第12話 案外できるじゃん、あたし
ガラッと教室のドアが開く。
いつも通りの力任せな音が響いて、あたしは顔を上げた。
「おっす!」
(声でけぇ……でも、戻ってきたか)
その姿を見た途端、教室全体がざわざわと波打つ。
緊張と安堵が入り混じったような空気の中、いち早く動いたのはやっぱりあいつだった。
「浩二くん……!」
小走りで駆け寄る田中の顔は、今にも泣き出しそうに歪んでいる。
「湊、元気でらが?」
「うん!うん!」
大きく頷く田中は、不在の間の無事を懸命に報告している。
その様子を微笑ましく眺めていると、がっしりとした棟方の視線がこちらを向いた。
「天野も!しばらぐだの!」
「棟方よ、息災であったか」
二人の間に、気まずさなんて欠片もない。
「おう!元気でらよ!」
「うむ。顔を見れば分かるのじゃ」
相変わらず無駄に堂々とした御珠とのやり取りに、あたしは小さく息を吐いた。
その横では、ずっと棟方を心配そうに覗き込んでいた田中が、心底ほっとしたようにふにゃりと眉を下げる。
「よかった……顔色いいね」
「んだ。親さ、わや叱られだばって、めーものいっぱい食わせでもらったじゃ」
(叱られたのにうまいもの……飴と鞭みたいな?)
そのおおらかな実家の対応に呆れつつも、少しだけ肩の力が抜ける。
そんな静かな空気を、聞き慣れた派手な声がぶち破った。
「ムナっち戻ってきたじゃん!!」
棟方が、ポカンとした顔で繰り返した。
「むなっち……」
ガタイのいい男に似合わない響きに、誰かがぷっと噴き出した。
「かわいい呼び名じゃの」
途端に、教室を覆っていた目に見えない壁がパリンと割れ、空気が緩む。
どうやら、棟方は腫物にならずに済みそうだ。
光莉のやつ、こういうところは本当に……。
「てか中間テスト明後日からだよ!?やばくない!?」
(……そういや、そうだった)
光莉の言葉に一気に現実を突きつけられて、あたしの顔が引きつる。
「えっ、テスト!?わ、停学中、なんも授業聞いでねんだばって!!」
(出校してても聞いてなさそう)
頭を抱える棟方を見て、確信を持ってそう思う。
「放課後みんなで勉強会しようよ!教室残ってさ!」
「……まあ、いいけど」
「よいの。妾も参加するのじゃ」
なぜか自信満々に頷く隣の番長。
「やったー!御珠っち頭よさそうだもんね!教えてもらお!」
「……ふむ」
(こいつ全然頭よくないぞ)
余裕ぶって目を閉じる御珠を見て、あたしは盛大に内心で突っ込んだ。
「浩二くんには僕が教えるね」
「おう。頼むじゃ」
嬉しそうに笑い合う二人を見て、また騒がしい日常が戻ってきたんだと、あたしは静かに口元を綻ばせた。
―――
放課後の教室。
残っている生徒もまばらになってきた頃、机を寄せて勉強会が始まった。
「まず数学からやろ!みんな数学やばくない?」
「わ、数学は……うん」
口火を切った光莉に、棟方がバツの悪そうに視線を逸らす。
「御珠っちは?」
「……数学は、少々苦手じゃ」
「え!?あんなに運動できるのに!?」
「文武両道とは限らんのじゃ」
(少々どころか10点代の常連なんだよなぁ)
胸を張って言い切る御珠に、あたしは冷ややかな視線を送る。
「あてが外れた……さかもっちは?」
「……聞くな」
(さかもっちになった)
いつの間にかつけられた妙な渾名に呆れつつ、あたしもそっぽを向いた。
「あー同士だ」
「とりあえず、みんなで問題集でもやってみよっか。
分からないところがあったら聞きあう感じで」
田中の提案で、しばらく各自で問題集に向かうことになった。
カリカリとシャープペンシルの音が響く中、ふと田中が隣の御珠の答案に目をやり、ピタリと動きを止めた。
「……天野さん」
「なんじゃ」
「全然進んでないようだけど?」
「よい」
御珠は気にも留めない様子でそっぽを向く。
「でも……」
「妾、数学は捨てておるのじゃ。気にするでない」
「え……そう……」
あっけにとられる田中を横目に、あたしは小さく息をつく。
(御珠は記憶力特化なんだよな)
(そっか。もう専属トレーナーの雪杜はいないのか)
(だったらあたしが……)
昔の御珠を知るからこそ、あたしがやらなきゃいけない気がした。
「御珠の勉強はあたしが見るよ。
御珠の勉強法はちょっと特殊なんだ」
「うむ。華蓮、頼むのじゃ」
「はいはい」
(御珠に頼まれた)
当たり前のように頷く親友に、少しだけ口元が緩むのを感じる。
「湊!わに教えでけ!全然分がね!」
「うん。どこから?」
困ったように笑いながら、田中が聞き返す。
「全部!」
「……最初のページからやろう」
(全部て)
隣の席から聞こえてきた情けない声に、あたしは思わず呆れ返った。
それでも田中は棟方の問題集を引き寄せ、シャープペンシルをさらさらと走らせる。
その説明は短く、でも丁寧だった。
「おお!分がった!」
「ほんと?じゃあこれ解いてみて」
自信満々な棟方に、田中が別の問題を指差す。
「……分がね」
「……もう一回やろう」
(さっき分かったって言ったじゃねーか)
(……でも田中、嫌そうじゃないな)
何度も同じやり取りを繰り返す二人の姿は、どこか微笑ましい。
「田中っちって頭よかったんだ!」
「そんなことないよ」
照れて頬を掻く田中を見て、光莉がぱぁっと顔を輝かせる。
だが、すぐにハッとして周囲を見回した。
「あれ?さかもっちが御珠っちで、田中っちがムナっちなら、ウチに教えてくれる人いない!?」
「頭いいやつもう一人欲しいな」
(あたしもあんまいい方じゃないんだけどな)
あからさまに焦り出した光莉の騒がしい声に、あたしも苦笑いを浮かべる。
「僕がみるよ」
「田中っちありがとー。っちゅ」
光莉がふざけて投げキッスを飛ばす。
それを受けた田中は、みるみるうちに耳まで真っ赤に染め上げた。
(あいつ両方いける口なのかなぁ)
「わの湊さ色目使うな!」
「なによ!田中っちはウチのトレーナーになるんだから!」
「け、喧嘩しないで……」
(さらっと自分のものだって主張してるぞ)
身を乗り出して威嚇する棟方と、一歩も引かない光莉。
おろおろと仲裁に入る田中を見ながら、あたしは賑やかな放課後の空気を存分に味わっていた。
―――
中間テスト初日。
ピンと張り詰めた空気の中、裏返された問題用紙が配られ、教室が水を打ったように静まり返る。
(……まあ、やるしかないか)
試験開始のチャイムが鳴り響いたのを合図に、あたしは勢いよくシャープペンシルを握り直して問題に向き合った。
カリカリと紙を擦る音だけが教室に響く中、ふと横の気配に釣られる。
隣の席では、御珠が迷いのない手つきで淡々と解答欄を埋めていた。
(暗記系は本当に強いんだよな、あいつ)
その規則正しいペンの動きに一瞬だけ視線を送り、あたしも慌てて自分の答案用紙に意識を戻した。
―――
数日後。教室には悲鳴と歓声が入り混じっていた。
待ちに待った……というか、恐れていた答案用紙の返却日だ。
「うわー死んだ。数学53点……」
「あたしは65点。まずまずだな」
頭を抱える光莉を横目に、あたしは自分の点数を見てホッと息をつく。
「わは……まあ、聞くな」
「……あの、浩二くん。次は一緒にもっと早くから」
「んだな……頼む」
すっかり肩を落とした棟方に、田中が控えめにフォローを入れている。
そんな中、隣の席でササッと答案を裏返して隠すような仕草が見えた。
「御珠、何点だった」
「社会は100点じゃ」
「え!?」
間髪入れずの回答に、光莉が素っ頓狂な声を上げる。
「数学は……14点じゃ」
「ひくっ!?」
「わよりも低いでばな!」
さらに低い数字が飛び出し、とうとう棟方にまで哀れみの目を向けられていた。
だが、当の御珠は平然と胸を張る。
「社会は100点じゃ」
(二回言った)
(現実逃避してんな)
「天野、社会つえーな!」
「うむ。妾の得意分野じゃ」
素直に感心する棟方に、御珠がふんぞり返る。
「数学は?」
「社会は100点じゃ」
(三回言った)
徹底した現実逃避に、あたしはこれ以上の追及を諦めた。
「田中は?」
「ぼ、僕は95点……」
「えー!!ほぼ満点!?」
「先生。これがらも頼むじゃ」
棟方が拝むように両手を合わせる。
(こいつ、なんで農業にいんだよ)
(田中先生って呼ぶことにしよ)
さらに数日後、今度は全教科の総合点と順位が書かれた成績表が渡された。
(は!?35人中6位!?マジか!)
自分の数字に目を剥きつつ、すぐさま隣を覗き込む。
「御珠、何位だった?」
小声で尋ねるあたしに、御珠は遠い目をして答えた。
「23位じゃ」
(……社会100点でそれか)
「ま、まぁ野菜育てるの頑張ろうぜ」
「妾、畑で1位になるのじゃ」
無理やり前を向く御珠の背中を、そっと撫でておく。
その時、前方から棟方のデカい声が響き渡った。
「マジが!湊、1位が!?」
「っちょ、ちょっと声でかいって!」
慌てる田中をよそに、光莉も目を輝かせて会話に乱入する。
「え!?田中っち1位なの!?すごいじゃん!
湊っちはウチが先に目をつけたんだからね!」
「わーのもんだって言ったべ!」
田中を挟んで、光莉と棟方がバチバチと火花を散らす。
「ぼ、僕のために争わないで」
(あいつ、ちょっと嬉しそうだな)
オロオロと困ったように視線を泳がせながらも、田中の口元はほんの少しだけ緩んでいる。
そんな彼を囲む賑やかなやり取りがなんだか微笑ましくて、あたしも自然と口元を綻ばせた。




