第1話 彼氏、できました
(勢いで付き合おうとか言っちゃったけど、どうすんだこれ)
(彼氏……湊が……あたしの)
(……意味わかんない)
オレンジ色に染まり始めた川面を前に、並んで座るベンチには風の音だけが届いている。
ちらりと隣へ視線をやると、湊も前を向いたまま石像のように固まっていた。
(こいつも固まってんじゃねーか)
(……まあそうか)
川のせせらぎがやけに耳につく。
夕焼けが水面を長く引き伸ばし、二人の足元まで橙色の光を運んできていた。
(えっと)
(付き合うって、こういう時どうするんだっけ)
膝の上で組んだ指先をもじもじと弄りながら、どうにか口を開く。
「……えっと」
「っ、は、はい」
(はいって何だよ。かわいいな)
弾かれたように肩を揺らした湊の反応に、思わず頬が緩む。
「手でも、繋ぐ?」
「えっ!」
みるみるうちに湊の耳たぶまで真っ赤に染まっていく。
「て、手……っ」
「いや、おかしかったか?付き合ったし、普通かなって」
湊は俯いたまま、小さくこくんと頷いた。
(頷いた)
(頷いたぞこいつ)
ゆっくりと、おそるおそる手を伸ばす。
ぎこちなく触れた指先から、熱が伝わってきた。
(意外と大きい)
(あったかい……)
そっと指を絡ませると、湊のほうもきゅっと握り返してくる。
ベンチから立ち上がり、そのまま二人で夕暮れの河川敷を歩き出した。
(……なんだこれ)
(頭おかしくなりそう)
(手、繋いでるだけなのに)
顔に集まった血のせいか、涼しいはずの川風が火照った頬を撫でていく。
「……その」
「ん?」
「……よろしく、お願いします」
(お願いしますって言った)
(なんだこいつ)
(かわいすぎんだろ!)
心臓の音がうるさくて、湊の顔をまともに見られない。
「……こちらこそ」
足元の砂利が擦れる音だけが、二人の間に響く。
さっきまでの息が詰まるようなそれとは違う、心地よい沈黙だった。
(……悪くない)
―――
玄関のドアを開けると、夕飯のいい匂いが鼻をくすぐった。
「ただいまー」
「おかえり。遅かったわね」
奥から顔を出したお母さんが、エプロンで手を拭きながら小首を傾げる。
「あ、えっと。友達と盛り上がっちゃって……」
(友達と盛り上がった、それだけの話だ)
(なのになんで顔が熱いんだよ)
靴を脱ごうとしたあたしの顔を、お母さんがじっと見つめてきた。
「……」
「なに」
「あら」
「だからなに」
お母さんの口元が、にやぁっと意地悪な形に吊り上がる。
「あらあらあら」
「気持ち悪い言い方すんな!」
「そういうことね。おめでとう」
ぱたぱたと手を叩くお母さんに、あたしはカバンを抱きしめて声を荒げた。
「は!?は!?何がおめでとうなんだよ!
友達と遊んで来ただけだから!」
「はいはい。今度そのお友達、連れてきなさい」
お母さんはにこにこしたまま、あっさりと背を向けて台所に戻っていく。
「聞いてんのかよ!」
乱暴にスニーカーを脱ぎ捨てて、家に上がる。
(なんで分かんだよ)
(何も言ってないのに)
(……お母さん、こわい)
居間のドアを開けると、ソファでゴロゴロしながらスマホをいじっている弟がいた。
「うるさ。玄関でなにしてんの?」
「う、うるせー!」
火照った頬をごまかすように、わざとらしく大きな足音を立てて通り過ぎようとする。
「……へー。
彼氏でも出来たか」
「お前までなんなんだよ!」
振り返って睨みつけると、弟はスマホから目を離さずに肩をすくめた。
―――
夕食の時間。
箸を動かしながら、あたしは必死に表情筋をコントロールしていた。
(落ち着け。もう顔赤くない。普通にしてればバレない)
味噌汁をすすり、白米を口に運ぶ。
そんなあたしを、向かいに座るお父さんがちらりと見た。
「……なんか今日、顔色いいな」
(バレた)
持っていた箸がピタッと止まる。
「そうでしょう。いいことあったのよ」
「彼氏出来たんだって」
「お前も黙れ!」
口を挟んできたお母さんと弟を鋭く睨むが、まったく効果がない。
お父さんは湯呑みのお茶をすすり、ゆっくりと息を吐き出した。
「……そうか。
こんなぶっきら棒にも彼氏ができたか」
「今夜は赤飯だな」
「もう晩飯食ってるだろ!」
あたしの絶叫に、食卓を囲む家族の笑い声がドッと弾けた。
箸を握りしめたまま、あたしは深く深いため息をつく。
(全員敵だ。この家)
―――
ベッドに転がりながら天井をぼーっと眺めていると、放り出していたスマホが短く震えた。
画面をタップすると、メッセージアプリに短い文字が浮かんでいる。
湊:電話していい?
(電話か……)
(そういえば昨日も電話したんだよな)
(昨日のきょうで、まさか付き合うことになるとは思わなかった)
「いいよ」とだけフリック入力して送信する。
直後、着信を知らせる軽快なメロディが部屋に響き渡った。
慌てて通話ボタンをスワイプして、スマホを耳に当てる。
『こんばんは』
「お、おう」
(めっちゃ緊張する)
スマホの向こうからは、かすかな衣擦れの音だけが聞こえてくる。
時計の秒針がチクタクと進む音だけが、やけに大きく部屋に響いた。
(なんかしゃべれよ!用あったんじゃねーのかよ!)
『……あの』
「うん」
『……明日なんだけど』
「ああ」
スピーカーの奥で、湊がためらうように息を吸い込む。
『……どうする?』
(なにをだよ!)
「何を?」
『みんなに付き合ったこと、報告するか……』
(あー、なるほどな)
(こいつも気にしてたのか)
天井の木目をなぞりながら、ふうっと息を吐き出す。
「……隠しとく?」
『あ、やっぱそっちがいいよね?』
「言ったら絶対うるさくなるだろ」
『……そうだね』
受話口の向こうで、湊がくすっと小さく笑う気配がした。
『光莉さんとか』
「そう。光莉とか」
『じゃあ、しばらく内緒にしておこう』
「そうしよう」
ふたたび、言葉が途切れる。
今度は秒針の音よりも、自分の心臓が跳ねる音のほうがうるさく感じられた。
『……あ、でも』
「ん」
『雪杜には話しちゃった』
「え」
跳ね上がった声のせいで、ベッドのシーツががさりと鳴る。
『VTuberのこととか、いろいろ手伝ってもらってたから……報告しておこうと思って』
「……まあ、それはしょうがないか」
『でも、誰と付き合ったかは言ってないから。
「彼女できました」って送っただけ』
(じゃあ御珠には湊が誰かと付き合った、くらいしか伝わらないか)
(雪杜もわざわざ御珠に報告するとは限らないし)
(……大丈夫か)
「そっか。まあ大丈夫だろ」
『うん』
また、静寂が降りてくる。
遠くで車が走り去る音が、夜の静けさを際立たせていた。
『……よろしくお願いします』
(また「よろしくお願いします」って言った)
(こいつ、それしか言えないのか)
(……かわいいな)
自然と緩んでしまう口元を、誰に見られているわけでもないのに手で覆う。
「……うん。よろしく」
通話終了の短い電子音が鳴り、画面が暗くなった。
スマホを胸の上に置き、目を閉じる。
(隠す方向で一致した)
(雪杜には話したけど、相手は言ってないらしいし)
(うまくやれるはずだ)
―――
翌朝。
(……湊と、付き合うことになったんだよな)
見慣れた天井の木目をぼんやりと見つめたまま、布団の中でしばらく身動きが取れずにいた。
(デートして、河川敷で「付き合おう」って言って)
(「うん」って言われて、手繋いで帰って)
(……なんか、夢みたいだな)
のそりと上半身を起こし、頭を掻きながら洗面所へと向かう。
(でも夢じゃないんだよな)
(あいつが彼氏なんだよな)
(……彼氏)
鏡の前の寝癖のついた自分と目が合い、その三文字を口に出してみようとして、慌てて唇を噛み締めた。
(なんか変な感じ)
(早く会いたいな……)
冷たい水で顔を洗いながら、心の奥底でそんな感情が芽生えているのを自覚する。
―――
いつもの通学路を自転車で走り抜け、学校の駐輪場に滑り込む。
スタンドを立て、昇降口へ向かって歩き出したところで、前方から歩いてくる見慣れた小さな影とばったり鉢合わせた。
(あ)
「おはよう……」
「おはよう……」
視線が交差した途端、示し合わせたように二人同時に足元へと目を伏せてしまう。
(…………)
(心臓うるさい)
すれ違う生徒たちの足音が響く中、ただ立ち尽くしたまま動けなくなる。
俯いたままの湊が、居心地悪そうにぽつりとこぼした。
「……いこっか」
「……うん」
あたしはコクりと小さく頷き返し、カバンを握る手に力を込めた。
そのまま、同じ方向へとゆっくり並んで歩き出す。
(普通に喋れよあたし)
(昨日まで普通に喋ってたじゃないか)
(手も繋いだじゃないか)
必死に頭を回すものの、喉の奥がカラカラに乾いて上手く言葉が出てこない。
(……でもまあ)
(こいつも俯いてるし)
(お互い様か)
横を歩く湊も、制服の裾をぎゅっと掴んだまま視線を泳がせている。
目の前に昇降口の入り口が迫ってきたところで、湊が控えめな声を出した。
「……あの」
「ん」
「内緒ってことで」
周りに聞かれないように、湊がさらに声を潜める。
「ああ。黙ってれば誰もわかんねーって」
「そうだよね」
上履きに履き替えながら、こっそりと息を吐き出す。
(よし。うまくやるぞ)
―――
教室の引き戸をガラリと開け、湊と並んで足を踏み入れる。
その瞬間、窓際の席にいた翠の瞳とばっちりかち合った。
「華蓮。おめでとうじゃ」
(は!?)
「は!?な、何が!?」
あたしの裏返った声に、御珠は余裕たっぷりの笑みを浮かべる。
「ふふ。とぼけずともよい。
雪杜から聞いておるのじゃ」
(は!?誰と付き合ったかは言ってないって言ってなかったか!?)
目を見開いたあたしの横から、ひょっこりと明るい茶髪が顔を出した。
「えーなになにー。なにがおめでとうなのー?」
「華蓮に彼氏ができたのじゃ」
「え!?マジ!!?さかもっちに彼氏!!?」
その途端、あたしの顔からサァッと血の気が引いていく。
「な、なんも言ってねーだろ!」
(くそ!なんなんだこいつ!)
バンッと机を叩いて否定するものの、御珠のニヤニヤは止まらない。
「雪杜の元に田中から『彼女ができた』と報告があったと聞いての。
……察しがついたのじゃ」
(湊なのもバラしやがった!)
「っ……」
隣を見ると、湊が耳の先まで真っ赤にして俯いていた。
(赤くなるな!もう確定じゃねーか!)
「え、え、彼氏って湊っち!?」
光莉が目を丸くして、あたしと湊の顔を交互に指差す。
「みたまー!!!」
怒りに任せて叫んだ声が、朝のHR前の教室に響き渡った。
クラスメイトたちの視線が一斉にこちらへ集まる。
「ちょっちょっちょ!え!?マジで!?
湊っちとさかもっちが付き合うことになったの!?」
「声でかい!」
あたしの制止を無視して、光莉がさらに身を乗り出してくる。
「おめでとー!!え!?いつ!?なんで!?」
「くっそ!うるさい!うるさい!」
光莉の質問攻めから逃げるように、あたしはドスドスと音を立てて自分の席へ向かい、カバンを叩きつけた。
「ねーねー教えてよー。どうやって湊っちと付き合うことになったのー?」
「光莉よ。そう藪をつつくでない。聞かれたくないこともあるじゃろ」
(バラした本人がそれを言うのか!)
呆れ果てて睨みつけるあたしを他所に、光莉は今度は湊のほうへ向き直る。
「湊っち!さかもっちのことよろしくね!?」
「は、はい……っ」
「さかもっちって不器用で天邪鬼だから!何か言われても気にしないであげてね!?」
「お前があたしの何を知ってんだよ!」
椅子から立ち上がって怒鳴り返したところで、大きな影があたしたちの間に割り込んできた。
「なんだべ。朝からうるせ」
眠たそうに目をこすりながら、棟方がのそりとやってくる。
光莉が背伸びをして、棟方の耳元で何事かをひそひそと囁いた。
棟方の視線があたしに向き、次に湊へ移り、最後にもう一度あたしを真っ直ぐに捉える。
教室のざわつきがサッと遠のき、やけに重たい空気が数秒だけ流れた。
「……華蓮」
「……なに」
「湊のごと、頼む」
「……分かった」
短く告げると、棟方はそれ以上何も言わずに自分の席へと歩いていった。
(謎の圧に思わず分かったって言っちまった)
息を吐いて周囲を見渡すと、光莉はまだ興奮して跳ね回っており、御珠は満足げに微笑んでいる。
当の湊は、相変わらず茹でダコみたいに真っ赤な顔のまま固まっていた。
(あーもう!隠そうと思ったのに御珠のせいでソッコーばれたじゃねーか!)
あちこちから飛んでくるニヤニヤとした視線に耐えきれず、あたしも湊と同じように深く俯くしかなかった。
―――
昼休みの教室。
あたしと御珠、それに光莉の三人で机を寄せ合い、弁当箱を広げていた。
すぐ隣の席では、棟方と湊が向かい合って購買のパンを齧っている。
「湊っちと一緒に食べなくていいの?」
「そ、そのうち……」
(恥ずかしくてそんなことできるわけねーだろ!)
からかうような光莉の視線から逃げるように、卵焼きを口に放り込む。
「華蓮よ」
「なに」
「今週の土曜じゃが、雪杜の文化祭へ行くのじゃ」
箸を止めた御珠が、突然そんなことを言い出した。
「へー。あいつんとこ、今週文化祭なんだ」
「うむ。皆で行くのじゃ」
(皆で)
(有無を言わさない感じ、こいつらしいな)
強引な決定事項に呆れつつ、箸の先で白米を小突く。
「……まあ、いいけど」
「え!?文化祭!?行く行く!!」
話を聞きつけた光莉が、弁当を放置して机から身を乗り出してきた。
「うむ。光莉も行くのじゃ」
「わも行ぐべ。雪杜のどご」
隣の席から、焼きそばパンを咥えた棟方も顔を出してくる。
「うむ。皆で乗り込むのじゃ。
田中も来るのじゃ」
「う、うん」
頷く湊の横顔を、あたしはちらりと盗み見た。
(土曜は初デートのつもりだったんだけどな)
(……まあ、日曜もあるからいっか)
「ねーねー何時にどこ集合?」
「13時半から漫才グランプリがあるのじゃ。その前に集まるのじゃ」
光莉の問いに、御珠が平然と答える。
「え?ゆっきー漫才やるの?」
光莉の驚いたような声に、御珠が当然だと言わんばかりに頷いた。
「そうじゃ」
「雪杜が……漫才!?」
隣の席の棟方が、目を丸くして呟く。
「あいつが……」
あたしも思わず、呆然と口にしていた。
教室の喧騒から切り離されたように、あたしたちの周りだけスッと静まり返る。
それぞれが頭の中で、あの雪杜が舞台で漫才をしている姿を想像していた。
「…………」
沈黙を破ったのは、目を輝かせた光莉だった。
「見たい!!!」
「見てぇ!!!」
棟方もバンッと机を叩いて同調する。
「うむ!妾も見たいのじゃ」
御珠が力強く頷き、三人の叫び声が弾けるように重なった。
(あいつが漫才か……)
(それは確かに見たい)
クスッと漏れそうになる笑いを噛み殺し、あたしは小さく肩をすくめた。
「……まあ、せっかくだしな」
―――
放課後の園芸部。
花壇の前にしゃがみ込み、湊と並んで土いじりをする。
(付き合う前と、何が変わったんだろう)
(こうして並んで作業してるのは、前と同じなのに)
視線の先で、湊の細い指先が丁寧に土を均していく。
(手、きれいだな)
(昨日繋いだ手だ)
(……って何考えてんだあたし)
スコップを握る手に無駄な力が入り、土を乱暴に掘り返してしまう。
ふと、湊が顔を上げた。
「この株、元気になってきたね」
「ほんとだ。先週より葉っぱの色が違う」
「水の量、少し変えてみたんだ」
「へー。よく気づくな」
湊は少しだけ目元を緩め、
「……花、好きだから」
照れたように視線を花壇の緑へと戻した。
(好きだから、か)
(さらっと言うな)
土をいじるカサカサという音だけが響く。
気まずさはない。心地のいい静けさだった。
部室棟のほうから微かに聞こえる吹奏楽部の音色を聴きながら、ちらりと腕時計に目をやる。
「そろそろ片付けるか」
「うん」
道具を洗い、並んで校門へと向かう。
西の空はすでにオレンジ色に染まりかけていた。
市街地へ向かう道と、バス停へ向かう道。校門の前で立ち止まる。
(……なんか言えよあたし)
カバンの持ち手を強く握り直し、隣に立つ湊へ顔を向けた。
「あのさ」
「うん?」
「今週末、文化祭」
「うん」
夕風が二人の足元をすっと撫でていく。
「……一緒に行こうな」
「……うん。行こう」
湊の口元が、柔らかいカーブを描いた。
(笑った)
(かわいいな)
胸の奥がくすぐったくなるのを誤魔化すように、わざとらしく視線を逸らす。
「じゃあ、また明日」
「うん。また明日」
夕日に照らされながら歩き出す湊の小さな背中を、その場に立ち止まったまま見送る。
(週末、デートしようと思ったのに、いきなり御珠に振り回されるとか)
(まあ、文化祭デートも悪くないか)
小さくなっていく背中が見えなくなるまで、あたしはそこから動けなかった。
―――
夜の自室。
ベッドに仰向けに転がり、天井のシーリングライトをぼんやりと見つめる。
(文化祭か……)
(雪杜が漫才って、どんな感じなんだろう)
(てか湊と並んで歩けるし、悪くないな)
寝返りを打って、枕に顔を埋める。
(ってかあいつ女装していかねーよな!?)
(人混みだし、バリアフリートイレあるかも分からんし)
不意に、枕元に放り出していたスマホがブブッと短く震えた。
画面を見ると、湊からの着信が表示されている。
(タイミング)
慌てて体を起こし、通話ボタンをスワイプして耳に当てた。
「もしもし」
『あ、えっと……夜分にすみません』
遠慮がちな声がスピーカーから響く。
「敬語やめろって言っただろ」
『あ、ごめん。えっと』
受話口の向こうで、湊が小さく息を吸い込む音がした。
部屋の窓ガラスが、夜風に揺れて微かに鳴る。
『週末の文化祭なんだけど』
「うん」
『……女装して、行きたい』
予想外の言葉に、思わず声が上ずった。
「は!?マジで!?」
『……だめ、かな』
不安そうな湊の問いかけに、弾かれたようにベッドから起き上がる。
(だめじゃない)
(全然だめじゃない)
(でも)
(御珠も棟方も光莉も、知らないんだよな)
ギュッとスマホを握りしめ、言葉を探す。
「……お前、本気か?」
『……うん。
華蓮と一緒なら、できる気がして』
(あたしがいるから、踏み出せる……)
胸の奥がきゅっと締め付けられ、何も言えなくなる。
遠くから聞こえる秋の虫の音だけが、夜の静寂を際立たせていた。
「……わかった」
『え』
「あたしがついてるから、好きにしろ」
『……うん』
鼻をすするような、小さな音が聞こえた。
『……ありがとう』
通話が切れ、短い電子音が部屋に響く。
真っ暗になったスマホの画面を見つめながら、それをゆっくりとシーツの上に置いた。
(好きにしろって言ったけど)
(御珠たちにバレるよな、これ)
(棟方の顔、どうなるんだろう)
(……まあ、それはその時考えるか)
重力に逆らわず、そのままベッドへと背中から倒れ込む。
(華蓮と一緒なら、できる気がして、か)
(……あいつ、ずるいな)
熱くなった頬を手のひらで覆い、あたしは静かに目を閉じた。




