第9話 大根はサラダに
中間テストが終わって数日後の、LHR。
黒板の前に立った工藤先生が、いつものように感情の読めない声で口を開いた。
「もうすぐ文化祭だ」
教室の空気が、一気に浮き足立つ。
あちこちからヒソヒソと期待に満ちた声が漏れる中、先生の太い声がそれに被さる。
「お前たち1年は野菜の直売と、おでんの販売、収穫体験の案内係をやってもらう」
「えー。自分たちで何か考えるとかないんだ」
生徒の一人がつっこむ。
「やりたいなら勝手に考えて、生徒会に申請していいぞ」
「っえ!ゆる!」
拍子抜けしたような声が上がり、クラスの緊張感がさらに緩む。
「ということで、当日のそれぞれのシフトを話し合って決めてもらう。
大根の収穫と、おでんの仕込みは全員で行う。以上だ」
先生が言い切ると、あちこちで誰と組むかの相談が始まり、教室内が騒がしくなる。
「田中、坂本、お前ら司会やれ」
「え、あたしと湊が!?」
「このクラスでの成績ワン、ツーだからな。きょうから田中が学級委員長だ」
「そんな……」
先生の無慈悲な指名に、湊が隣で肩をびくつかせる。
(まじか。まだ結果返ってきてねーけど、ついに2位になっちまったのか)
(なんもしてねーのに……)
あたしはため息をつきながら、椅子から立ち上がった。
「湊、やるぞ」
「う、うん」
二人で前に出て、教壇に上がる。
クラス全員の視線が、あたしたちに集まった。
「え、えっとじゃあ、まずは野菜販売のシフトから決めたいと思うけど……
えっと、どうすれば……」
湊の声が泳ぐ。
視線がオドオドと宙をさまよっていた。
「聞こえませーん」
「っよ!おしどりコンビ!」
教室の後ろから、からかうような声が飛んでくる。
(くそ!湊とあたしだと舐められる!)
その時、ドガッ!という凄まじい衝撃音が教室中に響き渡った。
全員の肩がビクッと跳ね上がる。
後ろを見ると、棟方が自分の机を思い切り蹴り飛ばしていた。
「あ?文句あるんだばオメやればいっきゃ?」
「「……」」
さっきまで野次を飛ばしていた男子たちが、一瞬で顔を引きつらせて黙り込む。
(っちょ!あいつ湊のことになると怒り過ぎだろ!)
「あ、ああ、ムナ!落ち着いて!
えっとシフト!シフト決めます!」
湊が慌てて声を張り上げ、教壇の上のチョークを手に取った。
「まず、係が3つあるから、それぞれのやりたい係の立候補募ります。
当日は2時間交代とします」
黒板に向かい、カツカツと白い文字を書き連ねていく。
「各パートで2人ずつ立つ感じで。
時間は9時~15時の6時間で土日の2日間の開催だから、1つの係で6パート、12人必要だね」
数字を書き終えると、湊はくるっとクラスの方へ振り返った。
「じゃあ、野菜の販売員やりたいひとー」
さっきまでのオドオドした様子が消え、テキパキと仕切り始めた湊の姿に、教室の空気がガラリと変わる。
(あ、あ、なんか湊かっこいい)
(だめ、濡れちゃう)
あたしは顔に血が上るのをごまかすように、慌てて視線を逸らした。
「はーい。野菜販売やりたーい。
御珠っち、一緒にやるっしょ」
「ふむ。妾の作った大根を妾が売るのじゃな」
光莉が元気に手を挙げ、隣の御珠の肩を叩く。
「御珠っちが売るなら、即完売間違いなしっしょ」
「うむ。心得た」
御珠が自信満々に胸を張る。
(この二人を最初に配置すれば、売り切れになって、他の販売員いらないのでは?)
そんなことを考えている間にも、ポツポツと手があがり始める。
「はーい」
「私もやりたい」
「あ、ありがとう。埋まらなかった分は後回しにしよう。
次……収穫体験の案内やりたい人」
湊が黒板の項目を指差す。
「はい。わ、野菜のごと詳しいし」
「うん。じゃあ収穫体験は僕とムナのペアが立候補するよ」
嬉しそうに頷く湊を見て、あたしは少しだけ口を尖らせた。
(あ……湊とペア組みたかったな……)
他にもちらほらと希望者が決まり、湊が黒板に名前を書き込んでいく。
「じゃあ次。おでん販売やりたい人」
今度は、御珠がすっと手を挙げた。
「妾、おでんも売りたいのじゃ」
「え!?御珠っち働きすぎでは?」
光莉が驚いた声を上げる。
「時刻が重ならなければ両方やってもよいのじゃろう?」
御珠の言葉に、湊が困ったように教卓の横を見る。
「えっと、先生……」
「全員に出番が来るようにシフトを組め」
工藤先生が腕を組んだまま短く答えた。
「えっと、全部で36人必要だから、1人だけ重複してもいいね」
「えー、御珠っちとペア組むのはウチって決まってるんだけど」
光莉が不満げに頬を膨らませたところに、先生の容赦ない追加指示が飛ぶ。
「収穫体験はローテーションに時間がかかる。2人じゃ足りない。1パート4人にしろ」
「え、それもっと早く……」
クラス中から、じゃあ自分がそっちに、いや時間が、と次々に注文の声があがり始めた。
「えっと、えっと、整理するからちょっと待って」
混乱し始めた湊の隣で、あたしは手元のノートにペンを走らせていた。
野菜販売が12人。おでん販売が12人。収穫体験が24人。
合計48人。
そのノートを、あたしは湊の前にすっと差し出した。
「ほら。整理しといたぞ」
「全部で48人必要で、クラスが35人なので13人は2つ係担当してもらっていいかな」
湊がノートの数字を読み上げると、クラスが再びまとまりを見せる。
「やった!御珠っち、両方でペア組めるよ」
「うむ。野菜もおでんも完売なのじゃ」
御珠が満足げに頷く。
(マジで即完売しそう)
その後も、あたしたちの采配で次々に係が決まっていった。
最初に棟方が睨みを効かせてくれたおかげで、無駄に茶化す奴も出ず、スムーズに進行していく。
(よし。湊とおでん売るペアが組めた)
(収穫体験も、湊と一緒だ)
あたしは心の中でガッツポーズを握りしめた。
「よし。だいたい決まったな」
工藤先生が頷いたのとほぼ同時に、授業終わりのチャイムが学校中に鳴り響いた。
―――
文化祭が刻一刻と迫ってきていたある日。
授業中の静けさを破ったのは、隣の席からガタッと椅子を引く音だった。
驚いて顔を上げると、御珠がもう立ち上がっている。
「お、おい。御珠。どうしたんだ?」
小声で呼びかける。
けれど親友の横顔は、こちらを見もしなかった。
「雪杜が危ない」
「え?雪杜?」
聞き返す間も与えず、御珠は教壇に向かって声を張った。
「先生。早退するのじゃ」
英語の先生が驚いた顔で振り返る。
「え?天野さん?ちょっと!」
言うが早いか、御珠は藍色の髪を翻して教室の扉に手をかけていた。
止める声を背中で振り切り、そのまま廊下へ飛び出していく。
「ちょっと!天野さん!!」
虚しく響く呼び止める声を聞きながら、教室中がざわめき始めた。
「御珠っちどうしたんだろ?」
不安げに振り返る光莉に、あたしは曖昧に首を振るしかない。
「さぁ……」
(雪杜が危ないって呟いてたな)
胸の奥に小さな引っかかりを残したまま、あたしは扉の方をじっと見つめ続けた。
―――
翌日の朝。
ホームルーム前の教室で、あたしは席につくなり御珠を捕まえた。
「お前昨日はどうしたんだよ」
「雪杜から学校で怪我をしたと連絡があっての。いてもたってもいられなかったのじゃ」
しれっと答える親友の様子に、あたしは思わず眉をひそめる。
「マジか。あいつ、ついに背中でも刺されたか?」
「膝を擦り剥いただけだからよかったのじゃ」
ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、教室のスピーカーから無機質な放送が流れてきた。
『生物生産科1年。天野 御珠さん。職員室まで来てください』
御珠の顔が、すっと曇る。
「……畜生なのじゃ」
その重たいため息に、あたしは思わず呆れた笑いを漏らす。
「向こうで何やったんだよ」
とぼとぼと廊下へ向かう親友の背中を見送りながら、あたしは小さく息を吐いた。
(まあ、雪杜のことになると見境ねーからな、こいつ)
どうせまた、ろくでもないことをしでかしたに違いなかった。
―――
文化祭二日前の午後。
見渡す限りの畝に、青々とした大根の葉が茂っている。
「よし。今日は大根の収穫だ」
工藤先生の号令が農場に響く。
ふと横を見ると、御珠がすでに気合の入った顔で自分の畝の前に立っていた。
「……ついに、この日が来たのじゃ」
「気合入ってるでば」
棟方が御珠の気合を見て声をかけた。
「葉を掴んで、まっすぐ引け。曲げると折れるぞ」
先生が手本を見せるように葉の根元を掴む。
スポッと、見事な大根が小気味よい音を立てて抜けた。
「わー!面白そー!」
光莉の声を合図に、御珠も自分の畝の前にしゃがみこむ。
「……これじゃ」
葉の根元を、両手でぎゅっと握りしめた。
(手、震えてる)
「待っておったぞ……」
御珠が、まっすぐに体重を後ろへかける。
ずぼっと重い音を立てて、太く白い大根が地面から姿を現した。
「……っ」
そのまま、御珠はその場で固まってしまった。
作業着に土がつくのもかまわず、抜いたばかりの大根を両手で赤子のように抱え込んでいる。
「おお、でっけーの来たべ」
棟方が覗き込んで声をかけた。
御珠の翠の瞳に、じわっと涙の膜が張っていくのが見える。
「……でかいのう。
妾の、育てた、大根……」
(うわ、本気で泣きそうだ)
震える声で呟く御珠の横顔は、本当に感極まっているようだった。
「御珠っち、泣いてる!?」
「泣いておらぬ」
強がった御珠が、抱えた大根でそのまま目元をごしごしと擦ろうとする。
「お、おい!大根で擦るな!目に土が入るだろ!」
あたしは慌ててその腕を掴んで止めた。
「……すまぬ」
御珠がしゅんとして、大根を大事そうに抱え直す。
その表面についた土を、指の腹でそっと払った。
「春から、ずっと育てたかったのじゃ……
待っておったのじゃ」
愛おしそうに大根を見つめる声が、秋の風に溶けていく。
周囲の畝でも、次々と収穫の歓声があがり始めていた。
「おら、3本目!」
「ウチも!」
泥だらけの手で大根を掲げる棟方と光莉。
視線を向けると、湊も立派な大根を抜いて、満足げに微笑んでいた。
「……いっぱい採れたね」
「だな」
湊の柔らかい声に頷いてから、再び隣を見る。
御珠は、まだ自分の大根を胸に抱えたままだった。
「華蓮」
「ん?」
「これが、おでんになって……妾が売るのじゃな」
「そうだな」
あたしが頷き返すと、御珠の顔がパッと華やいだ。
「……楽しみじゃ」
(よかった。笑った)
安堵したあたしたちに向けて、工藤先生の太い声が飛んでくる。
「一人一本まで持って帰っていいぞー。持って帰れるものならな!」
なぜか挑発するように持ち帰りを促す先生の言葉に、御珠が即座に反応した。
「必ず、雪杜に届けるのじゃ!」
(実際、これ持って帰るの大変だろ)
大根を天高く掲げる御珠の姿に、あたしはこっそりと息を吐いた。
―――
農場の隅。
泥のついた立派な大根が、プラスチックのコンテナに山積みになっている。
その前に立った工藤先生が、パンパンと手についた土を払った。
「明日は調理実習室で仕込みだ。今日はここまで。
店舗の設営もあるから、仕込み班と設営班で別れてもらう」
先生の言葉に、終わったー、とクラスのあちこちから安堵の声が漏れる。
「とりあえず男は設営班、女は仕込み班だ」
(明日は湊と別々の作業か)
(まぁ、いっか)
夕暮れが近づく空を見上げながら、スコップなどの道具を片付けていく。
生徒たちが三々五々に散っていく中、ふと横を見ると、御珠がスーパーのレジ袋に入れた大根を一本、大事そうに抱えていた。
「本当に持って帰るのか?」
「雪杜に食べさせるのじゃ」
自慢げに胸を張る親友の姿に、あたしは思わず呆れ息を吐いた。
「邪魔だろそれ」
「なに、これしき指一本で支えられるのじゃ」
「まあ、いいけど」
(うきうきで雪杜のために調理する御珠、かわいいな)
緩みそうになる口元を、慌てて引き締める。
「なに作るんだ?」
「そうじゃのぅ……浅漬け、大根おろし、味噌汁……。
新鮮な大根じゃし、千切りにして大根サラダにするのじゃ」
「いいなそれ」
そこに、手を洗ってきたらしい湊が小走りで近づいてきた。
「華蓮。部活いこ」
「そうだ。こっちの作業も佳境だったな。御珠も行くぞ」
「うむ」
夕日に照らされた校舎を、袋から突き出た立派な大根の葉を揺らしながら歩く。
すれ違う生徒や先生たちに二度見され、その度に「なんだその大根」と突っ込まれる御珠の横で、あたしと湊はひたすら苦笑いを飲み込むことになった。




