第5話 逃げた先で
放課後。
御珠と並んで廊下を歩いていたら、前の曲がり角のあたりがなんか騒がしかった。
(……?)
人だかり、というほどじゃない。
でも空気がいやな感じだった。
近づいて、見えた。
壁際に田中が立っている。
リュックを背負ったまま固まっていた。
前に、知らない顔の男子が三人。
(……あれ、絡まれてんの?)
もう少し近づこうとしたとき、人だかりの脇から棟方がずいっと顔を出した。
「お?知り合いか?」
全員が棟方を見た。
(……空気読めよ!!)
棟方はムキムキのまま自然体で三人の間に入っていく。
男子たちが一瞬ひるんだのがわかった。
体格差がある。
明らかにある。
でも、引っ込みがつかなくなったのもわかった。
「……あ?誰だよお前」
「わは、生物生産科の棟方。田中のクラスメイトだべ。おめは?」
「はあ?」
「同中が?田中のけやぐ?」
(こいつ、状況わかってないのかわかってて突っ込んでんのか……)
田中は棟方の横で目が泳いでいる。
(……行くか)
そう思って隣を見た瞬間、御珠はもう歩き出していた。
(早!!)
「何をしておるのじゃ」
声が通った。
全員が御珠を見た。
一瞬、廊下が静かになった。
(……そりゃ見るよ。見るしかないよ)
御珠は別に何もしていない。
ただ立っているだけ。
でも人が止まる。
それがこいつの厄介なところだ。
ざわざわと、男子たちの空気が揺れる。
「……え、なんか……」
「こいつ噂ののじゃ野郎じゃね?」
「めっちゃかわいい……」
「あの……これからお茶しにいきませんか」
「妾には許嫁がおる」
「え」
「は」
「ぬしら、田中を囲んで何をしておると申しておる」
リーダー格らしい男子が、棟方と御珠を交互に見ている。
完全に収拾がつかなくなっていた。
(ダメだ。もう手に負えない)
田中が壁際でぎゅっと目をつぶったのが見えた。
(……あたしがやるしかないな)
大きく息を吸った。
「先生ーーー!!!」
廊下に声が響いた。
全員が止まった。
「喧嘩でーす!!廊下で喧嘩してまーす!!」
「な、喧嘩じゃねーし!!」
「お!?喧嘩!?どごで!?」
「問答しておるだけじゃ」
(全員うるさい)
遠くから足音が聞こえた。
教師の靴の音だ。
男子たちが慌てて顔を見合わせた。
(そうだよ。逃げろ)
三人、蜘蛛の子を散らすように走っていった。
廊下の向こうに消えた。
「あら、逃げだ」
「なんじゃったのじゃ」
(お前らが聞くな)
―――
先生は「廊下は走るな」と怒鳴りながら通り過ぎていった。
誰も喧嘩なんかしていないので、そのまま行った。
「はぁ、どってしたぁ」
「謎の多い放課後じゃ」
(何が謎だよ……)
田中が動いた。
壁際から離れて、あたしのほうを向く。
「……助けてくれて、ありがとう」
声が少し震えていた。
(ああ、だいぶ怖かったんだな)
「でも……」
田中は下を向く。
「僕にかかわると、坂本さんも、どうなるか分からない。
……また、こういうことがあるかもしれない。
だから、もう近づかないで」
「は?」
「棟方、黙って」
「お、おう……」
しばらく黙って、田中を見る。
田中は顔を上げない。
(……こいつ、なんで農業高校来たんだろ)
(ずっと気にはなってたけど)
「……中学の、ときも、こういうことがあって」
田中が、小さい声でぽつぽつと話す。
「だから、知り合いが少ない学校に行けば、もう……って思って、農業高校にしたのに」
(……あ)
(そういうことか)
胸のあたりがつっかえるような感じがした。
言いたいことがいくつかあった。
でも最初に出てきたのは、一番シンプルなやつだった。
「どうするかは、あたしが決める」
田中が、ハッとして顔を上げた。
「お前は普通にしてていい。味方が三人もいるんだぜ」
棟方が親指をぐっと立てた。
「んだ!!」
御珠が静かにうなずいた。
「うむ」
田中が、三人の顔を順番に見た。
(なんか言えよ)
田中の目から、ぽろりと涙が出た。
(……え)
「……ありがとう、ございます」
声が涙声になっていた。
(いや、泣くな……なんで泣くんだよ)
「泣くなよ」
「……」
「本当に女みたいだな」
「ほっといてよ」
涙声で言い返される。
(言い過ぎたか?いや、でも……)
棟方がけらけら笑っている。
「はは!坂本、そいだば言い過ぎだって!」
「華蓮よ。それは少しひどいのじゃ」
「……うるさい」
田中が袖で目をこすっている。
(……高校生にもなって泣くなよ)
(なんか……胸のあたりが、うるさい)
「……さっさと拭けよ」
「……うん」
田中がゴシゴシと袖で目をこすっている。
御珠が、しばらく田中を見ていた。
「そなた。昔の雪杜に似ておるのぅ」
「雪杜?」
「うむ。あやつも昔は泣き虫じゃった。
いまでこそ逞しくなったが、ことあるごとに泣いておったわ」
御珠が、どこか懐かしそうな顔をする。
(始まった)
「まず雪杜はじゃな――」
「はいはい。雪杜はまた今度」
「何故じゃ!?」
「許嫁の名前、雪杜くんっていうんだ」
「そうじゃ」
「ふふ。今度会って見たいな。泣き虫だったの親近感沸く」
「遊びに来るがよい」
(おいおい勝手に決めていいのかよ)
(男連れてきたら、雪杜泣くぞ)
「わも、わも!雪杜さ会ってみて!」
「うむ。皆で来るのじゃ」
(二人に増えたぞ……雪杜卒倒だな)
「とりあえず部活行こうぜ」
「んだった。わも途中だったんだじゃ。へば」
「うむ。へばのぅ」
(釣られてんじゃねーか)
「僕たちも行こっか」
「あぁ」
「うむ。蘭を愛でるのじゃ」
田中の隣に並んで歩き出す。
「……坂本さん」
「なに」
「本当に、ありがとう」
(だからそれはもう聞いた)
「……うん」
上手い返し方が出てこなかったから、それだけ言った。
廊下の窓から、午後の光が差し込んでいた。
田中の鞄についてるチャームが、少し光った気がした。
(……田中)
(農業高校に逃げてきたのか……)
遠くで棟方が先輩に叱られている声が聞こえた気がする。
御珠が「蘭は繊細な花なのじゃ」と蘭の講義を始める。
「……騒がしい人たちだね」
隣で、田中が小さく笑った。




