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神愛 ― それいけ華蓮ちゃん ―  作者: 神愛
第1章 全部こいつらのせい
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第4話 炎上の治め方

自室。

そろそろ寝ようかと、ベッドに横になる。


(……やっぱり気になるな)


帰り際、ちらっと見た篠見農業情報板。

もう一度開く気にはなれなかったけど、結局また開いてしまっていた。

夕方より、書き込みが増えている。


《天野さんて中学どこ?》

《篠見中だって》

《同中のやついる?》

《うち篠見中!!あの人超有名だったよ》

《え、何が?》

《いろいろ》


(いろいろって、なんだよ)


嫌な予感がした。

スクロールする指が、少しだけ重くなる。


《孤児なのはマジ》

《同級生の男と二人暮らし》

《は!?》

《その男には別に彼女がいる》

《は!?》

《子供ができないって話も聞いた》

《は!?》

《その男は生徒会長やっててなんか面白いやつだった》

《情報多すぎ》


(よかったな雪杜。ハーレム王じゃなくて、面白いやつだってよ)


あたしが知っているのは、中学のときに御珠本人が自分でクラスに話したからだ。

あの大暴露は忘れない。

それが今、全然知らない人間の指先でこんなふうに転がされている。


(気持ち悪……)


スクロールする手が、また動く。


《なまりのやつと女みたいなのもいたよな》

《あと茶髪のギャル》

《農業高校らしさあって草》

《天野さんて彼氏いるの?》

《許嫁いるって自己紹介で言ってたよ》

《は?誰?》

《たぶん同居の男》

《でもさっき別に彼女いるって》

《許嫁と一緒に住んでるけどそいつには彼女いるのか?》

《訳が分からん》


(まぁ、そうだな)


少し笑えた。

事情を知らないとこうも混乱するのか。


《懸想するなとか言ってたなぁ》

《中学生のあだなが冷輝姫だったよ》

《なんだそれ》

《告ってきたやつを公開処刑にしてた》


佐々木のことか。

修学旅行で謝ってたな。

あーゆーことをしたくないから、前もって牽制したんだろうな。

どこまで効くかわからんけど。


《ていうかあの子、明日も来るのかな》

《来るでしょ普通に》

《色々バレてて気まずくない?》

《本人は気にしてなさそう》


(……そりゃそうだ。こんな掲示板、あいつは絶対見てない)


見ているのはあたしだけで、御珠は今頃雪杜の隣でのんきにしているんだろう。


(……でも周りが)


明日の教室を想像する。

こうして情報が出回れば、好奇の目が増える。

嫌なことを言う奴も出てくるかもしれない。


(御珠は平気だろうけど、嫌だな。そういうの)


ため息をついて、また下へスクロールした。

書き込みの中に、ひとつだけ毛色の違うものがあった。


《その人、いろいろ事情があるんじゃないかな》

《そっとしておいてあげようよ》


(……)


短くて、角がなくて、余計な煽りもない一言。

流れに逆らって、そこだけ静かだった。


(誰だこれ……)


名前は当然ない。匿名だ。

でも、なんとなく。


(……雪杜?)


こういうのは駆の役目だと思ってたけど、もう別々になっちまったもんな。

しっかし下手くそだな。

こんなん余計燃えるに決まってんだろ。


《本人乙》


これ以上余計なことを書かないように釘を刺しておいた。

こういうのはほっとけばいいんだよ。


スマホを伏せてベッドに転がった。

天井を見上げる。


(明日、荒れなきゃいいな……)


御珠の涼しい顔が浮かんだ。

どうせこいつは何があっても平然としているんだろうけど。


あたしはスマホを枕元に置いて、目を閉じた。


―――


朝。

教室に入った瞬間から、空気がなんか変だった。

いつものざわざわじゃない。


声が小さくて、妙にねちっこい感じのやつ。

自席に向かいながら、出所を探るように視線を動かす。


数人が顔を寄せ合って何かを話していた。

スマホの画面を見せ合っているやつもいる。


(……やっぱり広まってるか)


昨夜のあれだ。


御珠の席を確認した。

すでに着席している。


窓の外を眺めて、ぼんやりしている。

いつもと変わらない顔。

どこまでも涼しい顔。


(……気にしてないのか、気づいてないのか)


鞄を置いて座ったところで、ひそひそ声のひとつがすぐ近くを通り過ぎた。


「……孤児なんだって」

「え、マジ?保護者は?」

「いないんじゃないの」

「あの語尾も普通じゃないしさ」

「なんか、怖くない……?」


(うるさい)


胸の奥がじわっと熱くなった。


ムカつく、というより、嫌な感じ。

知らない人間に、知らない形で、御珠のことを消費されている。


あたしは視線を前に固定した。

御珠には聞こえていないはずだけど、聞こえていたとしても、あいつはたぶん何も言わない。


(そういうやつだから)


ホームルームのチャイムが鳴った。

工藤先生が教卓の前に立ち、出席を取り終えると、腕を組んだまま教室を一度見渡した。


「言っておくことがある」


低い声が走って、ひそひそが止まった。


「天野については、保護者から事前に連絡を受けている。

 特殊な事情があることは確かだ。

 余計な詮索はしないように」


短くて、無骨だった。

言い訳がなくて、嘘もない。


(……工藤先生)


少し、ほっとした。


「以上だ」


先生が次に進もうとしたところで、教室の一角からすっと人が立ち上がった。

御珠だった。


「ひとつ、よいか」


静かな声だった。

工藤先生が片眉を上げる。


クラス中の視線が、一瞬で御珠に集まる。

御珠はまっすぐに周囲を見渡してから、口を開いた。


「皆の者。妾の出自のせいで迷惑をかけておることを、心苦しく思う。

 ただ……どうか……温かく見守ってはくれぬか」


深く、頭を下げた。

教室が静かになった。


さっきのひそひそとは全然違う静かさ。

あたしはその横顔をじっと見ていた。


(……こいつ)

(自分から言うのか)


謝るとか、かわいそうに見せるとか、そういう感じじゃなかった。

ただまっすぐに。


引け目もなく、言い訳もなく。

頭を上げた御珠の表情は、穏やかだった。


あたしは小さく手を叩いた。

誰かが釣られて手を叩く。

拍手がひとつ、ふたつと増えていく。

それが広がって、教室にあたたかいものが満ちていく。


工藤先生が短く頷いた。


「座れ」


御珠が静かに椅子を引く。


(……なんで毎回こんなに格好いいんだよ)


あたしはそれだけ心の中で言って、前を向いた。


―――


休み時間。

隣の席に寄って、小声で聞いた。


「……なんで自分から言えんの」

「ん?」

「朝のやつ。頭下げるの、怖くなかったのか」


御珠がちょっと考えるような顔をしてから、ふっと笑った。


「妾らは何度も炎上しとるからの」


「……」


「隠すから燃えるのじゃ。真摯に向き合えば、存外受け入れられることを知っておる」


(何度もって……)

(確かにことあるごとに燃えてたなぁ)


「……経験者は語る、ってやつ?」

「左様」


どや顔だった。


(こいつ、全然懲りてないな)


「もしかして雪杜の入れ知恵?」

「かか。その通りじゃ。妾の伴侶、すごいじゃろ?」


(オプチャの火消しは下手くそだったけどな)


―――


この日から普通の座学も始まった。

数学の教科書をパラパラとめくってみると、謎の文字が躍っている。


(まぁなんとかなるっしょ)


ここは農業高校。

数学なんかできなくても大丈夫なはずだ。

……たぶん。


午後。

体育館の冷たい床で、1年生全員が体育座りで並んでいる。

ステージ上では、各部の部長が順番に立ってアピール中だ。

隣の御珠をちらっと確認する。

涼しい顔でまっすぐ前を向いている。


(……今のところ何も起こってない)


朝のあの空気から、どうなることかと思ったけど。


「続きまして、ウェイトリフティング部です!」


司会の声が響いた瞬間、斜め前に座っていた棟方がぐいっと前のめりになった。

膝が床をどん、と叩く音がする。


(……前のめりになってる)

(もう決まってんだろ、あいつ)


「記録が伸びた瞬間の達成感は、他の何にも代えられません!!」


熱い言葉とともに、別の部員が実際にバーベルを持ち上げてみせた。


「お……おおう!」


棟方が低く唸る。

周囲の1年生がちらちらと棟方を見ているが、本人はまったく気づいていない。


続いて、農業クラブの紹介に移った。


「品評会への出展や、地域のマルシェへの参加もあります」


御珠が口元に手を当て、ステージを食い入るように見つめている。


(……真剣だ)

(農業クラブ、入るのか?)


次は園芸部の紹介だった。

部員数人がステージに立ち、育てた花の鉢や押し花の作品を掲げている。

あたしは、自然とそれに釘付けになった。


(……きれいだな)


ふと気づくと、斜め前の田中も同じ方向をじっと見ていた。


「校内の花壇管理から押し花・ドライフラワー制作まで。のんびりやってます。男女問いません!」


紹介が終わると、御珠があたしの耳元に顔を寄せてきた。


「華蓮よ」

「ん」

「妾は帰宅部にするのじゃ」


(やっぱり)


「知ってた」

「農業クラブが気になるのじゃが……早く帰って雪杜のそばにおりたいのじゃ」


(迷ってたのか。でも雪杜を選ぶか。まぁそうか)


あたしは小さく頷いて、再び前を向いた。


―――


放課後。

帰りのホームルームが終わるや否や、御珠がさっさと鞄を肩にかけた。

「早く帰って雪杜のそばにおりたい」の言葉通りだ。


「ちょっと待って」

「何じゃ」


不思議そうな顔で振り返る。


「見学だけでもいこーぜ」

「妾は帰宅部じゃぞ」

「わかってる。覗くだけでいいから」


少し考えるように視線をさまよわせた後、御珠が小さく頷いた。


「……まあよいのじゃ」


二人で部室棟の廊下をぶらぶら歩く。


どこからか聞こえてくる吹奏楽の音。

美術部の前を通ると、ツンとした絵の具の匂いがした。


さらに廊下を進むと、開け放たれた扉の奥にウェイトリフティング部の部室が見えた。

棟方が顧問らしい先生の隣に立って、バーベルを真剣な顔で見つめている。


「……早っ」

「あの者は即決じゃったな」

「説明会の途中で決まってたろあれ」


棟方はこちらの視線にまったく気づかず、先輩部員に何かを訊き込んでいる。

横顔がやけに満足そうだ。


邪魔をするのも悪いので、あたしたちはまた廊下を歩き始めた。

しばらく歩いたところで、隣の御珠が不意に口を開いた。


「妾、野菜だけではなく花も愛でたいのじゃ」

「……お前帰宅部じゃなかったのか」

「愛でるだけじゃ。入部はせぬ」


(見学に付き合えってことか)


自分から言い出したわけじゃなく、あくまで見学のついでだと言わんばかりの顔だ。


(御珠が入るなら……)

(……いや入部はしないって言ってるし)

(でも)


あたし自身も、あの説明会から少し気になっていたのは確かだ。


「……まあ、覗くくらいならいいか」


あたしたちは並んで、園芸部のほうへ向かって歩き出した。


―――


園芸部の部室は、廊下の少し奥まったところにあった。

開け放たれた扉の隙間から、ふわりと花の匂いが漂ってくる。

中からは先輩たちらしき女子の楽しげな話し声が聞こえた。


その扉の前に、田中が一人で立っていた。

中を覗き込んでは、ためらうように半歩下がり、またそっと覗き込んでは下がる。


(……入れないのか)


あたしは少し離れたところで立ち止まり、その様子を観察した。


(声かけるか……)


隣で、御珠がふっと小さく笑う気配がした。


「……なに笑ってんだ」

「なんでもないのじゃ」


御珠の目がわずかにあたしのほうを向き、またすぐに前へと戻る。


(……絶対なんか思ってる)


あたしは御珠から視線を引き剥がし、田中の背中へ向かって歩き出した。


「田中」


びくっ!と田中の肩が大きく跳ね上がった。

振り返った顔は驚きに見開かれ、ほんのりと赤くなっている。


「さ、坂本さん……」

「……何してんの、こんなとこで」


田中があたしから視線をそらす。

開いた扉をちらっと見て、すぐにまた自分の足元を見た。


「……入ろうと思ったんだけど」

「うん」

「……一人だと、ちょっと」


言葉を濁して、田中はまた口をつぐんでしまう。


(……なるほどね)


知らない先輩だらけの部屋に、1年生が一人で飛び込む。

なかなかの心理障壁があるのはわかる。


「あたしも入ろうかと思ってたとこ」

「え……」

「一緒に行けばいいだろ」


ぽかんとする田中を置いて、あたしはそのまま扉に手をかけ、大きく開け放った。


―――


部室の中は、思ったより静かだった。

棚に並んだ鉢植えや、窓際に吊るされたドライフラワー。

奥の作業台では、先輩らしい生徒が二、三人、静かに手を動かしている。


「あ、見学ですか?」


あたしたちに気づいた先輩が顔を上げた。

人の良さそうな笑顔で、威圧感はまったくない。


「……はい、ちょっと」


適当に返しつつ、部屋を見渡す。


棚の端に、白い花がひとつ置いてあった。

細い茎の先に、白い花びらがいくつもついている。

ひらいた形が、ちょっとだけ蝶みたいだった。


(……きれい)


そのとき、背後からするっと誰かが入ってきた。

御珠だった。


気配もなく隣に並んだかと思うと、そのまま真っ直ぐ棚の前へ歩いていく。

そして、あの白い花の前で、ぴたりと足を止めた。


「……これは」


花に顔を近づける。


「蘭か」

「そうです、胡蝶蘭で」


先輩が優しく答えるが、御珠は返事もせず、じっと花を見ていた。


「……美しいのじゃ」


ぽつりと、そこだけ素の声が漏れた。


先輩が少し首をかしげつつも、「入りますか?」と御珠に声をかける。

御珠は、少し間を置いて口を開いた。


「……うむ」


「帰宅部は?」

「花が、呼んでおる」

「そっか」


先輩がにこにこしながら、机からプリントを三枚出してきた。


「三人分でいいですか?」

「……あ、はい」


受け取ってから、横で大人しくしている田中を見た。

気づけばそういうことになっていた。


―――


その後も部室で、先輩からちらほらと説明を受けた。

ひとまず本格的な活動は明日からということになり、そのまま帰り支度に向かった。


ふと、隣を歩いていた御珠が立ち止まり、スマホを耳に当てた。


「雪杜か。今日、少し遅くなるのじゃ。……うむ。では後でな」


短い通話を終えて、さっさとスマホをポケットにしまう。

その様子を、田中が横目で少し気にしていた。


「……許嫁の方ですか?」


小さな声だった。


「うむ。妾の大切な者じゃ」


御珠は隠すこともなく、あっさりと答える。


「……そうなんですね」


田中はそれだけ言って、また黙った。

嫌な感じじゃない。

ただ、他人の大事なものを、静かに受け取った──そういう感じがした。


(……変なことも聞かないし、馬鹿にもしないな、こいつ)


再び歩き出した三人の足音が、静かな廊下に響く。

窓の外は、もうすっかり夕方の色になっていた。


「田中よ」

「は、はい」


唐突に呼ばれて、田中が肩をビクッとさせる。


「花が好きなのか?」

「……はい。小さい頃から」


「よいのじゃ。妾も今日から好きになったのじゃ」

「今日から……」


「ま、こういうやつなんだよ」


あたしが横から口を挟むと、田中が小さく笑った。

声に出さない、口元だけの控えめな笑いだったけど、あたしにはちゃんと見えた。


(……笑うんだな、あいつ)


なんとなく、それだけ思った。

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