第11話 開幕から左遷
文化祭1日目、朝。校舎前の特設エリアは、冷たい空気を切り裂くような熱気に包まれていた。
野菜直売のブースには、すでに折り返すほどの長い列ができている。
光莉の元気な声が朝の空気を突き抜けた。
「いらっしゃいませー!大根あるよー!」
「採れたてじゃ。今朝引いたばかりぞ」
(一昨日のやつも混じってるけどな)
(ま、どうせ分からんだろ)
あたしは、おでん販売の巨大な寸胴鍋の前から、その様子をのんびりと眺めていた。
湯気が立ち上る出汁の匂いが鼻をくすぐる。
(にしても、朝イチからあの行列はやばいだろ)
「すごい人だね、あっち」
「だな。御珠と光莉、目立つから余計に」
隣に立つ湊が、感心したように目を丸くしている。
学校指定の無骨な作業服姿なのに、湊が着るとどこか小動物みたいで……隣に並んでいると、なんだかこっちのペースが狂いそうになる。
列の客が次々と財布の紐を緩め、立派な大根を買っていく。
籠の中の白い山が、目に見えて減っていった。
「ぬ……ちと売れすぎではないか」
「いいことじゃん!どんどん行こ!」
そこへ、しかめっ面をした工藤先生が歩み寄り、空になりかけの籠を覗き込んだ。
「……おい」
「なんじゃ」
「このペースだと午前で売り切れる」
「望むところじゃ」
工藤先生の眉間にあるシワが、さらに深く刻まれる。
「2日間もたせる予定だったんだが」
御珠と光莉が、ピタリと動きを止めて顔を見合わせた。
吹き抜ける秋風が、積まれた大根の葉をカサカサと揺らす。
御珠が、ふんと誇らしげに胸を張った。
「……追加で補充すればよかろう」
「あ……」
その言葉の持つ意味に気づいたのか、光莉が引きつったような声を漏らす。
工藤先生が、やれやれといったふうに長いため息をついた。
「じゃあそうしろ。お前ら二人は2日目の最終パートと交代だ。追加で大根を掘ってこい」
「なぬ!?」
「ええーっ!?朝も掘ったんだけど!」
あたしは手元の大きなお玉で、鍋の中の大根と玉子をゆっくりとかき混ぜた。
(あー、売り切って楽しようと思ったんだけどな)
(収穫体験用の大根なくなるかもな)
味が染み込んだおでん種を見つめながら、これから始まる長い二日間に思いを馳せた。
―――
おでん売り場。
出汁の香りが漂う鍋の前に、あたしと湊が並んで立っていた。
人ごみをかき分けて現れたのは、雪杜と咲良だった。
「あ、いたいた!華蓮ちゃーん!」
「おう」
「御珠が野菜売ってるって聞いたんだけど、いないんだよね。
時間、間違えたかな」
咲良の手には、小さな男の子の手がしっかりと握られている。
咲良の横で、陽向がきょろきょろと辺りを見回した。
「……みたま。いない」
(陽向ちゃんか。合格発表の時に一緒にはしゃいだな)
(しゅんとしてるのかわいい……)
小さな肩を落とす姿に、思わず頬が緩む。
「御珠はクビになった」
「は?」
咲良が目を丸くして、身を乗り出してきた。
「クビ!?何したの!?」
「売れすぎて午前で完売しそうになったから、先生に止められた。
ついでに大根掘ってこいって追加任務食らって、今頃畑だ」
雪杜が呆れたように額に手を当てた。
「……相変わらずだね、御珠」
「さすが御珠ちゃん!
喫茶店でも大人気だったもんね!」
無邪気に笑う咲良の足の後ろから、陽向がじっと視線を送っている。
その先には、初めて見る湊の姿があった。
「……だれ」
「あ、湊くんだよ。華蓮ちゃんの彼氏さんだよ」
陽向は無言のまま、湊の作業服姿をまじまじと見つめ続けている。
「あ、えっと……はじめまして」
湊が少し屈んで愛想笑いを浮かべたものの、陽向は答えることなく咲良の足の裏にさらに深く隠れてしまった。
「人見知りなの。ごめんね」
「ううん、大丈夫」
(子供にビビられるとか、地味にダメージあるよな)
苦笑いする湊の背中を、軽くポンと叩いてやる。
「とりあえず、おでんちょうだい」
「私も。大根とたまご」
「あいよ。300円」
発泡容器の椀に、熱々の大根と玉子、それにたっぷりの出汁をよそって手渡した。
「陽向は熱いから、ふーふーしてからね」
咲良が陽向の分を小さく取り分けてやっている。
湯気越しに見るその光景は、なんだかとても微笑ましい。
「御珠、どこ探せばいいかな」
「まずは畑かな。靴汚れるから、あんま近づかないほういいぞ。
あたしらも仕事中だし、抜けらんねーから」
「うん。ありがとう」
三人は熱々のおでんを手に、賑わう売り場から離れていく。
その背中を見送っていると、陽向が最後にもう一度振り返った。
あたしが小さく手を振ると、陽向はびくっとして咲良の足にぴたりとひっつく。
(かわいいなぁ……)
(湊との、子供……)
ふいに脳裏をよぎった想像に、ボッと顔が熱くなる。
(なに考えてんだ!あたし!)
慌ててお玉を手に取り、無意味に鍋の中をかき混ぜて誤魔化した。
―――
おでんの売れ行きは順調で、あたしと湊はひたすら接客をこなしていた。
そこへ、見慣れた二人が連れ立って現れた。
澄香と透だ。
「華蓮。精が出るわね」
「よーっす」
あたしは鍋をかき混ぜながら答えた。
「御珠ちゃんが隣で野菜売ってるって聞いたんだけど」
澄香が隣のブースに視線を向ける。
「御珠はクビになった」
「は?」
澄香が呆れたように顔をしかめた。
「クビって、何やったのよまったく……」
「さすが御珠さんだ」
透が感心したようにポンと手を叩く。
「とりあえずおでんちょうだい」
「あいよ。300円」
代金を受け取り、発泡容器に熱々のおでんをよそって渡した。
「畑に行けばいるかもしれねーぞ」
「ありがとう。行ってみる」
二人は湯気の立つ容器を手に去っていく。
その後ろ姿を見送りながら、湊が首を傾げた。
「中学時代の友達?」
「そんなとこ」
澄香たちと入れ替わるように、今度は莉子と颯太がやってきた。
「あ、華蓮ちゃん」
颯太が続けて手を上げる。
「よー!」
「あの、御珠ちゃんは……?隣で野菜売ってるって聞いて来たんだけど」
莉子があたりをキョロキョロと見回している。
「御珠はクビになった」
「え!?」
莉子が目を丸くした。
「えっ、なんかやらかしたのか?」
「野菜が売れすぎてストップがかかった」
あたしの説明に、颯太が腹を抱えて笑い出す。
「ぎゃはは!さすが御珠!」
「はあ……とりあえずおでん、ちょうだい」
「あいよ。300円」
おでんを受け取った二人も、笑いながら人波に消えていく。
(あの二人、経験済みなんだよなぁ……)
(莉子に感想聞いてみたいなぁ……)
遠ざかる背中を見つめながら、下世話な考えが頭をよぎる。
「中学時代の友達?」
「そんなとこ」
次に来たのは、まったく見覚えのないショートボブの女子だった。
酷く落ち着き払った様子で、隣には母親らしき人が付き添っている。
「御珠さんがいないのだ。
ここにいると聞いたのだ」
(のだ……なんか変なの来た)
(まあ、御珠自体が変な奴だから、変な友達もいるんだろうな)
あたしはお玉を握り直して答えた。
「クビになった」
「そうなのか」
彼女は表情ひとつ変えない。
「とりあえず、おでんをもらうのだ」
「……あいよ。300円」
ショートボブの女子は椀を受け取り、静かに背を向ける。
母親らしき人が丁寧にお辞儀をして、二人は去っていった。
「……いまの、語尾」
「聞くな。あたしも分からん」
息つく暇もなく、今度は洗練された服装の女子がやってきた。
その後ろには、なんと黒スーツのお付きの者が控えている。
「あら。御珠さんはいらっしゃらないの?」
(お嬢様きた)
(こいつ、あっちの文化祭で御珠にガン飛ばしてたヤツじゃねーか)
あたしは一瞬たじろぎながらも、同じセリフを繰り返した。
「クビになった」
「あらそう」
お嬢様は特に驚いた様子もなく、優雅にこくりと頷いた。
「とりあえず、おでんをいただこうかしら」
「……あいよ。300円」
お付きの者が代金を支払い、二人は人混みの中へ消えていった。
「御珠ちゃん、大人気だね」
「篠見高校でも握手会してたからな。あいつ」
あたしは鍋の底から大根をすくい上げ、小さく息を吐いた。
(御珠は畑って案内ボードでも置いとくかな)
「……あんな友達もいるんだね」
「あいつ顔広すぎだろ」
(てか野菜売り場のやつに聞けっての)
よく見ると、野菜売り場の当番が、御珠を探す客をこっちへ顎でしゃくって回していた。
―――
おでん売り場で途切れることのない客の波をさばき続けていると、不意に見覚えのある女性と、その隣にやや背の高い男性が目の前に現れた。
顔を上げた湊が、ピタリと動きを止める。
「な、凪姉……!」
「あ、いた。湊」
お姉さんが、ひらひらと手を振る。
隣の男性は人懐っこい笑みを浮かべて、湯気の立つ鍋の中を覗き込んだ。
「お、うまそうなおでん売ってるじゃん。腹減ってたんだよな」
(湊のお姉さんと、雪杜の従兄)
あたしはお玉を握る手にぐっと力を込め、内心で身構えた。
(従兄の方は、こないだ御珠と親しげに話してたなぁ)
凪さんが、あたしに視線を向けた。
「華蓮さん、ですよね。湊から聞いてます」
「あ、ども。坂本 華蓮です」
校舎の壁に掛かっている時計へ視線を向ける。
針はもうすぐ11時を指そうとしていた。
「あの、11時で交代なんで、もうちょっと待っててもらえますか?」
「もちろん。ゆっくりお話ししたいから」
数歩引いた位置から、あたしたちの働きぶりを凪さんと彼氏さんが眺めている。
やがて交代の生徒がやってきて、あたしたちはようやく持ち場を離れることができた。
「お待たせしました」
「あの、あの」
彼氏さんを前にして、湊がパニックを起こしたようにしどろもどろになっている。
「君が湊くんだね。お姉さんや雪杜から話は聞いてるよ。
浜田 一樹だ。お姉さんとお付き合いさせてもらってるよ。よろしくね」
「田中 湊です。よ、よろしくお願いします」
あたしは少し考えてから口を開いた。
「えっと食堂でも行きます?」
「いいね!行こう行こう!」
人波を縫って食堂へと移動する。
途中、雪杜と咲良があわてた様子で向かいからやってきた。
浜田さんが、雪杜にしがみつく陽向を見て「隠し子か!?」とアホな突っ込みを入れてるのが目に入った。
(陽向ちゃん、雪杜とは距離あるように見えたんだけどな)
雪杜とすれ違う。
「帰るのか?」
「うん。ちょっと」
(陽向ちゃん、なんかあった?)
「……陽向ちゃん、どうかしたか?」
「うん。まぁ……。御珠によろしく」
よく見ると、ズボンが少し濡れているようだった。
(粗相でもしちゃったか)
「わかった」
三人は昇降口へ向かって行ってしまった。
気を取り直して食堂へ。
運よく空いていたテーブルを見つけて、四人で腰を下ろした。
「えっと、せっかくだから、何か食べますか?
野菜炒めがお勧めで……」
「……そうね。でもその前に」
凪さんが突然立ち上がり、周りの目も気にせずばっと深く頭を下げた。
「湊を救ってくれてありがとう!」
「え!?え!?ちょ、ちょっとお姉さん!」
「凪姉!?」
周囲の生徒たちが何事かと振り返る中、凪さんがゆっくりと頭を上げる。
「ずっとお礼を言いたかったの。湊の、彼女になってくれてありがとう。
この子、毎日うれしそうで。こんなこと、いままでなかったから。
本当に、本当にありがとう」
凪さんがテーブル越しにあたしの手を取り、優しく握りしめてきた。
その目には、かすかに涙が滲んでいる。
隣に座る浜田さんが、若干引き気味な顔でその様子を見つめていた。
「えっと、湊がかわいかったから、その……」
「……」
あたしの言葉を聞いて、湊の耳まで真っ赤に染まる。
「なんだこれ」
いまいち状況が飲み込めていない浜田さんの声が、食堂のざわめきの中に溶けていった。




