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神愛 ― それいけ華蓮ちゃん ―  作者: 神愛
第1章 全部こいつらのせい
22/63

第21話 知ってた

8月の終わり。

久しぶりの教室。

窓から入る風が、夏よりほんの少しだけ涼しい。


(……来た)

(2学期だ)

(会える)


教室の引き戸に手をかけ、ゆっくりと開く。

途端に、視界の端へ鮮やかな藍色が飛び込んできた。


(……いる)


いつもの窓際の席。

御珠は外の景色を眺めている。

差し込む朝の光が、彼女の藍色の髪をきれいに縁取っていた。


(……アホか、あたし)

(たかが教室に来ただけで)

(なんで心臓がうるさいんだよ)


大きく深呼吸を一回して、肺の奥まで空気を満たす。

それから何事もないように、自分の席へと歩みを進めた。


「おはよう。久しぶり」

「おはようじゃ。華蓮」


御珠がゆっくりとこちらへ振り返る。


(……笑ってる)

(なんでそんな顔するんだよ)

(夏休み中、あたしがどんな顔してたと思ってんだよ)


胸の奥がぎゅっと締め付けられる。


「息災であったかえ?」

「……まあ、な」


(元気とは言い難いかもな)


強がりを見透かされたような気がして、少しだけ視線を逸らす。


「妾はずっと会いたかったぞ?」


(言うな、そういうこと)

(普通の顔で言うな)


「……あたしも」


絞り出すように答えると、彼女は目を細めて口元を綻ばせた。


「ふふ。お互い思うておったのじゃな」


(な……なんだ、この会話)

(久しぶりに会った恋人同士みてーじゃねーか)


恋人、という言葉が不意に意識に上り、カッと顔が熱くなるのを感じた。

くすりとこぼれる御珠の笑い声。

夏の間、あたしはずっとその笑い方を思い出していた。


「そなた?マスクはやめたのかえ?」

「ああ。学校だと、もう寄ってくる連中もいないし、いっかなって」


(嘘。本当は御珠に素顔を見せたいから)


胸の内でこっそり本音を隠すあたしをよそに、彼女はまっすぐにこちらを見つめてくる。


「左様か。うむ。そなたは綺麗じゃ」

「よ、よせやい」


(言ってくれると思ったけど、いきなり……)


「御珠……」


まるで磁石に吸い寄せられるように、思わず手が伸びかける。

指先が彼女に触れそうになった、その時。


「着席。ホームルームを始める」


ガラッと前扉が開き、工藤先生が入ってくるなり低く通る声が響いた。

途端に、教室を包んでいたざわめきが潮を引くように静まり返る。


あたしは寸前で慌てて手を引っ込めた。


(助かった……全然助かってない)

(隣にいるじゃないか)


―――


体育館での始業式が終わり、いつもの教室で日常が再開する。

教壇に立つ工藤先生が、黒板にチョークを走らせながら低い声で告げた。


「2学期はキャベツ、ニンニク、大根を作ってもらう」


そこから、淡々とこれからの作業についての説明が続く。

1学期のキャベツはあらかじめ用意された苗を植えたけれど、2学期は種から育てて雪の下で越冬させるらしい。

ニンニクも同様に厳しい冬を越させるのだという。


まずは近いうちに、大根の種まきから取り掛かることになった。

不意に、隣の席から小さな呟きが聞こえた。


「……大根じゃ」


(……こいつ、入学のあの日から待ってたやつじゃないか)


横目で盗み見ると、御珠は目を輝かせて教壇の方を見つめている。


「必ずじゃ、と申したでの」


得意げに胸を張る彼女の横顔を、あたしは頬杖をつきながら見つめた。


(御珠、嬉しそうだなぁ)

(はぁ……かわいい……)


ノートの端に意味のない波線を書き込みながら、だらしなく緩みそうになる口元を必死に引き締めた。


―――


真新しい軍手をはめた両手で、御珠は大事そうに大根の種袋を握りしめている。

袋のパッケージを、まるで宝物でも鑑定するかのようにじっと食い入るように見つめていた。


「……大根、そんなに好きか?」

「大根は白いからの」


(白いから何なんだ?)


問い返そうとしたが、御珠はこちらを振り返ろうとしない。

ぽつりとこぼれた言葉の余韻を、秋の気配を含んだ風がさらりと攫っていく。


「待っておったぞ、秋よ」


土の匂いが漂う畝の前にしゃがみ込むと、彼女は愛おしむような手つきで、小さな種を一粒ずつ丁寧に土へ埋め始めた。


(……笑えないくらい本気なんだよな)

(はぁ……かわいい……)


土まみれになっていくその小さな背中を見つめながら、あたしはまたしても口元が緩むのを止められなかった。


―――


放課後。


園芸部の温室の中は、植物たちの放つむわっとした湿った空気に満ちていた。

御珠は小さなジョウロを傾け、大切に育てている胡蝶蘭の鉢へそっと水を与えている。


「もうすぐ咲きそうじゃの」

「ああ」


細い水流が、ふかふかした水苔へゆっくりと吸い込まれていく。

彼女の横顔は、我が子の成長を見守るように慈愛に満ちていた。


「楽しみじゃの」

「ああ」

「白い花が咲くのじゃ」


(ほんと白い物、好きだよなぁ)


ふふっと嬉しそうに目を細める御珠を見つめながら、あたしは軽く肩をすくめた。

大根といい、胡蝶蘭といい、彼女の好みの基準は本当に分かりやすい。


「2学期は11月の文化祭に向けていろいろな準備がありますよ。

 こちらも手伝ってください」


不意に背後から声がして振り返ると、作業用のエプロンをつけた中村部長が立っていた。

その手には、スケジュールが書かれたプリントが何枚か握られている。


どうやら今年の文化祭では、フラワーアレンジメントのワークショップと、鉢物の販売を大々的に行うらしい。


温室のガラス越しに、少しだけ傾きかけた夕日が差し込んでくる。


こうして、あたしたちの2学期が始まった。


―――


数日後、土曜日


休日の気だるさに身を任せ、自室のベッドの上で意味もなくゴロゴロと寝返りを打つ。

手持ち無沙汰に眺めていたスマホの画面上部に、ポンッと見慣れたアイコンがポップアップした。


SNSに登録している「たなこ」のアカウントからの通知だ。

タップして詳細を開く。


『今夜22時配信。今日のお花はコスモス』

『配信回数が減った分、配信時間を増やします!』


(……そうだ。時間変わったんだった)

(学生って言ってたもんな)

(土曜の22時とか、激戦区だって誰かが言ってた気がするけど)


ポチッ、と短い音を立ててスマホの電源ボタンを押し、画面を暗くする。

黒い液晶にぼんやりと反射した自分の顔から視線を外し、窓の外に広がる少し高くなった秋の空を見上げた。


(……まあ、あたしは見るけど)


―――


時計の針が22時を回った。

自室のベッドに寝転がり、スマホを横向きにしてアプリを立ち上げる。

見慣れた配信画面がロードされ、たなこのアバターが映し出された。


(……同接、8人)

(夏休みの終わりは、なんだかんだで30人くらいまで伸びてたのに)


『……こんばんは。たなこです。

 夜の配信、初めてですね。

 えっと……来てくれてありがとうございます』


画面の端に表示された数字を見つめながら、小さく息を吐く。


(声、緊張してるな)

(夜だからか、なんか雰囲気違う)


『今日のお花は……コスモスです。

 秋桜、って書くんですよね。あんまり桜には見えないけど』


たなこのアバターが、少しだけ落ち着かない様子で揺れている。


『……でも、風に揺れるところが好きです。か弱そうで、ちゃんと咲いてる』


(……か弱そうで、ちゃんと咲いてる)


ふと画面の端を見ると、数字が一つ減って同接が7人に変わっていた。


(……また減った)

(でもたなこ、気にしてないな)


『コスモスって、秋が来るたびに同じ場所に咲くんですよ。

 こぼれ種で。誰も植えなくても、勝手に来年も咲くんです』


画面越しの声は、人数が減ったことなど気にも留めないように、静かに続いていく。


『……なんかそれ、すごいなって思って』


(……なんで)

(なんかちょっと、胸のあたりがじわっとすんだ)


画面から流れてくるたなこの声を聴きながら、あたしはそのまま1時間、画面を閉じることなく見入っていた。


『……やっぱり1時間って長いですね。

 また来週、来てくれたら嬉しいです。

 おやすみなさい』


プツリ、と映像が途切れ、配信が終了する。

左下の同接表示が次々に減っていく。


(……1時間は長いな)

(後半はネタ切れ感が半端なかった)


(やっぱ学業しながら配信は難しいのかな)

(長く続かないかもしれないな……)


真っ暗になったスマホの液晶画面を、しばらくぼんやりと見つめる。

開け放した窓の隙間から、夜風がスッと入り込んできた。


肌を撫でるその風は、夏よりもほんの少しだけ冷たい。


(……秋だな)


―――


翌週の放課後。

「お先に」と告げて温室を出ていく中村部長の背中を、ぼんやりと見送った。

土を踏む足音が遠ざかり、むわっとした植物の匂いの中、あたしと御珠の二人きりになった。


「咲いたのじゃ」

「ああ」


御珠は愛おしそうに、開花したばかりの胡蝶蘭の世話をしている。

純白の花びらにそっと触れる彼女の指先を、あたしはただ目で追うことしかできなかった。


「綺麗じゃな」

「ああ」


自分でも呆れるくらい、気の抜けた生返事しか口から出てこない。

重く湿った温室の空気が、やけに肺にまとわりついてくるような気がした。


(……なんか最近、こいつを見てると息が詰まる)

(前はこんなじゃなかったのに)


視線を白い花から、無邪気に笑う彼女の横顔へと移す。

ただ隣にいるだけなのに、どうしてこんなにも心臓の音がうるさいのか。

あたしにはもう誤魔化しきれなくなっていた。


「華蓮よ」


御珠がふいに話かけてくる。


「近頃のそなたの妾を見る目」


胡蝶蘭から視線を外した御珠が、まっすぐにこちらを見据える。


「妾は、その目を知っておる」


(やっぱ……バレてた……)


心臓が早鐘を打ち始める。

逃げ出したくなる衝動を必死に堪え、その翠色の瞳を見つめ返した。


「華蓮よ。妾のことが好きかえ?」


否定の言葉は、どうしても喉の奥から出てこない。

ただじっと、射抜くような彼女の視線から逃げないことだけが精一杯だった。


「左様か……」


ふと、御珠の表情が痛ましそうに歪む。


「すまぬ……そなたの期待に応えることはできぬ」


「……知ってた」


強がって言い放った直後、視界が急にぼやけ始めた。

ぽろぽろと、制御の効かなくなった涙が頬を伝って零れ落ちる。


「あの夜からかえ?」


静かな問いかけに、無言で小さく首を縦に振った。


「悪戯に、寝床を共にしたために、このようなことになってしまうとはの……」


後悔を滲ませた御珠の声が、温室の微かな葉擦れの音に吸い込まれていく。


「そなた、どうしたい?」


「御珠の……そばにいたい……」


震える声で、ただ一つの願いを絞り出した。


「それだけで良いのかえ?」

「ああ」


(それだけ……それだけでいいんだ)


これ以上望んだら、きっとこの関係すら壊れてしまう。

それなら、今のままで十分だ。


「うむ。では今までと変わらぬの」


御珠は優しく微笑むと、すっと手を伸ばしてあたしの涙を指先で拭ってくれた。


「いつまでも傍におるのじゃ」

「うん」


しゃくりあげながら、あたしは何度も何度も頷いた。


―――


温室での熱を帯びた空気が、少しずつクールダウンしていく。


「今日は一緒に帰るかえ?」

「うん。自転車置いて帰る」

「共に帰ろうぞ」


夕暮れの校門を抜け、並んで歩きながら街へ向かうバスに乗り込んだ。


「なぁ、最近たなこ見てる?」

「たなこ……あやつ、そろそろ潰《つい》えるやもしれぬ……」


揺れる車内で、隣に座る御珠がふっと息を吐いた。


「VTuberの世界は百花繚乱じゃ。

 じゃが所詮は弱肉強食。

 強者しか生き残れぬ」


「そっか……夏休みみたいに、昼に30分とかに戻せばいいのに」


窓の外を流れる街灯の光が、彼女の横顔を淡く照らしては後方へと消えていく。


「あやつにはあやつの事情があるのじゃろうよ。

 その時間でないと、声が出せぬのやもしれぬ」


「……そっか」


しばらく、バスの低いエンジン音だけが続いた。


(声が、出せないか……)


「夏休みという短い期間ではあったが、よく頑張ったのじゃ。

 消えゆく存在やもしれぬが、妾らの心に確かに存在したその時間は変わらぬ」


膝の上に置いたカバンの持ち手を、無意識にきゅっと握りしめた。


「あたしにできることないのかな」

「見続けよ。それだけが唯一の救いじゃ」

「分かった」


バスのエンジン音が響く中、あたしは迷いなく頷いた。

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