

そこで、重々しい駆動音が鳴った。


 ギィ……ギギギ……。


金属の足が床板を踏みしめるたび、低い振動が実況席の机にまで伝わってくる。

現れた。

鋼鉄の巨体。

肩を覆う黒鉄の装甲。

胸部中央で脈打つ赤い炉心。

首元からは白い蒸気が細く漏れ、まるで猛獣が息を吐いているみたいだった。


「今日もすごい迫力ですねぇ……!」


隣の解説者が思わず唸る。

カブト山は歓声など気にも留めない。

一歩。

また一歩。

そのたび、観客席がどよめく。


子供が身を乗り出し、年寄りが目を細め、

若い客たちはスマートフォンを掲げていた。

鋼鉄の大関は、静かに土俵へ上がる。


そして――西。

空気が変わった。


「対する西! 横綱ぁぁぁっ!! 山嵐ぃぃぃっ!!」


歓声の質が変わる。

熱狂というより、畏怖。

白い化粧まわしを揺らしながら現れた横綱は、ゆっくりと花道を進む。

その姿には、一切の無駄がない。

巨大な肉体。

岩みたいに盛り上がった肩。

獣じみた鋭い眼光。


実況席からでもわかる。

ただ歩いているだけなのに、周囲の空気が張り詰めていくのだ。

山嵐は土俵へ上がると、真正面からカブト山を見据えた。


鋼鉄と人間。


二つの怪物が、土俵中央で向かい合う。

館内のざわめきが、すぅっと静まっていく。


横綱が、何かを言った。

口元だけをわずかに歪めながら。


実況席までは届かない。


だが――。


次の瞬間。


 プシュゥゥゥゥゥ……ッ!!


カブト山の全身から蒸気が噴き上がった。

肩部。

肘関節。

背部排熱口。

一斉に白煙が吹き出し、赤い炉心がドクン、と脈動する。


「おおっと!? これはぁっ!!」


実況が叫ぶ。

「うおおおぉ」「なんだ今の」観客席がどよめいた。


カブト山は動かない。

だが、鋼鉄の拳だけがギリギリと音を立てて軋んでいる。

怒っている。

実況席にいる誰もが、そう直感した。

横綱は、不敵に笑っていた。

 

「これは面白くなりそうですねぇ……」


解説役が腕を組みながら、感心したように呟く。

視線の先では、土俵中央で睨み合う二つの巨体。

鋼鉄の大関と、無敗の横綱。

館内には、張り詰めた空気が満ちていた。


「これまでの戦績は、山嵐の二勝」


解説役は静かに続ける。


「ですがね……」


そこでわずかに口元を緩めた。


「あの横綱を、ほんの一瞬でも怯ませた力士は、これまでカブト山だけなんですよ」


観客席がざわつく。

実況席から見える横綱・山嵐唯我独尊は、今もなお不敵な笑みを浮かべていた。


「見てください」


解説役が顎をしゃくる。


「カブト山のあの顔」


実況席のモニターに、メカ大関の顔が大写しになる。


赤い眼光。

軋む鋼鉄の頬。

そして、獲物を逃がすまいとするような鋭い視線。

首元から漏れる蒸気が、怒りみたいに白く揺れていた。


「殺気に満ちていますよ」


 ギリ......ギリギリ……。


カブト山の拳が音を立てる。

対する山嵐は、余裕の笑みを崩さない。

まるで、それすら愉しんでいるようだった。

実況アナウンサーが、大きく息を吸い込む。


「無敗の横綱・山嵐唯我独尊――」


 場内が静まり返る。


「メカ大関 カブト山は、ついに土をつけることができるのでしょうかぁぁぁっ!!」

 

 ◇

 

「許さない……絶対に......」


カブト山の巨大な拳が、ぎり、と軋む。

装甲の内側でトルクが上がり、関節部からかすかに火花のような光が走った。

握りしめた手のひらの内部で、細かな部品が押し合いかすかな金属音を立てる。


 見合って、見合って――


行司の声が、土俵に張りつめた空気を割る。

だがその声が遠く聞こえる。

横綱・山嵐唯我独尊が、不敵な笑みを浮かべている。


頭の中を満たしているのは――さっきのあの一言。


 『今日は、その小汚い小ネジはしまっておけよ』


山嵐は笑っていた。

まるで心底おかしそうに。

口元を歪め、肩を揺らしながら。

あの顔が、焼き付いて離れない。


――誰が......小ネジだ

 

胸の炉心がドクン、と脈打つ。

怒りで視界が熱い。

 

 プシュゥゥゥ――――ッ

 

カブト山の関節から蒸気が吹きあがる。

巻き上げられた白い砂塵が二人の間で踊った。

 

「誰が......」

 

赤い眼光が燃え上がる。


「誰が!! 小ネジだぁぁぁぁっ! 」

 

怒声が国技館へ轟いた。

場内が揺れる。

観客席の子供がびくりと肩を震わせた。

それでも山嵐は笑っていた。

声には出さない。だが、わかる。

目だ。あの目が笑っている。

怒りのボルテージが限界まで跳ね上がる。


行司の声が飛ぶ。

 

「はっけよい」


聞こえない。

カブト山の耳には、もう何も届いていなかった。

だが、その言葉を境に――

山嵐の目つきが変わる。

すっと笑みが消えた。

細められていた瞳が開く。

鋭く、獰猛に。まるで獲物の喉元へ噛みつく寸前の獣。


空気が変わる。


「――のこったぁぁぁ!!」


行司の声が響いた瞬間だった。

カブト山が爆ぜる。

 

 ドンッ――!!


轟音。

鋼鉄の巨体が土俵を蹴った瞬間、砂が爆発みたいに跳ね上がる。

観客席の最前列まで、白い粒がばら撒かれた。

速い。

通常の立ち合いではありえない初速。

背部排熱口から噴き出した蒸気が白い尾を引き、メカ大関の巨体が一直線に突進する。

 

「うおおおおおおっ!!」


実況席が絶叫する。


「カブト山ぁぁ!! 突っ込んだぁぁぁっ!!」

 

怒りに任せた一撃必倒の立ち合い。

迷いも、駆け引きもない。


ゆえに――気づけなかった。

山嵐の右ひじが静かに待ち構えていたことに。

次の瞬間。

 

 ゴキっ。

 

嫌な音が響く。

鋼鉄の首部フレームが軋み、カブト山の頭部が大きく跳ね上がった。

鋭く突き上げられた横綱の右肘が、下からカブト山の顎を打ち抜いている。

思わぬ角度。

死角から潜り込むような、凶悪なかち上げ。

 

「がっ――!?」


視界が揺れる。赤い光が瞬く。

しまった――。

そう思った時には、もう遅い。

山嵐は止まらない。

獣みたいな鋭い目のまま、一歩踏み込む。

踏み込みと同時。

左腕が唸る。

 

 バキィィィンっ!!

 

横綱の張り手が炸裂する。

分厚い掌が鋼鉄の頬装甲へ叩き込まれ、衝撃で火花が散った。


一瞬、意識が飛びかける。

視界が白く弾けた。

顎から脳天へ突き抜けた衝撃で、平衡感覚が狂う。

そして、その隙を――

横綱 山嵐唯我独尊は見逃さない。

 

 ガシッ


両腕を伸ばし、分厚い指をカブト山の回しへ深く食い込ませる。

まるで鋼鉄の杭を打ち込むように。

 

「しまっ――」

 

気づいた時にはもう遅い。

山嵐の腰が落ちる。低く。異常なほどに低く。

筋肉の塊みたいな脚が土俵を噛み、全身の力が一気に前へ伝わる。

 

 ズズズッ


カブト山の体が押されはじめる。

足裏が砂を削る。

横綱の顔に獰猛な笑みが浮かぶ。

 

「ツンドラまで押し出してやるぜぇぇぇぇ!!」

 

山嵐が吠える。その瞬間、さらに力が乗った。

カブト山は不利な体勢のまま、ズルズルと後退していく。

土俵際が近い。


――負ける。

 

その言葉が、脳裏をよぎった。

山嵐の圧力は衰えない。

むしろ、獲物を追い詰めた獣みたいに勢いを増していた。


「終わりだぁぁぁっ!!」


実況席が叫ぶ。

観客席が総立ちになる。


その時だった。不意に、ある声が頭の奥で蘇る。


『肘のボタンを押すんだ』

 

ダイジョバナイ博士。

白衣をばたつかせながら、自信満々に叫んでいた顔が脳裏に浮かぶ。

 

『ダイジョーブ、今度の作戦は完璧だよ!』

 

カブト山の目がカッと見開かれた。


――まだだ、まだ終わっていない。


押し込まれながら肘に視線を落とす。

鋼鉄の装甲に埋め込まれた、小さなスイッチ。

あった。

右ひじ、そして――左ひじに。

 

「なっ!?」

 

赤い眼光が揺れる。

 

――どっちだ……どっちだ……ッ!!

 

焦りで思考が空回りする。

山嵐の圧力は止まらない。

俵はもう、すぐ後ろだ。

その時だった。


観客席の奥から、場違いなほどよく通る声が響く。


「カブト山ーーーー!!」


国技館中の視線がそちらへ向く。

白衣に金髪。両手をぶんぶん振り回しながら立ち上がっている男。

ダイジョバナイ博士だ。

そして博士は、満面の笑みで叫んだ。


「お箸を持つ方だよーーーー!!」


カブト山の赤い目が見開かれる。

 

......箸を持つ方――右だ!

 

――ありがとう、ダイジョバナイ博士


心の中で礼を言い、右ひじのボタンを押しこんだ。

 

 カチッ

 

次の瞬間、

 

 どひゅーーーーーん!!

 

凄まじい噴射音。

観客席の誰かが「え?」と漏らした。


飛んで行った。

カブト山の上半身が。

真上に。

 

「……は?」


実況席が固まる。


胸部炉心をギラギラ明滅させながら、カブト山の上半身はぐんぐんと上昇する。


「ふおおぉぉぉぉーーー!?!?」

 

絶叫しながら眼下を見る。

そこには皆がぽかんと口を開ける国技館があった。

土俵中央で固まる行司。

総立ちの観客。

そして――。

山嵐。


さっきまで獰猛な目をしていた横綱が、今は完全に呆然とこちらを見上げている。

獣の目ではない。

“理解不能なものを見た人間の目”だった。


実況席ではアナウンサーが半狂乱になっている。


「と、飛んだぁぁぁぁぁ!? メカ大関!! 上半身だけ飛んでいったぁぁぁぁぁっ!!!」


そのさらに奥。

ミント山親方がいた。

胃を押さえている。

口から泡を吹いていた。


「親方ぁぁぁぁぁ!?」

 

次の瞬間。

下半身だけになったカブト山が、土俵の上でゆっくりと崩れ落ちる。


 ズゥン――。


巨体が倒れ、砂煙が舞った。

行司が何かを叫んでいる。

軍配を振り回しているのが見えた。

だが、もう遠すぎて聞こえない。

風の音だけが耳を打つ。


そして――


 バキィッ!!


凄まじい音と共に、カブト山の上半身が国技館の天井を突き破った。

木材と鉄骨が弾け飛ぶ。

太陽の光が、一気に差し込んだ。


青空。

どこまでも広い空。

勢いは止まらない。

上へ。

さらに上へ。

白い雲が流れていく。

風が気持ちいい。


空が......綺麗だ。


その時。

カブト山の脳裏に、ある記憶が蘇る。


白衣姿の男。

ぼさぼさの金髪。

工具を持ちながら、器用にペンを回していた手。


――あぁ、そうか。


カブト山は、静かに目を閉じた。


――博士、左利きだったな。



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