第14話 見守る会、発足
昼休みの教室は、あちこちで弁当を広げる生徒たちの熱気で少しだけ空気が淀んでいた。
あたしたちは机をくっつけて、御珠と光莉と一緒にお昼を食べている。
箸を動かしながら、光莉がふと視線を廊下へと向けた。
「ねーねー、廊下にいる人たちずっとこっち見てない?」
(……気づいてたか)
あたしは小さく息を吐いて、光莉の視線の先を顎でしゃくる。
そこには、見慣れない上級生の男子が数人、ニヤニヤしながら教室の中を窺っていた。
「見てるな」
「御珠っちのこと?」
「たぶんそうだな」
口に運ぼうとしていた卵焼きを止め、御珠が不機嫌そうに目を細める。
「最初に懸想するなと申したのにこれじゃ」
「上級生には届いてないだろ」
あたしが突っ込むと、御珠は箸を弁当箱に置き、真っ直ぐに廊下を見据えた。
その強い視線が、ガラス越しに上級生たちとぶつかる。
男子たちの動きが、ピタリと止まった。
「……っ、か、かわいい」
「お前が声かけろよ」
「無理。お前が行け」
聞こえるはずのないひそひそ声が、なぜか教室の中まで筒抜けになっている気がする。
御珠は小さく肩をすくめた。
「仕方ないのぅ」
言うが早いか、椅子を引いて立ち上がる。
そのまま迷いのない足取りで、廊下へと向かって歩き出した。
「おい!どこ行くんだよ!」
あたしも慌てて立ち上がり、その背中を追う。
「なんか面白そう」
光莉も面白がって、あたしの後ろをついてきた。
「お!おい!なんかこっち来たぞ!」
「え!?俺のところに来てくれた!?」
「違う!俺だろ!」
色めき立つ上級生たちの前で、御珠はぴたりと足を止める。
腕を組み、堂々とした態度で彼らを見上げた。
「ぬしら。何か用かの」
その一言に、男子たちが顔を見合わせる。
「っちょ!マジでなんか話し方が独特!」
「アニメキャラみたいだ」
(確かに、アニメキャラみたいなヤツだよな)
あたしは少し離れた位置から、呆れ半分でそのやり取りを眺めていた。
「えと、天野さん……動画見たんだけど、すごいね。もしよかったら連絡先を――」
「妾には許嫁がおる」
上級生の甘ったるい言葉を、御珠は鋭い刃物のような声で切り捨てた。
「え、許嫁?」
「雪杜じゃ」
「はぁ……」
ぽかんと口を開ける上級生たち。
その呆けた顔を冷たく見下ろし、御珠は言い放つ。
「妾に懸想するでない」
「え?けそう?」
言葉の意味を理解できない男子たちを残し、御珠はくるっときびすを返した。
何事もなかったかのように、スタスタと教室へ戻っていく。
「なんだったんだあれ?」
「さぁ、許嫁いるから惚れるなって言った?」
ポツリとこぼされた疑問に、あたしは大きくため息をついた。
一歩前に出て、彼らを睨みつける。
「つーことだ。帰れ」
「え、あ、はい」
すごすごと退散していく背中を見送る。
(はぁ、毎回これやる気か?)
あたしはもう一度深いため息をつき、食べかけの弁当が待つ自分の席へと戻った。
―――
翌日の昼休み。
教室の扉の向こうには、昨日とは違う顔ぶれの上級生たちが群がっていた。
「またいるね」
光莉がぼやいた。
「お前も顔隠せば?」
「雪杜に常にこの顔を見て欲しいのじゃ。隠すことなどせぬ!」
「雪杜への愛が深すぎる……」
呆れるあたしをよそに、御珠はすくっと立ち上がる。
そのまままっすぐに廊下へと歩み寄っていった。
「妾に懸想するでない」
「固いこといわずに、一緒に昼でも食べようぜ」
「放課後ひま?」
ヘラヘラと笑いながら距離を詰めてくる男たち。
御珠はひときわ深いため息をこぼした。
「この学校には話の通じぬ阿呆しかおらぬのか」
「あ?いまなんつった?」
「調子こいてんじゃねーぞ?」
「お、おい!御珠!」
たちまち男たちの顔色が変わる。
あたしが慌てて止めに入ろうとしたその時だった。
「ぬしらに機会をくれてやろう。妾に腕相撲で勝ったら付き合うてやるのじゃ」
「え!?マジ!?」
「うひょー!やったー!」
「華蓮。場を用意せよ」
勝手に話を進めた挙句、こっちにまで飛び火してきた。
「え!?あたし!?めんど!」
「はいはーい!ウチがやるっしょ!」
あたしが文句を言うより早く、光莉がノリノリで動き出す。
あっという間に教室の真ん中に机が並べられ、特設会場が完成してしまった。
騒ぎを聞きつけたのか、棟方と湊も不思議そうに近づいてくる。
「なにしちゅんず?」
「天野さん。今度は何を……」
「ほれ」
御珠がドン、と机に肘を立てて右腕を構えた。
上級生のひとりが、ニヤつきながらその手をとる。
「うほ。手が触れるだけでもラッキー!」
「じゃぁいくよ。レディー……ファイ!」
光莉の掛け声が響いた直後。
ガシャァン!という派手な音と共に、上級生の体が宙を舞って床にひっくり返った。
「痛たた、一体何が」
「口ほどにもないのぅ」
倒れた男を見て、もう一人の上級生が「はは。油断しすぎだろ」と笑った。
「ほれ次は貴様じゃ」
何が起きたか分からず呻く男を冷たく見下ろし、御珠はもう一人の男を顎でしゃくる。
「調子こいてんじゃねーぞ」
顔を真っ赤にしたもう一人の上級生が、乱暴に御珠の手を握り込んだ。
「レディー……ファイ!」
ドガァッ!!
またしても、凄まじい音を立てて大柄な男がひっくり返る。
「痛だだ!腕折れる!」
「ふん。挑戦は一度だけしか受けぬからの。
これで貴様らは終わりじゃ」
肩を押さえてうずくまる男たちに、御珠は容赦なく言い放った。
「ちくしょー」
「覚えてろよ!」
見事なまでの捨て台詞を吐きながら、上級生たちは這々の体で逃げ出していく。
嵐が去った後のような教室で、あたしはこめかみを押さえた。
「いいのかあれ?」
「あのような雑魚、いくら来ようが話にならんわ」
「そうじゃなくて」
「何か問題でも?」
首を傾げる御珠の横顔を、あたしはじっと見つめる。
「まあ、いいや……」
(どうなっても知んねーぞ)
これ以上言っても無駄だと悟り、あたしは小さくかぶりを振った。
―――
翌日の昼休み。
またしても教室の入り口には、見苦しいほどに鼻の下を伸ばした上級生たちが立っていた。
昨日の腕相撲騒動が、なぜか変な方向に解釈されて広まっているらしい。
「あのー、ここで御珠ちゃんの手が握れるって」
「あんなかわいい子の手を……」
もじもじと身をよじる男たちを前にして、御珠は冷ややかな視線を送る。
「……」
呆れ果てたのか、その口元が微かに引きつった。
重苦しい空気が流れた後、御珠は深く長く息を吐き出す。
「……人とはまこと、欲深き生き物よの」
「だから言っただろ」
肩をすくめるあたしの横で、光莉がポンと手を打った。
「そうだ!いいこと考えた!」
光莉はパタパタと軽快な足取りで廊下へと向かう。
そして、上目遣いで男たちを見つめ、あざとく小首を傾げた。
「ごめんね。きょうは準備できてないから、明日またきてね?」
甘ったるい声と完璧な愛想笑い。
男たちの顔が、一瞬にしてだらしなく緩む。
「は!はい!」
「俺、あのギャルでもいいかな……」
すっかり骨抜きにされた上級生たちは、満足そうに廊下の奥へと消えていった。
(こいつ媚び売るのうめー)
あたしは顔を引きつらせながら、その後ろ姿を見送る。
教室に戻ってきた光莉を、御珠がジト目で睨みつけた。
「光莉よ。何を考えておる」
「えへへー。明日のお楽しみ。大丈夫。悪いようにはしないっしょ」
悪戯っぽくウインクする光莉。
その無邪気な笑顔の裏に何かとんでもない企みが隠されている気がして、あたしは背筋に冷たいものを感じた。
―――
翌日の昼休み。
教室は異様な熱気に包まれていた。
「はいはーい!握手会場はこちらでーす!」
光莉のよく通る声が響き渡る。
見れば、彼女は教室の前方に机を並べ、その上に何枚ものプリントを広げていた。
「この誓約書にサインしてね」
プリントには、ご丁寧にこんな文言が印字されている。
『私、_年_____科_____は天野 御珠へ懸想しません』
「え、なんで誓約書……」
「サインしたら握手できるよ?」
「します!!」
「俺も!!」
鼻息の荒い上級生たちが、我先にとペンを走らせる。
あっという間に、教室から廊下へと続く長蛇の列が出来上がった。
(何が起きてんだ)
あたしは半ば呆然としながら、その異様な光景を眺めていた。
列の先頭では、御珠がやれやれといった顔で椅子に座っている。
「て、手柔らかい……!」
「妾に懸想するでない」
「あ、あのっ……!」
「妾に懸想するでない」
感動に打ち震える男たちへ、御珠は事務的な口調で同じセリフを繰り返す。
「光栄です……!」
「妾に懸想するでない」
「一人5秒までです!」
「そご!すぐ離れろ!」
(タイムキーパーと、はがしまでいるじゃねーか)
ストップウォッチを手にした湊と、目を光らせる棟方の連携は完璧だった。
アイドルの握手会さながらのシステムが、なぜか一晩で構築されている。
「はい誓約書ー。ちゃんとフルネームでね」
「あ、はい……」
「ありがとー!じゃあどうぞ!」
「妾に懸想するでない」
流れ作業のように進んでいく列を横目に、御珠がふっと息をついた。
「あと何人おるのじゃ……」
「全校生徒の半分が男だとして、200人くらい?」
(そんなバカみたいな数でもないのか?)
「二百……」
「来ない人もいるし、1年にはだいぶ浸透してるから、実際はもっと少ないよ。
これで、3年間、鬱陶しい思いしなくていいと思えば安い安い」
「左様かの」
(知らない人の手、よく触れるなぁ)
次々と得体の知れない男たちと握手していく御珠を見て、あたしは思わず口を開いていた。
「御珠、嫌じゃないのか?」
「妾への懸想を断ち切らせる儀式じゃ。有意義であろう」
「いや、絶対ち○こ触ってきたやつとかいるだろ」
「かか。そのようなもの、屁でもないわ。毒のほうが百倍怖いのじゃ」
カラカラと笑い飛ばす御珠に、あたしは頬を引きつらせる。
「毒て……」
(こいつ、やっぱ暗殺者の家系なんじゃ……)
完全に常識のズレた返答に、あたしはそれ以上ツッコミを入れる気力をなくした。
翌日。
事態はさらに予想外の方向へと転がっていた。
「まさか女子も並ぶと思わなかったよー」
「人とは面白いの」
なぜか女子生徒までが列をなし、御珠との握手を求めている。
こうして数日をかけて、御珠は校内のほとんどの生徒と誓約書付きの握手を交わすことになったのだった。
―――
放課後の教室。
帰りの会が終わるや否や、光莉が自分のスマホを抱え込んでニヤニヤといやらしい笑みを浮かべていた。
「えへへ、だいぶ集まった」
「光莉よ」
背後からヌッと現れた御珠の声に、光莉の肩がビクッと跳ねる。
「ひっ」
「何をしておる」
慌ててスマホを隠そうとする光莉の画面を、御珠がジト目でのぞき込んだ。
「えっと……御珠ちゃんファンクラブ作った……」
バツの悪そうな光莉の報告に、御珠は冷ややかな視線を送る。
呆れたような空気が二人の間に流れた。
(やっぱりか)
あたしはカバンに教科書を詰めながら、心の中でため息をついた。
「会員証は誓約書!入会条件は懸想しないこと!」
「意味が分からぬ」
「好きだけど懸想はしない人の集まりだよ?」
言い訳がましく捲し立てる光莉を、御珠は無言で見据える。
その沈黙の圧に耐えかねたのか、光莉がさらに言葉を重ねた。
「御珠っちに近づく人を牽制できるよ?」
御珠は目を細め、怪訝そうな顔つきのまま光莉を見つめ返す。
(いま思いついただろそれ)
あたしのツッコミは声には出さずにおいた。
「ふむ。それは役に立ちそうじゃの」
「でしょ!でしょ!
だから、ちょーっとだけ写真流したり、グッズ作ったり……」
「それはならん」
食い気味に放たれた御珠の拒絶に、光莉が不満げに頬を膨らませる。
「えーなんでー」
「妾、アイドルではないのじゃ」
「握手会したのに?」
「あれは、仕方なくじゃ」
不服そうな光莉に対し、御珠の表情はいつになく真剣そのものだった。
「えー、もったいないよー」
「雪杜が一番恐れておるのは、妾が世間へ露出することじゃ。
毎日カメラで追いまわされては適わん」
「妾、農業を勉強しに参ったのじゃ。
アイドルになるためではないのじゃ」
「妾の平穏のためにも我慢してくれぬか」
一息にそこまで言うと、御珠は光莉に向かって深く頭を下げた。
「え、そこまでされたらできないじゃん……」
まさか頭まで下げられるとは思っていなかったのだろう。
光莉が慌てて両手を振る。
「じゃあ、そっと見守るだけのファンクラブにする……」
「ありがとうじゃ」
御珠が顔を上げ、ホッと息をなでおろした。
(ファン情報が流れないファンクラブ……)
あたしは呆れを通り越して、もはや感心すら覚えた。
「月1回でもダメ?」
「ダメじゃ」
光莉の最後の抵抗も、あっさりと切り捨てられた。
―――
その夜。
自室のベッドに寝転がりながら、あたしはスマホの画面をスクロールしていた。
(あたしも入った。どんな情報流してるか確認しないとな)
トークアプリのグループ画面。
グループ名は【御珠ちゃんを見守る会】。
会員のみに配られたパスワードがないと入れないようになっている。
ノート機能のトップには、『懸想しないことを胸に誓うこと』とデカデカと書かれていた。
《これ、ただの自助グループでは?》
《でも退会できない》
《わかる》
タイムラインには、行き場を失った者たちの悲哀に満ちたメッセージが並んでいた。
そこへ、通知音が鳴り響く。
会長:御珠っちは今日も農場ではしゃいでました
会長:以上です
光莉からの、文字だけのそっけない報告。
しかし、それに対する反応は凄まじかった。
《かわいい》
《エモい》
《御珠ちゃんが作ったジャガイモ食べたい》
画面を埋め尽くす弾幕のようなメッセージ。
(……何の集まりだこれ)
あたしはスマホを放り投げ、そのまま布団を被った。
―――
握手騒動が一段落し、ようやく落ち着きを取り戻した数日後の昼休み。
あたしたちが弁当をつついていると、教室の入り口に見慣れない上級生の女子が立っていた。
彼女はずかずかとまっすぐにこちらの席へ歩み寄り、御珠を見下ろす。
「ちょっといい?天野さん」
「握手かえ。よいぞ」
御珠が呑気に右手を差し出すと、先輩は苛立ったようにそれを払いのける。
「そんなんじゃねぇっての。
あなたって何なの?
動画バズって、男子も女子も群がるし、なんか見守る会とかできてるし……」
そこまでまくし立てたところで、先輩はふっと口をつぐんだ。
迷うように視線を泳がせ、吐き捨てるように言葉を絞り出す。
「うちらが二年間かけて作ってきたものを、入学して数ヶ月で……なんかムカつく」
(あちゃー、今度は嫉妬か)
あたしは箸を止めて天を仰ぐ。
隣に座る光莉も、分かりやすく顔をしかめて面倒くさそうに頬杖をついた。
当の御珠は、怒るでもなく怯えるでもなく、ただじっと先輩の顔を見つめている。
教室のざわめきだけが遠く聞こえる中で、不意に御珠が口を開いた。
「……そなた、本当は自分に自信がないのじゃろ」
「え」
「妾を妬んでおるのは分かっておる。じゃが、そなたの目は妾ではなく、妾の周りを見ておった」
「……」
図星を突かれたのか、先輩の肩がわずかに震える。
御珠はさらに、静かで、けれど真っ直ぐな声を紡いだ。
「寂しいのじゃろ?誰かにそばにいてほしいのじゃろ?」
先輩はギュッと強く唇を噛み締める。
「悪意があって申しておるのではないぞ。妾には分かる。それだけじゃ」
「……っ」
ぽろり、と。
先輩の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「泣くな。妾はそなたを嫌いではないぞ」
「なんでそんなこと……っ」
慰めの言葉が逆に引き金となったのか、先輩は両手で顔を覆い、肩を震わせて本格的に泣き出してしまった。
(……やめてやれ)
「御珠っち……すごいね……(目が潤んでる)」
(お前まで泣くな)
もらい泣きしそうになっている光莉に、あたしは心の中で鋭くツッコミを入れる。
御珠は立ち上がり、泣きじゃくる先輩の背中をそっと、慈しむように撫でた。
「3年生かえ?あと一年足らずで卒業じゃの」
「……うん」
「悔いなく過ごすのじゃ。妾はそなたを応援しておるぞ」
「……ありがとう」
涙を拭い、鼻をすすりながら、先輩は憑き物が落ちたような顔で教室を出ていった。
嵐が過ぎ去った後の静寂の中、あたしはぽつんとつぶやく。
(何が起きてるんだ)
「弁当の続きを食べるのじゃ」
あたしの困惑をよそに、御珠は何事もなかったかのように再び弁当箱に向き直った。
―――
その夜。
あたしのスマホに、またしても例のグループからの通知が届いた。
会長:御珠っちが3年生を泣かせて慰めてました
会長:以上です
光莉からの淡々とした報告。
その直後、タイムラインは同じ言葉で埋め尽くされた。
《尊い》
《尊い》
《尊い》
(宗教みたいになってるじゃねーか)
狂気すら感じる熱量の前に、あたしはそっとアプリを閉じた。




