第18話 枝豆と七人
まだ薄暗い夏の朝。
東の空がようやく白み始めたばかりの午前5時。
ひんやりとした空気が肌を撫でる中、目の前に広がる農場には、朝露に濡れた作物が静かに息づいていた。
眠気を引きずりながらあくびを噛み殺すあたしとは対照的に、隣に立つ親友は藍色の髪を揺らし、翠の瞳をキラキラと輝かせている。
「さあ、収穫の時じゃ」
(朝5時に「さあ」って言える元気が羨ましい)
呆れ半分で吐息をこぼすと、農場の柵の向こう側でガサゴソと不審な音が鳴った。
視線を向けると、そこからひょっこりと二つの影が顔を出す。悪びれる様子もない雪杜と、その後ろで少し身を縮めている咲良だった。
こんな時間から他校の生徒が忍び込んでいる異常事態に、あたしはジト目を向ける。
「またバレない理論か」
「バレなきゃよかろう」
(こいつが言うと説得力がない)
胸を張って言い切る御珠の堂々とした態度に、思わず頭を抱えたくなる。
すると、背後からのっそりとした大きな影が近づいてきた。
「バレでもいいべ。たいしたごとねーね」
笑いながら豪快に言い放つ棟方。
その横で、困ったように眉を下げた湊が、棟方の肩を小さくつついた。
周囲を見回す湊の控えめな牽制に、あたしは小さく息を吐く。
(湊の倫理が最後のストッパーか)
頼りないストッパーを見つめながら、あたしはこれから始まる長い一日に思いを馳せた。
―――
朝陽が差し込み始めた畑の列。
あたしたちの目の前には、ふさふさと葉を茂らせた青々とした枝豆の株が、ずらりと行儀よく並んでいる。
「こやって根元からぐっと引っ張って、ひといぎに行ぐ。腰がら行ぐのがポイントな」
手本を見せる棟方の力強い動きを、雪杜が真剣な顔で真似をする。
「こう?」
「んだ、うめでば」
ぶちぶちと根が切れる音と共に株が土から離れると、隣で見ていた咲良が両手を叩いてはしゃいだ。
「わあ、来た来た!」
賑やかな収穫作業の傍らで、ふと御珠が一つの株の前でじっと立ち止まった。
誰にも言わず、ひとり感慨深い顔で足元の葉を見つめている。
「……妾が種を撒いたのじゃ」
(またこいつ泣きそうになってるし)
(言わないけど)
ぽつりと呟いた親友の横顔が少しだけ潤んでいるように見えて、あたしはそっと視線を外した。
次々と引き抜かれる枝豆の山を見て、光莉が声を上げる。
「わーすごい!量!!」
収穫作業はどんどん進み、傍らに置かれたネコ車に緑色の山が積み上がっていく。
「わや採れだな!」
満足げに笑う棟方の横で、湊がネコ車に溢れる枝豆を感心したように指先で突いた。
「枝豆って丈夫だね」
「んだ。農家向ぎの作物だべ」
汗をぬぐいながら笑い合う声が、朝の畑に響き渡る。
やがて収穫が完了し、大半の枝豆は食料倉庫へと運び入れられた。
しかし、あたしたちの手元には、こっそりと別ルートに回された5株ほどの枝豆が残されている。
「せっかぐだはんで、すぐ食いてーな」
収穫したばかりの枝豆を愛おしそうに眺める棟方に、あたしは現実的な問題を突きつける。
「さすがに調理室はまずいだろ」
「寮もくそあっつーし、七人だばせめーし無理」
(これは詰んでる)
行き場を失った枝豆を見下ろし、あたしは小さく息を吐き出した。
茹でる場所がなく途方に暮れていると、雪杜があっさりと提案してきた。
「僕んちくる?いいよね?御珠?」
「雪杜がよいならかまわぬ」
隣に立つ御珠が小さく頷く。
「いいね!収穫祭だ!せっかくだからお泊りしようよ!」
「え!?いいの!!?」
咲良の思いつきの提案に、光莉が目を丸くして身を乗り出した。
「いいよね?雪杜?」
咲良の問いかけに、雪杜が反射的に応える。
「えっ、僕はいいけど、桃瀬さんはいいの?男三人もいるよ?」
「へーきへーき。人数多い方が安全って知ってる?」
(そういうもんなのか?)
あっけらかんと笑う光莉の謎理論に、あたしは首を傾げる。
すると、光莉のターゲットがあたしへと移った。
「さかもっちも行くっしょ」
「え、お母さんに聞いてみないとなんとも……」
「行く気はあるってことね」
グイッと顔を近づけてくる光莉から、思わず半歩後ずさる。
「まあ……」
(楽しそうだけど)
口では濁しつつも、内心では少しワクワクしている自分がいた。
「わだぢはどす?」
「僕も親に聞いてみないとなんとも。たぶん大丈夫だと思うけど」
「へば決まりだな!」
湊の言葉を聞くや否や、棟方がパンッと手を叩いて話をまとめる。
「じゃあ、僕これからバイトあるから、15時くらいにうちに集合ってことで」
雪杜の言葉で、今日の予定があっという間に決定してしまった。
―――
学校から帰宅し、あたしはリビングへと向かった。
ソファでくつろぐ母の姿を見つけて、密かに胸を撫で下ろす。
今日が母の休みの日で本当によかった。
少しだけ緊張しながら、あたしは切り出した。
「きょう、友達んち泊まりたいんだけど……」
「え!?お友達の家に!?」
「えと……御珠の家できょう獲った枝豆食べることになって……」
「御珠ちゃん……」
あたしの言葉を聞いた母は、パッと表情を和らげ、優しく目尻を下げた。
「御珠ちゃんのおうちなら安心ね。いってらっしゃい」
「え!?いいの!?雪杜とか男もいるよ!?」
「いいわよ。雪杜くんは誠実な子なんでしょ?御珠ちゃんもしっかり見張ってくれるなら安心だわ」
思いのほかあっさりと出た許可の言葉に、あたしはポカンと口を開けてしまう。
拍子抜けしつつも、じわじわとこみ上げてくる喜びを噛み締めた。
(やった!)
(一回しか会ったことないはずなのに、御珠への信頼すごいな)
機嫌よく微笑む母を見つめながら、あたしは密かに親友の持つ謎のカリスマ性に感心していた。
―――
午後3時。
約束通り天野家に集まったあたしたちは、揃って近所のスーパーへと買い出しにやってきた。
周囲の買い物客からの視線を感じつつ、あたしは小さくため息をつく。
(高校生七人で近所のスーパー、絶対うるさい)
「ねーねー唐揚げ買う?」
「唐揚げは妾が揚げるのじゃ」
「え!?マジ!!?御珠っち唐揚げできるの!?」
「雪杜の好物じゃ」
御珠のあっけらかんとした答えに、光莉がニヤニヤと笑い声をあげる。
「そういう理由かよ!」
「花火もいるべ」
「ちょ、なんか適当に買ってるけど割り勘だからね!?割り勘!!」
カゴに次々と物を放り込む棟方を見て、雪杜が慌てて声を張り上げた。
高校生になってからバイトをしたりと、雪杜はお金のやり取りにシビアになったようだ。
「……みんなで花火……初めて」
「えっと、僕も」
(この二人、性格似てるよな)
ポツリとこぼす湊と、それに同調する雪杜を見比べながら、あたしはひっそりと納得していた。
会計を済ませて天野家へ戻ると、早速調理が始まる。
枝豆は、御珠と咲良が事前に枝からもいで、丁寧に洗ってくれていた。
台所のコンロでは、大鍋にたっぷりの湯が沸き立っている。
「塩加減はまがへろ」
茹で上がった熱々の枝豆に、棟方が慣れた手つきで塩を両手で揉み込んでいく。
「でぎだ」
棟方が誇らしげに胸を張る横で、今度は御珠が油の入った鍋の前に立った。
「鶏肉は昼間に仕込んでおいたのじゃ」
「え!?マジでうまそう!!」
香ばしい匂いが立ち込め、光莉が目を輝かせる。
料理が揃うのを待つ間、あたしたちは居間とその隣の仏間を隔てる障子を開け放ち、一つの大きな部屋を作った。
処理能力を超えたのか、エアコンが悲鳴を上げてうなっている。
設定温度を下げても部屋の空気はなかなか冷えないが、それでもないよりはマシだった。
ふと、部屋の奥へと進んだ光莉が、立派な仏壇の前で足を止めた。
「これって……」
「僕のおじいちゃん。3年くらい前に亡くなったんだ」
「そうなんだ……お線香、あげてもいい?」
「もちろん」
雪杜が優しく頷き、あたしたちは七人揃って仏壇の前に集まり、静かに線香をあげた。
立ち上る煙を見つめていると、過去の記憶がふと蘇る。
(御珠が忌引きで学校休んで、年が明けたら……あの騒ぎだったな)
(もう3年か……)
あの時の御珠の悲壮な顔を思い出し、不意に視界がぼやけそうになる。
あたしは慌てて瞬きをして、心の中でそっと手を合わせた。
(雪杜のおじいちゃん……こんな賑やかでごめんな)
気を取り直して台所に戻り、完成した料理を机に運ぶ。
鮮やかな緑色の枝豆、山盛りの唐揚げ、スーパーで買った惣菜に、それぞれの飲み物。
机の上が豪華なごちそうで埋め尽くされた。
「じゃあ、乾杯」
「「「かんぱーい!」」」
雪杜の乾杯を合図に、グラスをぶつけ合う心地よい音が部屋に響く。
賑やかな宴が始まる中、御珠は自分で種からまいた枝豆を一つ口に運び、目を伏せて静かに咀嚼していた。
「妾が育てたのじゃ……」
(また噛み締めてる)
感動に浸る親友の様子に、あたしはこっそりと口角を上げる。
すると、枝豆を豪快に平らげていた棟方が、ふと天井を仰いだ。
「ビール欲しなー」
「わかる〜」
光莉が同調する。
「え!?」
「うぢだっきゃ、親の前でだば飲んでもいいってなってるはんで」
衝撃的な発言に、雪杜が目を丸くして身を乗り出す。
「えっそれ合法なの?」
「知らね」
「……すごい環境だ」
湊が引きつった顔で呟く。
「光莉もわかるーって?」
咲良が鋭い視線を光莉へと向けた。
「え?何のこと?」
「……」
(ぜってーこいつも飲んでるだろ)
しらばっくれる光莉と、ジト目を向ける咲良。
あたしは心の中で鋭くツッコミを入れながら、冷えたお茶を喉に流し込んだ。




