第2話 たなこ、参上
土曜日、午前11時。
澄み切った秋晴れの空の下、他校の制服や私服姿の生徒たちが入り乱れる正門前に、見慣れた三人の姿があった。
御珠、棟方、光莉だ。
あたしは隣を歩く湊と歩調を合わせながら、軽く片手を上げて歩み寄る。
「よ。待たせたな」
「おっす」
「おはよう!」
「おはようじゃ」
御珠の翠の瞳が、すっとあたしの隣へ向けられる。
じっと見つめられ、湊の肩がびくっと跳ねた。
「して、隣の娘は誰かの。
何処か見覚えのある背格好じゃが……」
湊の喉仏が小さく上下する。
きゅっと唇を結び、かすかに震える息を吸い込んだ。
「……僕です」
「田中であったか」
秋風が木々の葉を揺らす音が、やけに大きく聞こえた。
その直後。
「は!?」
「はぁ!?」
棟方の目を丸くした顔と、光莉のあんぐりと開いた口。
棟方は目をしばたたかせ、湊の頭の先から足元までを、まるで珍しい生き物でも見るかのようにじっくりと往復させた。
「……湊、か?」
「……うん」
「……んだが」
太い腕が何度か持ち上がりかけ、その度に所在なさげに下ろされる。
棟方の口が何度か開閉したが、結局それ以上の言葉は出てこなかった。
(ムナっち……)
棟方の戸惑いをかき消すように、光莉の甲高い声が響き渡る。
「ちょっちょっちょ!え!?湊っちが!?え!?かわいい!!
なにこれ!?どういうこと!?」
「あ、えっと……」
勢いよく詰め寄られ、湊が一歩後ずさる。
「かわいいんだけど!?ねえ!?御珠っち見て!?」
「うむ。かわいいのじゃ」
「でしょ!?」
光莉の勢いに押され、湊の耳たぶまでが真っ赤に染まっていく。
目を泳がせる姿に、あたしは思わずため息をついた。
(大丈夫か……?)
「おい光莉、落ち着け」
「でも!かわいくない!?」
「かわいいけど落ち着け」
わあわあと騒ぐ光莉の横で、棟方が静かに湊の隣へと歩み寄った。
「……似合ってるべ」
「……ありがとう、ムナ」
照れくさそうに、棟方がぽりぽりと頭を掻く。
「……んだか」
(ムナっち、それだけかよ)
(……でもそれがムナっちだよな)
不器用な空気を切り裂くように、御珠が堂々と前を向く。
「さて、参るとしようかの。
雪杜が待っておるのじゃ」
「待って!写真撮っていい!?湊っち!」
「え、あ……」
スマホを取り出して迫る光莉の首根っこを、あたしはひょいと掴んで引き止めた。
「後でいくらでも撮れ。まず中入るぞ」
「えーっ!」
文句を言う光莉を小突くようにして、あたしたちは賑やかに正門をくぐる。
ふと横を盗み見ると、湊の頬がふわりと緩んでいた。
(湊、ちゃんと笑ってる)
(……よかった)
―――
文芸部の冊子が積まれた長机の奥から、ぱぁっと花が咲いたような声が上がった。
「あっ、御珠ちゃーん!」
「遊びにきたのじゃ」
「来てくれたんだ。ありがとう」
「よー、雪杜」
雪杜が少し照れくさそうに笑い、棟方が軽く右手を挙げる。
その後ろから、光莉が身を乗り出して手を振った。
「ゆっきー!がんばってねー!」
「ありがとう……」
「よ」
「華蓮も来てくれたんだね」
あたしが短く声をかけると、雪杜はほっとしたような表情を浮かべる。
「御珠に連れてこられた」
ただ、あたしの視線はいつの間にか隣の湊へと向いていた。
ふと、長机の向こうにいる咲良が目を丸くして首を傾げる。
一行の中に混ざる、見慣れない『女の子』の存在に気づいたようだ。
「あれ?新しいお友達?」
御珠が人差し指をあごに当てて、上目遣いに宙を見つめる。
「うむ。たなこじゃ」
咲良は微塵も疑う様子を見せず、ふんわりとした笑顔を向けた。
「へー、たなこさん。よろしくね」
湊は小さく肩をすくめ、ぺこりと頭を下げる。
声は出さない。
「恥ずかしがりなのじゃ」
「あはは。かわいい」
咲良がふと首を傾げた。
「あれ?田中くんは?」
(やべ!さすが咲良。めざとい)
「み、湊はなんか風邪ひいたみたいで来れなかった」
咄嗟に誤魔化す。
「ふーん?」
咲良が棟方を見てにこっと笑う。
「棟方くん、ハーレムだね!」
「それ言わねんで!」
和やかな空気が流れる中、雪杜だけが彫像のように固まっていた。
『たなこ』という名前を聞いた瞬間、息を吸い込む動作すら止まっている。
恐る恐るという様子で、雪杜の視線が湊の顔へと向けられた。
視線が絡み合い、湊がかすかに、けれどはっきりと頷きを返す。
(雪杜にはバレたっぽいな)
(あいつ、これから本番なのに大丈夫か?)
瞬きを何度か繰り返し、雪杜はどうにか口角を引き上げてみせた。
「……たなこさん。来てくれてありがとう。漫才、見ていってね」
湊はもう一度、こくりと頷いた。
その様子を横から見ていた光莉が、ぴょんぴょんと跳ねる。
「ねーねーいつ始まるの!?」
「13時半から体育館で。まだ時間あるから、他も回るといいよ。
僕のクラスで、謎解きやってるよ」
「へー。面白そう!行ってみよ?」
光莉の提案に、御珠が満足げに胸を張る。
「うむ。では参るとしようかの」
「けっぱれ、雪杜!」
「……ありがとう」
にぎやかな足音を立てて、あたしたちは文芸部の教室を後にする。
廊下へ出る直前、振り返った雪杜の視線が、再び湊の背中を追っているのが見えた。
その横で、咲良が不思議そうに雪杜の袖を引く。
「ねえ、あの子なんか知り合いっぽくなかった?」
「……気のせいじゃない?」
「そう?」
ごまかすような雪杜の曖昧な笑みを見て、あたしは小さく息を吐いた。
(咲良にもすぐバレそうだな)
―――
賑わう廊下を進み、1年1組の教室前にたどり着いた。
入り口の上には『謎解き脱出ゲーム』と書かれた手作りの看板が掲げられ、その脇には腕章をつけた案内役らしい女子生徒が一人立っている。
(雪杜のクラスの謎解きか……)
(まあ、せっかくだし)
「ゆっきー言ってたのこれか!やろうやろう!」
「なんが解ぐんだが?」
光莉が飛び跳ねるようにして教室を指さし、棟方が腕組みをして首をひねる。
「……まあ、なんか解くんだろうな」
「参るのじゃ」
曖昧に返事をしながら、ふと入り口の当番女子に視線を向けた。
その女子の視線が、すっと御珠の姿を捉える。
その瞬間、彼女の顔つきが微かにこわばったように見えた。
(……?)
(なんだ、知り合いか?)
御珠もその視線に気づいたのか、立ち止まってその女子の顔を見つめ返した。
そして、ふわりと余裕のある笑みを浮かべる。
(あいつ、笑いかけたぞ)
(知り合いっぽいな)
向けられた笑顔に対し、女子は明らかに戸惑い、表情をさらに硬くした。
目を逸らすでもなく、ただじっと御珠を見つめ返している。
(……なんか、感じ悪)
(いや、感じ悪いってわけじゃないか)
廊下の喧騒が、遠くなった気がした。
(なんだろう)
(空気がピリッとした気がする)
妙な緊張感が漂ったのも束の間、御珠は女子の反応など気にも留めない様子で、軽やかな足取りのまま教室へと足を踏み入れた。
(御珠のやつ、何もなかったみたいな顔してる)
(これは……大方、雪杜にちょっかい出してるヤツとかか)
「華蓮、どした。さっさと入るべ」
「あ、ああ。うん」
棟方に背中を小突かれ、あたしは慌ててみんなの後に続いて教室の中へと足を踏み入れた。
薄暗く装飾された室内を見回しながら、ふとさっきの御珠の顔を思い出す。
(……御珠、乗り込むってそういうことだったのか)
―――
薄暗く装飾された教室の中は、いくつかのパーティションで区切られていた。
どうやらチームごとに分かれて、制限時間内に謎を解いていく脱出ゲームの形式らしい。
「なになに!?どこから解くの!?」
「落ぢ着げ。まず問題読め」
「えーと……」
壁や机のあちこちに、意味ありげな記号や図形が書かれた紙が貼られている。
それらを眺めながら、御珠が腕組みをして満足げに頷いた。
「ふむ。なるほどのぅ」
(御珠、もう何か分かったのか)
(こいつ、こういうの得意そうだな)
御珠の余裕のある態度とは裏腹に、光莉と棟方は問題用紙を囲んで首をひねっている。
「これ、どういうごとだべ」
「わかんない!」
「おめもが」
「ちょっと貸せ」
あたしは棟方の手から問題用紙をひったくり、視線を落とした。
(……なんだこれ)
(暗号か?)
さっぱり意味がわからず眉間にしわを寄せていると、隣で衣擦れの音がした。
湊がリュックから小さなメモ帳とペンを取り出し、さらさらと何かを書き始めている。
(あいつ、なんか書いてる)
(声出せないから、筆談で参加するつもりか)
湊が書き終えたメモ帳を、遠慮がちにあたしの目の前に差し出した。
そこには、問題用紙の記号と対応する法則、そして解法へと繋がるヒントが綺麗な字で的確にまとめられている。
(……賢っ)
「お前、こういうの得意なのか?」
湊がペンを握ったまま、こくりと頷く。
その口元が、ほんの少しだけ得意げに持ち上がっていた。
(かわいいな)
(じゃなくて)
あたしは湊のメモを棟方たちに向けて掲げた。
棟方が身を乗り出す。
「なんだ。分がったんだが?」
「……たぶん」
湊が書き出すヒントを元に、あたしが問題用紙の空欄を埋めていく。
二人で頭を寄せ合い、次々と暗号を解き明かしていった。
「え!?もう解けたの!?」
「早えな!」
「うむ。よくやったのじゃ」
教室の奥にある端末に、導き出した最後の答えを打ち込む。
ピロリン、と軽快な電子音が鳴り響き、クリアを知らせる画面が表示された。
「やったー!!」
「おー!!」
(湊のおかげだけどな)
はしゃぐ光莉たちから視線を外し、隣の湊をさりげなく見下ろす。
目が合うと、湊は安心したように、声を出さずに小さく笑った。
(……やっぱかわいいな)
―――
脱出ゲームの教室を出て、賑わう廊下を屋台エリアへ向かっていた、その時だった。
「おーう。御珠ちゃーん」
人波の向こうから、見覚えのない長身がこちらへ手を振ってくる。
御珠が振り返り、すっと表情を和らげた。
「一樹殿。来ておったのか」
「まあな。暇だったもんで」
(御珠の知り合いか)
(あんな大人の知り合いもいたんだな)
一樹の隣に、黒髪の女性が並んでいた。
背筋が伸びていて、物静かな印象の人だ。
「こんにちは」
「うむ。よく来たのじゃ」
挨拶を交わす一樹たちの視線が、自然とあたしたちの一行へと向く。
その女性の目が、ふと湊のあたりで止まった。
(……?)
かすかに、けれどはっきりと、その人の表情が揺れた。
驚き、というより、何かを確認するような目だった。
次の瞬間、その視線がすっとあたしへと移動してくる。
そして、静かに会釈をされた。
(……え?)
(あたし?)
(なんであたしに?)
反射的に頭を下げ返したものの、意味がわからない。
その人はもう何事もなかったように一樹の方を向いており、何かを言う様子もなかった。
「じゃ、また後でな。漫才見に行くわ」
「うむ。雪杜が頑張るゆえ、温かく見守るのじゃ」
「おう」
一樹が軽く手を上げ、二人は人混みの中へ消えていく。
(……なんだ、いまの)
(どこかで会ったっけ)
あたしが首をひねっていると、隣から袖をちょいと引かれた。
湊が、あたしの耳元に顔を寄せてくる。
「……あれ、私のお姉ちゃんです」
(え?)
(いまの人が!?)
(じゃあ会釈は、あたしが彼女だって分かってた!?)
慌てて口を開きかけ、あたしはぐっと飲み込んだ。
ここで騒いだら全員に聞こえる。
(……あとで絶対聞く)
「何してんだ、早ぐ行ぐべ」
棟方の声に引っ張られ、あたしたちは屋台エリアへと歩き出した。
―――
校内の屋台エリアは、腹を空かせた生徒や来場者でごった返していた。
あちこちから漂ってくるソースや肉の焼ける匂いに、自然と足が向く。
「なになに!?何買う!?」
「焼き鳥あるな。あどビールあれば完璧だな」
「あるわけないだろ」
あたしが即座にツッコミを入れると、棟方は大きな肩を落とした。
「やっぱねーが……」
(あっても買えねーっつーの)
棟方はしょんぼりとした足取りのまま、炭火の煙が上がる焼き鳥の列に並んでいった。
残ったあたしたちは、目抜き通りに並ぶテントを見渡す。
「たこ焼きじゃ」
「御珠っち、たこ焼き好きなの?」
「うむ。丸いものは正義じゃ」
(こいつ、色とか形にこだわるよなー)
ソースの焦げる香ばしい匂いに誘われるように、光莉が背伸びをする。
「ウチはお好み焼きにしよっかな」
「あたしは焼きそばにする」
鉄板の熱気が伝わってくる中、隣から遠慮がちな声で袖を引かれた。
「……クレープ、食べてもいい?」
「なんで聞くんだよ。好きにしろ」
「……うん」
それぞれの目当ての品を買い込み、あたしたちは特設の丸テーブルを確保して陣取った。
テーブルの上に各々のパックを広げ、割り箸を割る。
「いただきます」
「いただくのじゃ」
「いただきまーす!」
あちこちから上がる声とともに、昼食が始まった。
しばらくの間、食べる音だけが響く。
「うめ」
「お好み焼き最高!」
「ふむ。たこ焼きもよくできておるのじゃ」
御珠が、串に刺したたこ焼きをふーふーもせずにそのまま口へ放り込む。
途端に、翠の瞳が真丸に見開かれた。
「……熱い」
「フーフーしろよ」
「わかっておる」
(わかってなかっただろ)
強がる御珠を横目に、あたしも焼きそばを啜る。
ふと隣を見ると、湊が両手でクレープを持ち、小さく口を動かしていた。
(クレープか)
(なんか、似合うな)
「……おいしい」
「そうか」
クリームのついた唇をぺろりと舐め、湊がこちらを見上げてきた。
そして、その甘い香りのするクレープを、そっとあたしの方へ差し出してくる。
「食べる?」
あたしは思わず固まった。
「え」
「……一口だけ」
湊の真っ直ぐな視線に、心臓がトクンと跳ねた。
(間接……)
(いや、そんなんじゃないだろ)
ただのお裾分けだ。
変に意識する方がおかしい。
(でも)
恐る恐る顔を寄せ、湊が差し出したクレープの端を一口だけ齧り取った。
甘い生クリームの味が口いっぱいに広がる。
「華蓮、焼きそば食わねんだが?」
急に背後から声をかけられ、あたしはビクッと肩を震わせた。
「っ、食う!食うから!」
(今のは見られたか)
(棟方のやつ、気づいてないよな)
焦って横を盗み見ると、棟方は新しい焼き鳥の串を黙々と引き抜いているところだった。
全くこちらには興味がないらしい。
(……セーフ)
安堵の息を吐きかけたのも束の間、斜め向かいに座る御珠とバッチリ目が合った。
その口元には、にんまりとした笑みが張り付いている。
(お前は気づくな)
「たこ焼き、食べるかえ?華蓮」
「……いらん」
そっぽを向いて拒絶すると、御珠はくすくすと肩を揺らした。
「そうかえ」
(絶対わかってるだろあいつ)
からかうような御珠の視線から逃げるように、あたしは手元のパックに視線を落とした。
「……焼きそば、おいしそう」
隣から聞こえたつぶやきに、あたしは無意識に反応していた。
「食うか?」
(あ)
(今あたし、自分から言った)
我に返って固まるあたしをよそに、湊は少しだけ目を丸くし、それから嬉しそうに小さく頷いた。
あたしは観念して、割り箸で掬った焼きそばを、少しだけ湊の方へと差し出す。
(お互い様だからな)
(別にそういうんじゃないからな)
心の中で必死に言い訳を並べる。
そんなあたしたちのやり取りを気にする風でもなく、御珠は最後の一つを飲み込み、秋の空を見上げた。
「よい文化祭じゃ」
「だな」
串を綺麗に平らげた棟方が同意し、光莉も笑顔で口の周りを拭う。
「来てよかったー!」
(……ほんとにな)




