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神愛 ― それいけ華蓮ちゃん ―  作者: 神愛
第3章
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第3話 いいおうちだね

髪の品評会が終わった後。


カーペットの上に寝転がって、二人でだらだらとスマホを眺めたり、他愛もない会話を交わしたりしていた。

暖房の効いた部屋はぽかぽかとしていて、やけに心地がいい。


「……ふ……あ……」


隣から、小さく息を吐き出すような欠伸が聞こえた。

横目で盗み見ると、湊の目がとろんと潤んでいる。


「眠いのか?」

「ん……ごめん、ちょっと……」

「そりゃ、稽古してシャンプーまでされたらな」


こくり、こくりと、船を漕ぐように湊の頭が揺れ始めた。


(限界じゃねーか)


「少し横になるか?」

「……うん」


湊はカーペットの上で、ころんと小さく丸くなった。

そのまま、ものの数分で規則正しい寝息が聞こえ始める。


(……はやっ)

(警戒心ゼロかよ)


無防備な寝顔を、そっと上から覗き込む。


(……)

(無防備すぎんだろ)


(そういや漫喫でも寝落ちしてたな)

(またキスしてやろうかな……)


すー、すー、と心地よさそうな寝息が、あたしの頬を微かに撫でる。


(ちょ、ちょっとだけ……)


高鳴る胸の音を悟られないように、そっと唇を重ねた。

その瞬間、伸びてきた湊の腕があたしの首に回り、ぐいっと引き寄せられる。


(ん、ちょっ、こいつ)


予想外の力強さに驚きながらも、触れ合う熱に絆されて、しばらくそのまま目を閉じていた。

やさしく唇が離れる。


「……ダメだよ。寝込みを襲うとか」

「なんかすまん」

「もう……」


文句を言いながらも、湊は安心したように目を瞑った。

そしてまた、すー、すー、と穏やかな寝息を立て始める。


(やべ、めっちゃドキドキした)

(舌入れられたらやばかったかも)


ふと、隆の『静かにね』という忌まわしい言葉が頭をよぎり、ぶるっと首を振って追い払う。


(ふう……あたしも、ねむ……)

(朝から稽古して、飯作って、シャワーして、髪も洗って……)


緊張が解けた途端、急激な眠気が襲ってきた。

ちらりと、湊の隣のわずかなスペースを見る。


(……ちょっとだけ)

(隣でいいよな。あたしの部屋だし)


音を立てないように、そっと湊の隣に体を横たえる。

すぐ耳元で、温かい寝息が聞こえてきた。


(なんか、幸せ……)


とろけるような心地よさに包まれて、あたしはそのまま意識を手放した。


―――


ガチャリ、と一階で玄関の戸が開く音がした。


(……ん?)


「ただいまー」


下から聞こえてきた母さんの声に、まどろみの中で反応する。


(……おかえりー……)

(…………)

(……ん!?)


バチッと目を開ける。


視界のすぐ真ん前に、湊の整った寝顔があった。

しかも、互いの腕がしっかりと体に回っていて、まるで抱き合うような体勢になっている。


(は!?)

(いや、隣に寝たのはあたしだけど!腕は回してねーし!)

(いつの間に絡まったんだよ!)


「あら、見ない靴。誰か来てるの?」

「なんか、ねーちゃんが彼氏連れ込んでる」

「あらあら」


一階からのやり取りに続いて、トントンと階段を上ってくる足音が響く。


(!!!)


あたしは慌てて体を離そうと、湊の肩を揺さぶった。


「湊!起きろ!母さん帰ってきた!」

「ん……ふぇ……?」


寝ぼけ眼を擦る湊を無視して立ち上がろうとした瞬間、コンコンと部屋のドアがノックされる。


「華蓮、入るわよ?」

「ま、待って!」


制止も虚しく、ガチャリとドアが開いた。


カーペットの上で、手足がもつれたまま密着して転がるあたしたち。

それを見た母さんの動きが、ピタリと止まる。


「……」

「……」


「……え、あ」


沈黙が部屋を満たす。

やがて、母さんはゆっくりと口を開いた。


「あら、お邪魔だったかしら」


(終わった)


顔中の血の気が引いていくのがわかる。


「ちげーから!寝てただけだから!」

「そう。寝てたのね」

「だからちげーって!」


ニヤニヤと笑う母さんに向かって、あたしは涙目で叫んだ。


―――


一階のリビング。


カーペットの上に、あたしと湊は並んで正座させられていた。

向かいには、腕を組んでこちらを見下ろす母さん。


斜め後ろのソファでは、隆がニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべて見物を決め込んでいる。


(なんだこの被告人席)


「それで?」

「だから、ちょっと昼寝してただけだって」


母さんの探るような視線が、あたしから隣の湊へと移る。


「ほ、ほんとです!何もしてません!」


勢いよく直角に頭を下げた湊の横顔は、耳の先まで真っ赤になっていた。


「た、田中 湊です!華蓮さんと、お、お付き合いさせて頂いてます!」

「ふふ。やっと会えたわね」

「え」


予期せぬ反応に、湊が恐る恐る顔を上げる。


「華蓮ってば、何にも教えてくれないんだもの。

 日曜日に二人分のお弁当作ったり、夜遅くに部屋を掃除したりするくせに」


「な!」

「ぶふっ」


吹き出した隆を睨みつけようとしたが、それより先に母さんの言葉が続く。


「ずっと、いつ連れてくるのかしらって待ってたのよ」


母さんは姿勢を正し、あらためて湊に向き直った。


「華蓮がお世話になってます」

「い、いえ!こちらこそ、お世話になってます!」


湊は弾かれたように、再び深々と頭を下げた。


「ふふ。顔を上げてちょうだい」


ゆっくりと顔を上げた湊に、母さんが優しく微笑みかける。


「そんな緊張しなくていいのよ。昼寝してただけなのはすぐに分かったから」

「なんだよ!分かってたのかよ!」


呆気にとられて叫ぶと、母さんは事も無げに言い放った。


「裸でベッドじゃない時点で分かるでしょ」

「な、な、な……」


(この母、彼氏の前でなんてこと言うんだよ!)


あまりのストレートな物言いに言葉を失う。

隣を見ると、湊も首の根本まで茹でだこのように赤くなっていた。


「湊くんは、華蓮とは同じクラス?」

「は、はい。席も近くて」

「あら、そうなの。いいわねぇ」


母さんはニコニコしながら、まるで世間話でもするように質問を重ねていく。


(尋問が始まった……)


「華蓮、ぶっきらぼうでしょ。困ってない?」


母さんの意地悪な質問に、湊が真面目な顔で答える。


「え、えっと……優しいです。すごく」

「あらあらあら」


「だからその言い方!」


茶化すような声音に噛み付くが、母さんは全く気にした様子もない。


「ふふ。いい子ね。湊くん」


(湊が茹でだこみたいになってる)


湊の顔からは、今にもプシューと湯気が上がりそうだ。


「あ、そうだ。夕飯、食べていったら?」

「「え」」


「せっかくだもの。ね?」


いきなりの提案に、あたしたちの声が綺麗にハモった。


「い、いえ、あの、遅くなると家の人も心配するので……」

「あら、残念。じゃあ今度は食べていってね」

「は、はい。ぜひ……」


圧倒されて縮こまる湊を見ながら、密かに安堵の息を吐く。


(母さん、距離の詰め方がぐいぐいすぎんだろ)

(……ま、嫌われるよりいいけど)


「ちなみにきょうの晩飯なに?」


隆が空気を読まずに口を挟む。


「湊くんがいるなら、すき焼きにでもしようかと思ったけど」

「マジ!?」

「いないなら普通に残り物ね」


母さんのあっさりとした宣告に、隆の顔色が変わる。


「湊さん!食ってって!まじで!」

「え、ええ!?」


「現金すぎんだろ、お前」

「ふふふ」


必死に湊にすがりつく隆を見て、母さんが楽しそうに笑う。

つられてあたしも吹き出し、リビングに笑い声が広がっていった。


ふと隣を見ると、湊のガチガチだった正座が、いつの間にか崩れて楽な座り方になっている。


(……あ、緊張とけてる)

(よかったな、湊)


安堵の笑顔を浮かべる横顔を見て、胸の奥がじんわりと温かくなった。


―――


時計の針が17時を指す頃。

ふと窓の外を見ると、冬の空はすっかり暗くなっていた。


「そ、そろそろお暇します!」

「あら。もうこんな時間」


名残惜しそうな母さんに見送られながら、あたしたちは玄関へと向かった。


湊が、律儀に揃えてあった自分の靴を履く。

その後ろには、母さんと隆までなぜかぞろぞろと見送りに出てきていた。


「気をつけて帰ってね。今度はお夕飯、食べて行ってね」

「はい。きょうは、ありがとうございました」


湊がまたしても深々と頭を下げる。

その横顔を眺めていると、隆がぼそりと声をかけた。


「……湊さん」

「え?」

「次、来るとき連絡して。飯が変わるから」


「お前、ほんと……」


あまりの現金っぷりに、あたしは深いため息を吐き出して額を押さえた。


「あ、あはは……」


引きつった笑いを浮かべる湊を見て、母さんが楽しそうに提案してくる。


「ふふ。じゃあ連絡先、交換しておいたら?」

「させねーよ!あたし経由でいいだろ!」


「ちぇ」


露骨に唇を尖らせる隆を無視して、あたしは壁にかかっていた自分のコートを羽織った。


「途中まで送るわ」


さっとブーツに足を通し、玄関のドアノブを引いて外の冷たい空気を招き入れる。


「またねー」


背後から聞こえる母さんの呑気な声を背中で受け止めながら、バタン、と重い扉を閉めた。


―――


肌を刺すような冷たい夜気の中、街灯に照らされた住宅街を歩く。

吐き出す息は白く、二人の距離はさっきまでよりも少しだけ近い気がした。


「……緊張した」

「だろうな。ガチガチだったぞ」

「で、でも」


湊はマフラーに口元を埋め、立ち止まって冬の夜空を見上げた。

吐息が白い煙になって、暗闇に溶けていく。


「……いいおうちだね、華蓮んち」

「……そうか?普通だろ」

「うん。……いいなって、思った」


寂しそうに微笑む横顔を見て、胸の奥がチクリと痛む。


(……)

(湊のうちは、どうなんだろうな)

(姉ちゃんの話はよく聞くけど……親の話、ほとんど聞いたことねーな)


踏み込みたい気持ちをぐっと堪えて、あたしは努めて明るく声をかけた。


「……ま、また来いよ。母さんも喜ぶし。

 隆も、飯が変わるから喜ぶし」


「ふふ。なにそれ」


湊の強張っていた肩の力が抜け、柔らかな笑い声がこぼれる。


(深くは聞かねーけど)

(また来いよ、ほんとに)


やがて大通りの交差点に差し掛かり、湊が足を止めた。


「じゃあ、ここで。また明日、体育館で」

「おう。また明日」


小さく手を振り返して、暗い夜道へと歩き出す湊を見送る。

その細い背中が角を曲がって完全に見えなくなるまで、あたしはその場から動けなかった。


(……さみー。帰ろ)


コートの襟を立て、自分の家へと踵を返す。


―――


夜の自室。


ベッドに仰向けに転がって、ぼんやりと天井の木目をなぞる。

階下からは、家族の楽しげな談笑と、カチャカチャと食器を洗う音がかすかに聞こえてきていた。


(……なんか、濃い一日だったな)

(隆の「ごゆっくり」。敬語対敬語の変な面接)

(風呂場でシャンプー。あれは笑ったな)

(……髪は女の命、か)


自分の指先を目の前にかざし、じっと見つめる。


(長さが足りねーのは、どうしようもねーけど)

(次はもっと、うまくやれるようになりてーな)


ごろん、とベッドの上で寝返りを打ってうつ伏せになる。


(……で、キスして)

(「ダメだよ。寝込みを襲うとか」って、お前……)

(起きてたなら言えよな。恥ずかしいだろ)


カーペットの上での出来事がフラッシュバックして、たまらず顔を枕にぎゅっと押しつけた。


(あー、思い出すだけで顔があちー)

(んで、母さんに見つかって、尋問されて)

(……最後は、笑ってたな。みんな)


枕から顔を上げて、小さく息を吐く。


(「いいおうちだね」……か)

(また来いよ。まじで)


ふと、そこで思考が途切れる。


(……光莉、どうしてっかな)


昼間、体育館のラウンジで、飲み物を両手で包み込むように持っていた光莉の姿を思い出す。


(「来る意味ない」……か)

(婆ちゃんち行った日のあの顔)

(「ウチ、魅力ないのかな」って言ったやつが、平気なわけ、ねーんだよな)


あの時、いつもみたいに笑う前に微かに強張った表情が、ずっと胸に引っかかっている。


(あたしは、こんなあったかい一日だったのに)

(あいつ、いま、なにしてんだろ)


再び仰向けになり、暗い天井を見上げる。


(……なんとかしてやりてーな)


窓の外は、凍えるような冬の夜。

どこかで、木枯らしの吹く音がヒューと鳴っていた。

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