第10話 青春は六畳で充分
薄暗い廊下を歩きながら、棟方が小声で釘を刺してきた。
「おめんど、こったらだ人数連れ込んで、バレれば怒らいるんで静がにせーよ」
聞けば、この寮には今四人しか住んでおらず、しかも全員男子らしい。
週末で管理人や他の寮生が出払っているとはいえ、見つかれば大目玉を食らうのは確実だ。
ガチャリ、と重い音を立てて棟方が扉を開ける。
(……うっ)
鼻を突いたのは、芳香剤と汗、それから得体の知れない生活臭が混ざったような、他人の家の慣れない匂いだった。
一瞬「臭い」と思ってしまったが、口に出すのは流石に失礼なので飲み込む。
部屋の中を見渡して、あたしは思わず声を上げた。
「せま!」
六畳一間のワンルーム。
ベッドと机が置かれているだけで、すでにスペースの大半が埋まっている。
そこに六人が押し入ったのだから、当然ぎゅうぎゅうだ。
「こったもんだべ」
苦笑いする棟方の後ろで、あたしはふと我に返った。
(よく考えたら、男の部屋に入るなんて初めてだった)
兄貴や弟の部屋ならともかく、他人の、しかも男子の部屋だ。
急に落ち着かなくなり、視線を泳がせる。
「まあ、その辺さ適当に座ってけ」
主の許可が出た瞬間、咲良が部屋の隅に置かれた鉄の塊に飛びついた。
「うわー!ダンベルだ!持ってみていい?」
「いいど」
咲良が両手でダンベルを握り、渾身の力を込める。
しかし、持ち上げるのがやっとの様子だった。
「……ぐほ……おもー……!」
「貸してみよ」
顔を真っ赤にする咲良の横から、御珠が涼しい顔で手を伸ばした。
そして、片手でひょいっとダンベルを持ち上げてみせたのだ。
「えっ!?」
「おめ、すげな」
棟方も目を丸くして驚いている。
「御珠って力持ちだよね……」
雪杜が少し引きつった笑顔で額の汗を拭った。
(フィジカルお化けだからな)
あたしは内心でツッコミを入れつつ、その光景を眺める。
「して。どこに座ればよいのじゃ」
ダンベルをドスっと床に置いた御珠が、ぐるりと部屋を見回した。
「あー、そごでいいべ」
棟方が机の前のスペースを指さすと、御珠はそこにすとんとあぐらをかいて収まった。
「僕はここでいいかな」
雪杜が自然な動作で御珠の隣をキープする。
「じゃあ私ここー」
咲良も当然のように雪杜の隣に座り込んだ。
(あたしはどこにしよっかな)
残るスペースを探して視線を動かすと、田中がすでに棟方のベッドの前の床に、ちょこんと座っていた。
その姿は、どう見てもこの部屋に「慣れている」感じだった。
(……まだ一ヶ月かそこらなのに、もう馴染んでるし)
(なんか、ちょっと、ムカつく)
自分でもよくわからない苛立ちを感じながら、あたしは無言で田中の隣に向かった。
「あたしここ」
田中の真横にストンと腰を下ろす。
「あ、はい。どうぞ」
田中が少しだけ体をずらしてスペースを空けてくれた。
その控えめな態度に、なぜか胸の奥がチクリとする。
(……なんでちょっと照れるんだよ)
肩と肩が触れそうな距離。
あたしは頬にわずかな熱を感じながら、必死に平静を装って前を向いた。
―――
棟方が冷蔵庫から取り出した麦茶を紙コップに注ぎ分け、狭い六畳間でささやかな宴会状態になっていた。
時計の針が正午を回りそうな頃、棟方が「よっこらせ」と腰を上げた。
「おめんど、飯食ってげ。野菜いだめでいいが?」
「えっ、作れるの?」
雪杜が意外そうに目を見開く。
あたしも心の中で(マジか)と呟いた。
「浩二くんの料理、味付け濃いけど美味しいんだよね」
田中が嬉しそうに補足する。
(慣れた言い方。てか名前呼びだったっけ?)
「おう。食ってげ」
棟方は冷蔵庫からキャベツや豚肉を取り出し、小さな流し台でざくざくと手際よく切り始めた。
(意外と様になってるな)
「普段から自炊してるの?」
咲良が興味津々で尋ねる。
「休みだげ。普段は朝晩寮の飯で、昼は適当」
「へー」
コンロに火をつけ、フライパンを温めながら棟方が振り返った。
「うーん、六人分だば一回で作れねな」
「手伝うよ?」
「台どごろせめはんで無理。黙って座ってでいいど」
雪杜の申し出をあっさりと却下し、棟方はフライパンに油を引いた。
やがてジュージューという食欲をそそる音が響き、豚肉の脂と野菜の匂いが部屋に充満する。
「美味しそうな音~」
咲良が両手を頬に当ててうっとりしている横で、あたしは隣に座る田中にこっそりと身を寄せた。
「なぁ。田中のとこってお姉ちゃんとかいる?」
「え、お、お姉ちゃん?」
突然の質問に、田中は露骨に肩をビクッとさせた。
「なんか昨日、田中にそっくりな女の人とすれ違ってさ。もしかしたらって」
「あ、お姉ちゃんね。いるいる」
「やっぱそうだったんだ。すげー似てるな」
「う、うん。よく言われるんだ」
田中の目が泳いでいる。
なんだかやけに焦っているように見えるのは気のせいだろうか。
「へー。何個上なの?」
「えっと……三つ上……」
「へー。うちの兄と同い年だ。学校どこ行ってたの?」
「み……南高校」
「マジ!?うちの兄と同じじゃん!」
思わぬ共通点に、あたしは少しテンションが上がってしまった。
「そ、そうなんだ」
「今度兄貴に聞いてみよっと」
「う……うん。僕もお姉ちゃんに聞いてみるよ」
引きつった笑顔で頷く田中。
「下の名前何て言うの?」
「え……えーっと……」
田中がさらに言葉に詰まった、その時。
「ほい。まず半分」
棟方が大皿にドンと盛られた野菜炒めを机の中央に置いた。
「なんか出来たみたいだからまた今度ね」
田中は逃げるように視線を逸らし、割り箸を手に取った。
「お、おう」
(なんか怪しいな)
あたしの追及をはぐらかしたような田中の態度が、どうにも引っかかる。
だが、その疑問は次に棟方が出してきたものによって一瞬で吹き飛んだ。
「これつけで食えば最強だはんで」
テーブルに置かれた見覚えのあるガラス瓶。
緑色のラベルに「たれ」と書かれた文字を見た瞬間、雪杜の目が輝いた。
「これは!源タレ!」
「おう」
「家にも常備してる!」
雪杜と棟方が固い握手を交わしそうな勢いで頷き合う。
「やっぱこいだいな」
「これだね」
源タレ。それは青森県民なら誰もが知っている、リンゴとニンニクがたっぷり入った万能調味料“スタミナ源たれ”のことだ。
雪杜がさっそく小皿に源タレを注ぎ、大皿から取った野菜炒めをちょんとつけて口に運ぶ。
あたしも見様見真似で小皿にタレを出し、野菜炒めを浸して一口食べて、思わず目を細めた。
(……うんま)
野菜のシャキシャキとした触感に豚肉の脂、源タレのガツンとした塩気とニンニクの風味が絶妙に絡み合う。
「うむ。これじゃな」
御珠も満足げに頷き、次々と箸を進める。
「おいしー。塩コショウの味付けも絶妙!」
咲良が目を輝かせる。
「ご飯が進むー。おかわり」
「自分で盛ってけ」
雪杜が立ち上がり、炊飯器から山盛りのご飯をよそってくる。
みんなの箸の動きが加速していく。
「え、すごい勢いで無くなる」
田中が目を白黒させている。
「あたし、まだ一口しか食ってねーぞ」
文句を言いながらも、あたしは急いで二口目を口に放り込んだ。
「おめんど、食いすぎ」
棟方が呆れたように言うが、もはや誰の耳にも届いていない。
数分後、大皿は綺麗に空になってしまった。
「「「は・や・く、は・や・く、つーぎ・つーぎ」」」
雪杜、咲良、御珠、そしてあたしと田中の五人で、割り箸の裏で机をカンカンと叩きながらコールを始める。
「おめんど、うっせ!」
棟方の怒声が六畳間に響き渡る。
結局、棟方はフライパンを振るい続け、三皿分の野菜炒めがみんなの胃袋に消えていった。
「昼からいっぱい食べちゃった」
「ふー。疲いだ」
「お疲れー。ごちそうさま」
「なもなも」
満腹になって腹をさする雪杜と咲良に、棟方が疲れ切った顔で返す。
「棟方よ。馳走になったのじゃ」
「今度僕の家にも来てよ。うちもよく自炊してるから料理上手なんだよ」
「雪杜の料理のほうが美味しいんだから!」
「何を張り合っておるのじゃ」
御珠に呆れられながらも、雪杜と咲良は楽しそうに笑い合っている。
(こいつらいるとやっぱうるせーな)
狭い部屋に充満した源タレの匂いと、他愛のない笑い声。
不思議と、居心地の悪さはもう感じなくなっていた。
―――
時計の針が14時を回った頃、自然とお開きの空気になった。
「楽しかった〜!また来ていい?」
「寮長さ怒らいるんでまいね」
「えーけち」
口をとがらせる咲良に、棟方が呆れたようにため息をつく。
「そもそも男の家さすぐ上がればまいね。おめ、雪杜の彼女だべよ」
(意外とまともだった)
「ふむ。ジャガイモを見に来たら寄るのがよいのじゃな」
「話聞いでらが?」
「え、冗談だよね?」
(雪杜、不安になってんじゃねーか)
立ち上がり、帰り支度を始める雪杜、御珠、咲良。
あたしも立ち上がって、ふと気がついた。
「あれ、田中はまだいるの?」
「あ、うん。僕帰っても暇だし、まだいよっかな」
「そっか」
「へばなー」と棟方。
「へばのぅ」と御珠が返す。
「へば」「へば」と雪杜と咲良まで、すっかりこの辺りの挨拶が定着している。
「じゃなー」
むさい六畳間を出て、来た道を歩く。
農場を抜けて校門まで戻ってきたところで、あたしは足を止めた。
「あたしチャリで来てたんだった」
駐輪場の方へ向かう。
「じゃなー」
「うん。ばいばい!またね!」
「また学校での」
交差点で三人を見送って、あたしは一人になった。
(田中、残ってたな)
ペダルを漕ぎながら、さっきの部屋を思い出す。
(あいつ、棟方のとこによく来てんのか)
(……別に。関係ないけど)
(姉、ねぇ……)
ファンシーショップですれ違った、田中にそっくりな女の人。
あれが本当に姉だったとして、なんであんなに動揺していたんだろうか。
考えても答えは出ないけど、頭の片隅に引っかかって消えない。
頬を撫でる夕方の風が、来た時よりも少しだけ暖かく感じた。




