第3話 オタク忍者と握手会
熱気に包まれた体育館。
パイプ椅子が並べられた観客席の中央付近に、あたしたち五人は横並びで座っていた。
「楽しみー!!」
「雪杜、漫才でぎるんだべが」
「まあ。見てのお楽しみだな」
「うむ。楽しみなのじゃ」
ステージを見つめていると、隣に座る湊がそっと身を乗り出し、耳元で囁いてきた。
「私もしゃべりたい」
(近い近い!)
(くすぐったいし!)
ふわりと鼻をかすめる香りに、あたしは少しだけ身をよじる。
「お、おう。小声なら大丈夫だろ」
「うん」
(やべぇ!なんだこれ!?ASMRってやつか!)
一人で勝手に心臓を跳ねさせていると、ステージの袖からマイクを持った司会の生徒が小走りで現れた。
「続きまして、1年1組!コンビ名……オタク忍者!」
「オタク忍者!?なにそれ!?」
「なんだべそれ!おもしれー!」
「……静かに見ろ」
あたしは、はしゃぐ二人を窘めた。
スポットライトが照らす中、ステージに二人の男子が現れる。
見慣れた制服姿の雪杜と、隣には小柄でぽっちゃりとした体型の見知らぬ男子が並んでいた。
その瞬間、客席のあちこちから黄色い歓声が飛び交う。
「天野くーん!頑張ってー!」
「天野くん!こっち向いてー!」
(雪杜、相変わらず人気者だな)
熱烈な声援が飛んできた方角へ、あたしはふと視線を向けた。
(あいつ……篠見中のやつじゃねーか!)
驚いてさらに周りを見渡すと、あちこちに見覚えのある顔が点在している。
(なんか知ってる顔ばっかりなんだが!)
(てか颯太とか佐々木までいるじゃねーか!!)
(もう同窓会みたいになってるぞ!)
ステージに熱視線を送る中学時代の連中の姿に、あたしは呆れたように息を吐いた。
(大方、咲良の仕込みか)
二人がセンタースタンドのマイクの前に立つ。
「どもー!オタク忍者です!」
「にんにん」
静まり返っていた会場のどこかで、誰かが盛大に吹き出す音がした。
(え!?いまのそんなにおもしれーか!?)
雪杜が苦笑いを浮かべながら口を開く。
「1年1組、ツッコミ担当の天野 雪杜と」
「せ、拙者、ボケ担当の久我 慎平と申す」
久我が深く頭を下げた。
(……は?)
(拙者?)
(まぁ、忍者ならそうなのか)
隣で光莉が目を瞬かせ、棟方が顎をさすっている。
「え、なにあの子」
棟方が顎をさすりながら続ける。
「小デブだな」
(小デブで忍者が務まるのか?)
(キャラ濃すぎだろ)
客席のざわめきをよそに、雪杜が明るい声を張り上げる。
「二人合わせて」
「オタク忍者でござる」
「雪杜ー!」
まばらな拍手に混じって、颯太の野太い声が体育館に響き渡った。
(仕込みがあからさま過ぎんだろ!)
雪杜が軽く手を挙げて拍手を制する。
静寂が戻ったのを見計らい、久我がゆっくりと口を開いた。
「のう。天野氏」
「なんだい久我くん」
「拙者、先日コンビニでアイスを買ったのでござる」
「うん」
久我が真顔のまま、淡々と語り続ける。
「レジで店員に『温めますか?』と聞かれたのでござる」
「アイスを?」
「うむ。拙者、そういう商品かと思ってお願いしたら」
「……まさか」
雪杜が顔をしかめて身を引いた。
「普通にデロデロになったアイスを返されたのでござる」
「なんでだよ!」
ドッと会場が沸き返る。
特に篠見中組からの笑い声が異様に大きかった。
(なんだこいつら)
(普通に面白いじゃないか)
「店員殿の目が『本当にいいんですね?』と言っておったのでござる」
「じゃあやめろよ!」
「先に勧めたのは店員殿でござる」
「そりゃそうだけど!」
久我がやれやれといった様子で大げさなため息をつく。
「……不味かったでござる」
「食ったのかよ!」
再び、体育館が爆笑に包まれる。
(雪杜のツッコミ、キレッキレじゃねーか!)
(すげー練習したんだろうな)
「久我くんの話はもはやオタクじゃなくて、ただの気の弱い人の話だよ!」
「オタクとはそういう生き物でごさるよ」
会場からくすくすと笑い声が漏れる。
(雪杜すげーな)
(MCやったり、生徒会長やったり、司会やったり)
(あいつ、なんでもやるな)
「拙者、彼女が欲しいでござる」
「突然だね。まずそのござる口調やめよっか」
「嫌でござる」
久我が、譲らないと言わんばかりに胸を張った。
「この口調ごと愛してくれる彼女を募集するでござる」
「まあ頑張れ」
諦めたような雪杜の冷たい返しに、小さな笑いが起こる。
「ということで、天野氏。告白の練習に付き合うでござる」
「えー。僕、久我くんから告白されちゃうの!?キモいんだが」
「照れるでない」
「照れてない!キモいって言ってる!」
雪杜が本気で嫌そうな顔をしてマイクから距離を取る。
「では参るでござる」
「えー、ほんとにやるの!?」
久我が雪杜の方へ完全に向き直り、熱っぽい視線を送った。
「……天野氏」
「……な、なにかな(女声)」
「拙者、そなたのことが……」
「……」
息を呑むような静寂がステージを包む。
「……好きでござる」
雪杜が黙ったまま、マイクから少し顔を背けた。
「……どうでござるか?」
「いや普通にキモかった」
間髪入れない雪杜の切り捨てに、会場が今日一番の爆笑に包まれた。
「だいたい久我くんさ、彼女の前でもそのしゃべり方するの?」
「もちろんでござる」
「やめた方がいいって」
「では天野氏はどう申すのでござるか?」
久我に問い詰められ、雪杜が少しだけ困ったように首をひねる。
「え、普通に『好きだよ』じゃない?」
「ほう。では実演してみせるでござる」
「え」
「さあ!」
ぐいぐいと迫る久我に、雪杜がたじろぐ。
「いや、僕が言う必要ある!?」
「練習でござる!」
「僕の練習じゃないでしょ!」
(はは。これ雪杜も告白する流れか?倒れるやつ出るんじゃね?)
「さあ」
「……す、好きだよ」
マイクを通した雪杜の甘い声に、黄色い悲鳴と爆笑が混ざり合って響き渡った。
「雪杜!もうだめ……」
最前列の客席で、咲良が大声を上げて崩れ落ちるのが見えた。
(おい!咲良までなにやってんだよ!)
「うわ恥ずかし!!これ久我くんのせいだからな!?」
「……ふむ。
やはり拙者には無理でござる」
「諦めんな!!」
雪杜の叫び声とともに、割れんばかりの拍手が体育館を揺らした。
篠見中組が総立ちになって歓声を上げている。
「おおー!!」
「すごーい!!」
「見事じゃ!」
(……なんだ)
(普通に楽しかったじゃないか)
気がつけば、あたしも夢中になって手を叩いていた。
横を見ると、湊も一生懸命に拍手をしている。
その目は少し潤んでいた。
(こいつ、感動してんの)
(……かわいいな)
全組の発表が終わり、ステージに再び司会が現れた。
「グランプリ受賞、オタク忍者!」
「おー!!」
「やったー!!」
光莉が跳ね上がり、棟方が拳を突き上げる。
「うむ!!当然じゃ!!」
「ゆっきーおめでとー!!」
ステージ上で賞状を受け取った雪杜が、ふとこちらへ視線を向け、柔らかく目を細めた。
(あいつ、笑ってる)
(よかったな)
隣で、湊がそっとあたしの袖を引いた。
「……よかったね」
「……ああ。よかったな」
―――
漫才グランプリが終わり、熱気冷めやらぬ体育館の外へ出たところだった。
「……あの」
「ん?」
制服の袖を、ちょいと弱い力で引かれる。
見下ろすと、湊がもじもじと上目遣いになっていた。
「トイレ、行きたい……」
(あ、そうか)
(学校のトイレ、バリアフリーあるか分からないな)
今の湊の格好では、普通の男子トイレにも女子トイレにも入りづらいだろう。
少し考えて、あたしは正門の方角を指さした。
「近くにコンビニあるから、そっちに行こう」
「……いいの?」
「みんなには後で合流すりゃいい」
湊を安心させるように頷いてから、先を歩く御珠たちに声をかける。
「ちょっと抜けるわ。後で合流する」
「え~どこ行くの~?」
「湊がしょんべんしたいって」
「っちょ!」
顔を真っ赤にして慌てる湊を見て、光莉がのんきな声で笑う。
「あははー。大変だねー。いってらっしゃい」
「ゆっくりするとよいのじゃ」
(この笑顔、絶対分かってる)
にこにこと意味深な笑みを向けてくる御珠から逃げるように、あたしは湊を連れて足早に校外へと向かった。
(思いがけず、二人だけになれたな)
(悪くない)
秋の涼しい風に吹かれながら、あたしたちは近くのコンビニへと向かう。
数分後、無事にトイレを済ませた湊が店舗から出てきた。
「大丈夫だったか」
「うん。ありがとう」
急いで戻る理由もないので、あたしたちはゆっくりとしたペースで歩き出す。
「せっかくだし、少し見て回るか」
「……うん」
再び篠見高校の敷地に戻る。
お祭り騒ぎの中心から距離を置いた、人影のまばらな渡り廊下へと足を踏み入れた。
(静かだな)
(賑やかなとこから二人で抜け出してる感じ、青春っぽい)
木漏れ日が差し込む廊下の途中で、湊が立ち止まって窓の外を見つめた。
「……きれいな学校だね」
「そうか?」
「あちこち新しいし、うちと雰囲気違う」
「まあ、農業高校と普通科じゃな」
あたしも歩みを止め、湊と並んで窓の外の景色を眺める。
(肩が触れそうな距離だ)
(触れたらどうなるんだ)
(いや何考えてんだあたし)
一人で勝手にドキドキしていると、風の音に紛れるような小さな声が聞こえた。
「……華蓮」
「ん」
「来てよかった」
「……そうか」
横目で盗み見ると、湊がふわりと柔らかく笑っていた。
(笑うなよ)
(心臓うるさくなるだろ)
あわてて視線を前へ戻し、照れ隠しのようにあたしも口を開く。
「……あたしも」
「え」
「来てよかったと思ってる。それだけ」
「っ」と、湊が息を呑む気配がした。
それから、今度はさっきよりも少しだけ大きな、はっきりとした声で笑う。
(だから笑うなって)
(……かわいいな)
穏やかな時間が流れていた、その時だった。
「さかもっちー!湊っちー!見つけたー!!」
廊下の向こうから、光莉の甲高い声が飛んでくる。
(見つかった)
あたしは小さく息を吐き、隣の湊に視線を向けた。
「……行くか」
「うん」
並んで、賑やかな声がする方へと歩き出す。
(もうちょっとだけ、二人でいたかったけど)
(……まあ、いいか)
渡り廊下の真ん中で、光莉がニヤニヤとした笑みを浮かべて駆け寄ってきた。
「にしし、二人してなにしてたの?邪魔しちゃったかなー?」
(くそ!からかいやがって!)
「あー、邪魔だ邪魔!」
「ひっどーい!さかもっちが開き直ったー」
光莉がけらけらと笑い声を上げる。
「うるせ」
照れ隠しに光莉を軽く小突き、あたしは周りを見渡した。
その後ろから歩いてくる棟方の横にあるはずの青い髪が見当たらない。
「あれ、御珠は?」
「さあ……なんか途中ではぐれちゃった」
「気、ついだっきゃいねぐなってだべ」
(御珠のことだから、どっかで何かやってんだろうな)
そんなことを考えていると、廊下の奥から不自然に伸びている行列が目に入った。
「あれ、なんの列だ?」
「なんだべ?人気の模擬店が?」
「……屋上?」
行列の先を辿ると、屋上へ続く階段に吸い込まれている。
(なんだこれ)
「並んでみよ!」
「いいべ!」
「……まあ、いいけど」
好奇心丸出しの光莉と棟方に引っ張られるようにして、あたしたちも列の最後尾についた。
じりじりと少しずつ階段を上っていく。
(何の列だこれ)
(なんか嫌な予感がする)
重そうな鉄扉を抜け、ようやく屋上へと出た。
抜けるような秋空の下、そこには見慣れた顔が二つ並んで立っていた。
疲労困憊といった様子の雪杜が次々と列の女子と握手を交わし、その隣で御珠が立ちはだかるようにして睨みを利かせている。
「雪杜に懸想するでない」
少し脇には、腕章をつけた生徒会役員らしき数名が列の整理をし、雪杜の手にアルコール消毒液を吹きかけていた。
(……)
目を疑う光景に言葉を失っていると、棟方が素っ頓狂な声を上げた。
「は!?」
光莉が指を差して叫ぶ。
「え!?ゆっきーの握手会!?」
その声に気づいた御珠が、パッと顔を輝かせてこちらへ手を振る。
「おお、華蓮よ。来たのかえ」
「お前他の学校でなにやってんだよ!」
「流れでそうなったのじゃ」
「どんな流れだよ!!」
呆れ果てるあたしたちを見て、雪杜がげっそりとした顔で力なく笑う。
「……来てくれたんだ。握手する?」
「するー!」
光莉が元気よく飛び出した瞬間、御珠がすっと間に割って入り、鋭い視線を向けた。
「雪杜に懸想するでない」
「はーい!」
「うむ。良い子じゃ」
「御珠っちともしたい」
光莉が両手を差し出すと、御珠は困ったように眉を下げる。
「妾の出番はないのじゃ」
しかし、そのやり取りを見ていた周囲の女子生徒たちが、次々と声を上げ始めた。
「私も!」
「私も!」
「む、無理を申すでない」
御珠が珍しくたじろいでいると、列の整理をしていた生徒会役員が大きな声で叫んだ。
「仕方ないな。御珠くんとも握手したい人はこちらに並べー!」
「やったー!」
屋上に黄色い歓声がこだまする。
「ねぇねぇ、どこのアイドルグループなの?」
「妾はアイドルではないのじゃ」
「え!?嘘でしょ!?」
すっかりアイドル扱いされている御珠を見て、棟方が腹を抱えて笑い出した。
「あははは!御珠、さすがだべ!」
「どうすんだよこれ。あたしら帰るからな」
「これ、順番を守らぬか」
あたしの言葉など耳に入っていないのか、御珠は押し寄せる女子生徒たちと次々に握手を交わし、満更でもなさそうに胸を張っている。
(こいつ、どこ行っても御珠だな)
(……まあ、そうじゃないと御珠じゃないか)
ふと隣を見ると、湊が肩を揺らしてくすくすと笑っていた。
「笑うな。御珠が調子乗る」
「ごめん……でも、楽しいね」
「……まあな」
フェンスの向こうに広がる青い空と、下から聞こえてくる賑やかなお祭り騒ぎの音。
そして、目の前で繰り広げられる、いつも通りのハチャメチャな光景。
(いい日だ)
(……本当に、悪くない)




