【閑話】第0話 ひかりを求めて
体育館の大きな入り口を背にして、ウチは皆とは反対の方向へと歩き出した。
賑やかな笑い声が、背中越しにだんだんと遠ざかっていく。
一人きりになると、急に冬の冷たさが服の隙間から入り込んでくる気がした。
肺いっぱいに吸い込む空気が、ひどく乾いていて冷たい。
ウチはコートのポケットに両手を深く突っ込んで、少しだけ俯き気味に雪道を歩いた。
ざっ、ざっ、とウチの足音だけが、静かな道に響いている。
小さく唇を尖らせて、息を吐き出す。
真っ白な溜息が空に浮かんで、冷たい風に流されてすぐに消えていった。
(ムナっち……)
胸の奥が、冷たい風とは違う理由でぎゅっと締め付けられる。
顔を上げると、住宅街を抜けた先に、見慣れた古い一軒家の屋根が見えてきた。
お婆ちゃんの家だ。
―――
お母さんはお婆ちゃんが40歳でやっと授かった一人娘だった。
だからってわけでもないんだろうけど……とにかく、甘やかされて育ったらしい。
甘やかされた人間がどうなったかというと、高校生で恋にのぼせ、将来を誓い合ったんだって。
そして卒業と同時に結婚、妊娠。
家が古かったこともあり、とにかく早く家を出たがった。
キラキラした新生活にあこがれ、家を飛び出した。
そしてウチが産まれた。
そんな新生活は案の定、暗礁に乗り上げた。
3年もしないうちに離婚。
養育費をなんとかせしめたものの、家にはもう帰る気がなかったようだった。
冷たい風が頬を撫でるたび、色褪せた記憶が頭をよぎる。
狭いアパートの一室。
画面だけが明るいテレビを、幼いウチが一人でぼんやりと見つめている。
部屋に他の誰かの気配はない。
(物心ついた時には、もうお母さんと二人暮らしだったけど)
(ちゃんと“育てられて”た記憶、あんまりないんだよね)
足元の雪の塊を軽く蹴り飛ばす。
ツルツルと滑って転がるとともに、頭の中の景色が切り替わる。
今度は、見慣れた古い家の縁側。
しわくちゃで温かい手に引かれながら、土の匂いがする畑へと歩いていく小さな自分の後ろ姿だ。
(気づいたら、お婆ちゃんの家にいることの方が多かった)
(ご飯も、お風呂も、寝るのも……大体、お婆ちゃんち)
マフラーに口元を深く埋めて、小さく息を吐き出す。
白く濁った息が、空に溶けていく。
(あの頃は、それが普通だと思ってたんだけどな)
―――
お婆ちゃんは、何度も母に「一緒に住めばいい」と言っていたらしい。
一人で育てるのは大変だろうから、と。
けれど母は、頑として頷かなかった。
「あの家、古すぎ」「虫出るし」「無理、あそこには住めない」
理由をつけては、断り続けた。
本当のところは知らない。
ただ、古さや虫が理由の全部じゃないことくらい、子供でも何となく分かった。
冷え切った道を歩きながら、ふと昔の光景がまぶたの裏に浮かび上がる。
祖母の家の、少し薄暗い玄関先だ。
迎えに来た母に、お婆ちゃんが何か声をかけている。
けれど母は決して目を合わせようとせず、そそくさとウチの手を引いて外へ出ていってしまった。
(お母さんとお婆ちゃん、あんまり喋ってるとこ見たことなかったな)
(喋ってても、なんかピリピリしてたし)
強く引かれた手のひらの痛みと、あの時の冷たい空気が蘇る。
記憶はさらに別の場面へと飛んだ。
祖母の家の、古い台所。
水道の流れる音だけが響く中、お婆ちゃんが一人で洗い物をしながら、背中を丸めて小さくため息をついていた後ろ姿。
(お婆ちゃんも、多分分かってたと思うんだよね)
(自分の娘なのに、なんか遠慮されてるっぽいの)
冷たい風がマフラーの隙間から入り込み、ウチは無意識に少し早足になる。
コートのポケットの中で、ぎゅっと拳を握りしめた。
(それでも、ウチにはいつも優しかったんだよなぁ、お婆ちゃん)
―――
お爺ちゃんが死んだのは、ウチが8つか9つの頃。
病気だった。
ある程度、覚悟する時間はあったと思う。
最後は家で、みんなに囲まれて逝った。
喪主はお婆ちゃんで、気丈に、てきぱきと段取りを済ませていた。
その後、お婆ちゃんは一人になっても畑を続けた。
広さも量も減ったけど、それでもちゃんと野菜は採れていた。
線香の匂いと、居間の中心に置かれた白い棺。
その傍らで背筋を伸ばし、弔問客に頭を下げる祖母の姿が記憶の中で蘇る。
幼かったウチは、その横顔をただ下から見上げていた。
(あの時のお婆ちゃん、全然泣かなかったな)
(後で一人になった時、こっそり泣いてたの、ウチ知ってるけど)
お婆ちゃんが死んだのは、ウチが11の時。
今度は違った。
世界中で流行った風邪に罹患し、肺炎をこじらせて、あっという間に入院。
お見舞いにもろくに行けないまま、症状は悪化する一方で、気づいたら、もう終わっていた。
ちゃんと、さよならも言えなかった。
無機質な病院の廊下。
鼻を突く消毒液の匂い。
固く閉ざされた病室のドアの前で、誰も中に入れてくれないまま、ただ立ち尽くしていた小さな自分の足元が浮かぶ。
(お爺ちゃんの時は、まだよかったんだよね。ちゃんと覚悟できてたから)
(でもお婆ちゃんは、急すぎた)
喪主は、今度は母だった。
何をどうしたらいいのか分からず、ずっとおろおろしていた。
家をどうするかって話になった時も同じ。
一度は不動産屋に相談したらしいけど、古すぎて売れないし、土地も売れないだろうと。
かといって取り壊すにもお金がかかるし、更地にしたら税金が跳ね上がるらしい。
結局、母はどうしたらいいか分からなくなって、そのまま放置することに決めた。
狭いアパートの一室に、甲高い声が響く。
「え、じゃあどうしろって言うんですか」
電話口で困り果て、苛立ちを隠せない母の姿。
冷たい風が吹き抜け、ウチはコートの襟をきゅっと引き合わせた。
(今なら、あの時のお母さんの大変さも、ちょっとは分かる気がするけど)
(お母さん死んだら、ウチもあれやんないといけないのかな……)
ウチはお婆ちゃんの家が好きだった。
古いけど、和式だけど、虫が出るけど、それでもこの家で育ってきた。
アパートで母と二人でいるより、こっちにいる時間の方が多かったと思う。
管理しないと空き家はすぐダメになる。
自分が掃除するから、電気と水道だけは残しといて欲しいって懇願した。
お母さんは、無駄なお金だって嫌そうな顔をしたけど、それでも放っておくよりマシだと思ったのか、渋々頷いた。
視線の先に、色褪せた屋根がはっきりと見えてくる。
もう誰の気配もしない、静かな家。
(あれから、もう5年か)
―――
お婆ちゃんが死んで、家は誰も使わなくなった。
最初は掃除のためだけに通ってたけど、そのうち、ただの居場所になった。
親に何も言われない、誰にも邪魔されない場所。
それが中学の頃のウチには、ちょうどよかった。
気づいたら、あんまりガラのよくない連中とつるむようになってた。
学校じゃ出せない顔を、ここでは出せた。
冬の道を歩きながら、当時の空気がじわりと蘇ってくる。
掃除もされず散らかった祖母の家の居間。
数人の中学生が畳の上に座り込み、スマホの画面をぼんやり眺めたり、ただ意味もなく寝転がってだらけたりしている。
でも、それだけで終わるはずがなかった。
タバコを吸ってみたり、お酒飲んでみたり、思春期ってどうしてこうバカなんだろう。
(今思えば、見つかったら結構ヤバいことしてたよね)
(もっと悪い高校生とか大人とか出てこなくてよかった)
ポケットに突っ込んだ手を、冷たさを誤魔化すようにぎゅっと握る。
そのグループの中に、ちょっと顔がよくて、周りにも一目置かれてる男子がいた。
気づいたら目で追うようになってて、我慢できなくなって、ウチから告った。
「好きなんだけど、付き合わない?」
向こうは驚いてたけど、まあいいよって、軽いノリで頷いてくれた。
初めての彼氏。
自由にできる家。
当然そういうこともした。
冷たい風に吹かれているのに、顔の奥が少しだけ熱を帯びるのが分かる。
(お母さんもこういう気持ちだったのかな)
でも、早くに妊娠するとどうなるかを見てきたウチは、絶対にそうならないようにと気をつけた。
―――
ウチにはずっと考えてたことがあった。
お婆ちゃんの畑、もう一回ちゃんとやりたいって。
草ぼうぼうのままにしとくの、嫌だったから。
一度、一人で挑戦してみたこともあった。
でも無理だった。
草すらまともに刈れなかった。
てか畑が広すぎる。
お婆ちゃん、どうやってたの。
一人では無理だと早々に悟ったウチは、思い切って当時の彼氏を誘ってみた。
向こうもウチも勉強とかまともにしてこなかったし、ちょうどいいとばかりに。
「一緒に、農業高校行かない?」
脳裏に蘇るのは、祖母の家の薄暗い居間。
ウチは彼に向かって、少し照れながらも真剣な顔で話しかけていた。
「私、ここの畑、また育てたいんだよね。
一緒に、農業高校とか、どうかな……」
ウチの言葉を聞いた彼は、心底面倒くさそうな顔で鼻で笑った。
「は?農業?本気か?
つーか、もう飽きたな……そんなめんどくさいこと言う女だとは思わなかった。
なんか重いし、もういいわ」
あっさりと、それだけ言って。
彼はさっさと立ち上がり、ウチを見下ろした。
(そんな……)
(あんなにベタベタしてたくせに、飽きた……)
胸の奥が冷たく凍りつくような感覚。
景色が切り替わり、祖母の家の玄関先が浮かぶ。
彼氏が振り返りもせずに出ていく後ろ姿を、ウチは一人取り残されて立ち尽くしながら見ていた。
泣いた。
自分が一人でのぼせあがってただけだった。
彼にとってはただの都合のいい女。
都合のいい身体と、都合のいい場所だっただけ。
ポケットの中で、冷え切った手をさらに強く握り込む。
(自分から好きって言ったからこうなるんだ)
(自分を好きって言って一緒に農業してくれる彼氏……)
そんな都合のいい彼氏なんかいるの?
自嘲気味な笑いが、冷たい空気に溶けていく。
いつしかウチも、自分の都合で男を探していることにひどく嫌悪感を抱いていた。
―――
彼氏と別れた途端、あいつならすぐヤれるという噂が広がり、有象無象が寄ってくるようになった。
女子にも疎遠にされ、寄ってくるのは身体目当てのクソ男ばかり。
全部振ってやったけど、中には恨み節を言ったり、ヤリマンの癖にとバカにしてくるヤツもいた。
暴漢のように襲ってくるヤツもいた。
防犯ブザーを持っててよかった。
コートのポケットに入ったままの防犯ブザーを、指先でそっと撫でる。
家で自由にできるからって、バカをやりすぎたツケなんだと思う……。
二度と都合のいいサセ子になんかなるもんかと誓った。
冷たい風を睨みつけるように、前を向いて歩く。
寄ってくる男には決まり文句のようにこう言ってやった。
「一緒に農業高校行く?」
「行く」と言うヤツもいた。
でもその目は身体しか見ていなかった。
本気で農業しようとする人は誰もいなかった。
そんな日々の中で、ウチは一つ学んだ。
意外と、キャピキャピ明るくしてるほうが男は寄ってこない。
軽くナンパもされるけど、断りやすい。
ギャル友も出来てやっと噂も払拭できた。
自分の明るい髪の毛先を指でくるりと遊ばせながら、小さく息を吐き出す。
ギャルが処世術になるとは思わなかった。
―――
やっとの思いで卒業。
結局、農業高校にいくことにした。
農業高校に入る時、実はちょっと期待してたことがあった。
農業が好きな男子が、いっぱいいるんじゃないかって。
本気で「一緒にやろう」って言ってくれる相手、ここでなら見つかるかもって。
……けれど、記憶の中の入学式後の教室はどんよりとしていた。
数人の男子生徒がだるそうに机に突っ伏していて、「勉強しなくて済むならなんでもいいわ」という覇気のない声が漏れ聞こえてきたのを覚えている。
(フタを開けてみたら、見事に期待外れだったんだけどね)
(勉強が嫌で逃げてきました、みたいな連中ばっかりでさ)
冷たい風に吹かれながら、小さく肩をすくめる。
(ま、ウチも似たようなもんだから、人のこと言えないんだけど)
―――
そんな中で、一つだけ毛色の違うグループがあった。
藍色の髪に、翠の瞳。
自己紹介で「許嫁がいる」とぶちまける豪胆さ。
ウチのお気に入り、御珠っちを中心とするグループだ。
彼女の周りはいつも賑やかだった。
やる気なさそうにしながら、御珠っちへの好意を隠しきれない華蓮。
おどおどしながら、女の子みたいにかわいい湊。
そして、そんな皆を守るように近くに立つガタイのいい男子。棟方 浩二。
そんな皆は農業に真剣だった。
ウチもこのグループに入りたいと思った。
オリエンテーションで山に登った時、御珠っちと話すことができた。
変な口調の訳を聞いたら、はぐらかされちゃったけど。
代わりに聞かせてくれた惚気話が凄かった。
許嫁がいて、その許嫁には彼女がいて、御珠っちはその彼女のことも大好きなんだって。
ウチはこのかわいい生き物のことが大好きになった。
(そっか。農業好きなら女でもいいじゃん。畑、手伝ってくれるかな)
歩幅を少し広げながら、当時のウチはそんなことを思っていた。
―――
GW明け。
御珠っちと仲良くなったウチは、放課後、何かこそこそしている御珠っちと華蓮の後をつけた。
案の定、何か面白いことになってたので、スマホでこっそり撮影してると、ムナっちが突然誰かを殴りだした。
怖かった。本気の暴力を初めてみた。
でも、その力強さが、なんかキュンときた。
このままだとまずいと思った御珠っちがクルンと一回転して、ムナっちを蹴り上げた。
凄かった。
バズるだろうなと思って動画をオプチャに投稿したら案の定バズった。
けど、後日、御珠っちにもうするなと怒られた。
それからもいろんなことがあった。
上級生が絡んできた時は腕相撲でコテンパンにしたり、そのせいで握手会が開催されたり、ついでにファンクラブを作ってみたりと、とにかく飽きなかった。
そしてその近くには必ずムナっちがいた。
皆を見守るようにそっとそばに立つ彼。
訛がひどいけど、ちょっと野生的なのが、女心をくすぐる。
そして農業好き。
もう彼しかいなかった。
―――
ある日、身体を捧げるつもりで彼の寮へ乗り込んだ。
最初は戸惑っていたけど、とりあえず寮に入れてくれた。
他愛もない話をしながら、今か今かと待ち構えていたけど、彼は何もしてこなかった。
そればかりか、何か食うか?と料理を始めようとしだした。
ここはウチが、と思って代わりに料理をしてみたが、火加減が強すぎるとすぐに代わられてしまった。
彼の出してくれた野菜炒めは美味しかった。
そしてこれを食ったら帰れと。
もう二度と男の部屋に一人できたりしたらダメだと優しく諭してくれた。
中学の時に寄ってきた連中とは違う。
その誠実さに、ますます好きになった。
コートのポケットの奥で、冷え切った指先を丸める。
でもウチからは絶対告白しない。
惚れた側がどうなるかはよく知ってるから。
彼なら大丈夫なのでは?と一瞬思ったけど、これだけは絶対変えたくなかった。
―――
夏休み。
皆で海に行ってBBQをした。
そこでゆっきーと咲良に出会った。
御珠っちの許嫁とその彼女。
三人はとても不思議な関係に見えた。
お互い、ゆっきーへ近づくのを牽制しながらも互いを尊重している。
そんな不思議な関係。
ゆっきーはとにかくかっこよかった。
もう農業とかどうでもよくなるくらいに。
御珠っちがぞっこんになるわけだ。
ムナっちの前で水着を披露した。
顔を真っ赤にして海に飛び込んでいくムナっちがかわいかった。
女に興味がないってわけではなさそうだった。
―――
枝豆を収穫したついでに、ゆっきーの家に一泊することになった。
御珠っちが作った唐揚げを食べて、朝獲った枝豆を食べて、花火してと、とにかく楽しかった。
中学の時に、家に屯してた連中とは違う。
これが本物の青春なのかなって思った。
夜、女子四人で恋バナをした。
ムナっち狙いだったけど、思わず告ってくれるならどっちでもいい、とか照れ隠しで言ってしまった。
そして華蓮は御珠っちが好きだと告白して、御珠っちと抱き合って眠ってしまった。
そして寝静まった頃。
咲良がゆっきーの部屋に夜這いに出かけて振られて帰ってきた。
咲良、それでも好きって強いね……。
―――
夏休みが明けてしばらくすると、華蓮と湊が付き合いだした。
意外過ぎてびっくりしたけど、よく見たらお似合いだと思った。
その週末、皆でゆっきーの学校の文化祭に行くことになって、そこに湊が女装してきたもんだからさらに驚いた。
このメンバー、個性が強烈すぎる。
ウチが霞んで見えるじゃん。
まあ、霞んでもいいんだけど。
ゆっきーの漫才を見てひとしきり笑った後、皆がシュっと消えてムナっちと二人きりになる機会があった。
(なんか知らないけどラッキー)
腕を組んで歩きたいなーとか思ったけど、そんな大胆なこともできず、そうこうしてると、華蓮と湊が見つかって合流できた。
でも御珠っちだけは、なぜか屋上で握手会をしていた。
相変わらずだった。
―――
農業高校の文化祭。
御珠っちと二人で野菜を売りまくった。
御珠っちのビジュアルとウチの人懐っこさがあれば無敵だと思った。
案の定、バカ売れで、追加で大根を掘り出す作業を命じられてしまった。
それもまた楽しかった。
二日目。
御珠っちとムナっちと三人で文化祭を回った。
ムナっちはウチらに寄ってくるナンパ野郎を遠ざけてくれる最強の盾だった。
どんどんムナっちが好きになる。
さりげなくボディタッチをしてみたり、エッチだねと言ってみたり、隙あらば男心をくすぐってみてるのに、一向になびかなかった。
からかうと照れるので、嫌ってわけではなさそうだった。
ウチ、魅力ないのかな……。
―――
2学期終業式。
湊からLINEが回ってきた。
体育館で皆で運動しない?と。
御珠っちが稽古をつけてくれるそうだ。
稽古?
よくわからないけど、ムナっちも行くみたいなので、ウチも行ってみた。
最初は咲良が仕切ってたはずなのに、気が付けば御珠っちが鬼軍曹のようになって、皆を動かしていた。
そして、3日目。
30人もに膨れたエアロビ集団は、体育館のスタッフに叱られることで強制的に解散になった。
この日はクリスマスイブだった。
ゆっきーの学校の女子が、パーティーやろうぜと言いだしたけど、疲労がひどくてそれどころじゃなかった。
すごくもったいないことをしたと思う。
御珠っち、張り切り過ぎ……。
―――
翌日、御珠っちに護身術を本格的に習い始めた。
思いっきり背中から落とされて、死ぬかと思った。
御珠っち、容赦ない。
昼に、イブの日になにも出来なかった代わりに皆でラーメンを食べにいった。
ムナっちをさりげなくデートに誘ってみたけど、すげなく断られた。
もう限界だった……。
たまらず、ウチは華蓮に相談してみた。
「ウチ、魅力ないのかな……」
「は?そんなわけないだろ」
華蓮は優しかった。
咲良がこういうのが得意だというので、咲良も巻き込んで応援隊が結成された。
―――
翌日、御珠っちとムナっちが本格的に組手を行うようになっていた。
ムナっちの進歩は目覚ましく、思わず見とれてしまった。
途中、御珠っちがムナっちに何かぼそぼそと言ったかと思うと、ムナっちの様子が一変してた。
何を言ったんだろう?
―――
さらに翌日。
御珠っちは湊にわざと殴られたり、卒業試験だとばかりに、ムナっちに本気で挑むよう挑発したりした。
すごい試合だった。
動画に撮りたかったけど、衝動を抑えるのが大変だった。
そしてムナっちはサマーソルトを見切って、ついに御珠っちから一本を取った。
(ムナっち……。ウチ、もう……)
そして御珠っちは出禁になった。
さすが御珠っち。
その後、皆伝祝いと称して焼肉を食べにいった。
最高の一日だった。
……なのに。
翌日、ムナっちは練習に来なかった。
御珠っちが来ないなら来る意味がないって。
建前上は、稽古相手がいないから、だったけど……。
(ムナっち……もしかして御珠っちが好きなのかな……)
冷たい風が容赦なく頬を叩く。
その可能性に気づいた時、ウチの中で何かが弾けた。
もう次の日からは練習する気にならなかった。
華蓮や皆に、明日から参加しないことを伝え、この日は解散になった。
―――
見慣れた古い玄関の前に立ち、冷え切った鍵穴に鍵を差し込んで回す。
重い引き戸を開けて、ウチは中へと足を踏み入れた。
「ただいま……」
当然だけど、返事はない。
シンと静まり返った祖母の家には、外と変わらないくらい冷たい空気が淀んでいた。
「さむ……」
暗い居間へと進み、冷たい床に置かれた石油ファンヒーターのスイッチを入れる。
チチチ、と小さな点火音が、静寂の中でやけに大きく響いた。
ウチはストーブの前に三角座りをして、かじかんだ手をかざして暖を取る。
じんわりとした熱が指先に伝わってくるのに、胸の奥の冷たさはちっとも消えてくれない。
ぽつり。
不意に視界が歪んだかと思うと、目から一筋の涙が頬を伝ってこぼれ落ちた。
「……さむいなぁ」
ゴウゴウと、石油ファンから温風が出続ける。
誰もいない部屋に、ただその無機質な音だけが響いていた。




