第22話 御珠式エクササイズ1
終業式が数日後に迫った午後。
畑には小雪がちらついていた。
どんよりとした灰色の空。
吹き抜ける風が容赦なく体温を奪っていく。
あたしは軍手をした手で、キャベツの根元にナイフを入れた。
刃先から伝わる冷たさに、思わず身震いする。
(寒みぃ。手が冷てぇ。早く教室戻りてぇ)
「大丈夫?華蓮」
「へーき。つ、冷たいだけだから」
隣で根切りを続ける湊が、心配そうにこちらを覗き込んできた。
その口からこぼれる息は、雪に溶け込むように白い。
湊はふう、と小さく息を吐いた。
「……野菜も、こうやって冬眠するんだね」
(詩人か)
(つーか、寒さで語彙死んでる場合じゃねぇ)
寒さのせいか、あたしの頭はまともに働くことを放棄しかけていた。
そんなあたしたちを容赦なく急き立てる声が響く。
「手を止めるな。切ったら、そこの穴あきビニールに並べろ。
このまま雪に埋めて放置だ」
工藤先生の指示に、隣の畝で作業していた光莉が不満げに唇を尖らせた。
「こんなんで、ほんとに美味しくなるのー?」
「なる。文句あるなら春まで食うな」
ピシャリと言い放つ工藤先生。
そこに、腕を組んで大袈裟に頷く声が割って入る。
「なるほどのぅ……雪の下で、より白く清らかになるということじゃな」
(こいつの白へのこだわりはなんなんだ)
どうやら畑の神は、冬の畑でもブレないらしい。
呆れるあたしの横で、大きな手でキャベツを抱え上げた棟方が口を開いた。
「雪さ埋めれば、めぐなるのはうぢでもやってら」
「へー、さすが農家」
「掘り出すのたんだでねーばって」
冷え切った畑に、工藤先生が腕時計を確認する動作が視界の端に映った。
「今日はここまでだ。
掘り出しは冬休み明けだ。
重労働だから覚悟しとけよ」
冬休み明けの重労働。
その言葉に、あたしは思わず眉間に皺を寄せる。
(マジか。春まで放置でいいんじゃね)
(手、感覚ねぇ)
かじかんだ両手を口元に寄せ、ハァ、と温かい息を吹きかける。
それでも指先の痺れは、簡単には取れそうになかった。
―――
教卓の前に立つ工藤先生が、抑揚のない声で言い放つ。
「休み中はハウスの見回りを交代で行うようにな。
では解散!」
その一言で、2学期最後のホームルームが終わった。
教室は一気に緊張が解け、すっかり解散ムードに包まれる。
あちこちで椅子を引く音が鳴り、皆が机の中身を乱雑に鞄へと詰め込み始めた。
(明日から冬休みか)
(クリスマス……)
湊と休みの予定でも相談しよう。
そう思って視線を巡らせた矢先、教室の入り口付近に不快なものが引っかかった。
文化祭の時に絡んできたバカが、こっちを見て薄ら笑いを浮かべている。
(あいつ、またニヤニヤしてるし)
(キモ)
鳥肌の立つ視線を無視して、顔を背ける。
と同時に、文化祭で思ったことが頭をよぎった。
(そうだ。あいつをぶっとばすためにも、御珠に弟子入りしたいんだった)
自分の身は自分で守る。それに、湊のことも。
あたしは立ち上がり、隣で荷物をまとめている藍色の後頭部を見つめた。
「……なあ、御珠」
「なんじゃ」
声をかけると、御珠は鞄を腕に抱えたまま、くるりと振り返る。
翠の瞳があたしを真っ直ぐに見上げてきた。
「ちょっと、話あんだけど」
「うむ。聞くぞ」
―――
終業式を終え、大半の生徒が帰宅した昇降口。
あたしは下駄箱の前で立ち止まり、言いにくそうに口を開いた。
「あたし……強くなりたいんだ」
すぐ隣にいた御珠が、ピタリと動きを止めてあたしをじっと見つめてくる。
翠の瞳が、射抜くように真っ直ぐに向けられた。
「ふむ。そなた、強くなりたいのじゃな」
「ああ」
「それは湊が望んだのか?」
「分からない。でもあたしが守らなくちゃ」
あたしの言葉に、御珠は少しだけ目を細めた。
「……ふむ。つまり、湊も強くなれば良いのじゃな」
「は!?」
「湊も呼ぶのじゃ。二人まとめて相手してやるのじゃ」
予想外の提案に、あたしは思わず口をぽかんと開けてしまった。
(そういう話じゃ……)
(いや、あいつも強くなる分にはいいのか)
(ムキムキにはなって欲しくないけど)
勝手に納得しているあたしの前で、御珠は少し考え込むように顎に手を当てた。
「じゃが、修行と言っても何をしようかのぅ」
「お前が普段やってるトレーニングでいいだろ」
あたしがそう返すと、御珠はきょとんとした顔であたしを見た。
「ふむ。妾が普段やってる修行のぅ」
(え、なんだその顔)
(普通のこと言っただけだよな?)
御珠は何かを考え込むように、うーんと唸って黙り込んでしまった。
しばらくして、何かに気づいたようにぽん、と手を打つ。
「ひとまず、持ち帰るのじゃ。
すぐに連絡するので待っておれ」
「ああ」
御珠は鞄を肩に担ぎ直すと、何やら考え込むような顔のまま歩き出した。
あたしは軽く手を挙げて、その背中を見送る。
(何か思いついたのかね)
(まあ、御珠のペースはいつものことか)
―――
帰宅して早々、あたしはベッドにどさりと寝転がった。
制服のまま、ぼんやりとスマホの画面をスクロールする。
と、不意に画面が切り替わり、着信を知らせる振動が手のひらを叩いた。
画面に表示されたのは御珠の名前。
ため息をつきつつ、通話ボタンをタップしてスマホを耳に当てる。
「もしもし?」
『いますぐ市民体育館に来るのじゃ。
きょうから始めるのじゃ』
「急すぎんだろ!」
あまりの唐突さに、あたしはガバッとベッドから上体を起こした。
(30分でこれか)
(こいつ、なんの当てがあって呼んでんだ)
(とりあえず、湊にも連絡すっか)
画面を操作して、今度は湊の連絡先をタップする。
数回のコールの後、聞き慣れた声が耳に届いた。
「湊か?実は御珠が――」
―――
「はい、整列!」
市民体育館のアリーナに、パンと甲高い柏手が響く。
声の主は、なぜかジャージ姿でやる気満々の咲良だった。
(いる気がしたけど、雪杜と咲良と、あと漫才でボケやってたやつもいるじゃねーか)
「はーい」
「御珠ど闘えるって聞いだんで来てみだ」
光莉が間延びした返事をし、棟方が腕を鳴らす。
(なんでこいつらまでいるんだよ!)
あたしはたまらず口を挟んだ。
「なんで咲良が仕切ってんだ?」
「よ、よろしくお願いします……」
隣で湊がおどおどと頭を下げる。
目の前で仕切る咲良に対して、整列しているのはあたし、湊、御珠、棟方、光莉、雪杜。
それに、文化祭で雪杜と漫才をやっていたボケ担当の男。
総勢七名。
(改めて見ると、濃いメンツだな)
キョドりながら、そのボケ担当が一歩前に出た。
「せ、拙者。久我 慎平と申すでござる」
「雪杜と漫才やってたヤツだよな。坂本だ。よろしくな」
「よろしくでござる」
(そうそう。こんな名前だった)
(ってか普段も“ござる”かよ!)
心の中でツッコミを入れていると、隣の湊がパッと顔を輝かせた。
「慎平くん!久しぶり!」
「田中氏!久しいでござる!」
(名前呼び!?)
完全に予想外の反応に、あたしは思わず湊を二度見した。
「え?湊の知り合い?」
「うん。VTuber繋がりでちょっと」
「へー」
(湊の交友関係、あたしの知らないとこで広がってんだな)
少しだけ胸の奥がチクッとした気がしたけど、気づかないフリをした。
自己紹介の流れに乗り、光莉と棟方も口を開く。
「久我っちだね。光莉だよ」
「わは、棟方」
「ひ、光莉殿に棟方氏」
光莉の軽いノリと体格のいい棟方に迫られ、慎平が一歩後ずさる。
それを見て満足したのか、咲良が再びパンパンと手を叩いた。
「挨拶は済んだかな。
それじゃぁ、始めよっか。
まずは、準備運動だね!」
咲良の号令で、全員が二人一組になってストレッチを始める。
湊と組んだ棟方が、湊の背中に手を回した。
「そーっとお願いね」
「まがへろ」
棟方がぐっと体重をかけて押す。
「痛い!痛い!そーっとって言ったのに!」
「めやぐ」
(湊、大丈夫か……あとで揉んでやろうか)
(いや待て、それ変な意味に聞こえるだろ)
あたしは一人で顔を熱くしながら、光莉と背中合わせになる。
「なんか体育やってるみたいだな」
「あんま変わんないっしょ」
光莉のあっけらかんとした返事を聞きながら、ふと隣のペアに視線を向ける。
なぜか仕切り役だったはずの咲良が、御珠に背中を押されていた。
「え!?私も!?」
「ほれ、ほれ。突っ立ってるだけでは退屈じゃろ」
「えー!痛い!痛いって!もっと優しくして!」
(咲良、御珠にペースのっとられてないか?)
悲鳴を上げる咲良と、楽しそうに笑う御珠。
なんだかんだで、いつもの賑やかなペースに巻き込まれていた。
―――
ストレッチがひと段落したところで、咲良がパンと手を叩いた。
「準備運動終わったね。次、ランニング。体育館10周」
「じゅ、10周……」
久我があからさまに顔を引きつらせる。
あたしは軽く首を回しながら、強がって見せた。
「まぁ、ランニングは基本か。体育でもそんくらいやってるしな」
「大丈夫。みんなのペースでいいから」
咲良はそう言って微笑むと、隣で暇そうにしている御珠に視線を向けた。
「御珠ちゃん」
「ぬ?」
「皆にお手本見せてあげて」
「ふむ。承知した」
短く応じた御珠は、次の瞬間、凄まじい勢いで床を蹴った。
体育館の床がキュッと鳴ったかと思うと、もう視界のずっと先を藍色の髪が風を切って進んでいる。
「は、速……!?」
「速すぎだろ!」
「さすが、家がら毎日走って通ってるだげあるべ」
棟方の言う通り、家から毎日走って通っているだけのことはある。
だが、それにしても異常なスピードだ。
(本当に人間か?あいつ)
あまりの速さに、アリーナにいた他の一般利用者たちも何事かとざわめき、あっけにとられて眺めている。
そんな異常な光景を前に、久我が鼻息を荒くして身悶えしていた。
「な、なんと美しい走りでござるか……
のじゃロリ、走ってもなお可愛い……拙者も負けてはおれぬでござる!」
気持ち悪い気合いを入れた久我が、よろよろとした足取りで走り出す。
「いいよ、その意気!」
咲良の明るい声援が響く。
遠ざかっていく御珠の背中を見つめ、あたしはぎゅっと拳を握りしめた。
「……あたしも、御珠みたいに強く」
「華蓮、無理しないで」
隣で心配そうに声をかけてくる湊の腕を、強引に引っ張る。
「湊も一緒に走るんだよ」
「えー」
情けない声を上げる湊を引き連れ、あたしたちもトラックへと飛び出した。
(一緒に走ればちょっとは体力つくだろ)
(それに、湊が隣にいると頑張れる)
それぞれのペースで、果てしなく感じる10周のランニングが始まる。
キュッ、キュッと体育館シューズが床を擦る音が響く。
数周もすると、じわじわと足が重くなってきた。
(きつい。息が上がる)
(でも、なめられないように)
(強く)
荒くなる呼吸を必死に整えながら、あたしはただ前だけを見て走り続けた。
―――
いつの間にか、アリーナの中心に立っているのは咲良ではなく、藍色の髪を揺らす華奢な少女になっていた。
「ほれ。次は筋トレじゃ」
「まずは腕立てじゃ」
「腹筋じゃ」
「スクワットじゃ」
次々とメニューを指示していく御珠を前に、あたしは思わず呆れ果てる。
(咲良、のっとられちまったな)
最初の言い出しっぺは完全に隅に追いやられていた。
そんなことはお構いなしに、御珠は参加者たちを容赦なくしごいていく。
「慎平、遅い。もっと早く。こうじゃ」
言葉と同時に、御珠が目にも留まらぬ速さで高速スクワットを披露した。
その人間離れした動きに、オタク忍者の顔が絶望に染まる。
「む、無理でござる……」
「ほれほれ。どうした。もう終わりか」
(煽り方が的確すぎて腹立つ)
上から目線でニヤニヤと笑う御珠の顔を見て、あたしも無言で歯を食いしばった。
それから、地獄のような時間が経過した。
体育館の時計の針は、あれから30分しか進んでいない。
冷たい床の上に、全員が仰向けになってバテていた。
「も゛う゛無理。てかなんで御珠ちゃんが」
「こいつなんでこんなに元気なんだよ」
あたしも咲良に同意して、涼しい顔で立っている御珠を見上げる。
「ふむ。初日から無理をしても良くないの。今日はここまでじゃ」
これだけボロボロにしておいて、どの口が言うんだ。
だが、反論する気力すら残っていなかった。
「「「ありがとうございました」」」
這うようにして起き上がり、全員で情けない声の挨拶を返す。
(体、バキバキだ……)
床についた手のひらが、ぷるぷると震えている。
(でも……ちょっとだけ、強くなれた気がする)
荒い呼吸の中、あたしは汗ばんだ顔で隣の湊の様子を窺いながら、確かな熱を噛み締めていた。




