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神愛 ― それいけ華蓮ちゃん ―  作者: 神愛
第2章 臆病者たちの一歩
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第20話 あたしの覚悟

時計の針が午前10時を回ったところで、人混みの中から見慣れたウィッグの女の子が小走りで近づいてきた。

リュックを背負って、ちょっと息を切らしている。


「おはよう。華蓮」

「おはよう」


(……もう慣れたと思ってたけど)

(やっぱ、かわいいな)


小走りで駆け寄ってくる湊に、短く言葉を返す。


「浜の家の近くにある海沿いの公園が綺麗なんだって」

「海沿いか。ちょっと寒くないか?」


「きょうは天気いいから大丈夫だって。白鳥もちらほら集まってきてるみたいで」

「へー。白鳥か」


並んで駅の改札へと向かいながら、ぼんやりと別の顔が頭をよぎった。


(白いから、御珠好きそうだな)


電車に揺られる車内。

特に気の利いた会話はなかったけれど、窓から差し込む秋の陽射しは暖かく、穏やかな時間が流れていた。

座席でそっと重なり合った指先は、どちらからともなく絡め合ったまま離れない。


(よかった。まだちゃんと好き)


最寄り駅で降り、潮の匂いが混じる風を浴びながら海辺の公園を目指す。

入り口付近に、こぢんまりとした弁当屋が見えてきた。


「ここのお弁当屋さんが美味しいんだって。買って公園で食べよ?」

「いいな、それ」


ガラスケースの中に並んだメニュー札を見上げる。


(いっぱいあるな。なんにしよ)


迷った末に、あたしは焼肉弁当を選び、湊は野菜たっぷりのスタミナ弁当を手にした。

公園内をゆっくりと歩き出す。


少し冷たい海風が頬を撫でるけれど、頭上を彩る木々の紅葉は鮮やかで綺麗だった。

水際まで出たところで、湊が弾んだ声を上げた。


「あ、白鳥いた!」


指差す先には、十羽ほどの白い鳥が静かに水面を漂っている。


「かわいい」

「かわいいな」


二人で並んで、ゆったりと動く水鳥の群れを眺めた。

海風を避けるように園内を少し戻り、屋根のついた東屋を見つけて弁当箱を広げる。


「美味しいね」

「うん」


他愛もない会話を交わしながら、ゆっくりと箸を進める。


やがて空になった弁当箱を片付け、ペットボトルのお茶で喉を潤した。

風が木々を揺らす音が、静かに耳へ届く。


(そろそろだな……)


「進路、だけど……」


湊の肩がびくっと跳ねる。

ついにきたか、とでも言うように身構えたのが伝わってきた。


「うん……」


「昨日、親にも相談したんだ」

「うん」


「進学費用は出せないって。通うなら奨学金で通えって」


空になった弁当箱を見つめたまま、湊がぽつりと返す。


「そっか」


「湊は親に相談した?」

「……一応」


(一応、か)


歯切れの悪い響きに、思わず湊の顔を覗き込んだ。


「何て言われた?」

「……国立大なら許すって」

「許す?」


(ずっと塞ぎこんでるのはこれか……)


組んでいた手に、少しだけ力を込める。


「話して、くれるか」

「うん……」


湊は俯いたまま、ぽつぽつと事情を語り始めた。


農業高校への進学も元々は親に大反対されたこと。

見かねた姉が庇い、なんとか説得してくれたこと。

それでも親はいまでも快く思っておらず、農業の道に進むなら国立大学しか許さないと言い渡されていること。


「そっか。親とあんま仲良くないんだな」


(自慢のお姉ちゃんか……)


湊が姉のことを口にする時の、少しだけ救われたような表情が胸に残る。


「特に父さんが……私がなよなよしてるのが気に入らないみたいで……」

「なよなよなんて言うなよ。あたしが選んだ湊はなよなよなんかしてない」


強めに言い切ると、湊が驚いたようにこちらを見た。


「ちょっとかわいいものが好きなだけの、優しい男の子だ」

「華蓮……」


潤んだ瞳が揺れ、湊の頬がほんのりと朱に染まる。


「それで国立大なら通っていいって……

 お花は好きだけど、ガチ研究したいわけじゃないんだよね……」


「大学が無理な場合は?」

「専門学校いけって。IT系のヤツ」


溜め息混じりの言葉の隙間を、冷たい海風が通り抜けていく。


「農業高校の知識がほとんど役に立たなくなるけど」

「ま、そこはあたしも一緒だな」


「あと、県職員」

「へー」


意外な選択肢が出てきて、思わず相槌を打つ。


「高卒採用枠ってのがあるみたい。

 たぶん、農業関係の課に回されるだろうけど」


(転勤多そうだな)


「あとは大手への就職」


湊は自分の指を折りながら、親から提示されたという進路を数え上げた。


「農業高校は県内の建築や食品関連会社への就職が強い」

「割としっかり考えてんだな」


(めっちゃ真っ当な親だった)


「花き系の農業法人も探したけど、県内だとほぼ求人がなくて……

 花を諦めるなら、いろんな可能性があるんだ」


自嘲気味に笑う湊の横顔が、どこか遠くに行ってしまいそうで胸がざわつく。


「花は趣味で愛でるしかないのかも……

 せっかく親の反対押し切って、農業高校来たのに……」


(湊……かわいいものが好きなばっかりにいじめられて、逃げるように農業高校きたのに……)

(そこでも好きなことさせてもらえないって……)


ぎゅっと奥歯を噛み締める。


(でも……でも……だからあたし達は出会えた)


「華蓮は……どうするの?」

「あたしは……」


(いろんな可能性を考えた)


頭の中で、いくつもの選択肢が浮かんでは消えた。


『いつまでも傍におるのじゃ』


(御珠が好きで、告白した時の言葉)

(いまは湊が好き)


潮風が前髪を静かに揺らす。


(でも御珠のそばにもいたい)

(湊とも一緒にいたい)


(きっと湊もこの言葉を待ってるんだよな)

(あたしの出した……答え……)


膝の上で強く拳を握りしめ、意を決してその言葉を口にする。


「湊と……一緒に……農大に……行きたい……」


(言った……言ってしまった……)


湊の丸い瞳が、驚いたように少しだけ見開かれた。


「……」

「農大の農産園芸科で、野菜と花の栽培の基礎が学べる……」


静かな波の音が、遠くから聞こえてきた。


「……」

「御珠も、光莉も、雪杜も、咲良も、みんなで、一緒に、楽しく……」


湊は何も言わず、ただじっとあたしの顔を見つめている。


「……」

「美容師は、通信課程ってのがあって、専門学校に通わなくてもなれるんだって」


潮騒だけが響く時間が流れる。

やがて、口を閉ざしていた湊がゆっくりと声を絞り出した。


「……華蓮」

「……」


「美容師諦めちゃうの?」

「……諦めるわけじゃない。ちょっと後回しにするだけで」


俯いた湊の肩が、微かに震えていた。


「農大は、きっと親が反対する……」

「でも、みんなで一緒にいるにはこれしか方法が……」


「私は華蓮とさえ一緒にいれればいいよ?

 私が市内の専門学校か就職先を探すよ」


湊の必死な訴えが、海風に乗って届く。


「華蓮は美容専門学校にいく。

 これなら、誰も傷つかないし、一緒にいられるよ?」


優しい言葉が、かえって胸を締め付けた。

堰を切ったように、心の奥に抑え込んでいた思いが溢れ出す。


「それじゃダメなんだ!

 湊は花を育てないとダメなんだ!

 たなこは、VTuberのたなこは花の妖精なんだ!」


震える声で、思いの丈をぶつける。

湊は何も言えず、ただ呆然とこちらを見つめていた。


「農大なら花を育てられる。

 花屋にだってなれる。

 みんなと一緒に、笑って……花を……」


視界が急にぼやけ、頬を熱いものが伝う。


「華蓮……」


「農大なら花を育てることができるんだ。

 アルバイトじゃなく、職業として、ちゃんと……」


湊は驚いたような顔で、涙の止まらないあたしを見つめている。


「……華蓮。私のことも考えてくれたんだね」


無言のまま、何度も首を縦に振る。


「泣かないで」

「泣いて……ない」


袖口で乱暴に目元を擦るが、後から後から涙が溢れてくる。

どう見ても泣いているのは明らかだ。


「……」


困ったように微笑んでから、湊は少しだけ俯いた。


「……農大に行ったら、父さんと縁を切られるかもしれない」

「……うん」


「奨学金と、アルバイトで学費と、生活費を稼がないといけない……」

「……うん」


寄せては返す波の音が、二人を包み込む。


「それでもいい?」

「……いい。あたしも頑張る」


まるで一緒に住むことが決定しているような言い方に、顔がさらに熱くなる。


「きっとお金なくて苦労するよ?」

「……いい。いまでもお金ないし」


湊はゆっくりと海の方へ視線を向けた。

白鳥が静かに、水の上を滑っていくのが見える。


「……考えてみる」

「……ありがとう」


波の音だけが、心地よく響いていた。

冷たい風が通り抜け、赤い紅葉が一枚、ひらりと足元に落ちる。


(湊と一緒なら……)

(どんな苦難だって……)


昨夜の光景が、ふと脳裏に蘇った。


『なるようになる。俺がそうだった』


(父ちゃん。お前、最高にかっこいいよ)


不意に、湊の小さな手が、あたしの手にそっと重なった。


(……答えは、まだ出てない)

(でも、手、繋いでくれた)


指先に伝わる温もりを、ぎゅっと握り返す。


(……それでいい)

(今は、それで……)


―――


月曜の朝。

暖房の効きが悪い職員室前の廊下は、どこか底冷えがした。

手に持った進路調査票へ視線を落とす。


(……結局)

(専門学校にも、農大にも、丸をつけられなかった)


冷たい壁に背中を預け、シャーペンの芯を出した。


『その他・未定』の欄に丸をつけ、備考欄に『検討中』と書き込む。


(未定か……)

(結局この週末じゃ決められなかった……あたしも、湊も……)


小さく息を吐き出し、職員室の重いスチール扉を引き開けた。

教師たちのざわめきの中を歩き、工藤先生のデスクへ調査票を提出する。


「……坂本」

「はい」


「来月、期末テストが終わったら二者面談がある。それまでにはある程度決めておけ」

「……はい」


短く頷き、踵を返す。


賑やかな自分の教室に戻り、席へ向かおうとしたところで、湊とじっと目が合った。


「……考えてるから」


周囲の喧騒に紛れるような小声で、ぽつりと呟きが届く。


「……うん」


張り詰めていた胸の奥が少しだけ解け、自然と口元が緩んだ。

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