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第十六話 奥の手6

 

「見合って見合ってー」

 

館内を包むざわめきが、静かに消えていく。

土俵中央、カブト山と山嵐が互いの視線をぶつけ合う。

行司が軍配を構え、高らかに声を張り上げた。

 

「はっけよい――」

 

一拍の静寂。

だが、その二つの巨体から噴き出した闘気はぶつかり合い、空間が歪んだとさえ感じさせる。

 

「のこった――!」

 

その声と同時――

 

 ゴンッ!!

 

両者の額が真正面から激突する。

鈍く思い衝突音が館内に響き渡った。

カブト山は一歩も引かない。

衝撃を受けてなお、その姿勢は次の動作に移っている。

右肘を引き、衝突の際の硬直を狙う。

必殺の張り手。この一撃で流れを掴む勝負手。

 

「くらえっっ!!」

 

だが、その腕が振りぬかれるより早く、横綱がその懐に踏み込む。

左で前まわしを押さえ、右腕を深く差し込んだ。

 

 右上手

 

横綱の十八番。

相手のまわしを右手でがっちりとつかみ、主導権を奪う最も得意とする形。

 

「しまっ――」

 

張り手が空を切り、体勢が崩れる。

その崩れた体勢を戻す前に組まれてしまった。

山嵐の右腕がまわしを万力のように捻じり上げ、左腕が完全に封じられる。

逃げられない、圧倒的に不利な形。

押しても引いてもびくともしない。

いまだかつて、この右上手から逃れられたものは――誰もいなかった。

カブト山の背中を冷たい汗が伝う。

 

 ◇

 

館内のとある一席。

ゴーグルをつけカブト山を応援するダイジョバナイ博士。

だが、その姿は控室の時とは変わっていた。

頭にはつば付きの赤いキャップ。その下からは無造作な金髪が跳ねている。

動きやすさを重視した半袖の上着は、鮮やかな青を基調に白い差し色が入り、ファスナーを開けた胸元から黒いインナーがのぞく。

手には指先の出たグローブ。

 

 ピピピピピッ

 

付けていた腕時計からアラームが聞こえる。

気づいた博士が、腕時計を操作して音を止めた。

ふぅ、と息を吐く。その顔には安堵の色が浮かんでいた。

 

「あぶない、あぶない。間に合わないとこだった」

 

眼下には、依然不利な体勢のまま土俵際へと追いつめられるカブト山。

だが、その目はまだ諦めていない。

 

 ◇

 

「ぐっ――がっ――!!」

 

どれだけもがいても、山嵐の腕から逃れられない。

じりじりと押され、すでに土俵際へと追いやられていた。

息ははずみ、胸の炉心が異常なほどに脈動する。

 

 ドクンドクンドクン 

 

(――体が爆発しそうだ)

 

人が全力を出せる時間はおよそ5秒から10秒と言われている。

それはメカ大関とはいえ例外ではない。

だが、カブト山はすでにその時間ははるかに超え、全力を出し続けていた。

それでもなお、不利な体勢から好転することはなかった。

すでに、筋繊維は破壊され、関節部からの蒸気も弱々しくなっていた。

 

(......ま、負ける)

 

山嵐の圧力は衰えない。

俵に足がかかる。

負けを確信した、その時、


 ――ドックン!!


ひときわ強く炉心が脈動した。

直後、カブト山の体が、内側から発光し始める。

最初はかすかな光。

だがそれは一瞬で強さを増し、皮膚の下から溢れ出るように全身を包み込んだ。

爆発的な白い光が館内を満たす。

 

「――なにっ!?」

 

あまりの眩しさに横綱の目が閉じられた。

視界が閉ざされた中、腕に伝わる感触が変わっていく。

思わず腕を離し、後ずさった。

 

やがて、光は次第に収まっていく。

白い視界のなか、その奥からカブト山の姿が徐々に見えてきた。

はっきりとその姿は見えないが、シルエットに違和感を感じる。

まず、頭部からすっと二本の影が見える――耳だ。

先端が黒い長い耳。

 

 トテトテ

 

かわいい足音が静かに響く。

光は完全に収まりその姿が明らかとなる。

 

丸みのある体型、大きさは変わっていない。

全身はなめらかな黄色い毛並みで覆われている。

大きな黒い瞳、赤い円形のほっぺ、小さな三角形の鼻。

短い前足としっかりした後ろ足を持ち、背中には茶色の横縞が二本入っている。

さらに特異なのはその腰。

仙骨に当たる部分から尻尾が生えていた。

尻尾は根元が茶色で、稲妻のようなギザギザの形。

その尻尾がゆらりと揺れて異質な存在感を放っていた。

 

土俵中央まで進んだカブト山が己の両手を交互に見る。

そして、ゆっくりと顔を上げた。

 

「ピィィィカァァァーーー!!(なんじゃこりゃあぁぁぁ!!)」

 

甲高い鳴き声が国技館を響かせた。

 

観客たちがどよめく。

 

「――黄色いネズミ!?」

「おい、あれって……」

「絶対そうだよな……」

 

観客席から一人の男が立ち上がる。

いつもの白衣とは違い赤いキャップをかぶり、赤と白のツートンカラーのボールを掲げるダイジョバナイ博士。

その姿はまるであの有名なトレーナー。

 

「カブト山ーーー!!」

 

その声に反応し、長い耳がくるりと声のする方向へと向く。

 

「ピィカァ!?(博士!?)」

 

「10万ボルトだぁぁぁ」

 

その言葉を聞いた途端、自然に体が反応する。

黒い瞳がまっすぐ山嵐を見据え、頬の赤い電気袋がかすかに明滅した。

 

 ――ピチッ。

 

火花が一つ弾ける。

次の瞬間、空気が震えた。

カブト山の頬から青白い電光がほとばしり、無数の火花となって全身を駆け巡る。

毛並みが逆立ち、黄金色の体がまるで小さな太陽のように輝き始めた。

 

「ピィ……カァ……!(10……万……)」


力を溜める声が低く響く。

周囲の砂がざわめき、空気には焦げたような匂いが漂った。

電気エネルギーはなおも増大し、カブト山の体の周りに幾筋もの稲妻が蛇のようにうねる。


「チュゥウォァ!!!(ボルト!!)」

 

轟音とともに、白銀の雷光が解き放たれた。

一本の稲妻ではない。

無数の電撃が絡み合い、巨大な龍のような姿となって横綱へ襲いかかる。

閃光が場内を真昼のように染め上げた。

観客席から悲鳴と歓声が同時に上がる。

雷は横綱の体を包み込み、その輪郭を白く浮かび上がらせた。

 

「ぐおおおおっ!」

 

巨体が震え、筋肉が痙攣する。

空気は焦げた匂いに満たされた。

数秒。いや、永遠にも思える時間のあと、稲光が消える。

 

山嵐の体から蒸気のような白煙が立ち上り、その巨体はかすかに震えている。

それでも、決して膝は付かない。

その姿には、王者の意地が滲んでいた。 

 

「こ……のドブネズミやろ……う……」

 

悪態をつく口からも白煙が上がる。

言い終わった途端、山嵐の黒目が反転した。

決して倒れない怪物。だが、その巨体がゆっくりと前のめりに傾きだす。

わずかに。

ほんのわずかに重心が崩れたその瞬間、館内の空気が凍りついた。


「……まさか」


誰かが息をのむ。

前のめりになった体は、もう止まらない。

巨体が地面へと吸い寄せられていく。

そのときだった。

意識とは無関係に、両腕がすっと前へ伸びる。

倒れる衝撃から身を守ろうとする、生き物としての本能。

頭を打たぬように。

胸を潰さぬように。

体が勝手に、自らを守ろうとしていた。

伸ばされた指先は宙を掻き、やがて――

 

「ピカ!?(やったか!?)」

 

行司が軍配を上げる。

 

「お……つきー」

 

轟音の影響でよく聞こえない。

それでもカブト山は毛むくじゃらの拳を握り、天を仰ぐ。

脳裏に浮かぶのは恩人の姿。

 

(……親方、やりました。俺)

 

「ただ今の決まり手、尾つき~」

 

尻尾が土俵についていた。

 





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