第15話 初収穫は回鍋肉
7月上旬。
期末テストの成績表が配られた。
「成績表を配るぞ」
教壇に立つ工藤先生が、事務的な手つきで紙の束を捌いていく。
自分の名前を呼ばれ、受け取った紙をそっとめくった。
(自分の順位は……5教科3位!?総合も3位!?)
(中間6位だったよな……)
期末は特に勉強会なんてしていないのに、不自然なほど順位が上がっている。
1位は間違いなく湊だろう。
2位はもう一人、比較的真面目な普通のやつがいるようだ。
(……やっぱりそういうことだよな)
そっと周りを見回してみる。
成績表を見て「あ゛ー」とあからさまに呻いている奴、パッと見た瞬間に即座に机の奥へしまう奴、そもそも紙切れ一枚に全く興味がなさそうな奴。
(授業は誰も聞いてねーし)
(ノートもまともに取ってる奴、半分もいねーし)
(放課後集まって勉強とか、そういう雰囲気一切ないし)
(あたしが普通にしてるだけでここまで順位上がるのかよ)
農業高校という環境のリアルを、今更ながらに突きつけられた気分だ。
ふと隣の席へ視線を向けると、御珠が涼しい顔で成績表を眺めていた。
椅子を少しだけ寄せて、声を潜める。
「どうだった?」
「数学以外は大体よかったのじゃ。総合は10位じゃった」
(御珠でも10位!!)
あの暗記以外が壊滅している御珠が上位に食い込んでいるという事実に、思わず声が上ずってしまう。
「す、すげー頑張ったんだな」
あたしらの声が少し大きかったのか、周囲のクラスメイトたちの耳にも届いてしまったらしい。
教室内が、にわかにざわめき始める。
「数学壊滅でも総合10位……」
「農業科目が強いんだろ」
ひそひそと交わされる声など気にせず、当の御珠はどこ吹く風といった様子で胸を張った。
「社会は満点じゃ」
「それは知ってる」
(数学以外が大体よかった、か……)
(英語も悪かったはずだけど、にしても総合10位)
無駄に歴史に詳しいのは知っているが、それだけでカバーできる順位ではない。
(周りのレベルが低すぎる)
改めてクラス全体の学力を察して呆れてしまう。
斜め後ろの席では、湊が自分の成績表を握りしめ、小さく息を吐いて安堵の表情を浮かべていた。
「わは数学まぁまぁだったべ。湊先生様様だべ」
「ウチ、英語壊滅したんだけど!」
(雪杜たちと一緒に勉強してた成果か)
(はぁ……普通校に行っとけばよかったのかな……)
ふとため息をつきそうになった時、隣から「雪杜、褒めてくれるかの」とウキウキした小声が聞こえてきた。
相棒の緩みっぱなしの横顔を見て、なんだか毒気を抜かれてしまう。
(まぁいっか。どこだろうが最終的に専門学校だ)
教室内が騒がしくなる中、工藤先生がパンパンと手を叩いて注目を集めた。
「通知表には実技の評価も考慮されるからな。以上だ」
(とりあえずあたしも適当にやろうっと)
プリントの束を教卓にまとめる先生を見ながら、あたしは成績表をカバンの中に放り込んだ。
―――
7月中旬。
夏の強い日差しが降り注ぐ農場。
青々と育ったキャベツ畑の前で、工藤先生が立ち止まった。
「見ていろ」
低い声でそう告げると、先生はキャベツを片手で傾け、ナイフを株元にあてた。
ザクッ、と心地よい音がして、鮮やかに切り離す。
そのまま無駄のない動きでコンテナへ放り込んだ。
「以上だ。やれ」
(説明短すぎだろ)
いくらなんでもお手本が早すぎる。
呆れながらも、あたしたちは各自に配られたナイフを手にする。
真っ先に動いた棟方は、迷いなくキャベツを傾けてザクッと刈り取った。
「こんだべ」
「ぬし、慣れておるの」
「何回が手伝ってるんで」
御珠の感心したような声に、棟方は照れくさそうに笑う。
隣を見ると、湊が丁寧にキャベツの根元を確認してから、ゆっくりと慎重にナイフを入れていた。
「……よし」
小さく安堵の息を吐く湊。
その一方で、光莉はキャベツの前でナイフを構えたまま、完全にフリーズしている。
「え、どこ切ればいいの……こわ……」
刃物を扱うのが怖いのか、腰が引けてしまっている。
あたしは自分の目の前にあるキャベツに向き直り、手際よく傾けてザクッと刃を入れた。
コンテナへ入れようとした瞬間、ずしりとした重みにピタリと手が止まる。
(……でかくなったな)
入学してすぐ、土作りで腕と腰がバキバキに筋肉痛になった。
肥料の臭いが染みついた作業服を持って帰ったら、家族に思い切り顔をしかめられた。
鍬で土を掘り返すたびにミミズや見たことがない不気味な虫が出てきて、最初は思わず悲鳴が出たものだ。
……いまはもう、ビビらなくなった。
農薬を撒いた日は独特の臭いにむせかえって、しばらく頭が痛かった。
放課後、汗臭いまま自転車を漕いで帰るのにもすっかり慣れたし、作業着に着替えるのも驚くほど早くなった。
(……農薬撒いたり、虫と格闘したり、大変だったよな)
いろんな記憶がフラッシュバックして、不意に視界が滲んでくる。
鼻の奥がツンとした。
(これ、スーパーで1個200円とかで買えるんだぜ)
(いくらで卸してんだよ。頭おかしいだろ)
農家へのリスペクトと、あまりにも理不尽な価格設定への憤りを噛み殺し、あたしはキャベツをコンテナへ入れて次の株へと移った。
ふと横を見ると、御珠がキャベツの前にしゃがみ込み、左手でそっと傾けていた。
右手のナイフをゆっくり、丁寧に株元にあてる。
ザク。
切り離したキャベツを、彼女は両手でゆっくりと大切そうに抱き上げた。
強い日差しが照りつける中、彼女の周囲だけ時間が止まったかのように、風の音だけが通り過ぎていく。
「……これが。妾が育てたキャベツ……」
(……お前も泣きそうな顔してるのな)
震えるその声と表情に、あたしは小さく口角を上げた。
その様子を、少し離れた場所から工藤先生が一瞥していた。
いつもは深く刻まれている眉間のしわが、ほんの一瞬だけ、薄れたように見えた。
先生は何も言わず、ただ静かに視線を別の生徒へと移していった。
―――
調理室。
収穫したばかりの瑞々しいキャベツが、ステンレスの調理台の上に鎮座している。
「へば、わが切るべ」
「ウチ炒めるー!」
腕まくりをした棟方が包丁を握ろうとすると、光莉が元気よくコンロの前に陣取った。
すかさず棟方が制止に入る。
「お前、火加減荒いべ。わがやる」
「えー」
(何で知ってるんだろ)
休日のバーベキューか何かで一緒になったことでもあるんだろうか。
そんなことを思いながら横を見ると、湊が黙々と石鹸で手を洗い始めていた。
(湊も料理できるのかな)
その手つきはやけに堂に入っている。
一方、御珠といえば、まな板の上のキャベツを穴が開くほどじっと見つめたまま動こうとしない。
「お前も手伝えよ」
「……うむ」
あたしが軽く促すと、御珠はゆっくりと頷いて水場へ向かった。
キャベツの中から出てきた虫に顔をしかめながら、棟方の「こったもんだべ」の声になんとかキャベツを切ったり洗ったりしていく。
切ったキャベツは豚肉と一緒にフライパンで炒め、最後に“回鍋肉の素”を入れると、一気に食欲をそそる香りが調理室中に充満した。
机の上に並べられたツヤツヤに輝く回鍋肉を前に、皆ごくりと喉を鳴らす。
「でぎだ」
棟方の合図で、全員が一斉に箸を伸ばす。
サクッ、シャキッという心地よい咀嚼音だけが響き渡った。
誰も言葉を発しようとしない。
ただひたすらに、自分たちで育てたキャベツの甘みを噛み締める。
「……めーな」
「美味しい!」
「……おいしい」
「うんま」
次々と感嘆の声が漏れる中、御珠だけは無言でもくもくと箸を動かし続けていた。
ふと見ると、彼女の目尻にキラリと光るものが浮かんでいる。
(っく、そんな顔で食べるのは反則だろ!)
自分の手で育てたものを、今ここで食べているという、ただそれだけのことに泣きそうになっているんだ。
思わず胸が締め付けられる。
「初回なので一人一つまで持ち帰りを許可する。家族に見せてやれ。
普段は直売所や学食、食品科の加工実習に回すからな。以上だ」
(……そういうもんなのか)
全部自分たちで消費できるわけじゃないのか。
農業高校のリアルなシステムに感心していると、隣で御珠がパッと顔を上げた。
さっきまでの涙目はどこへやら、その瞳は期待でキラキラと輝いている。
「雪杜に食べさせるのじゃ!」
周囲の空気が、ふわりと温かいものに包まれた。
誰もが微笑ましいものを見るような視線を御珠に向ける。
「御珠っち、かわいい……」
「雪杜、幸せ者だな」
棟方がぼそっと呟く。
湊も声には出さないが、その口元は優しく緩んでいた。
(……本当にあいつのことが好きなんだな)
(うちも母さん喜ぶかな)
微笑むみんなの顔を見回しながら、あたしも無意識のうちに自分の持ち帰り用キャベツを見つめる。
家に帰ってこれを見せた時の母さんの顔を想像すると、自然とあたしの口元も綻んでいた。
(……いや、ちょっと待て)
ふと、現実に引き戻される。
目の前に鎮座する、土のついた丸々と太った巨大なキャベツ。
(これ、丸ごと一個持って帰るのか?)
ビニール袋に入れたとしても、自転車で持って帰るには明らかに邪魔になるサイズだ。
スクールバッグと一緒のカゴに入れようものなら、間違いなくギッチギチになってしまう。
(ハンドルに物ひっかけて乗ると違法になるんだったか)
(どうしよう……)
さっきまでの感動はどこへやら。
泥のついた巨大な塊をどうやって持ち帰るか頭を抱え、あたしは深々とため息をついた。
―――
夏休み間近のロングホームルーム。
教壇に立つ工藤先生の口から、ついにその話題が出た。
「もうすぐ夏休みなので、休み中の農作物の管理についての話をする。
各班で休み中も見回りと農作物の管理をするようにローテーションを組め」
「日々の見回りは7時から9時の間だ。必ず2人以上で動くこと。
先生も7時には誰かしらいるから、困ったら声をかけろ」
ここまでは予想通りだ。しかし、続く言葉に耳を疑う。
「ただし収穫だけは5時から作業していいぞ。
日程は育ち具合を見て各自で決めるように。
事前に学校へ連絡するのを忘れるな」
「それじゃ、夏休みのシフトを相談しろ」
先生の合図で、クラス中がざわざわと相談を始める。
あたしは一人、頭の中で計算を回して絶望していた。
(ちょっと待て)
(2人1組でローテーションだと、うちの班5人だから……)
(3日に1回は絶対当番じゃないか!!)
普通科の高校生が謳歌しているであろう夏休みとは、明らかに毛色が違う。
そんなあたしの絶望をよそに、勢いよく手が挙がった。
「はい!」
「なんだ棟方」
「もっと早えくてもいい?」
「それは収穫がか?見回りがか?」
先生の問いかけに、棟方は当たり前のような顔で言い放つ。
「両方」
「え!?何時に来る気!?」
光莉が悲鳴のようなツッコミを入れる。
「ダメだ。何かあったときに対応できん」
「分がった……」
先生に即座に却下されて棟方は少し残念そうに肩を落とした。
(寮住まいつえー)
そんな時間に起きられる自信はあたしにはない。
すると今度は、信じられない方向から手が挙がった。
「はい」
(え!?御珠!?)
「雪杜を連れてきてよいかの」
「部外者はダメだ」
食い気味に即却下される。
しかし、今日のこいつはあきらめが悪かった。
「う、うちの班は人が足りぬのじゃ!」
「余ってるところから融通してもらえ」
(マジか。引き抜いていいのかよ)
「ぐぬぬぬぬぬ!」
まさかのルールに驚いていると、御珠の可愛らしい唸り声を聞きつけたのか、クラスの男子たちが色めき立った。
「はい!俺手伝うよ!」
「いや、俺が!」
「妾に懸想するでない」
群がる有象無象を、御珠はピシャリと冷たくあしらう。
(じゃあ、女なら……)
あたしは周りの女子の様子をぐるりと見渡した。
みんな、遠くからマスコットとして愛でる分にはいいけれど、よく暴走している御珠と深く関わるのは面倒だと思っているらしい。
完全に目を逸らされた。
(詰んでんじゃねーか!)
(雪杜にこっそりきてもらおう)
あたしが密かにそんな計画を立てていると、先生がパンパンと手を叩いた。
「このホームルームの間に相談してシフト出せ。以上だ」
「どうする?」
「基本、わでいいぞ。寮さいるし」
再びざわめき出した教室で、光莉の問いに棟方が気前よく答える。
しかし、見回っていた先生が背後からピシャリと釘を刺した。
「ダメだ。ちゃんとローテーション組め。教育の一環だ」
(っち。やりてーやつにやらせればいいじゃんかよ)
「……ッチ」
あたしが心の中で悪態をついたのと全く同じタイミングで、棟方が舌打ちをした。
途端に先生の鋭い眼光がこちらを睨みつける。
(なんでこっち!?心の声が聞こえた!?)
冷や汗をかいているあたしをよそに、湊が手帳を開いて仕切り始めた。
「えっと、基本的には僕とムナ、坂本さんと天野さんがペアになる感じでいいかな?」
(なんかまた新しい呼び名が聞こえたぞ)
「ウチは?」
「女性三人で交互にペアを組む感じでどう?」
湊の提案はこうだ。
・御珠×華蓮
・華蓮×光莉
・光莉×御珠
「こうだね。
で間に、僕とムナのペアを挟むの」
湊はペンを走らせ、さらに具体的なシフトを書き出す。
・御珠×華蓮
・湊×ムナ
・華蓮×光莉
・湊×ムナ
・光莉×御珠
・湊×ムナ
「これで回していこう」
「ウチ、湊っちともペア組みたいよ?」
「えっ!!」
光莉のストレートなおねだりに、湊は分かりやすく顔を赤くして照れまくっている。
見ていて少し呆れてしまう。
「あたしは、御珠とペアでいいぞ。目離すと何するか分かんねーし」
「失敬じゃの」
「じゃ、じゃぁこうしよっか」
御珠が不満げに唇を尖らせるのを横目に、湊が慌ててシフトを書き直す。
・御珠×華蓮
・湊×ムナ
・御珠×華蓮
・ムナ×光莉
・御珠×華蓮
・光莉×湊
「っちょ!2日に1回は多いって!」
いくらなんでもあたしの負担が大きすぎる。
「そ、そうだよね」
湊が慌てながら、再びペンを動かした。
・ムナ×湊
・ムナ×光莉
・御珠×華蓮
・ムナ×湊
・ムナ×光莉
・御珠×華蓮
「ウチ、湊っちとペアになってないじゃん」
「こ、困ったな」
あっちを立てればこっちが立たず。
また計画を立て直す。
「こいだば、わの出番すぐねぇ!」
わちゃわちゃと揉めた末に、最終的に以下のようなローテーションに落ち着いた。
・ムナ×湊
・ムナ×光莉
・御珠×華蓮
・湊×ムナ
・湊×光莉
・御珠×華蓮
「あー、わ、盆だげ一週間くれぇ帰るがも」
「じゃあそこだけ4人で頑張ろう」
棟方の帰省期間であるお盆だけは、『御珠×華蓮』と『湊×光莉』のペアで回すことになった。
「妾も毎日来るのじゃ」
「天野、やる気十分だでば」
「ずっと見守るのじゃ」
(ほんとにやりそう)
力強く宣言する御珠を見て、冗談抜きで毎日出没しそうだと確信する。
「あとは、シフト抜きに好きな時に来ていいってことにしよう」
「うむ。よかろう。今年の夏は忙しいのじゃ」
湊の提案に、御珠はすっかり満足げに頷いた。
(ふふ。3日に1回は御珠に会える)
(あたしも暇だったら見にくるか)
なんだかんだ文句を言いながらも、夏休み中もちょくちょくこいつに会えると思うと、自然と胸の奥がワクワクしてくる。
(今年もBBQやるのかなぁ)
(雪杜、バイトするとか言ってたな)
(大丈夫なんだろうか)
ノートの端に書かれたシフト表を眺めながら、あたしはこれから始まる、期待と不安が入り混じる夏休みに想いを馳せていた。




