第24話 クリスマスを漫喫
(だ、ダルい……)
さっきまでの地獄の特訓のせいで、足が鉛のように重い。
汗を流してから服を着替えて駅前にやってきたはいいものの、立っているだけで太ももが悲鳴を上げている。
「とりあえず頑張って出てきたけど、疲れが抜けねーな」
「だね……」
隣を歩く湊も、ひどくしんどそうに肩を落としていた。
(でもせっかくのクリスマスだし……)
(初めてのクリスマス……)
(湊の女装かわいいし……キスしたい……)
横目で湊の姿を盗み見る。
綺麗に整えられた髪も、女の子らしい服も、全部あたしのために準備してくれたのだと思うと、筋肉痛なんて吹き飛びそうになる。
「どっか休めるとこ行く?」
湊の言葉に、あたしはピタリと足を止めた。
「え」
(は!?いきなりラブホ!?)
ドクン、と心臓が大きく跳ね上がる。
「そ、それって高校生が入れるのか!?」
裏返りそうな声が出た。
「え?入れるけど?」
湊はきょとんと首をかしげている。
(入れるのかよ!!)
(え!?湊ってまさか経験済なのか!?)
頭の中にけたたましい警報が鳴り響く。
「ま、まじか……」
スマホの画面を、すっと目の前に差し出された。
「ほら、ここ。個室完備で横になれるよ?」
(そらラブホなら個室に決まってるだろ!)
(本気じゃねーか!)
あたしの心拍数はすでに限界を突破しそうだ。
(てか1年はしないって約束じゃ……)
(湊、忘れたのか?いや、まさかもう我慢の限界!?)
パニックになりかけたあたしの耳に、湊の暢気な声が届いた。
「漫喫、行ったことないけど、大丈夫かな」
冷たい風が足元を吹き抜ける。
「……は?」
「『まんが処 一休』って調べたら出てきたんだけど。
ダーツとかもあるんだって」
画面に映っているのは、どう見ても健全なインターネットカフェのサイトだった。
(漫喫かよおおおお!!)
(あたし一人で盛大に勘違いしてただけじゃねーか!!)
急激に顔へ血が上っていくのがわかる。
「な、なんだ漫喫か……」
「うん?漫喫だけど、他になんかあるの?」
不思議そうに覗き込んでくる湊の瞳から、思わず視線を逸らした。
「な、なんもねーよ!行くぞ!」
(顔、熱い)
(湊に、絶対今の顔見られたくない)
あたしは湊を置いて、逃げるように足早に歩き出す。
「え、ちょっと、待って華蓮!」
背後から、慌てて追いかけてくる足音が響いた。
―――
(初めて来た)
薄暗い照明の下、壁に囲まれた狭い空間に、フラットなマットが敷き詰められている。
「こ、こんな感じになってんだな」
「うん」
靴を脱ぎ、二人並んでマットに腰を下ろした。
肩が触れそうな距離感に、心臓の音が急に大きくなった気がする。
(近い)
「なんか近いね」
「うん」
薄暗さも相まって、妙に生々しい空気が漂っている。
(これはやばい)
(絶対おっ始めるヤツいるだろ)
(隠しカメラとかないよな?)
落ち着かなくて、天井や壁の隅をきょろきょろと探ってみる。
「どうしたの?」
「な、なんでもない。とりあえず、漫画でも読むか」
「うん」
不自然な動揺をごまかすように立ち上がり、適当な漫画と飲み物を調達して戻ってきた。
それからしばらく、防音の空間にはページをめくる音と、ストローで氷を転がす音だけが静かに響く。
(やべ、眠くなってきた)
文字を追う視界がぼやけ始める。
連日の筋肉痛と、張り詰めていた緊張が少し解けたせいか、強烈な睡魔が襲ってきた。
頭がカクンと揺れて、ハッと横を見る。
(えっ!もう寝てた!)
壁に寄りかかったまま、湊は静かな寝息を立てていた。
読みかけの漫画が、膝の上から滑り落ちそうになっている。
(無防備だな)
身を乗り出して、その寝顔をまじまじと見つめる。
(こうして見ると、ほんとに女の子みたいだ)
(肌きれい……)
長いまつ毛が頬に影を落とし、整った唇が微かに開いている。
無意識のうちに、吸い寄せられるように少し顔を近づけていた。
(……)
狭い個室に、湊の規則正しい寝息だけが響く。
湊のシャンプーの香りが鼻先をくすぐった。
(……1回くらい、いいよな)
そっと、触れるだけのキスを湊の唇に落とす。
(ふふ。やっちまった)
温かい感触が唇に残っている。
湊を見つめたまま元の姿勢に戻ると、急激に瞼が重くなってきた。
(……疲れた)
(あたしも、ちょっとだけ……)
隣の温もりを感じながら、あたしの意識も深い眠りの中へと沈んでいった。
―――
(……ん)
ギラギラと光るLEDのまぶしさに、重い瞼をゆっくりと開ける。
(あれ……)
(ここ、どこだっけ)
視界がぼやけて、一瞬状況が飲み込めない。
薄暗い個室、テーブルに積まれたままの漫画、そしてすぐ隣から聞こえてくる規則正しい寝息。
(あ、そうだ。漫喫……)
マットの上に転がっていたスマホを手に取る。
画面に表示された時刻は、16:42。
「……は?」
ガバッと勢いよく体を起こした。
(うそだろ!?2時間近く寝てた!?)
横に視線を落とすと、湊はまだすやすやと穏やかな寝息を立てていた。
(湊もぐっすりじゃねーか)
肩が上下するのを見つめながら、毒気を抜かれたように息を吐く。
(……幸せそうな顔しやがって)
丸まった背中に手を伸ばし、軽く肩を揺すった。
「おい、湊。起きろ」
「ん……」
もぞもぞと体を動かし、湊がゆっくりと目を開ける。
「……あれ、今何時?」
「もうすぐ17時だ」
寝ぼけ眼が、一瞬で大きく見開かれた。
「……え」
バッと勢いよく湊が飛び起きる。
「うそ!?クリスマスイブなのに……!」
「だな」
二人して呆然と顔を見合わせたまま、言葉を失う。
遠くのブースから微かな物音が聞こえてくるだけだ。
「……何してたんだろ、私たち」
「寝てた」
「寝てた」
狭い空間に、気まずい空気が降り積もっていく。
(クリスマスイブに、二人で爆睡……)
(なんだこの青春)
自分たちの状況がおかしくて、たまらず口から声が漏れた。
「何もしてねぇ!」
「あはは……確かに」
湊が肩を揺らしながら、くすくすと笑い出す。
(……まあ、いいか)
(こういうのも、悪くない)
釣られるように、あたしも小さく吹き出した。
「腹減ったな。なんか頼むか」
「うん。せっかくだしね」
メニューから適当にラーメンを注文し、届いたどんぶりを並べてすする。
「冷食っぽいな」
プラスチックのレンゲでスープをかき混ぜる。
(どっか食いに行ったほうよかったかな)
(でも、どこも混んでそうだしな)
「でも美味しいよ?」
「ああ」
湊の笑顔を見ていると、どうでもよくなってくる。
(湊と食う飯なら、なんだってうまいよな)
最後の一滴までスープを飲み干し、箸を置いた。
「帰るか」
「うん。遅くなると親も心配するだろうし」
「きょうくらいはいいんじゃね?」
荷物をまとめ、狭い個室をあとにする。
自動ドアを抜けて外に出ると、凍えるような冷気が全身を包み込んだ。
吐く息が、白い塊になって夜空に溶けていく。
通りの街路樹には、色とりどりのイルミネーションが点灯していた。
(うわ、さっむ……)
(でも……きれいだな)
「綺麗だね……」
「ああ……」
光の粒を反射する湊の瞳を、横からそっと見つめる。
「ちょっと散歩してく?」
「そうしよう」
(ちゃんとクリスマスできた)
(イルミ見れてよかった)
帰り際。
街灯がポツンと一つだけ灯る、小さな公園のそばを通りかかった。
静けさの中で足を止め、そっと唇を重ねる。
鼻先に、さっき食べたラーメンの匂いがふわりと香った。




