第18話 大人っていいなぁ
空の食器をキッチンへ下げ、再び居間に戻る。
あたしたちは、昨日と同じようにソファへ並んで腰を下ろした。
「ドラマの続き、見る?」
「見る」
湊がテレビに向かって黒いリモコンを操作する。
「居間にはFire TV Stickあるんだ」
「へー。便利だな」
(こっちのほう、持ち運びしやすそうだけど、昨日はノートPCだったな)
手元のリモコンとテレビ画面を交互に見比べる。
「昨日は持ってこなかったのか?」
「居間のテレビの配線し直すのって意外と面倒なんだ……裏に回ったりとか」
「あと、配線いじったの父さんにバレるとめんどくさい」
「なるほど」
(そっちがメインの理由か)
画面が切り替わり、黒い背景に赤い文字のNetflixアプリが起動した。
カーソルを動かすたびに、カチ、カチ、と小気味よいクリック音が響く。
やがて、昨日再生したあの韓国ドラマのタイトルが画面に大きく映し出された。
(昨日の続き……あのドラマ、面白かったもんな)
(……また近くなってる)
いつの間にか、横に座る湊の肩があたしの腕に触れていた。
(え!?まだ始まってないけど!?)
(キムチ……大丈夫かな)
(ちゃんと口ゆすいだし、ガム食べたし)
(二人とも食べたんだし、同じならいっか……)
湊がゆっくりとこちらへ顔を向ける。
間近で視線が絡み合い、互いの顔が自然と引き寄せられていく。
唇が触れそうになった、その時だった。
ガチャリと、玄関のドアが開く重い音が家の中に響いた。
「……!」
「……!」
弾かれたように、二人同時に体を離す。
(やば!誰か帰ってきた!)
テレビの待機音だけが流れる静けさの中、玄関の方から、女性と男性の声が飛ぶ。
「あれ?靴が?」
「え、誰かいんの?」
「そうみたい……」
(凪さんだ!両親よりはマシか……)
女性の声に気づき、あたしはこっそり胸を撫で下ろした。
廊下から顔を覗かせたのは、湊の姉の凪だった。
その後ろには、見覚えのあるやや長身の男――浜田 一樹の姿もある。
「湊いるのー?」
「……凪姉」
「お、お邪魔してます……」
ソファから立ち上がり、ぎこちなく頭を下げる。
「あら、いらっしゃい……学校は?」
「昨日ときょうは代休だよ」
「……」
(え!?知らなかったの!?)
凪の目が泳ぎ、視線が宙をさまよっている。
「えっと、一昨日ぶり……」
「……どうも。浜田さん」
浜田さんに向かって軽く挨拶する。
「凪姉はどうして……?」
「授業、早く終わって……」
「そうなんだ……」
四人の間に、重苦しい沈黙が降り下りた。
(こいつら、ここをラブホ変わりにしようとしてた!?)
(まぁ、あたし達も人の事言えねーけど)
デデーン、と。
無情にも、あのNetflix特有の起動音が居間に響き渡る。
続いて流れ出したのは、よりによって例のドラマのダイジェスト映像。
スピーカーから生々しい濡れ場の音声が漏れ出した。
(間が悪すぎんだろ!)
「あっあっ!」
湊が慌ててリモコンのボタンを連打し、画面を真っ暗にする。
気まずさが限界突破し、誰も口を開こうとしない。
「えっと、どうしよっか……」
凪さんが気まずさに耐え兼ね、声を出したところで、浜田さんから提案が上がった。
「お前ら、ドライブに連れてってやるよ」
「え」
「は?」
唐突な浜田さんの提案に、あたしたちは顔を見合わせた。
「大人のデートってやつ、体験してみたくないか?」
「な、な!何言ってんだよ!ラブホとか行かねーからな!」
あたしは思わず一歩後ろへ飛び退いた。
「っちょ!早とちりすんなって!
車乗ってデートとかしたことないだろ。
遠くに連れてってやるって言ってんの」
(なんだ、そういうことか。びっくりさせんなよ)
肩から一気に力が抜ける。
「いいわね!それ!
そうだ。いまならもみじ山が見頃よ。
私も行ってみたかったんだ。
週末の予定だったけど、今から行きましょう」
「おう。いいなそれ」
凪さんと浜田さんのトントン拍子な会話を横目に、あたしは隣を見た。
「えっと、どうする?」
「うん。行ってみたい」
「じゃ、行くか」
「おう。決定だな」
浜田さんが満足そうに頷く。
「僕、着替えてくるね」
湊はそう言うと、パタパタと足音を立てて二階へ上がっていった。
「あっ……」
凪さんが何かに気づいた様子で声を上げる。
「どした?」
「ううん。なんでもない。びっくりしないでね?」
「ん?何に?」
浜田さんが首をかしげる。
凪さんは来れば分かると無言で促した。
(湊、どっち着てくるんだ?)
天井を見上げながら、あたしは小さく息をつく。
着替えを待つ間、ソファに腰掛けた浜田さんがニヤニヤしながらこちらを向いた。
「お前らなにやってたんだよ」
「そっちこそ、なにしようとしてたんですか」
「な!こいつ生意気だな!」
むっとした顔で腕を組む浜田さん。
(いまいち距離感わかんねーな)
(もうタメ口でいっかな。雪杜の従兄だし)
「もう。からかわないであげて」
「湊くん遅いな」
腕時計をちらりと見て、浜田さんが首を傾げる。
「女の子は支度に時間がかかるんだよ」
「は?」
階段の方から、トントンという控えめな足音が聞こえてきた。
手すりからおずおずと顔を出したのは、見慣れた姿だった。
「お、お待たせしました……」
「え?誰?」
「湊です……」
ウィッグを被り、完璧に女の子の服を着こなした湊を見て、浜田さんは完全に石化した。
そのまま口を半開きにして、再起動までしばらくの時間を要した。
―――
浜田さんの運転する車が、滑らかに走り出す。
助手席には凪さん。後部座席には、あたしと湊が並んで座った。
(後部座席に湊と並んで座ってる)
(なんかワクワクするな)
(遠足みたいだ)
窓の外を、見慣れた街の景色がどんどん後ろへと流れていく。
(莉子が言ってたな)
(早く車で遠くに行きたいって)
シートに置かれた湊の手が、すぐ隣にある。
車の揺れに合わせて、自然と指先が触れ合った。
(……)
前の席に視線をやると、ハンドルを握る浜田さんがバックミラー越しにまだ微妙な顔をしているのが見えた。
「……いや、ほんとびっくりした」
「受け入れてもらえると嬉しいかな」
助手席の凪さんが、くすくすと笑いながらフォローを入れる。
「まぁ、いろいろあったって聞いてたけどさ……」
(動揺して、運転ミスらないでくれよ)
ヒヤヒヤしながら前方を睨みつけるあたしの横で、湊が申し訳なさそうに身を乗り出した。
「驚かせてごめんなさい。浜田さん」
「もしかして篠見高校の文化祭の時もいた?」
バックミラー越しに問われ、湊が小さく頷く。
「はい……」
「マジかよ!すれ違ってたのかよ!」
大げさに驚く浜田さんの声に、あたしは口元を手で覆ってこっそり笑った。
やがて車は市街地を抜け、本格的な山道へと入っていく。
窓の外が赤やオレンジで埋め尽くされる。
「わー。綺麗ー」
窓に顔を近づけた湊が歓声を上げる。
「うん」
あたしも短く同意して、外の景色に目をやった。
ぐねぐねとしたカーブが連続する道が続く。
車体が右へ左へと傾く度に、隣に座る湊の肩がこつんと触れた。
(いまどこ走ってんだ?)
耳がツンとしてきて、標高が高くなっているのがわかる。
さっきまで色づいていた木々が消え、いつの間にか葉の落ちた枝だけの木が増えてきた。
「この辺はもう枯れてんなー」
運転席で浜田さんがぼやき、凪さんが苦笑交じりに頷く。
「そうね」
谷底を跨ぐように架かる、巨大な橋の上を車が走る。
「城ヶ倉大橋だな」
浜田さんの案内に、あたしは窓の外を見下ろした。
「へー」
「枝だらけだね」
湊の言う通り、橋の周りの木々はすっかり葉を落としていた。
「2週くらい遅いかな」
浜田さんが残念そうに呟く。
橋を渡りきると、またぐねぐねとした山道が続く。
車内には、静かにカーステレオの音楽だけが鳴り響いていた。
(今度は下ってるな)
エンジン音が変わり、車体が前傾する。
すると、窓の外に再び赤い木々が増え始めた。
カーブを抜けた瞬間、突然目の前に燃えるような赤い景色が飛び込んでくる。
「おー!すげぇ!」
「すごいね!」
あたしと湊は後部座席で身を乗り出した。
「へー」
「早く降りて近くに行きたいな」
前の席の二人も、目の前の景色に声を弾ませている。
車はそのまま観光客で賑わう駐車場へと滑り込んだ。
平日にもかかわらず、そこそこの混雑ぶりだ。
空きスペースを見つけてようやく車を停め、外へと降り立つ。
冷たい山の空気を吸い込むと同時に、視界いっぱいに鮮やかな紅葉が広がった。
(……赤い)
(すごい赤だ)
(こんな色が、ここにあったのか)
圧倒的な色彩に、言葉を失う。
「……きれいだね」
「……ああ」
隣で息を呑む湊に、あたしはただ同意することしかできなかった。
少し先を歩く凪さんと浜田さんの背中を追いかけながら、あたしたちは並んで紅葉を見上げる。
(大人って、こういうとこに来れるんだな)
(車があって、どこにでも行けて)
「……大人っていいなぁ」
ポツリとこぼれた湊の言葉に、あたしは強く共感した。
「……うん。早くなりたいな」
赤く染まった木々のトンネルの下で、しばらく二人で黙って空を見上げる。
落ち葉を踏む微かな音だけが足元で鳴っていた。
(来年の代休……どうなるんだろう)
(1年後の、あたし達)
「ねー、記念写真撮ろうよー」
少し先から、凪さんが明るい声をかけてきた。
「おう!」
「うん!」
あたしと湊が元気に返事をすると、スマホを構える凪さんの横で浜田さんが頭を掻いた。
「俺、ハーレムみたいになってんじゃん……」
そのぼやきに、落ち葉の上へどっと笑い声がこぼれ落ちた。
―――
帰りの車内。
西の空では陽が傾き始め、行きよりも少しだけ静かな空気が漂っていた。
(満足した……)
(屋台のコンニャクおでん美味しかったな)
(綺麗なものも見て、なんかいい日だな)
ふと隣を見ると、湊が静かに窓の外を見つめている。
その横顔を、あたしはちらりと盗み見た。
(こいつと来年も、こういう日があるといいな)
やがて見覚えのある景色になり、車は湊の家の前に静かに停まった。
「ほい、到着」
「ありがとうございました。楽しかったです」
シートベルトを外し、運転席の浜田さんにお礼を言う。
「よかったら、また連れてってやるよ」
「ほんとですか!?」
湊が身を乗り出すと、浜田さんは肩をすくめた。
「まぁ、次はハーレムじゃないやつで頼む」
「美人三人に囲まれて幸せじゃないですか」
「お、ちゃっかり自分も美人に入れちゃうとか言うねぇ」
からかうような視線を向けられ、ハッとする。
(しまった!)
「凪さん、こいつナンパしようとしてますよ」
助手席に向けて声を張ると、凪さんが目を丸くした。
「え!?一樹、そうなの!?」
「んなわけねーだろ!」
慌てて否定する浜田さんを見て、凪さんがふふっと微笑む。
「ふふ。華蓮さん綺麗だもんね」
「よ、よせやい」
顔が熱くなり、そっぽを向いて誤魔化した。
車を降りた後、あたしたちは自然と見つめ合ったまま動けなくなる。
「きょうはここでお別れだね。華蓮」
「ああ。明日からまた学校だな」
じっと視線を絡ませていると、車から降りてきた凪さんがくすくすと笑った。
「えっと、家の前だから自重してね」
その言葉に、あたしたちは弾かれたように赤くなって距離を取る。
「じゃ、俺も帰るわ。
坂本さん、送るよ?」
「え」
思わぬ提案に、あたしは戸惑う。
(どうしよう。ありがたいけど)
「あたし、自転車なんで……」
「え、マジか」
本気で驚く浜田さんに、湊が横から補足を入れた。
「華蓮、学校にも自転車なんだよ」
「タフだな……」
呆れたような声に、あたしは首を傾げる。
(褒められてる?)
「じゃ気をつけて帰れよ。またなー」
「はい。ありがとうございました」
エンジン音が響き、浜田さんの車が夕暮れの住宅街へと去っていく。
「私たちも帰るわね。また来てね華蓮さん」
「またね。華蓮」
「ああ。バイバイ」
二人が家に入っていくのを見届けてから、あたしは玄関脇に停めていた自転車にまたがった。
ペダルに足を乗せ、ゆっくりと漕ぎ出す。
(寒いな。スカートだと尚更)
(早く車乗りたいな)
冷たい秋の風を切りながら、あたしは家路を急いだ。
―――
パジャマ姿でベッドに転がり、スマホの画面をスクロールする。
表示されているのは、今日撮った写真だ。
色鮮やかな紅葉を背にして、四人で並んで笑っている。
(……いい写真だな)
(暇そうな御珠に自慢してやろ)
トークアプリを開き、御珠とのチャットルームにその写真を送信した。
すぐに「既読」のマークがつく。
(はは。悔しがってる姿が目に浮かぶな)
どんな文句が返ってくるかと待ち構えていたが、しばらく画面は動かなかった。
そのまま15分ほど経った頃、ふいにスマホが短く震える。
御珠:妾は夜の景色を愛でておるのじゃ
短いメッセージと共に送られてきたのは、ライトアップされたもみじ山を背景にした御珠の自撮り写真だった。
どう見ても今、現地で撮ったばかりの鮮明な一枚だ。
(は!?ありえねーだろ!)
(たまたまもみじ山にいたっていうのかよ!)
(高校生が!?こんな時間に!?)
画面を凝視したまま、瞬きも忘れて固まる。
ハッと我に返り、勢いよく画面をタップした。
華蓮:AI使った偽画像だろ
御珠:さて、どうかの
(くっそ)
余裕たっぷりの返信に、小さく舌打ちする。
華蓮:もう1枚送れ
御珠:ほれ
一瞬のタイムラグもなく、さっきとは違う構図の自撮り写真が送られてきた。
(は!?は!?どうなってんだ!?)
理解の追いつかない状況に、頭を抱える。
(AIだ。AIに決まってる!)
(もう寝よう。明日、直接問い詰める)
スマホを放り投げ、布団を頭から被って目を閉じた。
うとうとと微睡みの底に沈みかけた頃、枕元のスマホがけたたましく鳴り響いた。
(誰だよ。うるせぇ)
画面も見ずに通話ボタンをスワイプして耳に当てる。
「もしもし」
『こんばんは』
スピーカーから聞こえてきたのは、落ち着いた男子の声だった。
「は!?雪杜!?」
『なんか御珠が迷惑かけたみたいでごめん……』
(なんだっけ?)
寝ぼけた頭がすぐには追いつかず、間の抜けた声が出る。
「なんだっけ?」
『あの、もみじ山の画像……』
「あー、あれな。どうなってんだ?」
『AIだから。全部AI』
雪杜があっさりと種明かしをした。
「やっぱそうなのか。2枚目すぐ出てきてビビったぞ」
『たぶんそう言われるだろうから用意しろって』
電話の向こうから、呆れたような苦笑いの気配が伝わってくる。
「用意周到すぎんだろ!どんだけ負けず嫌いなんだよ!」
『ごめんね。僕ものりのりで作っちゃったけど、華蓮がモヤモヤしてるかなって』
「お前も共犯かよ!」
『ということで気にしないでね。御珠にはきつく言っておくから』
いつものように穏やかな声でなだめられ、あたしも毒気を抜かれた。
「まぁ、別にいいけど」
『うん。ほんとごめん。おやすみ』
「ああ。おやすみ」
通話を切り、黒くなった画面を見つめる。
(なんか不自然だな)
(あいつ、ほんとに現地から撮ってたんじゃねーだろうな)
暗闇の中でふとそんな考えが頭をよぎるが、確かめようもない。
もやもやとした感情を抱えたまま目を閉じたが、翌朝目が覚める頃には、そんなことはどうでもよくなっていた。
―――
近況ノートにイラストを公開しています。
https://kakuyomu.jp/users/kami_ai/news/2912051603853284133




