第1話 続ける理由、やめる理由
12月28日、午前。
市民体育館。
入り口で湊、棟方、光莉の到着を待つ。
(あたしが一番か)
吐く息の白さを眺めてしばらくすると、湊がやってくる。
「あ、おはよー」
「おはよう。華蓮」
挨拶を返してくれたものの、なんだか浮かない顔をしている。
「どうかしたか?」
「うん……これ……」
そう言って、湊がスマホをこちらに見せる。
画面には、湊と棟方のやりとりが映っていた。
棟方:わ、きょう休む
湊:え、なんで
棟方:御珠いねば、稽古相手いねはんで
棟方:出る意味あんまねぇ
棟方:ウェイトの方さ行ぐじゃ
湊:わかった
棟方:(すまんの、のスタンプ)
文面を追いかけ終え、あたしは呆れて息を吐く。
「げ、ムナっち、どんだけ御珠と闘いたかったんだよ」
「確かに僕たちじゃ稽古相手にならないんだろうけど……ミットどうしよう」
湊が困ったように眉を下げたところに、光莉もやってくる。
「おはよー。どったの」
「ムナっち、きょう休みだってよ」
「え」
湊が、スマホの画面を光莉にも見せる。
光莉は瞬きもせずに、画面をじっと見つめた。
冷たい風が通り抜けていく。
「……ふーん、そっかー」
いつもの調子で笑ってはいるが、声が出るまでに少しだけ時間がかかった気がした。
「ま、いないもんはしょうがないっしょ!行こ行こ、寒いし!」
光莉が先に立って歩き出す。
(ちょっとへこんでるっぽいな)
(ミットの件もあるし、とりあえず中入るか)
―――
受付を済ませ、倉庫から柔道用マットを台車に積み込む。
三人でアリーナへと運んでいく。
(三人だと、やっぱ重いな……ムナっちの穴、でかいわ)
アリーナの一角に、雪杜と咲良の姿があった。
その奥では、ジャージ姿の久我が縄跳びをしながらゼエゼエと息を切らしている。
「あーっ、いたいた!ゆっきー、咲良っちー!」
光莉の声に気づいた咲良が、笑顔で駆け寄ってくる。
「光莉ちゃん!みんなも自主稽古?」
「おう」
あたしが短く答えると、雪杜がこちらの人数を見回して首をかしげた。
「あれ、ムナっちは?」
「なんか来ないって。
『御珠さんがいないなら、行く意味がない』って」
困ったような笑みを浮かべて、湊が答える。
「あーそうなんだ……」
あたしは台車からマットを下ろしにかかった。
「ま、元々御珠と闘えるからって理由で来てたからな。
本家のウェイトリフティングもあるし、そっちに行っちまったよ」
言ってから、ふと光莉の方を見る。
光莉の口元の笑顔が、一瞬だけ薄くなった。
何も言わず、顔を伏せてマットの準備へ向き直る。
(あ……落ち込んじまったか)
(悪いこと言ったかな)
視線を横にずらすと、咲良も急に真顔になって固まっている。
目まぐるしく表情が変わっていた。
(なんだ?百面相して)
マットの準備を終えた湊が、おずおずと雪杜に歩み寄る。
「あ、あの。雪杜にお願いが……」
「僕?」
「うん。その……ミット持ってもらえないかなって」
「なるほど。ムナっちの代わりだね。いいよ」
雪杜の快諾に、湊はほっと息を吐く。
「よかった。華蓮や光莉に持ってもらうのはちょっと気が引けてたんだ」
「なんだよー。あたしだって、ミット持ちくらいやるぞ?」
不満げに口を尖らせると、湊が慌てて両手を振った。
「ちょ、ちょっと女子を殴ってるみたいで絵面が……」
「御珠とムナっちは試合してたぞ?」
湊が苦笑いを浮かべて首を振る。
「あれは、レベルが違うということで」
「まぁ、確かにレベル違うけど」
肩をすくめると、雪杜がリュックミットを受け取り、咲良へ視線を向けた。
「僕、こっちに参加でいいよね?」
「えー、こっち久我くんと二人!?」
「ま、まぁ隣にいるし」
久我がなぜか顔を青ざめさせ、直立不動の姿勢をとる。
「せ、拙者、一人でも大丈夫でござる!」
湊がおろおろと両手を振った。
「や、やっぱり僕、シャドーボクシングしておくよ」
(なんか変な空気になってきたな……)
パン、と大きく手を叩く乾いた音が響く。
全員の視線が咲良に集まった。
「はいはーい、ストップ!
じゃあこうしよ。男子チームと女子チームに分かれる!
雪杜・久我くん・湊くんはサーキットとミット」
「私は華蓮ちゃんたちに混ぜてもらう。
ね、いいでしょ?」
突然話を振られ、あたしは瞬きをする。
「ん?あたしらはいいけど」
咲良の提案に、光莉がぱっと顔を上げる。
「咲良っちと稽古!いいねいいね」
「ぼ、僕もサーキットに入るの?」
「体力は何をするにしても必要でしょ?ミット打ちのついでに鍛えるといいよ」
久我が力強く何度も頷く。
「田中氏も一緒に筋肉を鍛えるでござる」
「じゃ、決まりだね」
(仕切り、早えーなあいつ。ほんと慣れてる)
―――
柔道用マットの上。
あたし・光莉・咲良の三人で車座になる。
体育館の端からは、男子チームの掛け声が聞こえてくる。
「ふぬぬ……ま、負けぬでござるよ、田中氏……!」
「し、慎平くん、ペース速いって……!」
「二人とも、あと10秒ー」
(湊のやつ、ちゃんと食らいついてんな)
「咲良っち、受け身やったことある?」
「体育の柔道でちょっとだけ」
「じゃ、後ろ受け身からな。顎引いて、へそ見る感じ」
咲良がこくりと頷き、マットの上にぺたんと転がる。
ばしん、と両手で勢いよくマットを叩いた。
「お、上手い上手い!」
「ほんと?」
「初めてにしちゃ、様になってる」
あたしが褒めると、咲良が得意げに鼻を鳴らす。
「ふふん。じゃあ次!護身術っぽいのも教えてよ」
光莉が自信満々に立ち上がり、手招きをする。
「ふっふっふ。御珠っち直伝の護身術、受けてみよ!
ほれ、かかってこい」
(光莉、調子のってんなぁ)
誘いを受けた咲良だったが、困惑して立ち尽くしている。
「えっと、かかってこいと言われても、どうすれば」
「えー、そっからー?もう、せっかくカッコつけたのに」
光莉が唇を尖らせてこちらを向く。
「じゃぁ、さかもっちお願い」
「しゃーねーな」
あたしは腰を浮かせ、光莉の襟首を掴もうと両手を前に出して飛びかかる。
伸ばした手をあっさりと払いのけられ、流れるような足払いが飛んできた。
視界が一瞬宙に浮き、背中から落ちる。
――が、そこは手慣れたものだ。
完璧な受け身で衝撃を逃がす。
(お、今の足払い、キレてたな)
「え、カッコよ!なにこれ!」
「どうじゃ!」
光莉が会心のドヤ顔をキメている。
「え、御珠ちゃん、なに教えたの!?3日でこれって!」
身を乗り出してきた咲良に、光莉がふんぞり返る。
「これでどんな暴漢に襲われても大丈夫だよ」
「私にも教えて教えてー!」
光莉が御珠の真似をして胸を反らす。
「ふむ。まずは受け身からじゃ」
すかさず立ち上がり、光莉の頭に軽いチョップを落とす。
「調子のんな」
「あた」
光莉が頭を押さえて笑う。
―――
隣の男子チームから、ドス!と重い音が響く。
思わずそちらへ視線を向けた。
雪杜が両手で構えたリュックミットに、湊が打ち込んでいる。
雪杜が顔をしかめてミットを下ろした。
「ど、どうかな……」
「すごいよ。手のひら、じんじんしてる」
「……えへへ」
床に大の字で倒れていた久我が、首だけを起こす。
「田中氏、強くなったでござるなぁ……」
(……あいつ、ほんとに強くなってんだな)
(あたしの彼氏だぞ。ちょっと自慢したくなるだろ)
マットの上では受け身を打つ音。
隣からはミットを打つ重い音。
冬の体育館の端っこが、稽古の熱気を帯びていく。
―――
休憩中。
柔道用マットの縁に、めいめいが腰を下ろす。
傍らには水筒や、ペットボトルの麦茶が置かれていた。
「い、生き返るでござる……」
「慎平くん、サーキットもう7日目でしょ?すごいよ」
久我が眼鏡の位置を直し、不敵な笑みを浮かべる。
「ふっふっふ。拙者の覚醒、本物でござるよ」
「そういえばさ。
御珠ちゃんとムナっちくんの試合、すごかったんだって?昨日ちょっと聞いたけど」
咲良の言葉に、光莉が勢いよく麦茶を置き、前のめりに身を乗り出す。
「それ!それだよ咲良っち!
ムナっちが、御珠っちから一本取ったんだよ!?」
「な……あ、あの御珠殿から、でござるか!?」
光莉が身振り手振りを交えて熱弁を振るう。
その目はきらきらと輝いていた。
「そう!あのね、最後の試合でね。
御珠っちのサマーソルトを見切ってね、そのまま足掴んで持ち上げちゃったの!
んで御珠っちが『参ったのじゃ』って!
体育館中が爆発してね。ムナっちかっこよかった」
「ま、御珠はまだまだ余裕ありそうだったけどな」
あたしが口を挟むと、湊が感嘆の声を漏らした。
「ぼ、僕、鳥肌立った」
「せ、拙者も見たかったでござる……!」
雪杜がふと自分の胸元を見下ろして、一人で苦笑いしている。
(……なに笑ってんだ、あいつ)
「光莉ちゃん、華蓮ちゃん、自販機付き合ってー」
「はーい」
「ん」
あたしたち女子三人は立ち上がり、ラウンジへ向かった。
―――
ラウンジの自販機コーナー。
咲良が、買ったばかりの缶ジュースを二人に差し出す。
「はい、これお礼。受け身教えてくれたから」
「わ、ありがと」
「悪いな」
光莉が、ぷしゅっと小気味よい音を立ててタブを開ける。
三人で並んで、空いているテーブルに腰を下ろした。
「ここに来たってことは」
「何か作戦思いついたの?」
あたしたちの問いに、咲良は小さく首を横に振る。
「ううん。30日にトレーニング終わったら、みんなで忘年会やろうって思ってたんだけど、ムナっちが来てないからあてが外れた」
「あちゃ」
「忘年会かー。なるほど」
「そもそも、あたしら昨日打ち上げしてるしな」
咲良が羨ましそうに目を細める。
「あれね。御珠ちゃんが送ってきた写真見たけど、すごい楽しそうだったね」
「まーな」
あたしが頷くと、光莉が嬉しそうに続ける。
「お肉美味しかったよねー」
「めっちゃ高くついたけどな。一食で2千円も使っちまったよ。
ランチセットだけで良かったのに、御珠が牛タンとか頼みやがって」
「あれ、美味しかったよねー」
「まあ、クソ旨かった」
あたしが肩をすくめると、咲良が身を乗り出した。
「それ、私も食べたー。御珠ちゃんがお土産で買ってきたヤツ!」
「咲良っちも食べたの?」
「うん!美味しかった!」
はしゃぐ二人を横目に、あたしは天井を仰いだ。
「次はいつ食えるかな」
咲良がぽんと手を打つ。
「そうだ!新年会ってのはどう?
ムナっち、年末年始どうするか聞いてる?」
「31日に実家帰って、4日には戻って来るらしいぞ」
「なるほど」
咲良が口元に手を当てて視線を落とす。
自販機のモーター音が、微かに響いていた。
「華蓮ちゃんたちはいつまで稽古続けるの?」
「それな。ぶっちゃけ、御珠いないと次に何していいか分かんねーんだよな」
空の缶をテーブルに置き、後頭部を掻く。
「皆伝とか、後は各々で頑張れ、とか言ってたけど本でも読んで勉強すっかな」
光莉が、手元の缶を見つめたまま、ぽつりとこぼした。
「……ムナっち、もう、来ないのかな。
稽古あるうちは、フツーに会えたじゃん?
御珠っちの稽古すごいねーとか、いまのあれ見た?とか。
そういうの、ぜんぶ無くなっちゃった……」
光莉は缶を両手で包み込むように持ったまま、自嘲気味にちょっとだけ笑う。
「ウチも明日から来なくていっかな……
元々、なんか面白そうってだけで来てただけだし。
ムナっちも御珠っちもいないなら、来る意味ないかなって……」
(まぁ、こいつの場合、そうだよな)
棟方目当てで来ているのはバレバレだったし、仕方ないだろう。
「まぁ、ちょっと寂しいけど、咲良が護身術の相手してくれるし、あたしは別にかまわねーぞ」
光莉が眉を下げて笑う。
「そっか。なんかごめんね。きょうだけは付き合うから」
あたしはひらひらと手を振る。
「ああ。元々、あたしが強くなりたいって御珠に無茶言って付き合わせたんだしな」
咲良が唇を尖らせた。
「えー。なんか寂しいなぁ」
「まぁそう言うなって。こんなもん、モチベーションないと続かないだろ。
あたしも、明日からどうすっかな。
湊と相談してみるわ」
なんとなく重い空気のまま、この場は解散になった。
―――
午前11時。
稽古終了。
柔道用マットを一枚ずつ剥がし、台車へ積んでいく。
壁際では久我がストレッチをしていて、咲良がそのフォームをチェックしている。
「なぁ、湊」
「ん?」
「明日からどうする、って話なんだけどさ。
光莉は来ないってよ」
数歩先でモップをかけていた光莉が、申し訳なさそうに肩をすくめる。
「ごめんねー。ウチ、年末は家のことあるし」
「……僕は、続けるよ」
「お」
湊の横顔に、普段のおっとりした感じからは想像もつかない、確かな芯が通っている。
「僕、強くなりたいから」
(……即答かよ)
「せっかくちょっとずつ強くなってるのに、ここでやめたらもったいないよ」
「そっか」
あたしは小さく息を吐き出す。
(もったいない、って)
(そういう言い方されると、あたしが損した気分になんだろが)
台車を押し込みながら、わざとぶっきらぼうに言葉を投げる。
「……じゃあ、あたしもやるしかねーじゃねーか」
「え、いいの?」
「言い出しっぺはあたしだぞ?彼氏より先にやめられっかよ。
年内は咲良に護身術教えて、あとは足払いでも磨くわ」
湊がパッと顔を綻ばせる。
壁際で久我のストレッチを見ていた咲良が、こちらへ大きく手を振った。
「聞こえたー!よろしくお願いしまーす!」
「地獄耳かよ」
「二人ともまじめだねー」
「おまえが不まじめなんだよ」
モップの柄に寄りかかった光莉が、悪びれずに笑う。
「えへへ」
「褒めてねえ」
―――
片付けが終わり、ロビーに集合する。
光莉がぱっと両手を合わせた。
「それはそうと、お昼どうする?」
あたしは即座に両手でバツ印を作る。
「すまん。ぶっちゃけ金がない」
「えー」
「昨日で尽きた。家で食うわ」
「そっか。仕方ないよね」
帰り支度を整え終え、雪杜が口を開く。
「じゃあ、きょうはここで解散だね。
お疲れ様でした」
「「「お疲れさまー」」」
体育館の外。
刺すような冬の寒風に、めいめいがマフラーやコートの襟を引き寄せる。
「また明日でござる」
「じゃあな」
光莉がひときわ大きく腕を振る。
「みんな、よいお年をー」
皆がそれぞれに手を振り返す。
「また明日ー」
「「ばいばーい」」
雪杜と咲良が並んで歩き出す。
光莉は一人、皆と反対方向へ歩いていく。
その背中が、住宅街の角に消えるまで、なんとなく目で追ってしまう。
(……あいつ、大丈夫かな)
冷たい風が吹き抜ける。
「……帰るか」
「うん」
あたしは湊と並んで、家路へと歩き出した。




