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神愛 ― それいけ華蓮ちゃん ―  作者: 神愛
第1章 全部こいつらのせい
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第22話 消えないで

時計の針が夜の10時を指したのを確認し、あたしはベッドの上に寝転がった。

手元のスマホを横向きに持ち替え、見慣れた配信画面を開く。


(今夜も始まった)


画面の向こうで、少しノイズの混じったマイクの電源が入る音がした。


『こんばんは。たなこです。

 えっと……今日も来てくれてありがとうございます』


画面の隅に表示されている数字に視線を移す。


(同接……12人か)

(先週より少し多い)


少しずつだけど、見てくれる人が増えている。

あたしは画面の中の静止画アバターを見つめた。


『あの、今日はちょっとだけ別の企画も用意してるので、よかったら最後まで見て行ってください。

 ……よろしくお願いします』


スピーカーから流れてくる声が、わずかに裏返る。


(緊張してるな)

(いつもより声が固い)


スマホを握る指先に、少しだけ力が入った。


『今日のお花は……リンドウです。

 秋に咲くお花で、青紫色の、筒みたいな形をしてて、花びらが閉じてても、ちゃんと咲いてるんですよね。

 ……曇りの日とか、夜は閉じちゃうんですけど』


画面の隅で、小さなアバターがわずかに揺れた。


『また晴れたら開くから、捨てたもんじゃないなって』


(……いつものたなこだ)

(こういう話、するする出てくるんだよな)


スマホの縁をなぞりながら、小さく息を吐く。


『リンドウって、花言葉が「悲しんでいるあなたを愛する」なんですよ。

 なんか……すごいですよね。悲しんでていいよ、って言ってくれてる感じで』


(……胸に来るな)


黒い背景の右端を、ぽつり、ぽつりと短い文字が流れていく。


『ふふ。コメントありがとうございます。

 そうですね、お見舞いとかにも使われるお花で』


(同接、まだ12人)

(みんな静かに聴いてるな)


蛍光灯の白い光の下、イヤホン越しに響くたなこの穏やかな声だけが、心地よく鼓膜を揺らしていた。


―――


『えっと……後半は、企画をやってみようと思います。

 マシュマロ、募集してみます。

 VTuberっぽいですよね。やってみたかったんです』


声のトーンが少し弾んでいるのがわかる。


(ちょっと嬉しそう)

(いろいろ考えてるな)


画面の中のアバターが、小さく揺れた。


『じゃあ……読みますね』


『えっと……彼氏いますか。

 ……いる、か、どうかは……えっと……』


スピーカーからの声が急に小さくなる。


(あ、詰まった)


イヤホンを押し込むように指を当てる。


『……次、いきますね。JKってほんとですか』


『あ、えっと、学生なのは本当で……その……この質問はNGで……』


慌てたような息遣いがマイクに乗る。


(ああ……捌けてない)

(笑いにできてない)


スマホを持つ手がじわりと汗ばんでくる。


『パンツの色は』


『……』


『……えっと』


部屋の壁掛け時計の秒針の音が、やけに大きく聞こえた。


『……』


(沈黙、長い)


画面の隅の数字から目が離せなくなる。


(同接が……11)

(10)

(9)


数字がパラパラと落ちていく。


『……ごめんなさい……つまらないですよね……』


(あ)


弱々しい声に、心臓がぎゅっと締め付けられた。


『あ、いまのはそうじゃなくて……』


『その、せっかく盛り上げてくれようとクソマロ投げてくれたのに、うまく返せなくて……』


『だから、そういう意味で……』


必死に取り繕おうとする言葉が、空回りして消えていく。


(同接、8)

(7)

(また減った)


残酷なほどに、画面の数字は正直だった。


(たなこ……)


『……ごめんなさい』


震えるような謝罪の声が、蛍光灯の白い光の下にぽつりと落ちた。


『……』


(同接、6)

(5)


画面の左下で、無慈悲に数字が切り替わる。


『あの……花の話、しましょうか。

 リンドウって、根っこが漢方薬になるんですよ。

 “竜胆”、って書いて、すごく苦いらしくて……』


(同接、4)


必死に話題を紡ぐ声が、イヤホンを通して耳に届く。


(頑張ってる)

(でも声が震えてる)


画面の中のアバターは笑顔のままなのに、泣き出しそうな気配が伝わってくる。


『……花壇に植えると、毎年咲いてくれて。手間がかかんなくて……』


『……あの』


(同接、3)


乾いた息を呑む音が、微かにマイクに乗った。


『……ごめんなさい』


『うまく話せなくて』


(同接、2)


視界の隅で、また一つ数字が落ちた。


(減った)

(もう二人しかいない)

(もう一人は御珠か雪杜?)


スマホを握る指先にじんわりと汗が滲む。

脳裏に、いつか聞いた御珠の言葉が蘇った。


『見続けよ。それだけが唯一の救いじゃ』


(見るよ。あたしは。最後まで)


スマホを持つ手に力を込め、画面から絶対に目を逸らさないと決意する。


『……』


『……見てますか』


(見てる)


『……ありがとうございます』


震える声が、空っぽになりそうな配信枠の底に、静かに響いた。


『……最後まで見てくれてる、優しいあなたに。本当のことを、話させてください』


(え!?もう一人いるんじゃ?)


『もう一つは僕自身が接続しています』


画面の向こうのアバターは、静止したままピクリとも動かない。


(なるほど……え?僕?)


『……僕、本当は男です。

 騙してて、ごめんなさい』


(え)


心臓がドクン、と大きく跳ねた。


『……ボイチェン、外しますね』


プツッ、という無機質なノイズが鼓膜を打つ。


『……聞こえますか』


(声が)

(変わった)


イヤホンから流れてきたのは、少し高めの子供のような男の声だった。


『昔から、かわいいものが好きで、女の子になりたかった』


『たなこでいる時だけ、それができた気がしてたんです』


『……花の話をして、かわいいって言ってもらえて』


震える息継ぎの音が、耳元に生々しく届く。


『それだけで、嬉しかった』


(この声)

(知ってる)

(知ってる声だ)


脳裏に、教室の端でいつもおろおろしているクラスメイトの姿が重なる。


『ずっと怖かったんですよね。バレたら、終わりだって』


『でも……もう終わりにしようと思います』


(泣いてる)


鼻をすする小さな音が、蛍光灯の冷たい光の下に落ちる。


『きょうで、引退します』


『見てくれて、ありがとうございました』


『……最後まで、いてくれてありがとうございました』


ブツン、と唐突に音が途切れ、スマホの画面が真っ暗になった。


(終わった)

(……終わっちゃった)


自分の顔が反射する黒い画面を見つめたまま、あたしは動けなかった。


―――


配信が終了し、真っ暗になったスマホの画面を見つめる。


(……)

(返事が来るかもしれない)

(来ないかもしれない)

(いつもおろおろして振り回されてるくせに)


黒いディスプレイに反射する自分の顔が、ひどく強張っているのがわかる。


(いつも弁当箱を隠して赤くなるくせに)

(種を一粒ずつ、丁寧に植えるくせに)


親指を滑らせ、見慣れたSNSのアプリを立ち上げてDMの画面を開く。


(消えんな)


入力欄をタップし、迷うことなく自分の電話番号だけを打ち込む。

送信ボタンを、強く押し込んだ。


(……送った)

(あとは)

(あいつ次第だ)


ふと顔を上げると、少し開いた窓から冷たい風が入り込んできた。

肌を撫でる秋の夜風が、火照った頭をゆっくりと冷ましていく。


送信直後。スマホを握ったまま、動けない。


(……送った)

(来るか?)

(来ないか?)


突然、手の中の熱い塊が震え出した。

画面には知らない番号。


(……)


大きく深呼吸をして、緑色の通話ボタンをスワイプする。


『……もしもし……あの』


(この声だ)

(ボイチェン外した、あいつの声)


耳に押し当てたスピーカーから、紛れもないクラスメイトの声がする。


「お前だったんだな」

『僕のこと、知ってるんですか?』


「ああ、あたしだよ。坂本 華蓮」

『坂本さん……』


電話の向こうで、息を呑む気配が伝わってきた。


『え!?坂本さん!!?』

「ああ」


「見たよ。最後まで。立派だったよ」

『ありがとう……ございます……』


ぐずぐずと、鼻をすする音が鼓膜を震わせる。


(泣いてる)

(また泣いてる)


『なんで……番号を……』

「消えてほしくなかった」


通話越しに、小さな息遣いだけが聞こえる。


『……』


「それだけ」


『…………なんで』


言葉の裏にある戸惑いが、痛いほど伝わってくる。


(なんでって)

(そっちが聞くな)


「あたしも、よくわかんない」

『……』


窓枠に空いた方の手を添え、夜の闇を見つめた。


「あたし、女が好きなのかもしれない。御珠のことが好きで」


「でもそれだけじゃないのかもしれなくて。ずっとわかんなくて」


一度堰を切った言葉は、自分でも制御できなかった。


(なんでこんな話を……)

(でも止まらない)


「……お前の配信、見てて、なんか、いつもほっとけなかった」


ぎゅっと、スマホを握る手に力を込める。


「それがなんなのか、あたしにもわかんないけど」

『……』


「消えてほしくなかった。それだけは、はっきりしてる」

『……』


小さく息を呑む音が聞こえた。


『……ありがとうございます』


(違う)

(お礼を言わせたいんじゃない)


「一個だけ聞いていい」


口の中の乾きを潤すように、小さく唾を飲み込んだ。


『……はい』


「GW。ショッピングモールのファンシーショップ。

 あれ、お前だろ」


『……』


耳を澄ますと、壁掛け時計の秒針だけが進んでいく。


(沈黙が長い)


『……そうです』

「やっぱりか」


(そうか)


胸の奥で、散らばっていたパズルのピースがカチリと嵌まる。


(あの声、やっぱりそうだったんだ)

(お姉さんじゃなかった)


「女装、好きなのか?」

『……好きです』


彼が勇気を振り絞るような声に、自然と声が優しくなる。


「そっか」


(怖かったんだろうな)

(ずっと)


自分の好きなものを隠して生きる息苦しさは、どれほどのものだろう。


「じゃあさ」

『……はい』


「今度、その格好でどっか行こう」

『……え』


大きく息を吸い込み、はっきりと告げる。


「デート。あたしと」

『……』


「嫌か?」

『……嫌じゃ、ないです』


ふっと、自然に口角が上がった。


「じゃあ決まり」


『……ほんとに、いいんですか』


「いいって言ってんだろ」


強がるような言葉とは裏腹に、胸の奥がじんわりと温かい。


(いいに決まってんだろ)

(あたしが誘ってんだから)


『……ありがとうございます』


また少し、彼が鼻をすする音が聞こえた。


「お礼はいい」

『……はい』


「……名前、呼んでいいか」


「……田中」


名前を口にする直前、心臓が小さく跳ねた。


「……湊《みなと》」


『……はい』


(よかった)

(消えなかった)


強張っていた肩の力が、ゆっくりと抜けていく。


「じゃあな。おやすみ」

『……おやすみなさい』


プツン、という小さな電子音と共に通話が切れる。

スマホを胸に当てたまま、ベッドに仰向けになって天井を見上げた。


(あたし、今なにをした)

(御珠が好きで)

(たなこが心配で)

(湊をデートに誘った)


ぐるぐると回る思考は、答えを出してはくれない。


(……わかんない)

(でも)


窓の外から吹き込む秋の夜風が、火照った頬を優しく撫でていく。


(後悔はしてない)

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