第23話 御珠式エクササイズ2
翌日の午前。
市民体育館の入り口に集まったあたしたちは、目も当てられない惨状だった。
「お、おはよう……」
咲良が青白い顔で小さく挨拶する。
「咲良、なんか歩き方変だよ」
「言わないで……階段降りるの地獄だった……」
生まれたての子鹿のように足を震わせる咲良に、雪杜が苦笑いしている。
その後ろでは、オタク忍者が壁に寄りかかったまま白目を剥いていた。
「拙者は……もう……立つことすら……」
ピクリとも動かない久我を見て、隣の湊も情けない声を漏らす。
「ぼ、僕も全身バキバキで……」
「……べ、別に普通だし」
心配させまいと、あたしは無表情を取り繕って一歩踏み出した。
ピキリと太ももに激痛が走り、明らかに足を引きずってしまう。
(強がったけど、階段一段一段が拷問だった)
「いったぁーい!もう全身筋肉痛で動けないよぅ」
大袈裟に泣き言を叫ぶ光莉の横で、一人だけ平然としている男がいた。
棟方は鼻歌交じりに、軽い準備運動を始めている。
「みんなケねなぁ」
「……お前、なんで平気なんだよ」
「ウェイトやってるがら」
「ずりぃ」
(さすが運動部だ)
あたしたちの不甲斐ない様子を眺めて、一番元気な元凶が口を開いた。
「ふむ。皆、調子が悪そうじゃの」
「御珠はまったく平気そうだね……」
「妾は鍛え方が違うでの」
ふんぞり返る御珠に、雪杜が呆れたような視線を送る。
(こいつの体どうなってんだよ)
「では本日も柔軟からじゃ。
組になって体を伸ばすのじゃ」
御珠の号令を聞いて、咲良がすぐに雪杜の袖を引いた。
「雪杜。やろ」
「咲良は、妾とじゃ」
「えー」
露骨に不満の声を上げる咲良を無視して、御珠はスッとこちらを指差した。
「華蓮。湊。ぬしらもダメじゃ」
思わず湊と顔を見合わせ、ビクリと肩を揺らす。
(な、なんで見透かされてんだ!)
「男女で体を触り合うのはご法度じゃ」
尤もらしいことを言って胸を張る御珠を、あたしはジト目で睨みつけた。
(雪杜と咲良がいちゃつくの阻止したいだけだろ!)
―――
アリーナの中央で、御珠の容赦ない号令が響き渡る。
「それ、動け動け」
「ぜぇぜぇ……」
オタク忍者が限界を迎えて奇声を漏らすが、本物の忍者は手を緩めない。
「まだまだいけるぞ」
「はぁはぁ……」
(きっつ!)
絶え間なく続く屈伸運動に、あたしの太ももは悲鳴を上げていた。
視界が汗で滲む中、ふと周囲の空気が変わったことに気づく。
「俺も参加してみよっと」
「わ、私も……」
遠巻きに見ていたはずの体育館の一般利用者たちが、なぜか吸い寄せられるように集まってきた。
一人、また一人と、御珠の動きに合わせて見よう見まねで体を動かし始める。
(え、なんか増えてるぞ!?)
あたしが目を白黒させている間にも、謎の集団はどんどん膨れ上がっていった。
気が付けば、二十人近くの人間が御珠を先頭にしてエアロビダンスもどきを踊っている。
フロアの隅で休んでいた光莉が、腹を抱えて笑い声を上げた。
「あははーさすが御珠っち」
「こいつ、人あづめるのうますぎるべよ」
筋肉痛を忘れたかのように笑う光莉と、感心したように腕を組む棟方。
そんな外野の反応など気にも留めず、御珠は満足げに大きく頷いた。
「よし。今日はここまでじゃ」
「「「ありがとうございましたー!」」」
見ず知らずの人間たちも一緒になって、体育館に野太い感謝の声が響き渡る。
カオスすぎる光景の中で、あたしは床に手をついた。
(これ、明日どうなるんだ)
筋肉痛の恐怖と、得体の知れない集団の熱気。
色々な意味で頭を抱えながら、あたしは荒い息を吐き出した。
―――
12月24日、日曜日。
世間はクリスマスイブ。
修行開始から3日目の午前。
市民体育館のいつもの場所に集まったあたしたちからは、完全に生気が失われていた。
「……」
「……」
久我も咲良も、床に座り込んだまま虚空を見つめている。
全員、もはや口を開く気力すら残っていなかった。
「おめんど大丈夫が?」
元気なのは棟方と御珠だけだ。
(大丈夫なわけないだろ。声出す元気もねーよ)
心の中で悪態をついていると、聞き慣れない足音が近づいてきた。
「あら。本当にいたわ」
振り向くと、見知らぬ女が二人立っていた。
もう一人が、余裕たっぷりに口の端を上げる。
「やあやあ、面白いことをやってると聞いて」
それに気づいた雪杜が、驚いたように声を上げる。
「レナちゃん。蒼先輩」
「なんじゃ、そなたらも鍛えに参ったのか」
(雪杜の知り合いか)
(こいつ、おでん買いに来てたお嬢様じゃないか)
文化祭の時、黒スーツの男を連れておでん売り場に来ていた顔だ。
レナちゃんと呼ばれた少女が、涼しい顔で微笑む。
「ええ。冬の運動不足を解消しようかと」
「お手並み拝見といこうじゃないか」
先輩と呼ばれた方も、余裕たっぷりに肩をすくめた。
「ふむ。ではまずは柔軟からじゃ」
御珠の号令とともに、こうして3日目の地獄が始まった。
昨日の噂を聞きつけたのか、一般の参加者はさらに増えている。
「こ、これはなかなか……」
「っく、きついわね……」
最初は余裕を見せていた雪杜の知り合い二人も、御珠の無茶苦茶なペースにみるみるうちに顔を歪ませていった。
(もう無理)
足の感覚が完全に消え失せた頃、ようやく救いの言葉が響いた。
「よし。今日はここまでじゃ」
「「「ありがとうございましたー!」」」
体育館を揺らすような野太い声が揃う。
床にへたり込みながら周囲を見渡すと、とんでもないことになっていた。
(30人くらいいるぞ。なんだこれ)
もはや何の集団なのか分からない。
すると、この異様な光景が終わるのを待っていたかのように、首から名札を下げた体育館のスタッフらしき男が近づいてきた。
「あのー、こういうの勝手にされると困るのでやめてもらえますか」
「……」
困惑したような注意を受け、さすがの御珠も押し黙る。
(あーあ。ついに目をつけられた)
当然の報いだった。
短い沈黙の後、御珠がポツリと告げる。
「明日以降は休みじゃ」
「「「えー」」」
なぜか一般参加者たちから、残念そうな声が上がった。
こうして、謎の熱気を帯びた御珠式エクササイズは、たった3日で強制解散となった。
―――
謎の集団が蜘蛛の子を散らすように体育館から消えていった。
静けさを取り戻したアリーナに、残ったのはあたし達だけだ。
そこへ、雪杜の知人らしき二人が自然な足取りで雪杜のところへ寄ってくる。
先輩が愉快そうに笑いながら口を開いた。
「はは。さすが御珠くんだ。なかなか面白かったぞ」
「なんなのあれ?」
お嬢も呆れたように呟く。
「さすが御珠としか……」
雪杜が苦笑いで肩をすくめる。
「ところで……」
先輩が、わざとらしく小さく咳払いをした。
ピンと張り詰めた空気が、なぜか雪杜を中心に渦巻き始める。
「きょうは何の日か知っているか?」
「!!」
言葉の意図を察知したのか、咲良が誰よりも早く食い気味に身を乗り出した。
「私たち三人だけでパーティーするんですぅ」
「まだ何も言ってないが?」
「言わなくても分かりますぅ」
(バチバチやってんなぁ)
(てか思い出した。こいつ、元生徒会長じゃないか)
(雪杜に惚れてたのかよ)
女同士の静かな火花を眺めながら、あたしは一人で合点がいっていた。
隣に立つお嬢様も、涼しい顔を崩さずに口を開く。
「あら。残念ね」
「な、何が!?」
「だって、この人数で集まったのよ?このまま解散はもったいないと思わない?」
「うっ……」
痛いところを突かれたのか、咲良が言葉に詰まる。
張り詰めた空気の中、息も絶え絶えだった久我が壁際から声を絞り出した。
「……その、参加したいのはやまやまでござるが……連日のトレーニングで、体が言うことを聞かぬでござる」
「……」
(今日、クリスマスイブだよな……)
雪杜を巡る攻防戦をよそに、あたしは自分の隣に立つ人物を視界の端に捉えた。
心臓の音が、少しだけ早くなる。
「あたしもその……湊とすごしたいかなーって……」
(言ってやった……!恥ず!)
「え」
驚いた湊の顔が、みるみるうちに赤く染まっていく。
その顔を見て、さっきまでの筋肉痛が少しだけ和らいだ気がした。
(かわいい)
「……」
お嬢様が閉口する。
「めっちゃ参加したいけど、もうちょっと体調いい時に……」
「へば。まだ今度だな」
光莉も、棟方も参加する気はないようだった。
「……そう、残念ね」
(ほんとに残念そうじゃねーか)
(こいつも雪杜のこと好きなんだろうなぁ)
完全に当てが外れたお嬢様を心の中で観察していると、壁際から久我がよろよろと立ち上がった。
「では帰るでござる」
「つーか明日はやるのか?」
明日以降のことが気になって、あたしは軽く首を傾げた。
「あ、そうだ。御珠ちゃんキャンプは解散したけど、普通にやるから!」
「まことでござるか」
「毎日運動するって言ったじゃん。ここが正念場だよ」
張り切る咲良の言葉に、あたしは思わず呆れ声を漏らす。
「御珠がいると、また人が集まってくるぞ?」
「うーん」
咲良が困ったように、横に立つ御珠へ視線を向ける。
当の御珠は、腕を組んだまま堂々と宣言した。
「……キャンプはやらぬ。明日からは組手じゃ」
「マジか!ついに!」
(これで、あいつをぶっとばせる!)
「おし!待ってだ!」
「わーい。なんか面白そう」
光莉と棟方も組手に参加するようだ。
「慎平はどうする?」
雪杜が久我に水を向けると、答えたのは久我より先に咲良だった。
「こっちは基礎体力!体引き締めるのが目的だから!」
久我を巻き込む気満々の咲良に、あたしは思わず苦笑する。
渋々といった様子で、久我が小さく頷いた。
「承知したでござる」
(あっちは体を引き締めるのが目的か)
息を吹き返したあたしたちを前に、雪杜が冷静に場を整理し始める。
「じゃぁ、格闘班と二班に別れよう。
先輩とレナちゃんは?」
「私は参加できそうならするよ。毎日やるんだろ?」
「わたしもそうするわ」
雪杜は全員の顔を一度見渡し、小さく頷いた。
「じゃあ、きょうは解散で。
明日は冬期講習があるから午後からだね」
(まじか。進学校大変だな)
「全員一緒じゃなくてもいいんじゃね?」
「……じゃぁ好き好きにやるってことで」
あたしの提案を雪杜が上手くまとめたところで、3日目の集まりは完全に解散となった。
それぞれが帰路につく中、あたしは横に立つ湊へ向き直る。
「湊、この後……」
「そ、そうだね。どうしよっか」
「とりあえず、汗臭いし、一旦帰ってから集合ってことにするか」
「そうだね。着替えたいよね」
こうして、午後は痛む体を抱えながらデートすることになった。




