孫になった覚えはないんじゃが1
結衣が学校に行ってしまうと、家は静かになる。
オサフネは縁側で茶を飲みながら、ぼんやりしていた。庭の向こうには頭道の海が見える。穏やかな日常だ。
「……う~ん、このせとうちレモンゼリーはお茶と相性最高じゃのぅ」
オサフネは縁側に寝転がった。
空を見る。
青い。
雲が流れている。
転がったまま十五分ほど経った。
「……暇じゃのぅ」
オサフネは立ち上がった。
神様というのは、思っているより暇である。
オサフネは部屋に戻ると、甚平を脱いで衣紋掛けにかけた。代わりに、結衣の制服を手に取る。
白いセーラー服に、長いスカート。結衣が「オサフネさまも外に行くとき着ていいですよ」と置いていったものだ。
袖を通して、姿見の前に立つ。銀色の髪に白いセーラー服。我ながら悪くない。
オサフネは玄関を出た。
頭道の朝の光がまぶしい。坂の下に向かって、石段が延々と続いている。家々が斜面にへばりつくように建ち並び、その隙間から海がのぞいている。空にはカブトガニが何匹か人々を乗せて飛んでいる。
オサフネは石段をゆっくりと下りはじめた。
散歩といっても、特に行く当てがあるわけではない。坂を下りて、商店街でもぶらついて、また戻ってくる。それくらいのつもりだった。
駅前まで下りてきたときだった。
「太郎」
声をかけられて、オサフネは足を止めた。
振り返ると、小柄なおばあちゃんが立っていた。腰を少し曲げて、杖をついている。
「えぇ!? ワシのことか?」
「太郎やないか。久しぶりじゃのぅ」
「……太郎?」
「ばあちゃんのかわいい孫の太郎じゃ!」
「違う」
「太郎」
「違う」
「太郎」
「違う」
「……」
「……」
「太郎」
「話を聞けぃ」
オサフネは自分のセーラー服を見下ろした。それから、おばあちゃんを見た。
「孫と勘違いするにしても、せめて性別は合わせるべきじゃろ」
「お前は間違いなく太郎じゃ。ばあちゃんの曇りなき眼が見間違うはずない」
「その曇りなき眼、だいぶ曇っとると思うんじゃが」
「太郎は昔から可愛い顔をしとったからのぅ」
「話を聞いとらんのぅ」
オサフネはため息をついた。
「この時代に太郎という名前も珍しい気がするんじゃが……」
「なんじゃって?」
「いや、こっちの話じゃ。気にするでない」
「ちょうどええところに来た。ばあちゃんを助けてくれんか」
「いや、じゃけぇ……」
「ブローチがないんじゃ」
「……ぶ、ぶろーち?」
オサフネは眉をひそめた。
「ぶろーち、とはなんじゃ」
「何を言うとる。お前が誕生日にくれたブローチじゃないか」
「ワシは何もやっとらんが……まあよい。それは何じゃ」
「胸につける飾りじゃ。キラキラした」
「ああ、キラキラした装飾品のことじゃな。最初からそう言え」
「その大事なブローチを、猫に取られてしもうたんじゃ」
「猫に?」
「そこのベンチで休んどったら、どこからか猫が来てな。胸につけとったブローチをくわえて、ぴゅーっと逃げていきよった」
「災難じゃのぅ」
「それがな、よりにもよって、お前が初めての給料で買うてくれた誕生日の贈り物でな」
おばあちゃんの声が少しだけ沈んだ。
「ばあちゃん、あれだけはなくしたくないんじゃ」
オサフネはしばらくおばあちゃんを見ていた。
別に、自分が探す義理はない。
猫一匹を追いかけて街中を歩き回るなど、面倒なことこの上ない。
それに、自分は太郎ではない。
「……どっちに逃げた」
気づくと、そう聞いていた。
「あっちじゃ。坂を下りて、商店街のほうへ」
「わかった。探してみよう」
「おお、さすが太郎じゃ!」
「太郎ではない」
「優しい子に育ってのぅ」
「話を聞けぃ」
◇
オサフネにとって、探し物は難しいことではない。
物には縁がある。誰かが大切にしたもの、長く使ったもの、想いを込めたものには、持ち主との間に細い糸が結ばれている。その糸を追えば、たいていのものは見つかる。
目を細めると、おばあちゃんの胸元から、坂の下に向かって淡い糸が伸びているのが見えた。
商店街の方角だ。ブローチは確かにそちらにある。
「すぐ済むじゃろ」
オサフネは糸をたどって坂を下りていった。
商店街に入ると、いつものにぎわいがあった。
糸は、まるで猫の気まぐれそのものみたいに、まっすぐ進んだかと思えば、魚屋の前で一度くるりと曲がり、コロッケ屋の匂いに迷ったように商店街の奥へ伸びていた。
更に糸は商店街の奥へと続いていた。
アーケードの真ん中あたり、イベントスペースのようになっている一角に。
オサフネが近づくと、そこには福引きの台が出ていた。ガラガラと回す抽選器の前に、見覚えのある男が立っている。商店街のはずれでプラモデル屋をやっているおっちゃんだ。
オサフネは関わりたくなかったので、糸だけを追ってそっと通り過ぎようとした。
「お! ジト目幼女ネキやないか!」
間に合わなかった。
「……その呼び方はやめい」
「ちょうどええとこに来た。福引き引いてってや!」
「うちは今、探し物の最中での」
「まあええから、ええから。神様やから特別サービスや」
「神の力を福引きに使うなど――」
「一回だけ! な?」
おっちゃんは抽選器をオサフネのほうに押し出した。
オサフネはため息をついた。早く済ませて立ち去るほうが早い、と判断した。
「……一回だけじゃぞ」
ガラガラ、と神通力を込めて抽選器を回す。
ころん、と出てきたのは、金色の玉だった。
おっちゃんの目が見開かれた。
「おおおおお!!」
「な、なんじゃ?」
「い、一等やないか!!」
カランカランと派手に鐘が鳴らされた。商店街の人々が何事かと振り返る。
「すごいやんネキ! さすが神様!」
「で、一等とは何じゃ」
「これや!」
おっちゃんが台の下から段ボール箱を引っ張り出した。どん、どん、と次々に積み上げていく。箱には「牡蠣醤油」と書かれている。
「牡蠣醤油、百本!!」
オサフネは積み上げられた段ボールの山を見上げた。
「……百本」
(かけすぎ爺め、やりおったな)
「やったなネキ! 一生分の醤油やで!」
「……さすがに使いきれんのぅ」
「ほな、誰かにあげたらええやん」
オサフネは醤油の山を見ながら考え込んだ。それから、福引きの台に目をやった。
「……おっちゃん。これ、これから引きに来る者に一本ずつ配れ」
「え? ええの? 一等やのに」
「百本もいらん。それに、配れば客寄せになるじゃろ。福引きも盛り上がる」
「ネキ……あんた、ええ神様やな」
こうして、商店街には「福引きで一等を当てた神様が、福引きの景品を配っている」という謎の光景が生まれた。醤油めあてに人が集まり、福引きはちょっとした騒ぎになった。
その間も、オサフネの目には例の糸が見えていた。
糸は、商店街を抜けて、さらに先へと伸びている。
「……まだ先か」
猫は、まだ移動しているらしい。




