月でひろった卵は誰が作る4
オサフネは、足元に集まる白兎たちを見下ろした。
さっきまで工場の中を跳ね回り、箱を倒し、饅頭を蹴散らし、好き勝手に走り回っていた白兎たちが、不思議とその場で動きを止める。
「古老よ」
オサフネが言った。
「おぬしは、この子らを月之島の白兎として迎えるか」
古老ウサギは、深く頭を下げた。
「迎えるうさ。この子らは、月之島の思い出から生まれた子らうさ。帰る場所を知らぬなら、うちらが帰る場所になるうさ」
「よかろう」
オサフネは右手を持ち上げた。
その指先に、するりと細い鞘が現れた。
白漆の、長い鞘だった。
刀はない。
けれど、空っぽではなかった。
月之島の光を吸ったような淡い白。
潮風に磨かれた貝殻のような艶。
そして、遠い昔からそこにあったものだけが持つ、静かな重み。
派手な光も、音もなかった。
ただ、その鞘が現れた瞬間、空気の質が変わった。
結衣は思わず息を止めた。
オサフネは鞘を胸の前に掲げる。
鞘の表面に、ほのかな光の筋が走った。
細く、糸のように。
その光は、まず古老ウサギの耳先をなぞった。
次に、足元の小さな白兎たちへ伸びていった。
一本。
また一本。
光の糸は白兎たちの耳に触れ、背に触れ、丸い尾に触れた。
触れられた白兎たちは、ぴたりと動きを止める。
その瞳に、月之島の光が映った。
オサフネは静かに言った。
「迷うた縁を、あるべき場所へ」
鞘の光が、ゆっくりと広がっていく。
白兎たちの足元から、月之島の地面へ。
クレーターの白い砂へ。
工場の屋根へ。
遠く、頭道の商店街のほうへ。
目には見えないはずの道が、淡く浮かび上がっていく。
結衣には、それが糸のようにも、道のようにも見えた。
白兎たちと月之島を結ぶ、細くてやわらかな帰り道。
やがて、白兎たちが顔を上げた。
月之島の奥。
クレーターの向こう。
白い光が降る場所。
「……帰る場所が、分かったんですね」
結衣が小さく呟いた。
オサフネは鞘を下ろさず、答えた。
「縁とは、道じゃ。結ばれれば、迷うたものは帰るべき方角を思い出す」
古老ウサギの目が、わずかに潤んでいた。
「礼はいらぬ」
オサフネは目を伏せた。
「この子らが、もう迷わぬならそれでよい」
◇
「ところで」
結衣が工場の中を見渡した。作業台の上には、まだ大量の菓子の箱が残っている。
「これ、また孵化しませんか?」
「する可能性があるうさ」
「じゃあ名前を変えたほうがよくないですか?」
「長年の看板商品うさ! 名前を変えるなんてうさ!」
「じゃあ……月で拾った饅頭はどうですか」
シン、と静まり返った。
「急に正直になったのぅ」
「地味うさ」
「でも語呂は悪くないうさ」
「いや、でも看板商品がうさ……」
経営者ウサギが渋っていると、結衣はすでに箱に貼られた「月でひろった卵」のラベルにマジックを走らせていた。
「卵」の上から二重線を引いて、その横に「饅頭」と書き足す。
「あっ、勝手に書くなうさ!」
「はい、月で拾った饅頭になりました!」
その瞬間だった。
ぴくぴくと震えていた箱の中の菓子が、ぴたりと動かなくなった。
「……」
「……うさ?」
経営者ウサギがおそるおそる箱を覗き込んだ。さっきまで今にも孵化しそうだった菓子が、ころんと丸いまま、うんともすんとも言わない。
「と、止まったうさ!?」
「ほんとだ、止まりました!」
「マジックで書いただけで止まったうさ!?」
「名前って大事なんですね」
「そんな雑な解決があるうさ!?」
オサフネが額に手を当てた。
「……名は、ものの縁を決める。卵と呼べば卵の縁が強くなり、饅頭と呼べば饅頭の縁に変わる。理屈は合っておる。合っておるが……」
「合ってるならいいじゃないですか!」
「マジックで書いて解決するな!」
「でも在庫全部、これで止められますよ! 何箱あるんですか?」
「八千箱あるうさ」
工場に沈黙が落ちた。
「……八千」
「じゃあ八千箱書きましょう!」
結衣がマジックを握りしめた。
「待て待て待て。八千箱を手で書く気か」
「オサフネさまも手伝ってくれたら、四千箱ずつです!」
「なぜうちがマジックを持たねばならんのじゃ!」
「神様なら百人力くらいありそうじゃないですか!」
「神を人間換算するでない!! あってもせいぜい一人力じゃ!」
「じゃああたしが八千箱書きます!」
「腕がもげるわ!!」
「でも孵化したら困りますよ?」
「それはそうじゃが!!」
「じゃあオサフネさまがやるしかないですよ!」
「じゃけぇ!!!」
オサフネの声が工場の中に響いた。
「神を検品係にするでない!!!」
結局、残りの在庫は「まんじゅう」というシールをウサギたちが貼り直しておさめた。
◇
白兎たちは、ぽてぽてと月之島の奥へ歩き出した。
一羽、二羽、十羽、百羽。
白い流れが、月之島の奥へ戻っていく。
空が少し赤くなっていた。気づけば夕方になっていた。
帰ろうとした結衣とオサフネの後ろから、古老ウサギの声がした。
「長船乃比売」
オサフネが振り返った。
古老ウサギの目が、さっきまでと違った。ボケた調子が消えていた。
「頭道に異常が起きておるうさ。神々の力が徐々にに失われとるうさ」
「……」
「お前には、心当たりがあるはずうさ」
オサフネは何も答えなかった。
風が吹いて、月之島の草が揺れた。
結衣はオサフネの横顔を見た。何か言おうとして、やめた。
二人は無言でカブトガニに乗った。頭道へ向かって飛び立つ。




