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第十三話 歪んだ復讐

取組前の控室。

畳のひんやりとした感触が、背中からじわりと体温を奪っていく。

男は微動だにせず、ただ手にした携帯の小さな画面を見つめていた。

男の名は、カブト山機太郎。

 

人呼んで――メカ大関。

 

画面の中には2カ月前の動画。

その動画の冒頭。

フラッシュの嵐の中に立つ一人の男――横綱 山嵐唯我独尊がふてぶてしい表情で椅子にもたれかかるように座っている。

 

会見場の空気が、ぴりついていた。

フラッシュが瞬くたび、山嵐の眉間の皺がわずかに深くなる。

開始からまだ数分。だが、その態度にはすでに明らかな苛立ちが滲んでいた。

一人の記者が、遠慮がちに口を開く。

 

「今場所も優勝、おめでとうございます」

 

一瞬、間が空いた。

山嵐はマイクに顔を寄せることもなく、ただ椅子にもたれたまま、低く吐き出す。

 

「ああん?」

 

祝福の言葉を受け取る態度ではなかった。

睨むような視線が、記者席に突き刺さる。

その場にいた誰もが、ほんのわずか息を飲む。

  

「あのー…….横綱……」

 

別の記者が、半ば苦笑を浮かべながらフォローしようとする。

だが山嵐は視線を逸らさず、鼻で笑い、遮った。

 

「勝っただけだろ。騒ぐことか?」

 

会場が一瞬、ざわめく。

その言葉は謙遜というより、明らかな突き放しだった。

勝利の余韻も、喜びも、そこには欠片もない。

ただ「当然」を口にしているだけ。

最前列の記者が、少し語気を強める。

 

「ですが、今回の優勝で記録も——」

「だから何だ」

 

被せるように遮る。声音はさらに低くなる。

 

「記録?……そんなもん、どうでもいい」


マイクを通しても分かるほど、空気が凍り付いた。

山嵐は指先で机を軽く叩く。苛立ちを隠そうともしていない。

その仕草が、カメラのズームに捉えられる。

 

「質問があるなら、まともなの持ってこいよ」

 

冷ややかな一言。

会場の空気が一変した。

 

「では……一番苦戦した取り組みは……」

 

記者の問いが最後まで続くことはなかった。

乾いた舌打ちが、マイクを通して場内に響く。

 

「……ちっ」

 

山嵐の肩がわずかに揺れる。視線は鋭く、明らかに機嫌を損ねていた。

 

「どいつもこいつも……」

 

低く吐き捨てるような言葉。

そのまま体をぐっと前に乗り出し、乱暴にマイクを掴む。

 

「腑抜けたカスしかいねぇんだよ」

 

誰も口を挟めない。

フラッシュだけが、やけに白々しく瞬く。

次の瞬間、山嵐の声が弾けた。

 

「文句があるなら――かかってこい!ファッキンジャパニーズどもっ!!」

 

怒号。

机が震え、記者たちが一斉に身を引く。

そのまま彼は、握っていたマイクを振りかぶると――

ガンッ!

カメラの一台に向かって叩きつけた。

映像が激しくブレ、ノイズ混じりの音が会場に響き渡る。

悲鳴とざわめき。制止の声。

しかし山嵐はもう振り向かない。

椅子を蹴り飛ばすように立ち上がると、そのまま無言で会見場を後にした。

 

――そこで映像は途切れた。

 

携帯の画面は黒に戻り、部屋に再び静寂が降りる。

畳の上に寝ころんでいたカブト山は、しばらく動かなかった。

やがて、ゆっくりと息を吐き出す。


何度も見た映像。

再生するたびに、胸の奥からどろりとした怒りが湧き上がってくる。

あの舌打ち、あの怒号、あの投げつけられたマイク。

意味はないと分かっているのに、指はまた再生ボタンを押してしまう。

 

「……あのクソ野郎」

 

低く吐き捨て、カブト山はようやく動画を閉じた。

数秒、画面を見つめたまま固まる。

カブト山は、ふと、何かを思い出したように指を動かした。

動画アプリを閉じ、別の見慣れたアイコンをタップする。

一瞬の読み込みのあと、画面が切り替わる。


とあるSNS。ログインはすでに保存されている。

表の顔とは切り離されたもうひとつのアカウント――裏垢。

迷うことなく自分のプロフィールを開く。

 

少し前の投稿。

あの日――例の会見の切り抜き動画を貼り付けたやつだ。

画面に表示される。

『文句があるなら――かかってこい!ファッキンジャパニーズどもっ!!』

荒々しくマイクを投げつける山嵐。

その瞬間を切り取った動画。

そして、その下に自分の一言。

 

 『お前も日本人じゃねーか(笑)』

 

カブト山の目が、ゆっくりと細まる。

そのさらに下。

数字。

 

♡ 10,432

 

「……はは……」

 

思わず、息が漏れる。

 

(ぐふふ……万バズ、ごっちゃんです)


これだけの人間が、あいつを同じ目で見ている。

 

「気持ちいいな……」

 

独り言が、やけに柔らかく零れた。

画面に映る自分の投稿をうっとりとした目で見つめる。

ほどなくして、その甘い余韻を乱暴に断ち切る声が飛んできた。

 

「ねー、早く対戦しようよ」

 

顔も上げていないのに、すぐそばから聞こえる若い声。

カブト山は一瞬だけ画面から視線を外し、文句を言いかけて――やめた。

 

「あ……すんません、すぐ行きます」

 

ダイジョバナイ博士が軽く焦れた調子で座布団を叩いた。

携帯をスリープにし、畳に置く。

代わりに手を伸ばしたのは、すぐ横に置いてあった使い込まれたカバン。

ファスナーを開け、中をがさりと漁る。

少しして取り出したのは、携帯型のゲーム機。

慣れた手つきで電源を入れ、軽くボタンを確認する。

 

「遅いよー」

 

ダイジョバナイ博士が畳に転がりながら、不満げに声を上げる。

 

「ちょ、待ってくださいってば」

 

焦り気味に返しながら、カブト山は立ち上がる。

足元で畳がわずかに軋んだ。

ゲーム機を片手に、博士の方へ歩いていく。

画面越しの怒りも、数字に酔う感覚も、いったんは切り離される。

だが――

すれ違いざま、畳に置いたままの携帯が、わずかに通知の光を点滅させた。

新しい「いいね」が、またひとつ増えた合図。

カブト山は一瞬だけ、その光に視線を落とす。

ほんの一瞬。

だが、その目の奥に、さっきと同じ歪んだ満足がちらついた。

すぐに顔を背ける。

 

「さ、はじめましょ」

 

 ◇

 

畳の上に並んで座り、二人はそれぞれのゲーム機を手にしていた。

このゲームは、育てた六匹のモンスターから三匹を選び、戦わせる形式。

属性や技の相性、交代の読みが勝敗を分ける――単純に見えて、奥が深い。

最近、二人はこれにすっかりハマっていた。


対戦は、静かに、だが確実に熱を帯びていた。

畳の上に向かい合った二人。

手元のゲーム機からは、軽快な電子音とボタンの操作音が続く。

三匹ずつ選んだモンスターが、画面の中でぶつかり合う。

 

「へぇ~、そっち出すんだ~!」

 

ダイジョバナイ博士の声は弾んでいる。

屈託のない笑顔のまま、画面を覗き込むように前のめりになる。

 

対するカブト山は、真剣な顔で画面を見つめていた。

 

「いや……ここはこれかなと思って」

 

不安な口調。どこか探るような言い方。

目の前の青年――自分を救ってくれた恩人。

 

――だが、負けられない!

 

「なるほど!じゃあ……どうしようかなあ」

 

ダイジョバナイ博士は楽しそうに首を傾げる。

悩むことすら遊びの一部のように。

だが、次の一手は鋭かった。

的確な交代。迷いのない選択。

そして、決定打となる技。

画面の中でカブト山のモンスターの体力が、一気に削り取られる。

 

「……あぁっ」

 

カブト山の口から小さく声が漏れた。

そのまま、最後の一匹も倒される。

勝敗表示。

――敗北。

 

「……ああぁぁぁぁぁ!」

 

カブト山が思わず声を上げた。

そのまま後ろに倒れ込む。

 

「また負けた……!」

 

悔しそうに天井を見上げ、額を押さえる。

 

「今度こそ……今度こそ勝てると思ったのに……」

 

本気で悔しがっている声。

 

「カブト山はさー」 

 

ダイジョバナイ博士は少し考えるそぶりをした後、嬉しそうに笑った。

 

「考えてることがわかりやすすぎるんだよ」

 

まったく悪びれない、軽やかな言い方。

カブト山は少しだけ視線を落とし、それから顔を上げる。

 

「……あの~」

 

少しだけ間を置いてから、丁寧に頭を下げる。

 

「もう一回……もう一回だけ、お願いします」

 

メカ大関はあきらめない。

泣きの一回のために頭を下げ続ける。

  

「しょうがないなぁ~」

 

博士の声は呆れていたが、少し嬉しさを含んでいた。

カブト山は唇をきゅっと結び、もう一度画面に視線を落とす。

 

「…….よーし」

 

小さく気合を入れる。

負けが続いても、諦めるつもりはなかった。

むしろ、今度こそ一矢報いる。その思いだけが、指先に力を込めさせる。

画面には六匹のモンスター。

どれを出すか――頭の中で組み合わせを組み直す。

 

(さっきの並びは読まれてる。なら――)

 

指が動きかけた、そのとき。

背後に、すっと影が差した。

だがカブト山は気づかない。

視界は狭まり、意識はすべて画面に沈んでいた。

 

(今度はどのモンスターを出そ――)

 

考えが形になる、その寸前。

 

 メコリ。

 

鈍く、湿った音が響いた。

 

「……あ?」

 

遅れて、感覚が追いつく。

後頭部に、何かが入り込んでいる。

 

キセルだった。

 

鋼鉄に食い込むようにめり込み、押しつぶす感触。

視界が揺れる。

カブト山の手から、ゲーム機がするりと落ちた。


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