第4話 初デートはカラオケで1
夜。
自室のベッドに寝転がっていると、スマホが短く震えた。
画面には湊の名前が光っている。
(明日の相談かな)
通話ボタンをスライドして、スマホを耳に当てた。
「もしもし」
『こんばんわ』
「こんばんわ。今日楽しかったな」
『うん。雪杜の漫才、すごかったね』
スピーカー越しに聞こえる声は、昼間の熱気をまだ少し引きずっているようだった。
「あいつ、なんでもこなすな」
『中学でもいろいろやってたの?』
「ああ。ダンスのMCしたり、生徒会長やったり、文化祭で司会やったり、他にも御珠と咲良と三人でいろいろすごかった」
『御珠さんも春原さんもか……なんとなく分かる』
湊の言葉に、中学時代のあいつらの無双っぷりが脳裏をかすめる。
「だな」
電話の向こうで、ふっと吐息が漏れるような、小さく笑う気配がした。
(笑い声、好きだな)
(……って何考えてんだあたし)
不意に頬が熱くなって、言葉が途切れる。
静まり返った部屋に、時計の針の音だけがカチカチと響いた。
「……なあ、明日。どうする?」
問いかけてから、返事が来るまでの数秒がやけに長く感じる。
『……明日も、デートしたい』
その一言に、息が止まった。
(……く)
(心臓うるさい)
胸の奥で早鐘を打つ音を必死に抑え込む。
「……わかった」
少しだけ声が震えてしまった気がする。
『あの、カラオケ……行ってみたい。行ったことある?』
「何度か。
じゃあ昼一緒に食ってからカラオケ行くか?」
『うん!』
弾んだ声が耳に飛び込んでくる。
(テンション上がった)
(……かわいいな)
にやけそうになる口元を、空いている片手で慌てて覆った。
「駅前で待ち合わせでいいか。11時」
『うん。じゃあまた明日』
「おう。また明日」
通話終了の短い電子音が鳴り、画面が暗くなる。
熱を持ったスマホを、胸の上にそっと置いた。
(『明日もデートしたい』、か……)
(明日が本当の初デートだ)
(きょうのは練習だ練習。ノーカンだ)
蛍光灯の光を放つ天井をぼんやりと見つめたまま、心臓の鼓動が落ち着くまで、しばらく身動きがとれなかった。
―――
日曜日の駅前。
約束の11時より少し前に着いてしまった。
行き交う人々の波を眺めながら、スマホで時間を確認する。
(早く来すぎた)
(……でも遅刻するよりいっか)
顔を上げて、人の流れに視線を滑らせる。
その中に、見慣れた小柄なシルエットを見つけた。
(……来た)
湊がこちらに向かって歩いてくる。
昨日の文化祭より、さらに気合いの入った女装姿だった。
きれいにまとめられた髪が、歩くたびにふわりと揺れている。
(……)
(また固まってる、あたし)
(なんで毎回こうなるんだ)
無意識に呼吸が浅くなるのをどうにかごまかす。
湊が目の前で立ち止まり、上目遣いでこちらを見た。
「……おはよう」
「お、おう。おはよう」
声が裏返りそうになるのを、咳払いでなんとか飲み込んだ。
湊が、少し不安そうに自分の服の裾を摘む。
「……変じゃない?」
「変じゃない」
食い気味に即答してしまった。
(早すぎた)
(でも変じゃないから仕方ない)
視線を逸らそうとして、湊の髪元で小さく光るものに気づいた。
(あ、このヘアピン……)
「先週あたしが選んだやつだ……」
「えへへ……せっかく選んでくれたから」
湊が柔らかくはにかむ。
その笑顔の破壊力に、目の前が真っ白になった。
(なんだこれ!なんだこれ!やばすぎる!)
(心臓止まれ!)
(……ダメだ!止まったら死ぬ!)
胸の奥で暴れ回る心臓を必死に宥めすかし、無理やり足を踏み出す。
「……い、行くか。飯食ってからカラオケだ」
「うん」
歩き出したあたしの隣に、湊が嬉しそうに並んだ。
―――
駅前にひっそりと佇む和風カフェ。
格子戸をくぐると、店内には落ち着いた木の香りが漂っていた。
(御珠が言ってたとこ、ここか)
(確かに雰囲気いいな)
店の外観を眺めながら感心していると、隣で湊が目を輝かせた。
「……おしゃれなお店だね」
「御珠に教えてもらったんだ。抹茶ケーキが美味いって」
「抹茶ケーキ……食べてみたい」
「いらっしゃいませー。2名様ですね。こちらにどうぞ」
店員に案内され、窓際の日当たりのいい席に腰を下ろす。
柔らかな光が差し込むテーブルに、ほっと息をついた。
(いい感じだ)
テーブルに置かれたメニューを開く。
「何にする?」
「うーん」
視線を落として、色鮮やかな料理の写真を眺める。
(抹茶ケーキだけじゃ足りないよな?)
「あたしは……このパスタと……デザートに抹茶ケーキで」
だしバターきのこパスタ。
「じゃあ、私は……これにしよっと」
しめじとサーモンの和風スパゲッティ。
「パスタでいいのか?他にもあるぞ?」
「一口交換会してみたくて……」
「お、おう」
上目遣いで放たれた言葉に、不意を突かれて喉が鳴る。
(こいつほんと女子っぽいこと好きだよなー)
(あたしより女子っぽいの、なんかむかつく)
店員を呼んで注文を済ませると、テーブルを挟んで向かい合った湊が口を開いた。
「昨日……楽しかったね」
「ああ。雪杜の漫才、ちゃんと面白かったな」
「うん。あと御珠さんの握手会とか……」
「あれはもう諦めてる。あいつどこ行っても御珠だから」
呆れ半分で答えると、湊が肩を揺らして小さく笑った。
「渡り廊下も……悪くなかったな」
口に出してから、自分の不用意な発言に背筋が跳ねる。
(急に何言ってんだあたし)
「……うん。悪くなかった」
湊がこちらを見て、少しだけはにかむように笑った。
(笑うなって)
(心臓うるさい)
胸の奥の鼓動を必死に宥めていると、湯気を立てる二つのパスタが運ばれてきた。
「わあ……美味しそう」
「うまそう」
フォークを手に取り、二人で食べ始める。
「……はい。あーん」
「あ、あーん!?」
いきなり、パスタが巻きつけられたフォークが目の前に差し出された。
(だ、大丈夫だ)
(昨日もクレープ食べたし)
(傍から見れば女子同士が、ノリで交換しているようにしか見えないはずだ)
差し出されたフォークから、思い切ってパクリといただく。
もぐもぐと咀嚼する間も、顔に熱が集まっていくのがわかった。
「……どう?」
「う、うん。美味しいよ」
(味なんかわかんねーよ!)
「こっちも……食べるか?」
「……うん」
自分のフォークにパスタを巻きつけて、そっと差し出す。
湊が少し身を乗り出し、パクリとそれを口に入れた。
顔を赤くしながら、もぐもぐと口を動かしている。
「……お、美味しいよ」
(そっちも照れてんじゃねーか!)
お互い、それ以上は言葉を出せず、無言で残りのパスタを食べ進めた。
「えっと……カラオケ、楽しみだね」
「あ、ああ。そうだな」
空になった皿が下げられ、ぽつりと湊がつぶやいた。
「カラオケって初めて……」
「緊張してんのか?」
グラスの水を飲みながら尋ねる。
「歌えなくてもいいから。まあ行けばわかるって」
「うん」
言い終わると同時に、デザートの抹茶ケーキが運ばれてきた。
「わあ……!」
「写真、撮るのか?」
「うん!」
湊はスマホを取り出し、ケーキの写真を何枚か撮り始めた。
「せっかくだから華蓮も」
「え!?あたしは別にいいよ」
急にレンズを向けられ、両手を振って拒否する。
「いいからいいから。ほらケーキ持って」
「仕方ねーな」
照れ隠しでしかめっ面をしながら、ケーキの皿を持ってカメラ目線を作った。
「えへへ。待ち受けにしちゃおっと」
「っちょ!やめろって!恥ずかしいだろ!」
テーブル越しにスマホを奪おうと手を伸ばし、どたばたといちゃつく。
(やべ。めっちゃ楽しい!)
ようやく落ち着いて、湊がフォークでひと口ケーキを頬張った。
途端に、その目が真ん丸になる。
「……っ、おいしい」
「マジか」
あたしも自分のケーキを切り分け、口に運んだ。
(……んま!)
(御珠め、いい店知ってんじゃねーか)
二人でケーキを味わう、穏やかで悪くない時間。
(二人きりで外で飯食ってる)
(……普通なのに、なんかドキドキする)
(これが……本物の……デート……)
―――
受付を済ませて、案内された個室へ入る。
防音扉が重たい音を立てて閉まり、通路のBGMが遮断された。
(……二人きり)
(密室じゃないか)
(当たり前だろカラオケなんだから!)
ソファに腰を下ろしながら、一人で勝手にテンパる頭にツッコミを入れる。
「広いね」
「まあ普通だな。ドリンク頼むか」
湊はテーブルの上の電子リモコンを手に取り、まじまじと画面を見つめていた。
「これで曲入れるの?」
「ああ。ここで検索して、入れる」
「……へえ」
湊は真剣な顔つきで、不慣れな手つきでリモコンを操作し始めた。
(なんか楽しそうだな)
「……入れた」
「何入れたんだ?」
ピッと短い音が鳴った直後、スピーカーからアップテンポで刻むようなイントロが流れ出す。
(あ、これちょっと前に流行った難しい曲)
ハイトーンのボカロ曲だ。
湊が両手でマイクを握り締め、画面のテロップに合わせて口を開いた。
しかし、出だしの高音に喉がついていかず、かすれたような音しか出ない。
「……あれ」
もう一度、次のフレーズで挑戦するが、やはり声がひっくり返ってしまった。
「……」
湊がしょんぼりと肩を落とし、マイクを下ろす。
「僕、声高いからいけると思ったんだけどな……」
「はは」
「笑わないで……」
むくれたように唇を尖らせる湊を見て、あたしは慌てて手を振った。
「いや悪い悪い。雪杜もおんなじようなことしてたなーって。
めっちゃ早口な曲入れて、全然ついていけてねーの」
あたしが思い出し笑いをしながら言うと、湊も少しだけ表情を緩めた。
「雪杜らしい」
「ああ。あいつも最初は撃沈してた。練習すればいけるって」
「……うん。頑張る」
湊は気を取り直したように、再びリモコンに向かった。
今度選んだのは、無理な高音のない、音域の合ったしっとりとした曲調のものだった。
イントロが終わり、湊がマイクに口を寄せる。
響き渡ったのは、ボイスチェンジャーを通していない、穏やかで澄んだ湊の地声だった。
(……あ)
(この声……)
(普段と全然違う)
(なんか……すごい)
すっと耳の奥まで染み込んでくるような歌声に、気づけば瞬きも忘れて聴き入っていた。
(心臓、またうるさい)
(なんでカラオケで死にそうになってんだあたし)
薄暗い部屋の中で、モニターの光に照らされる湊の横顔から、どうしても目が離せなかった。
―――
最後のフレーズが部屋に溶けるように消え、採点画面のBGMが流れ始める。
「……うまいじゃないか」
マイクを下ろした湊に、思わず声が漏れた。
「え?本当に?」
「ああ。声がいい」
言ってから、しまった、と奥歯を噛む。
(素直に言いすぎた)
「……えへへ」
湊が照れくさそうに笑い、マイクを両手で握り直す。
(笑うな心臓が死ぬ)
「華蓮も歌ってよ」
「あたしは別に……」
湊が身を乗り出し、期待に満ちた目を向けてくる。
「いいからいいから。聴きたい」
「……しょうがないな」
ため息をつきながらリモコンを手に取り、適当な曲を入れた。
イントロが流れ始め、マイクを握る。
特別うまいわけでも、下手なわけでもない。ただの普通の歌声だ。
それでも、モニターの端に映る湊の姿が気になって仕方ない。
(見るな)
(真剣に聴くな)
(恥ずかしいだろ!!)
画面のテロップを目で追いながら、必死に平静を装って歌いきる。
曲が終わり、採点画面に切り替わると、隣から小さな拍手が聞こえた。
「……よかった」
「普通だろ」
マイクをテーブルに置きながら、ぶっきらぼうに返す。
「声が好き」
「……っ」
ストレートな言葉に、顔中の血が一気に沸騰したような感覚に襲われる。
(こいつ、何回あたしを殺す気だ!)
これ以上顔を見られてたまるか。
動揺を隠すように、すぐにリモコンの検索画面を立ち上げた。
そこからは、不思議と緊張も解け、交互に曲を入れ続けた。
高音が出なくて二人で笑い合ったり、古い曲を入れて突っ込みを入れたり。
(楽しい)
(……素直に、楽しい)
マイクを握ってノリノリで歌う湊の横顔を眺める。
(こいつ、だんだん楽しくなってきてる)
(……いい顔してんな)
個室の中には、二人の声だけが響き続けていた。




