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第二十一話 ありがとう

カブト山は、カプセルの中で静かに眠る生身の肉体を見つめたまま、ぽつりと呟いた。

 

「……博士」

「ん?」

「自分って……サイボーグじゃなかったんですか?」

 

研究室が静まり返る。

博士は「あっ」と小さく声を漏らした。

そして、見る見るうちに目が泳ぎ始める。

 

「えっと……その……」

 

頭をかきながら、露骨に視線を逸らした。

 

「実は……」

 

気まずそうに笑う。

 

「後で驚かそうと思って」

「……」

「えへへ」

 

乾いた笑いだけが研究室に響いた。

カブト山は無言で博士を見つめる。

その視線に耐えきれなくなった博士は、慌てて両手を振った。

 

「ち、違うんだよ! ちゃんと理由があって!」

 

咳払いを一つ。

博士はカプセルへ視線を向ける。

 

「カブト山の今までの体はね、完全には機械じゃないんだ」

 

「……?」

 

「機械のパーツと、生体工学で培養した肉体を組み合わせたハイブリッドボディ」

 

博士はガラス越しに眠る青年を見上げる。


「だから炉心が心臓の代わりになって、神経も筋肉も全部つながってた」


「つまり……」


「うん」


博士はゆっくりとうなずいた。


「ある意味、サイボーグってわけ」


その言葉に、カブト山はしばらく何も言えなかった。

自分はずっと、鋼鉄の身体しか知らなかった。

それが自分なのだと思っていた。

なのに。

目の前には、自分と同じ顔をした、生身の身体が眠っている。


「本当はね」


博士が照れくさそうに笑う。


「もっとムキムキに改良してから渡そうと思ってたんだけど……」


そう言って、青年のたくましい腕を指差した。


「胸板ももっと厚くして、背中も広くして、筋肉も今の一・五倍くらい――」


そこまで言って、ダイジョバナイ博士は言葉を止めた。

表情が曇る。


「……ごめんね」


申し訳なさそうに眉を下げる。


「怪我を治したところまでしか……できなかったんだ」


その声には、悔しさが滲んでいた。

博士は俯き、小さく拳を握る。

 

「もう少しでカブト山バージョン2が完成だったんだけど」

 

カブト山は静かにカプセルの中の自分を見つめた。

そこに浮かぶ肉体は、確かに傷跡は消えていた。

だが博士の言葉どおり、まだ完成ではない。

それでも。

その胸は、確かに上下していた。


生きている。


その事実だけで、胸の奥に小さな灯がともるのを感じていた。

カブト山は、カプセルの中で眠る自分自身を見つめたまま、小さく息をつく。

 

「……じゃあ」

 

その声には、わずかな期待と、信じきれない戸惑いが混ざっていた。


「また、相撲を……」


博士は、優しく微笑む。


「うん。取れるよ」


その一言に、カブト山の瞳が揺れた。

だが博士は、すぐに笑顔を引っ込める。


「ただね」


カプセルへ視線を移す。


「この肉体は、怪我をした時のままなんだ」


静かな声だった。


「傷は治した。でも、それだけ。筋肉も、反射も、身体能力も、あの頃のまま」


博士はゆっくりと振り返る。


「つまり、一から鍛え直し」


少し間を置いて、静かに問いかけた。


「……それでも……また、土俵に戻るの?」


その言葉、


土俵に戻る。


その五文字が、カブト山の胸を深く打った。

もう失われたはずの炉心。

もう砕け散ったはずの心臓。

それなのに。

 

ドクン。

 

そんな鼓動が聞こえた気がした。

脈打つはずのない胸の奥で、何かが確かに震える。


土俵。

土と砂の匂い。

観客の歓声。

立ち合いの緊張。

命を懸けてぶつかり合った日々。


そして最後に味わった、恐怖。

山嵐唯我独尊。

あの背中。

あの失望の眼差し。

あの一言。


『テメェもか、ブリキ野郎。』


カブト山は静かに目を閉じる。

そして、迷いなく開いた。


「……はい」


その返事は短かった。

だが、一切の迷いはない。


「自分は、もう一度土俵に立ちたいです」


博士は、その言葉を待っていたかのように、にっと笑った。


「うん!」


勢いよく頷く。


「そう言うと思ってた!」

 

「でも……」


カブト山はカプセルの中の肉体へ視線を向ける。


「どうやって、俺はこの身体に……?」


博士は白衣のポケットへ手を突っ込み、得意げに人差し指を立てた。


「記憶をダウンロードさせる。」


カブト山が目を瞬かせる。


「ダウンロード……?」


「そう」


博士は胸を張る。


「君が土俵で積み重ねてきた経験。何万回と繰り返した稽古」

「勝利も、敗北も。泣いた日も、笑った日も」

「全部!」


博士はカブト山を真っ直ぐ見つめる。


「そのための準備を、ボクはずっとしてきたんだ」


研究室の奥で、静かに機械が駆動音を響かせる。

眠る肉体。

頭部だけとなったカブト山。

そして、その二つを繋ぐために作られた装置。


博士は眼鏡をくいっと押し上げ、不敵に笑った。


「さあ、すぐに始めよう。この頭部がいつまでもつかわからないからね」

「カブト山第二章の始まりだ。」


 ◇

 

博士は作業台の前に立つと、ゆっくりと深呼吸をした。

先ほどまでの柔らかな笑顔は消え、そこにいるのは一人の研究者だった。

 

「それじゃあ、始めるね」

 

博士は壁際の装置へ歩み寄る。

無数のランプが灯り、静かに駆動音を響かせる巨大な機械。

その中央から、一本の黒いケーブルがゆっくりと伸びてきた。

先端には、銀色の端子。

細かな接点が幾重にも並び、精密な機械細工のような造りをしている。

博士は両手でその端子を持ち上げる。

 

「ちょっと冷たいよ。」

 

そう言って、カブト山の後頭部へ手を添えた。

そこには、普段は装甲に隠されていた小さな接続ポートがある。

博士の指先が迷いなくカバーを開く。

 

 カチッ。

 

静かな音が響いた。

 

「よし……」

 

博士は小さく息を吐き、ゆっくりと端子を近づける。

あと数センチ。

数ミリ。

そして――


 カチン


乾いた接続音が研究室に響いた。

同時に、ケーブルを伝って青白い光が走る。

 

 ピィィィィ……

 

装置が起動する。

モニターというモニターに文字列が流れ始め、無数の波形が踊り出した。

 

「接続確認」

 

博士が手元の端末を操作する。

 

「神経リンク、正常」

「記憶領域、認識」

「同期率……〇・一パーセントから上昇」

 

数字がゆっくりと動き始める。

カブト山は後頭部から、何か温かなものが流れ込んでくる感覚を覚えた。

まるで一本の道が開かれ、自分という存在が、どこか別の場所へと繋がっていくような不思議な感覚。


「……博士」


「ダイジョーブ♪」


博士は優しく微笑む。


「痛くないから」


そう言いながらも、その指先はわずかに震えていた。

この装置を動かすために費やした年月。

失敗を繰り返し、それでも諦めず積み上げてきた研究。

すべては、この瞬間のためだった。

博士は静かにモニターへ視線を向ける。

同期率は、なおも上昇を続けている。

 

そして、カプセルの中で眠り続けていたもう一人のカブト山の指先が、ほんのわずかに震えた。

 

 ◇

 

研究室に、低い駆動音が響く。


 ウィィィィン――


カプセルを満たしていた緑色の液体が、底部の排出口へと吸い込まれていく。


 ゴボ……ゴボボボ……


水位が、ゆっくりと下がる。

胸。

腹。

腰。

膝。

やがて液体が完全に抜け落ちると、眠っていた青年の全身が静かに姿を現した。

雫が鍛え上げられた肉体を伝い、床へぽたり、ぽたりと落ちていく。

研究室に、わずかな静寂が訪れる。

その時だった。

 

青年の指先が、ぴくりと動く。

続いて肩が震え、胸が大きく上下する。

ゆっくりと。本当にゆっくりと、その瞼が開いた。

黒い瞳が、ぼんやりと天井を映す。

初めて呼吸をするように、大きく息を吸う。

口元のマスクが、かすかに曇った。

 

「……」

 

博士は息を呑む。

青年はゆっくりと両腕を持ち上げた。


握る。

開く。

もう一度、握る。

指が動く。

肘が曲がる。

肩が回る。


一つ一つ確かめるように、自分の身体を動かしていく。

そして、そっと口元のマスクへ手を伸ばした。


 カチッ。


固定具を外す。

マスクを静かに持ち上げると、初めて生身の肺で空気を吸い込んだ。


「……はぁ」


短い吐息。

その声には、確かな温もりがあった。


やがてカプセルのロックが解除される。


 プシューッ!


白い蒸気が吹き上がり、重い扉が左右へ開いた。

青年は縁に手をかける。

ゆっくりと片足を外へ。

裸足が床へ触れる。

その感触を味わうように、静かに一歩を踏み出した。


生きている。


その実感を噛み締めるように。

青年はゆっくりと両手を頭へやる。

濡れた前髪を指先で掻き上げる。

さらり、と髪が流れ、額が現れる。

そのまま撫でつけるように後ろへ流すと、髪は自然とオールバックに整った。


博士が、にこりと笑う。


「どう?」


少しだけ照れくさそうに。

それでも嬉しさを隠しきれない声で尋ねる。


「元の体に戻った気分は」


青年は、自分の両手を見つめる。

ゆっくりと握る。

力を込める。

血が巡る感覚。

筋肉が収縮する感覚。

皮膚が空気を感じる感覚。

どれもが、どこか懐かしかった。


「……博士」


その一言だけだった。

けれど、その声には言葉以上のものが込められていた。


安堵。

感謝。

そして、帰ってこられたという実感。


青年――カブト山は、どこか肩の力が抜けたように、小さく笑った。


その穏やかな笑みを見て、博士もつられて笑う。


だが、その時。

ふと視界の端に、何かが映った。


作業台の上。

何本ものケーブルが繋がれた、自分の頭部。

その隣には、首から下だけになった鋼鉄の身体が、静かに横たわっている。

つい数分前まで、自分自身だった身体。

無数の傷を刻み、装甲を砕かれ、それでも最後まで土俵で戦い抜いた身体だった。

 

カブト山の笑みが、静かに消え、ゆっくりとその鋼鉄の亡骸へ歩み寄る。

肩は砕け、胸部装甲は大きく陥没し、炉心のあった場所には、痛々しい空洞だけが残されていた。

その姿を見た瞬間、胸の奥から何かが熱く込み上げてくる。

 

「……」


言葉にならない。

敗北し、壊れた身体。

もう二度と動くことのない身体。

なのに、惨めだとは思わなかった。

むしろ、誇らしかった。


この身体は、最後まで戦い抜いた。

何度倒されても立ち上がり。

何度負けても横綱へ挑み続け。

限界まで削られながら、それでも前へ出続けた。


この身体があったから、自分は大関になれた。

この身体があったから、多くの力士とぶつかり合えた。

この身体があったから、山嵐唯我独尊という、誰よりも高い山に出会えた。


そして――


一度は終わったはずの自分を、ここまで運んできてくれた。

まるで、もう一人の自分が命を繋いでくれたかのように。


「ありがとう……」


その言葉は、自然と零れていた。

心が、勝手にそう呟いていた。

目頭が熱い。

視界が滲む。


一滴。

また一滴。

頬を伝った涙が、鋼鉄の装甲へ静かに落ちる。


 ぽたり


その音だけが、静かな研究室に響いた。


博士は何も言わない。

ただ少し離れた場所で、静かに見守っていた。


カブト山は、鋼鉄の亡骸へ向かって深く頭を下げる。

 

「……お前がいたから、俺はここまで来られた」


そっと、砕けた肩へ手を置く。

冷たい鋼鉄。

けれど、その冷たさが、不思議と温かく感じられた。


「ありがとう」


もう一度、小さく呟く。

そして、ゆっくりと顔を上げる。

その瞳には、もう迷いはなかった。


「約束する」


静かな声だった。

だが、その一言には揺るぎない覚悟が宿っている。


「もう、情けない相撲は取らない。」


恐怖から目を逸らさない。

負けそうになっても、自分から心を折らない。

あの日、山嵐に見せてしまった命乞いの手は、二度と上げない。


それが、この身体への恩返し。

それが、自分を土俵へ送り届けてくれたもう一人の自分への、何よりの供養だった。


カブト山は最後にもう一度だけ鋼鉄の身体へ微笑み、静かに拳を握った。

今度は、この生身の拳で。

もう一度、土俵へ上がるために。

 

鋼鉄の亡骸から視線を外し、カブト山は静かに息を吐いた。

全身へと力を巡らせた、その瞬間。

 

 ふっ――

 

足元が揺らいだ。


「……っ!」


膝が折れそうになる。

とっさに近くの作業台へ手をつき、どうにか体勢を支えた。

筋肉が悲鳴を上げる。

息が乱れる。

生まれたての身体は、思うようには動いてくれなかった。

 

「ほら」

 

博士が慌てて駆け寄る。

肩へそっと手を添え、苦笑いを浮かべた。


「まだ無理しちゃダメだよ」


「でも……」


「この身体、目を覚ましたばかりなんだから」


博士は優しく肩を叩く。


「いきなり昔みたいには動けないよ。」


カブト山は悔しそうに唇を結ぶ。


博士の言う通りだった。

この肉体は生き返ったばかりだ。

神経も筋肉も、まだ完全には馴染んでいない。


焦ったところで、どうにもならない。


「次の場所まで……」


博士が壁に掛けられた予定表へ目を向ける。


「あと二か月か」


二か月。

その数字が、研究室の空気を重くする。

カブト山は何も答えなかった。

ゆっくりと身体を起こし、もう一度、拳を握る。

 

筋肉が震える。

腕が重い。

足にも力が入り切らない。

それでも、歯を食いしばり、全身へ力を込めた。


――この身体、どこまで戻せる。どこまで鍛え直せる。


確かめるように、一つ一つ筋肉へ意識を巡らせる。


まだ足りない。

あまりにも足りなさすぎる。

横綱・山嵐唯我独尊に届くには。

いや、土俵へ立つだけでも、このままでは到底足りない。


カブト山は静かに目を閉じた。


時間は、待ってはくれない。

次の本場所は、刻一刻と近づいている。

残された時間は、二か月。

長いようで――あまりにも短い。


失った身体を取り戻した。

もう一度、土俵へ上がる資格も得た。

それは、この上ない喜びだった。


だが、その喜びは長くは続かなかった。

胸の奥へ、別の感情が静かに忍び寄る。


焦り。


この身体は、まだ満足に立つことすらできない。

相撲を取るどころか、四股すら踏めるか怪しい。

それなのに、待ってくれる者は誰もいない。


稽古は進む。

力士たちは今日も汗を流し、昨日より強くなっていく。

そして何より――


横綱・山嵐唯我独尊は、この瞬間も歩みを止めてはいない。

あの男は、挑戦者が立ち止まっている間ですら、なお高みへ登り続ける。


二か月。


その間に、自分はどこまで戻せる。

どこまで鍛えられる。

どこまで、あの背中へ近づける。


答えは誰にもわからない。

だからこそ、焦りだけが胸を締めつける。


喜びは、もう十分味わった。

立ち止まっている暇はない。

一日たりとも。

いや――

一分、一秒たりとも、無駄にはできなかった。


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